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プロフィール
コメント数 3885
性別 男性
年齢 53歳

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【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順123
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1.  ヒッチャー(1985) 好きな映画、というのとはちょっと違うかも知れない。好きだから何度でも繰り返し見ます、というんじゃなくって、ごく、たまーに見ては、作品の不気味さに震え上がり、堪能したい。今回見たのも、果たしていつ以来だったっけか。やっぱり面白い。怖い。不気味。痺れます。 『激突!』の後で、どういう映画があり得るか。どこまでトンガレるか。トンガリまくった挙句、こういう映画が生まれちゃう。そのこと自体が、面白いじゃないですか。 雨の中、現れたヒッチハイカー。『激突!』における、顔の見えない敵、というのとは違って(もっとも、『激突!』ではタンクローリー自体が“顔”な訳ですが)、こちらはいきなり顔を見せちゃう。おいおい、顔、見えちゃってるよ、とワケのわからない心配をしてしまうのですが、ちゃんと不気味さを持続させ、恐怖を持続させるルトガー・ハウアー。本当に得難い俳優をこの作品は得ることができ、この時点で99%は成功が保証されたもんでしょう。などと言うと、C・トーマス・ハウエルが気の毒か。いや、その凡庸さもしっかり、この映画では活きてます。 とにかくルトガー・ハウアー。やっぱりこの人、品がある。そして、何を考えているかわからない(アタマ空っぽ、という意味ではなく)。その独特の持ち味を、徹底的に邪悪さへと振り切って見せると、こんなコワいことになってしまう。作品と俳優の、一期一会、絶妙の組み合わせ。などと『ブレードランナー』のことも同じようにホメてしまいたくなる誘惑を抑えつつ。 この作品、実に不条理なサスペンスですが、不条理ゆえに散漫になるようなこと無く、緩急つけて緊張感を高めていきます。 切り詰められたセリフの、恐るべき切れ味。 一方、劇中のところどころで展開される派手なアクションシーンが、サスペンスに不釣り合いで、ちょっと浮いた感じがあるのも事実なのですが、この不条理世界にそういう場違いなものが放り込まれると、さらに不条理感が倍増し、さらに不気味さが膨れ上がってきます。これ、計算されたものなのかどうか、わからないけれど、結果として異様な効果をあげていて、やっぱりこの作品、フツーじゃない。 さて、次は、何年後に見ますかね。。。[インターネット(字幕)] 10点(2023-10-14 09:01:07)《改行有》

2.  ビバリーヒルズ・コップ3 3作目に至って、監督がジョン・ランディス、ってのがもうすでに投げやりな感じがしてしまうのですが、そして実際、評判も芳しくないようなのですが、すみません、ワタシは好きなんですコレ。バカバカしくって可笑しくって。 もはや3作目ですから、「デトロイト⇔ビバリーヒルズ」というカルチャーギャップネタを今更やる訳にいかず、結局、アクセルとローズウッド君をとりあえず登場させてはいるものの、あまりビバリーヒルズコップシリーズである必然性もなくなってます。そもそも、今までのシリーズだと、アクセル刑事が口八丁手八丁、いつもテキトーな事ばかり言って強引に何でもやり遂げてしまう、ってのが定番のパターンだったのに、本作では、ワンダーワールドに入り込もうとしてついた嘘がいきなり見抜かれ、入場料を払わされる羽目に。この辺りは、「本作は、過去のシリーズ通りの路線ではありません」という宣言のようなもの。宣言しちゃたもんの勝ち、あとはもう、遊園地ならではの、バカバカしいギャグとアッと驚くアクションを連発し、楽しいったらありゃしない。バカばっかりやってるようで、種をまいておいたいくつもの伏線をチャッカリと刈り取って見せるのも、気持ちいい。 カメオ出演も大層、豪華ですが、そのうち一人(役名:がっかりした男)は、誰もがよ~く顔を知っている、まさかまさかのアノ人。いったい、何考えてるんですかね、あはは。 という訳で、1,2作目も好きですけれども、変化球のこの第3作が、一番好きだったりするのでした。[CS・衛星(字幕)] 9点(2017-04-09 20:05:26)(良:1票) 《改行有》

