みんなのシネマレビュー
なんのかんのさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 2336
性別

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

【製作年 : 1990年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順1234567891011121314151617181920
212223242526272829303132333435363738
投稿日付順1234567891011121314151617181920
212223242526272829303132333435363738
変更日付順1234567891011121314151617181920
212223242526272829303132333435363738

201.  哀戀花火 ちょっとの火も危険と靴を履き替えさせられる花火工場、なるほど、ここぐらいメロドラマの舞台にふさわしいスリリングなところはあるまい。女主人は視線をそらして絵描きに話しかける。愛の火花が散っては危険だからだ。でも番頭との間には摩擦熱も生まれつつ、あぶないあぶない。恋愛映画はスリリングなのである。恋の発生の危険が現実の発火の危険と重ねられる舞台設定が秀逸。しばしばメロドラマが戦争を舞台にするのも、危険が満ちているからだろう。でも無粋な爆弾工場より花火工場のほうがロマンチックである。ちょっと役者(とりわけ男のほう)が物足りなかったか。黄河の両岸からの花火合戦よりも、そのあとの煙のたゆたいが美しかった。[映画館(字幕)] 7点(2010-06-30 11:57:25)

202.  愛しのタチアナ 少年や青年にもっともふさわしかるべき心情を、あえて中年に移して楽しむのが、この監督の趣味。そこから生まれる「照れ」とか、それを隠そうとする「ブッキラボー」が味わいになる。人と視線を合わせられない照れくさがりの純愛を、中年が演じる。侘しいことは侘しいんだけど(だって中年だもん)、でもそういう人生を肯定している。ミシンを踏む中年男の、こうでありたかった自分の妄想かもしれないけど。ホテルやカフェの入口・受付のあたりになると、この監督らしい雰囲気が立ち込めてくるのは何なのか。ブッキラボーだからか。客との応対のように人々のドラマが進行して、そのなかで不意にタチアナが寄り添うからいいのか。やや俯きながら画面に入ってくるとことか。フィンランドの「フィン」て、ハンガリーの「ハン」と同じく、フン族の「フン」から来てるそうで、こちら東洋の流れを汲んでるらしい。こういう「侘しさ」にこだわるとこなんか、同根を感じる。原題は「タチアナ、スカーフに気をつけて」か、そっちのほうがいいじゃないか。[映画館(字幕)] 7点(2010-06-29 11:57:26)

203.  ひとりで生きる 《ネタバレ》 むごい目にあう動物たちが遍在している。前作でも子猫が殺されてたが、本作では豚、犬、ネズミ、鳩など。少年は、人間ではなく動物の側の存在なんだろう。少女が顔をジーッと見つめてくればキスするかとロマンチックな気分が満ちてくるが、つばをかける。そういう恋人のような友だちのような微妙なお年ごろ。船の上での縄跳び、水たまりに倒れている男。やがて鳩が飛ぶ船室、赤ん坊を抱く裸の女、と幻想味が増してくる。火だるまのネズミ。棺の中のワルカ。陸橋の火花。裸の男女がレーニン像を這い回る。前作でもそうだったな、気が狂うということよりも、裸になるということのほうが重要なのかも知れない。裸のみじめさが聖なる裸に転化していく。時間の定かでない夕刻のような薄明かりが印象深い。汽車の荷物から女が出てくるときのや、ラスト近くのネズミのとこみたいな。いかにもロシアの光。そういえば少年の顔もたとえばタルコフスキーの『ストーカー』の系譜で、いかにもロシアの表情なんだ。かってにこちらがそう思ってるだけかもしれないけど。[映画館(字幕)] 7点(2010-06-26 11:57:02)

204.  ディスクロージャー 《ネタバレ》 アメリカ映画のいいところは、どんなモチーフ扱っても「個人の組織への抵抗」に絞られていくとこ。悪いところは、それが類型化しても平気ってとこ。セクハラの話というと、だいたい内容が決まってしまいがちなものだが、それをちゃんと根元の「公と私との混同」いうところまでさらってから話を作っている。どんなモチーフからも普遍性を導こうとする。これはハリウッドの美点だと思う。一週間のストーリーってのも締まってていい。一度目の解決のあとにもう一波乱、ってのもサービス精神。「将来のある男と、過去のある女ね」なんて、セリフも練る。まことに類型に収まる典型的なハリウッド映画だが、こういう安定を味わいたい気分のときもあるのだ。話の根底にあるのは、台頭する女性にますます募らせる男の被害妄想か。[映画館(字幕)] 7点(2010-05-27 12:04:57)(良:1票)

205.  男はつらいよ 拝啓車寅次郎様 《ネタバレ》 出来の悪いときでも、やっぱりいいなあと思わせる一瞬がこのシリーズには必ずあり、それで許せてしまう。長浜での祭りの最中、満男が牧瀬里穂に「付き合ってるのいるの?」などとウジウジしてると、人込みの中からフラリと寅が現われて「いたっていいじゃねえか、そいつと勝負するんだ」と言って、また人込みの中に消えていくところ。このシリーズのカンドコロを押さえている。満男が社会人になっていて、さくらの結婚で始まったこのシリーズが一世代経過する時が近づいていたわけだ。寅が満男の会社に挨拶に行こうとした顛末を電話語りにしたことで哀愁が出た。ここで叱られたせいで、あんまり甥の恋愛に積極的に関わるまいと自制しているのか、寅はもっぱら説教専門、牧瀬とはあまり絡まない。かたせ梨乃の旦那が来たとき、神戸浩は「じ、じけんです」と言って寅のもとに走った。アタマとオシリの小林幸子は不要。[映画館(邦画)] 7点(2010-05-26 12:03:07)

