みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想(9点検索)】
2.ロバート・デュヴァルがすっかりグダグダになってしまったカントリー歌手の役、ということで作中で歌声を披露しており、これが実にお見事なんですが、ラストのクレジットを見ると、彼自身が作った歌なんだそうで。いやはや、能ある鷹は爪を隠す。 カントリーソングってのは、日本でいうところの演歌みたいなもんなんですかねえ。しかし舞台を日本に置き換え、カントリーソングを演歌に置き換えたのでは、この物語は成立しないような気もします。演歌だともっと未練タラタラの内容の方が似合いそう。アメリカが舞台だと、離婚も再婚も当たり前。一見、わりとサバサバしているんだけど、やっぱりどこかで過去を引きずっている。引きずっているんだけど、流されていくしかない。忘却したくてもできない過去。未来なんて所詮、諦めの先にしか無いのよ。 元妻がステージで歌うシーンでは、映画の尺を割いてこれまた見事な歌声をしっかりと聴かせ、夢も希望もあった過去を思い起こさせもするけれど、歌が終わればそこには、過去には戻る事のできない現実がある。数少ない過去との繋がりは、古い友人であったり、娘であったり。でも娘との間にはやはり、埋めようにも埋めきれない歳月というものがあって。 一方で主人公は、ある母子と知り合い、新しい生活を始めようともしている。何でしょうねえ、この、「流されてます感」みたいなもの。我々もまた、流されながら、この映画の終わりとともにアメリカの片田舎の景色の中に消え去っていく彼らと別れを告げる・・・。 【鱗歌】さん [インターネット(字幕)] 9点(2023-05-06 06:42:54) 1.《ネタバレ》 いわく言いがたい傑作です。 他のレビュワーさんがおっしゃるように、大したことが起こらない=つまらない、というような見方もありましょうが、私にとっては「そこ」こそがこの映画のツボである。 ここには、必要以上の対立もなく、必要以上の希望も絶望もなく、人々は神の慈悲に委ねて淡々と日々を生きているのです。激しすぎる愛や暴力や死別の悲しみは、ここでは「過去のもの」だからなのです。そのために、私好みの大変繊細な抑制のきいた演出がされています。 壊れた男マックが、偶然拾われたモーテルで小さな幸せを「発見」していく過程は穏やかで美しい物語です。彼が過去に知っていた幸せとは、もっとデカくて絶対的な幸せだったからです。 そこに、次から次にマックの「過去」が追いかけてくる。けれど、「小さな幸せ」の味を知ったマックは、「もう少し生活がラクになる程度」の望みしか抱かない。もう一発当てて、返り咲いてやる、というような野心は持たない。実に正しい態度です。 娘が会いに来ても、鳩の歌のことを忘れたと嘘を言います。この理由ははっきりしませんが、もう娘にとって自分は必要ないから、という意味ではないだろうか。今さら父親に期待を持たせないほうがいいということなのか。 色々なことが、緩やかに好転し、マックは洗礼を受けます。主は自分を見捨てていなかったと知ったからです。 しかしマックが過去にしたことがすべてチャラになっていたわけではありませんでした。娘は、父親の不在に傷ついて育ったため、ちょうど出て行った時のマックと似たような男を好きになってしまいます。酒飲みで、ミュージシャン崩れで、離婚歴があって、自分よりずっと年上の男です。この原因は元を辿ればやはりマックにあります。 マックは娘の死を受けて、神の慈悲を疑います。自分のようなダメ男を生かして、なぜ娘を奪ったのかと。 そして、マックは受洗したばかりの自らの信仰を維持していけるのだろうか。というところで映画は終わるのです。ラストのソニーとのフットボールシーンは、それでもマックに残された「小さな幸せ」の存在をあらわしている。 こういう抑制のきいた映画をもっと見たいですね。 カウボーイハットの中にはハゲがなくてはならないのは必然です。ロバート・デュバルとサム・シェパードは甲乙つけがたいベスト・カウボーイハッター(変?)だ。 【パブロン中毒】さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2008-07-25 14:01:03)
【点数情報】
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