3.  ヒート ド派手な銃撃戦のこの作品に対して、こういう喩えをするのも妙なんですが、それでもこの映画、なんだか“線香花火”を連想しちゃうのよね。ラストの対決の場面なんて、どこか、線香花火の最後の「散り菊」のような余韻を感じさせます。この映画の物語自体も、ひとつのテーマを循環形式のごとく変奏していくような感じ、これもまた、単色ながら変容を繰り返す線香花火。警察と強盗団の対決を描いているようでいて(いや実際描いているけど)、「どのように捜査して」「どのように相手の動きを突き止めて」などといった細かい描写は大胆に省かれており、まるでお互いが相手に執拗に絡む事が当然であるかのような、まるでそのことが運命として定められているかのような。物語には何組かの男女が登場し、それが決して対照的に提示されるのではなく、むしろ、対決する男たちの間に存在する共通項をあぶりだすために提示されているようでもあります。アル・パチーノとロバート・デ・ニーロとの関係、それはライバルというよりはもはや、共犯関係とも言うべきもの。アル・パチーノがギョロ目をむき、短足に鞭打ってオッサン走りを繰り広げる姿は、なかなかにカッコよかったりもします。[CS・衛星(字幕)] 9点(2015-05-26 22:37:19)

4.  ピノキオ(1940) 揺れる物体や回転する物体の3次元的な動きが実に見事。そりゃま現代ならCGでもってお手の物、の描写なんでしょうけれども、手描きならではのファジーさが味わい深くって、「CGって無機的だなあ」と改めて感じさせられもします。そりゃま、当時としては、今でいうところのCG並みの完璧さを目指したのかも知れませんが。さて、ディスニー長編第2作の、この『ピノキオ』。ウチの幼稚園の息子が、最初は喜んで観てるけれど途中から「コワイ」と言うのは、悪役が、怪物とかじゃなくて「普通のオジサン」というリアルさでしょうか。しかしこの作品では、コオロギのジミニーというお守り役がピノキオを見守っていて、ホッとさせれらます(『ダンボ』におけるティモシーの存在にも繋がる役柄の設定ですね。ただし本作のジミニー、見た目がコオロギだか何だかよくわからないのが難点?)。あと、女神様。ってセリフでは言ってるけれど、見た目は妖精さん。登場シーンで光が飛んでくる描写が、今観るといかにも『未知との遭遇』で、あの作品にはやはり相当影響を与えているんだなあ。と思いつつも、いざ登場した妖精さんはいささかリアル過ぎ、なんかキャバレーのママみたいな俗っぽさがあって、ちと夢が無いかも。しかしピノキオに与える教訓「嘘はだんだん大きくなる」ってのは、何とも身につまされます。[CS・衛星(吹替)] 9点(2014-01-03 17:11:56)

5.  ヒストリー・オブ・バイオレンス 暴力の「衝動」なのか「歴史」なのか。“ヒステリー”なのか“ヒストリー”なのか。主人公の日常に兆し始める暴力の陰は、最初は、不連続な衝動的なもの・理性の中に埋もれ稀に姿を現すもの、に過ぎないと思われたが---後半、様相は一変する。実は人間にとって暴力こそが日常であり背景であり、理性などその上でかろうじてバランスをとっている危うい存在に過ぎない、のではないか。「暴力の歴史」ではなくむしろ「暴力こそ歴史」(そしてそれは事実、そうなのだ)。物語の理不尽な面ほど、よりストレートに描いているこの映画の語り口は、かえって何にもまして雄弁である。・・・すみません、観た直後の感想はそんな感じだったと思うのですが・・・人間「以外」のもたらす暴力の恐怖をまざまざと見せつけられ・・・何を語る言葉もないけどとりあえずは「そこ」で終わってちゃいけないんだな、と。(そしてそう思ったとき、この映画もまた、「そこ」で終わらせることなく、次へと向かおうとする作品であったのだな、とも)[DVD(字幕)] 9点(2011-04-01 04:46:59)

