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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です!
【クチコミ・感想(10点検索)】
4.《ネタバレ》 ○マックスとヴィンセントの設定の妙が素晴らしく、その二つが激しく交錯する場面には感動すら覚える。○ヴィンセントの殺人に巻き込まれた可哀想なマックスとして話は始まるが、徐々にマックスが慎重で、見栄っ張りな人間であると分かるようになってから話は面白くなってくる。○一方ヴィンセントは人の心を持っていないが、仕事(殺人はもちろん良くないが)に対しては真面目に取り組む男である。○これが同じ職場の上司と部下ではなく、タクシー運転手と殺人犯であるところが面白く、マックスはヴィンセントに勝手に教育され成長してく。特にフェリックスへバックアップを貰いに行くシーンは素晴らしい。やればできるんだと自信がついた頃、マックスがヴィンセントに一般論や人の心をもって説教するが、叶わぬ夢や女性に及び腰のマックスへヴィンセントが叱咤すると、マックスはもう怖いものなし状態へ突入。○彼の象徴であったタクシーを破壊し、数時間前に出合った女性を殺人犯から救い、ヴィンセントを冒頭の地下鉄の話そのままに全員が他人のロスに走る無人運転の地下鉄へ眠るようにやっつける。○終盤にかけてうまくいきすぎな向きもあるが、エンターテイメントとしてもマイケル・マンが得意の銃撃戦も盛り込み、見事な夜景とおしゃれな音楽をバックに盛り上がる。○個人的には、ジャズの即興の良さをヴィンセントがマックスへ教えるシーンの後に、マックスが「今夜のように?」と言っている場面があったが、あれはセリフ化しなくても、ジャズバーに来たってだけで十分だったかな。○にしても夜中に定期的に観たくなる中毒性がこの映画にはある。 【TOSHI】さん [映画館(字幕)] 10点(2006-08-31 15:34:41)
3.《ネタバレ》 孤高とは孤独である自分を受け入れることができる人だと思う、しかし孤高とは孤独であるという事が前提であり、ただの人間嫌いはけっして孤高とは言わない。タクシーの運転手は「孤独」であり殺し屋は「孤高」だと私は見ていた。2人の人物造形は見事としか言いようが無い。トムクルーズは私はやはりさすがだと思う。最近はゴシップネタに晒されることが多いが、彼が一流の俳優であることをこの映画は証明している。トムの作り出した殺し屋はありふれた冷静で天才的な殺し屋ではなくて、かなり人間臭い。むしろドジだと言えるくらいだ。饒舌でありながら人格も破綻していた。しかしだからこそ、この男の心の闇が夜の街を通して明確に表現されていたのではないだろうか。タクシーの運転手と殺し屋という組み合わせは異質だが2人の共通点は社会の底辺で這い蹲って生きているということだと思う。 「この街のどこかで野たれ死んでも誰も気がつかないよ」と言った殺し屋はすでに自分の死を暗示していたようだ。 ラストの電車内の撃ち合いはすべてを終わりにしようと考えた殺し屋の自殺だったのだと今になって思う。殺し屋は「孤高」を貫く自分に疲れ果てたのではないだろうか。 そしてこの映画の最大の見せ場はコヨーテの登場シーンだと私は考える。殺し屋と運転手はコヨーテが横切る姿を言葉を失くしたように唖然と見入っていた、私もそれを呆然と凝視してしまった。なぜか?それは共感したからだ。 コヨーテは「孤高」の隠喩として用いられていたのだった。孤高という言葉を使わずともこの映画には至るところにそれを象徴させるメタファーが散りばめられていた。 似たもの同士の2人。殺しあった運転手と殺し屋だったが、もし出会いが違えば無二の親友にもなれたかもしれない。 【花守湖】さん [DVD(字幕)] 10点(2006-03-18 12:16:09)(良:2票)
2.マイケル・マンという監督は、常に“反社会的な者たち(アウトサイダー)”を描く。そして、その生きざま(や、死にざま)を、ひたすら〈崇高〉なものとして描き出すのだ。彼らはみな、社会に、運命に立ち向かい、反逆し続ける。その姿(というか、魂)は、英国の思想家エドモンド・バーグが言う〈崇高さ〉そのものだ。
「我々が崇高を感得するのは暗い森林や寂しき荒野、ライオンや虎や豹や犀などの姿においてである、(中略)それが解き放たれていて人間を無視していることの強調によって、少なからぬ崇高な姿に盛り立てられているが、そうでなければこの種の動物の描写は何一つ高貴な要素をそなえぬであろう」(中野好之訳)
…しかし、トム・クルーズ扮する殺し屋を主人公のひとりとする本作は、いかにもマイケル・マンらしいようで、これまでの作品とはどこか異質な印象を与える。それは、常に脚本にもクレジットされていた彼の名前がここにはないことからくるのか。あるいは、120分という彼の映画では(『ザ・キープ』を除いて)最も短い上映時間によるのか。デジタル・カメラによる奇妙なほど奥行きと陰影を欠いた映像によるものなのか。
