1.《ネタバレ》 ディスカバリーチャンネル製作の実録ものということで、エンタメに振り切れ過ぎず良い意味で生真面目な内容に徹している点に好感が持てました。時代の再現度や役者のなりきり具合はかなりのレベルに達しており、一目で「このドラマはレベルが違う」ということが分かります。
主人公はFBIのプロファイラーであるジム。事件から2年後、世捨て人の如く山奥に引きこもり、自給自足の生活を送るヒゲボーボーの男こそがジムであり、どうやら彼は何かに激しく憤っているということが分かります。次に物語は2年前へと遡り、FBIの訓練課程を最優秀で修了し、精鋭揃いのユナボマー対策チームにいきなり配属された前途洋々たるジムの姿がそこにあります。2年間でジムを変貌させたものとは一体何だったのか。かなり引きの強い序盤であり、ここで一気に心をつかまれました。
なお、ジムが修了した訓練過程は最近見た『マインドハンター』で創立された心理捜査課のものであり、舞台もマインドハンターと同じくクァンティコ。個人的にはこの時点でテンション高めになりました。「ホールデン、君の部署は立派に育ってるぞ」と。
捜査の過程では大掛かりな見せ場や息詰まるような展開はないものの、チームに配属された新人捜査官の苦悩が克明に描かれることから、職業ドラマとして非常によくできています。「君の手腕に期待している」と言われてチームに入ったのに、実務を開始すると自分の言うことを全然聞いてもらえない。それどころか地道なリサーチの末の提案に上司全員から一斉に噛みつかれ、自分はチームの邪魔をしているのではないかと思うことすらある。多くの人が経験するような新人の苦悩が描かれるため、ジムへの感情移入が非常に容易でした。
また、上司側の視点でも物語は描かれます。チームを取りまとめるアッカーマン主任捜査官にとってプロファイリングは犯人特定のための手法のひとつに過ぎず、それがすべてではないのです。そうした視点の違いこそが専門職員であるジムとの間に溝を作っているのですが、この摩擦もあらゆる組織で見られるものであり、組織論的な面で興味深く見ることが出来ました。
そんなFBIの組織論として最大の盛り上がりを見せるのが第4話であり、犯人の要求通り新聞に彼の論文を全文掲載し、新聞購入者という膨大な母集団を国中のFBI捜査官を動員して個別にマークするというFBI史上最大規模の作戦を実行するか否かの決断が下されるのですが、もし失敗すればFBIはテロリストの要求に屈したという汚点を残し、アッカーマンのキャリアは終わり。作戦の効力に対してのネガティブな見解も出ている中で、この大博打を打つかどうかの決断をアッカーマンは迫られます。失敗しても次がある下っ端の提案者と、代表者として組織を背負っているチームリーダーの立場の違いを思い知らされる回であり、絶対に成功すると確信している作戦の決裁がとれず苛立つジムと、失敗のリスクまでを考慮するアッカーマンの両方に激しく感情移入しながら見ることができました。
また、本作は犯人であるカジンスキーのドラマとしても優れています。本心では人を求めているもののうまく振る舞えず、高い自我との間の絶望的な差異を、他者を傷つけ優位に立つという行為で埋めていた孤独な男。そんな彼の心情が描写されたのが第6話であり、爆弾魔としての自分の実績を誇らしく思う一方で、もしその長い時間と膨大な労力を人間関係を改善させるという方向性で行使していれば、どれほど人生が豊かになっただろうかと後悔する様は、見ている者の心をも深く抉ります。
他方、残念だったのがエピローグである第8話でした。前述した通り、本作は1997年を舞台にした現在パートと、1995年を舞台にした過去パートに分かれており、この最終話は現在パートに位置付けられるエピソードなのですが、第7話からの接続が悪いためか過去パートと繋がっているエピソードに見えてしまっており、しばらくは何の話をしているのか分かりませんでした。
また、第1話の掴み部分である、2年間でジムがなぜ世捨て人になったのかの説明が最後までなかったため、シリーズ全体を通した問題提起と結論がうまく整合していないという点も気になりました。何か重要な情報を見落としたのかと思って第7話から見返したものの特に見落としはなく、どうもこのドラマには一部の重要な情報が欠落しているようです。第7話までのクォリティが高かった分、ドラマを締めきれていない最終話の不出来が余計に目立っています。