6.  ピンク・フラミンゴ 1998年11月21~24日の4日間、仕事の都合で当時私が住んでいた仙台にもついに『ピンク・フラミンゴ<特別篇>』がやって来た(仙台シネアート2)。観に行くべきか否か、私は懊悩した。私の心には2つの声がぶつかり合う、「映画史の“伝説”を体感しないでどうする!」との“悪魔”の声と、「わざわざ金払ってイヤなもん観る事ないよなー」との“天使”の声。そこで上映最終日、私は極めて合理的・妥当・アタリマエな賭けに出たのだった、「シネアートってどこにあるのか知らんし、映画館探し歩いて、見つからなければ観るのを断念しよう」。仙台の繁華街を(一応)隈なく歩き回った(つもり)の私だが、首尾よく、映画館の所在は突き止められず。「では家に帰ろう」、ここで油断が出た。何をトチ狂ったか、わざわざ用も無いのに仙台駅の東側に足を向けてしまったのだ(繁華街は駅西側)。シネアートが、そこに、あった。覚悟を決めて劇場に入る。上映前にこれほどドキドキしたのも何年ぶりだろう。観客は10人前後(私の前に座っていたオヤジは開始30分程で席を立った)。さて、肝心の映画についてであるが・・・当然ながら実にヒドイ。素人がホームビデオで撮ったかのような、イイカゲン極まるカメラ。そして描かれる内容たるや、口に出すのも憚られる、というか、つい人に話したくなるというか(どっちやねん)、強烈なる愚行の数々。詳しくは書きませんので、未見の方はご自分の目で確かめるか、他の方のレビューを参照して下さい(これだけは言っておこう、この絶妙な半透明ボカシを入れた人は本当にエライっ!)。 さて映画が終わり、ボーゼンと仙台駅前歩道橋を歩く私の目には、これまでと少し違った街の姿が映った。いつも通り、奇抜なファッションに身を包む若者達の姿。だが、ピンク・フラミンゴの世界の人々(ドリームランダーズ)の天晴れな突抜けぶりに比べると、何て安直で半端で「ダサい」んだろう? いや、そういう親父クサイ事は言うべきではないのかもしれない。彼らには彼らならではの文化がある。でも、ピンク・フラミンゴの自由な空気を無理矢理にでも嗅がされた今、「自分達の中途半端さ」を嫌でも認識せざるを得ない。現状打破すべし。自分の中に奇妙なエネルギーが湧いてくるのである。9点(2004-12-23 11:35:13)(良:1票)

7.  ビートルジュース こういう映画大好きだなあ。と言っても、「『こういう』って、どういう映画だよ!」と訊かれたら、返答に困ってしまうこのハチャメチャさ。前半で、死人になったジーナ・デイヴィスが階段を駆け下りるシーン、手摺りが変にグラグラしてて、ああ、セットにあまり金かけてない低予算映画なんだなあ、なんてことを思ってしまったのですが、まあ、確かにそんな感じ。特殊効果も手作りっぽさがあふれてますが、これが何ともいい感じ。やっぱり大事なのはイマジネーションですからね(ただ、ちょっとイマジネーションが飛翔しすぎて、ついていくのに若干の努力が必要!?)。そもそも、幽霊が人間を家から追い出そうとする話、という設定だけでも、それなりに面白い映画になりそうなのに、それを「脇役」のビートルジュースが登場してメチャクチャにしてしまう。こんな変な映画、他にありましたかね? そして、ウィノナ・ライダーが宙に浮いて歌うという、松田聖子もビックリの(←例の映画のことです)、謎のようなハッピーエンド。実を言うと、結構、感動してしまったのでした。ああ、まさかこの娘が、後に万引きするとは・・・(←それは関係ないっての)。9点(2004-08-13 00:21:17)

