1.「叫び」で有名なムンクには、もう一つの代表作「マドンナ」がある。だが、精神病院で療養中に描いたクロッキー連作「アルファとオメガ」が、最も印象深く凄まじい。
絵本と呼んで差し支えない「アルファとオメガ」は全然恐くないので、「叫び」に比べれば最初のインパクトは薄い。だが、世界観全体が狂っているので、常識や理性が邪魔して容易に呑み込む事ができないのだ。自分の狂気に永住地を見つけてしまったムンクの逝きっぷりが、まるで『カリガリ博士』の物語のように読む者を「恐くない不安」に陥れる。ここで、真に恐いのはアルファでもオメガでもなく、ムンク自身なのだ。
さて『わたしは真悟』。ムンクのこの作品を目指したかは知らないが、物語を引き受けるナレーションが相当に恐い。この時期の楳図かずおはグロな恐怖漫画から一歩離れて、もっと凄い恐怖、さらにもっととてつもない恐怖…と自らの心を探求していたんじゃないかと思う(結局、本作の少し後の『左手右手』で原点に戻って来る)。そういう意味では『わたしは真悟』が、楳図マンガの最深部のように思える。もうここまで来るとトラウマになるような恐怖は描かれないが、もっと根深い、自由だった精神をねじまげられて奇怪な形の鋳型に押し込まれるような、「正常な思考って何だろう」みたいな哲学的恐怖が味わえる。
物語自体が直観的で、論理性が排され、電波でお花畑で幼児的で、換言すれば神話に近い。末期の星新一作品も同じような境地に達していたと思っているけど、果てしない試行錯誤/自己探索の末に他の選択肢をなくして自らの狂気(と言って悪ければ自分の内的空間)に安住した星と違い、楳図かずおの方がこの領域へ計画的に、パワフルに到達しただろうと思っている。
この話を語る真悟は、ある一人の人間の表現しがたいギリギリの内奥に、厳戒まで肉薄した姿だと評価する。オイラの中ではムンクと等価です。