…そう、まるでスコセッシの『アフターアワーズ』や『ヒッチャー』にも似たこの悪夢めく「不条理劇」は、むしろ製作者のひとり『エルム街の悪夢3/惨劇の館』の監督チャック・ラッセル(同じく製作に名を連ねるフランク・ダラボンも、あの映画の脚本家だった…。このご両人、どんな仲?)あたりこそがふさわしい。その意味において、マンは単なる「御用監督」でしかないのだろうか? …
しかし映画の中で、ロス市内の道路を2頭の野性のコヨーテが悠然と横切った瞬間、ぼくたちは確信するのだ。あのコヨーテたちこそ「解き放たれて人間を無視している」ことで孤高を生きる、マイケル・マン的存在に他ならないことを。そして、殺し屋とタクシー運転手もまた、その瞬間から夜のLAという「荒野」を生き、死んでいく者たちとして「解き放たれ」る。まさしく「ライオンや虎や豹や犀」のように生き始めるのだ。だからこそラストの、よく生き、よく死んだ両者の姿は、かくも〈崇高〉で、ただただ美しい。 【やましんの巻】さん 10点(2004-12-03 14:39:04)(良:5票)
1.「仕事に対しプライドを持っている」と判断した殺し屋は、タクシーの運転手をパートナーに選ぶ。しかし運転手はただの夢想家であり、殺し屋は「人間としての何かが根本的に欠けている」。この二人が単なる善悪におさまらない倒錯的な関係を結んでいく。支配する者、される者の関係が微妙に崩れ、互いが互いを教育しあい、時には支配される者が支配する者を演じることとなる。そして、運転席と後部座席に離れていた二人は、「これが仕事だ」と叫びながら、まるで鏡を挟んだかのように対峙する。■シリアルキラーと刑事、ギャングのボスと刑事、そして殺し屋とタクシーの運転手。対立する人間同士が鏡を挟んで向き合うこと。■プロの殺し屋のくせにミスが多い、というシナリオの弱点などどうでもよい。そのスリリングな関係だけを見つめていればいいのだ、と思う。■それよりなにより、運転手の生活を冒頭数分で描ききる演出や、女検事との車中での会話や、赤外線をチェックする刑事の小さな芝居や、ぼろアパートの一室から見える室内の風情や、どちらの地下鉄に乗ったのかを迷う数分の間や、停車駅での見事なカッティングや、「裏窓」的サスペンスや、銃の安全装置をはずす芝居やらなんやらを見つめ、魅了されれば、シナリオのミスや(ていうか、プロの殺し屋ならレンタカーを使わないか?んなことハリウッドの百戦錬磨たちがとうに気づいてるだろ)、つまらない現実との齟齬なんぞ、どーでもいい。だってこれはファンタジーなんだもん。■タクシーの運転手は、都会に住むコヨーテの姿にはじめて気づいたのだ、きっと。 【まぶぜたろう】さん 10点(2004-12-02 00:51:06)(良:4票)
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【点数情報】
Review人数 |
252人 |
平均点数 |
6.12点 |
0 | 0 | 0.00% |
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1 | 2 | 0.79% |
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2 | 6 | 2.38% |
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3 | 7 | 2.78% |
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4 | 26 | 10.32% |
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5 | 46 | 18.25% |
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6 | 55 | 21.83% |
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7 | 57 | 22.62% |
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8 | 38 | 15.08% |
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9 | 11 | 4.37% |
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10 | 4 | 1.59% |
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【その他点数情報】
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