8.  羊たちの沈黙 こりゃ見事に映画化してくれました。ベストセラーを映画化するとなると、注目は集まるものの、逆に「原作のイメージに合わない」とか「脚色によって原作の良さが損なわれた」とか、原作のファンに袋叩きにされる事もしばしば。イバラの道です。その点、本作は、原作と映画が実に幸せな関係にあると言えるんじゃないでしょうか。映画が原作のイメージに合ってるのやら原作が映画のイメージに合ってるのやら、よう判らんほど。映画の説得力と言っていいのか衝撃力と言っていいのか。無類の不気味な雰囲気とサスペンス性が横溢しております。その中で、奮闘するクラリス、「あ~ジョディ・フォスターって意外と小さいんだなあ」などと思った途端、妙に彼女にも好感が持ててしまったりするのでした。9点(2004-01-24 01:14:23)(良:1票)

9.  陽のあたる場所 《ネタバレ》 原作の「アメリカの悲劇」は読んだことが無いのですが、この映画からは少し、ジェームズ・M・ケインの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を連想したりもします。「郵便~」ほど主人公が直情的でも行動的でもなく、むしろ優柔不断にも見えるけれど、それでもやはりその行動は刹那的で短絡的。それをどこか、突き放したように描く・・・。 という観点では、この映画、さらにハードボイルドタッチの乾いた語り口でもよかったのかも知れませんが、それはともかく。 主人公のモンゴメリー・クリフトがヒッチハイクをしている冒頭。金は無いけど希望はある、って感じの好青年。いい人に見えるのはここだけで、まあ、あとは、サイテー男なんですけどね。彼が見上げた看板は、叔父の経営する大企業のもの。手の届かないような高さにあるその幸せが、徐々に彼のもとに転がり込んでくる。最初は労働者仲間の女性との恋愛、という、ある意味現実的で、こう言っちゃなんだけど世間的には「身の丈にあった幸せ」。ただしここですでに、会社の規則違反。今だったら横暴な企業としてネットで炎上するところかも知れませんが、とにかく不条理な悲劇のタネってのは、主人公自身が抱えているだけではなく、社会の中にも色々と転がっている。 で、最初、手に入れた小さな幸せの後、会社で出世したり、金持ち美人のエリザベス・テイラーと知り合ったり、という「大きな幸せ」(ってか、んなワケないやろ、こんなヤツに、と言いたくなるような、信じ難き僥倖の数々)が主人公のもとに降り注いでくる。小さな幸せと大きな幸せ、同時に手に入れようったってそうはいかないとなった時、どちらを手放すか?  「大きな幸せ」の方が実は単なる幻想でした、というのであれば、そりゃそうだよね気をつけようね、という一種の教訓話としてオチがつくところですが、この作品では最後まで、エリザベス・テイラーはあくまでモンゴメリー・クリフトを想い続ける「大きな幸せ」としての存在であり、もはや自分には決して手に入れることができない「大きな幸せ」はやはりそこに「大きな幸せ」として在り続ける皮肉。 小市民的な悲劇ではありますが、それだけに普遍的、とも。[インターネット(字幕)] 8点(2024-06-09 06:04:52)《改行有》

10.  ビルとテッドの時空旅行 音楽で世界を救え! タイトルの「時空旅行」ってのはあくまで邦題であって、原題とは何の関係もないのですが、しかし言い得て妙、と言いますか。こんなアホ映画の企画が約30年という月日を越えて蘇るだなんて、これはもう時空旅行としか言いようがない。 主人公2人もだいぶお歳を召していて、しかし相変わらずおバカ、というか、年相応におバカというか。 子供の頃、オトナってのは皆、オトナ、すなわち子供とは全然異なる、分別を持った存在だと思ってた。 私もこの自分がこの歳になってみて、そんなのがウソだということがイヤというほど判ってまいりました。人間、何年生きようと、中身なんて変わりません、成長しません。所詮、オトナの分別なんてものは、「懲りた」「飽きた」「面倒臭くなった」のいずれかにしか、過ぎないんじゃないのかなあ、と。 いや、マジで、こんな中身のまま、こんな年齢になるなんて、昔は想像もしなかった。誰か助けておくれ。 ビルとテッドもこんな年齢になってしまった、どころか、時空旅行をした先には、ヨボヨボの爺さんになった2人の姿が。 でも、それでもやっぱり、彼らは彼らのまま、なんですよね。それが、素晴らしい。 で、未来のどの自分に会いに行っても、そこには音楽がある。それどころか、モーツァルトの昔から、子供の世代に至るまで、音楽で繋がる世界。いや、素晴らしい。 もっと遡ってもいい。早くもJ.S.バッハの音楽には、間違いなく、現代の感覚と何ら変わらない高揚感、興奮がある。それって、スゴくないですか? 素晴らしくないですか? ちゃんと、そういう音楽の普遍性というものを、謳いあげてみせる2人。やっぱり、素晴らしい。[インターネット(字幕)] 8点(2022-05-08 23:08:00)《改行有》

11.  ピッチブラック 私がこのサイトにお世話になるようになってからそこそこ経つのですが、参加し始めて間もない頃に投稿したいくつかの感想文が、行方不明になっちゃってる気がして仕方がない。この作品もその一本でして。それとも気のせいなんだろうか? アシモフの「夜来たる」がどうしたこうした、みたいなコトを書いた記憶がかすかにあるのですが、う~ん、まあどうせ大したコトは書いてないに決まってるので、どうでもいいんですけどね。 設定の上では「夜来たる」と関連があるにしても、あくまでモンスター映画の部類。この映画、激安作品とは言わないまでも、決して潤沢に製作費をかけた大作の部類ではないだろうし、ましてや2000年製作と言うと、CG技術もだいぶ向上してきているとは言えまだまだ発展途上。そんな中で、色彩を落とした映像、あるいは暗闇、あるいは光が滲んだリディック視線の映像、といったものを利用し、なかなかうまくCGモンスターを表現してます。リディックのビー玉のような瞳が、あの独特の映像を支えているような、そんな印象。 不時着した宇宙船の後ろに、地表がえぐられた跡がどこまでも延びている光景。こんなのも、不時着の衝撃に対する間接的な描写になってて目を引くし。ヒロインが上を見上げるとモンスターの群れ、なんていう場面でも、わざわざリディックに「上を見るな」という一言を直前に言わせて、我々の注目を引いたり。 小技とアイデアで勝負、の一本。面白い。[CS・衛星(字幕)] 8点(2022-02-13 14:45:03)《改行有》

12.  豹/ジャガー コルブッチ監督には『続・荒野の用心棒』ってな邦題の作品がありましたが、そのセンでいくと、本作は『続・夕陽のガンマン』とでも名付けるべきですね、闘牛場での決闘シーンでは、円形の舞台に3人が睨み合う形となって、臆面もなく夕陽のガンマンのシーンをそのまんまパクってます。でも残念ながら、続・夕陽のガンマンという映画はすでに存在しているので、『続・続・夕陽のガンマン』とでも名付けるべきですね。なにせ、続・夕陽のガンマンみたいに、円形の舞台で3人が睨み合うもんね。ははは。 実際、本作の背景には革命が描かれていて、そういう激動の時代の中での決闘、という点でも、続・夕陽のガンマンを思わせるものがあります。ただし、チンピラみたいな軽いノリの革命家と、フランコ・ネロ演じる凄腕ガンマンとの奇妙な友情が物語の中心で、敵方の用心棒ジャック・パランスと戦う、という、比較的ストレートなオハナシには、なってます。だけど、この三者がそれぞれに一癖もふた癖もあって、物語に起伏をもたらします。 ジャック・パランスの髪型(いかにも似合わないパーマ)は、どうなのよ、と思いつつ、さらには何でこんな映画のこんなシーンで素っ裸にされてるんだよ、と思いつつ、それでも敵役としてはなかなかの貫録。 彼に刺客として任命された男の後ろで、別の男が農作業用のフォークを作ってて、刺客の男からカメラがそれると、男の悲鳴が聞こえ、フォークを腹に突き刺されて絶命した男の姿がカメラに捉えられる、などという、若干アホらしい見せ場も楽しいし、上述の「円形の決闘」がクライマックスかと思わせて、物語はそこで終わらずにさらに見せ場を作るのもまた楽しいところ。 出色のマカロニ・ウェスタン。パクリ的な部分も含めて。[CS・衛星(字幕)] 8点(2020-05-06 16:53:07)《改行有》

13.  左きゝの拳銃 《ネタバレ》 几帳面というよりは神経質なまでのカメラの切り返しや場面転換、かなり張り切って撮ってるなあ、という印象を受ける、アーサー・ペン監督の劇場デビュー作。赤丸急上昇中の(←どういう意味なんだろう)ポール・ニューマンを主役に据え、ビリー・ザ・キッドの生涯を描く訳ですが、そういう手堅い演出の中に、意外性のある構図が光ります。写真撮影中で首を動かせないビリー(この写真は昨年オークションにかけられ、230万ドルで落札されたそうな)と仇の男との緊迫したやりとり。斃れた男の横に立ち続けるブーツのユーモラスな残酷さ。ラストにおけるビリーと対峙するギャレット。はたまたポール・ニューマンも活き活きとビリー役を演じ切っており(こういう「過剰さ」には賛否両論もあるでしょうが)、本作を観ていると、『俺たちに明日はない』のペン監督、ここにあり、という感じもいたします(後付けの印象やろ、と言われりゃ、ま、そうなんですけど)。ただ、後半、ビリーが破れかぶれになっていくに従い、映画自体が破れかぶれというかゴチャゴチャした印象になってしまうのは、ちょっと残念でもあるのですが・・・。[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-07-15 09:22:10)

14.  昼下りの決斗 もし自分が主人公の立場なら、おいおいカンベンしてくれよ~と言いたくなるようなお話で、金の輸送を請け負ったはいいものの、アホ娘の結婚騒動に巻き込まれるし、仲間は裏切るし。んなコトに命賭けられるかよ、と。しかし、この、「自分≠主人公」という可換性の乏しさというものが、“ヒーローもの”の重要な条件でもあったりする訳で。そりゃこんな男に入れあげて結婚まで誓っちゃう娘がアホだから悪いのであって、およそ彼女に分が無いのだけど。しかし誰にでも過ちはある、身捨ててはおけぬ、とこのアホ騒動に対し毅然と立ち向かう主人公。正義のため? いやこれは「自分の信念のため」でしょう。裏切った仲間、これはさすがに“誰にでも過ちが”と簡単に許す訳には行かぬ、とは言え、信念の戦いを共にするのであれば、やっぱり共闘しちゃうのです。身を削るような、接近戦のガンファイト。戦うきっかけとなった事件なんぞツマラなくったっていい、重要なのは、戦いによって守るべき信念。まさにこれぞアナーキズム。ペキンパーここにあり。[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-02-18 23:43:10)

15.  引き裂かれたカーテン 《ネタバレ》 ヒッチコック作品の中では評価が芳しくないものの一本、かもしれませんが、展開が速くてとにかく楽しい作品、です。盛り沢山の内容に、息切れしないように注意。冒頭からポール・ニューマンとジュリー・アンドリュースが妙に濃厚にイチャイチャしているなあ、と思ったら、あっという間にそこに疑惑の影が差してくる展開。ああ、タイトルにある“カーテン”ってのはそのカーテンのことか、と思う間もなく、さらに物語は思わぬ方向に。絶望的な逃避行、というより殆ど荒唐無稽な脱出劇、ですが、ポール・ニューマンの飄々とした感じがうまくマッチして、サスペンスとユーモアを両立させています。1つのシーンが次のシーンへとバトンを渡し、まさに物語が“転がって”いくような、小気味よさ。いやむしろ慌ただしさと言っていいかも知れませんが。物語の展開の速さばかりではなく、主人公が彷徨う美術館のシーンなどを挿入することにより、独特の雰囲気も醸し出してみたり。と言う訳で、なかなかのオモシロ映画に仕上がっている、のですが、ただ・・・↓すでに指摘されている方もおられますが、劇場のシーン(大仰な“フランチェスカ・ダ・リミニ”の音楽に乗って、いかにもショボいバレエが演じられているのが可笑しい)で、主人公が英語で「火事だ」と叫ぶのが(しかもそれで劇場がパニックになるのが)、これはちょっと無理がありましたね(あまり関係ないけど、芥川龍之介の『煙草と悪魔』を連想する。寝惚けている悪魔が、わざわざ日本語で叫ぶか、どうか)・・・。さて、本作においても、ヒッチコック本人がどこに出演しているかが楽しみのひとつなのですが⇒⇒⇒音楽が「正解」を教えてくれます。[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-04-12 00:15:49)

16.  ヒッチコックの ファミリー・プロット 互いに無関係のふた組のカップル。一方はインチキ霊媒師を営んでおり、一方は誘拐犯を営んでいる、という、どちらも感心できない連中なんだけれど、両者の間にひょんなことから生まれた接点から、騒動が巻き起こる、ってなオハナシ。そりゃまあ、ヒッチコック最後の作品と思うとそれだけで感慨が沸いてきてしまい、じゃあとりあえずホメとこうか、みたいな気持ちになってしまうことも否定しませんけど・・・でもやっぱり、オモシロい。インチキ霊媒師カップルが知らず知らずのうちに自ら危険に飛び込んで行ってしまう、というタイプの映画で、ヒッチコックお得意のいわゆる「巻き込まれ型」というヤツではないのですが、それでも、いかにもヒッチコック「らしい」映画のように思えてくるのは、無類のユーモアと、この先どうなるかわからないサスペンス。身代金代わりのダイヤを奪いに行く場面で見せる長廻しなどもバシッとカッチョ良くキマっていて、緊張感があふれてます。最後まで、人を楽しませる作品を、ヒッチコックは作ってくれました。[DVD(字幕)] 8点(2010-03-24 21:50:48)

17.  101匹わんちゃん これはまさに「動く絵本」ですね。背景画は色が輪郭線からハミ出してたりするし、登場人物(犬?)画の線はザザッとしたデッサン風だし。さらにさまざまなデフォルメが凝らされていて、何から何までが絵本みたいな味わい。ストーリーはというと、皆さまご存じだと思うので特に申し上げることもありませんが、誘拐された子犬たちがロンドンを目指し帰ってくる冒険物語、これは、『トイ・ストーリー』の原点とも言えるものですね。無数の子犬が次から次に走り回るシーンが見もの、ただし、さすがに一度にたくさんの子犬が登場する場面ではすべてを完璧に動かすことはできず、「動く犬」と「動かない犬」とに分かれてしまうのはちょっと残念なところですが。あと、クライマックスの壮絶なカーチェイス(と壮絶なクルエラの表情)もまさに見ものです。さらに個人的には、誘拐犯2人組の吹き替えが、「ヒッチコック」と「イーストウッド」の会話になってるのが、ちょっと感涙もの。[DVD(吹替)] 8点(2010-03-05 22:35:55)

18.  ヒドゥン(1987) 『ロボコップ』を破ってアボリアッツのグランプリ獲っちゃったもんで、世間の顰蹙を買ったことでもお馴染みのこの映画。そりゃあ、この映画が悪いんじゃなくて、審査の方の問題でしょうが。いやそれはともかく。そう、これも大学の頃。友人2人と、何やら聞いた事も無いミニシアター系の映画を観に行く事になってしまい、3人で銀座に繰り出したが、幸か不幸か、到着した時にはすでに最終日の最終回上映が始まっちゃった後。いやあ残念だねニコニコ、と私。結局、友人の一人の下宿で鍋でもしようかという、お決まりの展開。その前にビデオでも借りていこうと、レンタルビデオ店に寄り、「何かオモシロイ映画を借りろ」との司令に、私は早速、お気に入りの一本である、この『ヒドゥン』に飛びつく。ふふふ。日頃、ゲージュツ映画ばかり観てるコイツラに、こんなオモロイ映画を見せたら、きっと目を回して大喜びするに違いない! で。材料の調達に失敗し、肉・魚介類が皆無の野菜鍋を「やっぱパンチ力が無えなあ」とつぶやきながら味わい、続いて、いささかいかがわしいビデオを鑑賞し、夜明けが近づいて来た頃にようやく、私にとっての真打、『ヒドゥン』のビデオが登場。ふふふ、エロビデオなんぞより遥かに盛り上がるはず! さあ映画開始。これでもか、これでもかと人に乗り移り続けるエイリアン! まさに手に汗握る展開! どーだ参ったか、と2人の方を見れば---完全にキョトンとしているではないですか。結局、先ほどのビデオを見ている時よりもはるかに口数が少ないまま、映画は終わり、2人はため息を漏らす。う~そんなバカな。いやいや、改めてこの映画を見直してみると、まあ確かに、そんなにオモシロくない気もしてきちゃったんだけど。ラストも「それでいいのかよ~」というオチだし。でも、この映画の、畳み掛けるシツコい展開、これにはもーちょっと反応して喜んでくれても良かろうが。少なくともエロビより面白くないなんてことは無かろう。きっと徹夜で眠かったんだろうねえ、と、自分と『ヒドゥン』を慰める。そんなワケで、私はエロビなんて大嫌いだ。←何の話やねん。まあ、今、冷静に振り返れば、あの時、銀座にもう少し早く向かうべきだった、これが結論であることは間違いないんですけども(えへへ)。[ビデオ(字幕)] 8点(2006-08-04 22:35:28)(笑:1票)

19.  ビューティフル・マインド 《ネタバレ》 人は誰しも過去に囚われている、と言う主人公。成果を出さねばならぬという強迫観念から精神に異常をきたした過去、その過去に彼は生涯、折り合いをつけて生きていかねばならない。過去の影は現在へと投影され続け、今の我々を苦しめ続ける、それは程度の差こそあれ、誰しも経験することであろう。しかし、主人公の過去は影ばかりではない。「過去」において成し遂げた業績が、思わぬところで成熟し、思わぬ「ノーベル賞」という形になって返って来る。過去に囚われることは、人間の宿命であり、悪いこともわれば良いこともあるのだよ。ロン・ハワード監督にだって、かつてはロジャー・コーマン門下だったという暗~い過去(?)があり、だからこそ今の彼がある。過去をしっかり受け止め、前向きに生きていく人間は皆ビューティフルマインドの持ち主なのさ(このオレ様ロン・ハワードも含めてな、フフフ)、という想いが、実に美しい映像で綴られた本作。結局サイコサスペンス映画でした(ハハハ)。ところで、関係ないけど、ロクな数学的素養も持たず、ドンブリ勘定でいい加減なコメントばかりテレビで言ってる自称・経済評論家たちよ、ちったあ反省しろ! すみませんホントに関係ありませんでした。 (ついでにもひとつ。窓ガラスに計算式を書くシーン。水森亜土を思い出しました、ははは)[CS・衛星(字幕)] 8点(2006-07-02 11:38:55)(良:1票)

20.  ピースメーカー ストーリー構成はちょっと残念に思います。クライマックスが分散されてしまった感じです。でも、全体的に面白いと感じたのは確か。それに、真のクライマックスといいますか、狙撃のシーンは、ホントに怖いです。最後に至ってこういうシーンに出会えるとは予想外で、これはインパクトありました。8点(2003-07-26 21:32:15)

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