206.  ザ・ペーパー 《ネタバレ》 新聞社ものってジャンルがアメリカ映画には厳として存在し、これは民主主義の国ってことで理解してもらいたいのだろうが、あの新聞社内のゴチャゴチャしてる活気がアメリカ人好みで、かつ映画向きってことなんだろう。ときに時間に追われる緊張も出せるし。あるいは編集会議シーンのおかしみ。高邁なジャーナリズム精神と商売との接点。弱点としては、黒人が無実だという確信が安易すぎないか、とか、ラストの殴り合いはやや無理がないか、とかあるけど、この後半の次々と畳み込む展開から病院に皆が集まってくるあたりが楽しい。失敗させるために派遣した新米が仕事をこなす、から、病気の編集長まで、企業としての新聞社の幅を見せていてよろしい。[映画館(字幕)] 7点(2010-05-12 11:51:19)

207.  告発 この監督、長回しが好きみたい。あるいはカメラマンの趣味か。最初の弁護士事務所へ駆けつけるとこ、階段上って上司と会うまでを一気にいく。さらに面白いのは、牢のまわりをぐるぐる回り、ときに中に入り込んだり出たりする(スタッフが牢の一面をあわてて外したりはめたりしてるんだろうね、『ロープ』みたいに)。法廷でもくねくねカメラが歩き回った。まあ画面として退屈になりそうなとこだから、動き回ったってだけのことかも知れないが、楽しいことは楽しい。典型的なアメリカの「正義を行なう勇気」ものなんだけど、飽きずに感動してしまうのは、こういう風土が日本にはないからなんだろう。どんな国家にも地下牢は生まれてしまうのであり、問題はそれを暴く勇気の有無なんだよなあ。こういう話で弱いのは、ワルモン役の演技パターンが決まってしまうこと。G・オールドマンいい役者なんだけど、やっぱ「ナチ型」になってしまう。本当に怖いのは、「どうして私の言うことが分かってくれない」と泣きながら、心の底から真人間に立ち直らせようとしてする善意の拷問なのではないか。[映画館(字幕)] 7点(2010-04-29 11:57:47)(良:1票)

208.  レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い 《ネタバレ》 歴史からの避難所としての西部。父は歴史の暴力・ヒロイズムの正体を目撃してしまい、西部にこもる。グリムのような三兄弟とともに。そこに女と歴史が侵入し破壊していくというドラマだ。苦労知らずで無垢の三男の死がたたり続け、それで残ったものも無垢ではいられなくなる構造。愛憎の絡まり具合に、いかにも大河ドラマの醍醐味があった。トリスタンは生き残り続け、死んで伝説になるのではない。暴力の時代・無法の時代の最後を、法よりも家族を優先して生き残り続けることで伝説になる。各国をさすらっているシーンはない方がいいわな。最後に兄アルフレッドも、父弟と同じ側に立って銃を撃つ、という仁侠映画のノリ。[映画館(字幕)] 7点(2010-04-26 11:56:11)

209.  ショーシャンクの空に 『カッコーの巣…』の刑務所版。自由への希望を持ち続けることの話。塀があり、その中にさらに狭い懲罰房があり、塀の外には世間がある、そういう構図。いつのまにか塀に寄りかかって生きてしまう長期刑者たち。その中で自由への希望を持ち続けることを賞揚するのがアメリカだ。“調達屋”ってのは、つまり塀の中に小さな世間を作って、中だけで生きていこうとする選択(安部公房の「砂の女」の主人公がそうなったように)。それに対してアンディは外の刺激を導き入れようとする。ビールの味であったり、モーツァルトの歌声であったり。これがハンマーの一打ち一打ちになっていくわけだ。そのためには汚いことも進んで引き受ける。人を改心させるための刑務所に入って、俺は悪を覚えた、って。レッドに贈られたハーモニカは、小道具としてもっと使い道がありそうなもんだけど。世間に出てつぶされていく老人のエピソードは胸にしみる。もう塀の内側に皮膚が癒着しちゃってたんだ。その癒着のいちいちをハンマーで剥がしていかないと、と主人公は思うわけ。この人生観なんか実にアメリカ。[映画館(字幕)] 7点(2010-04-22 12:02:33)(良:1票)

210.  音のない世界で 聾者の、耳が聞こえないってことに、健常者は鈍感すぎてもならないが過敏すぎてもならないってこと。差異は認めて差別はするな、ってことか。手話の身振り手振りこそ、まさに映画が誕生したときにあったコミュニケーションだったわけで、彼らは「観る」ことのスペシャリスト、「身振り手振り」の専門家である。細かなエピソードが、聾者を身近なものにしてくれる。親族のほとんどが耳が聞こえない中で、どこそこの子だけは、かわいそうに耳が聞こえてる、と言っている青年。身近に子どもの聾者しかいなかったので、大人になる前にみんな死んでしまうんだと思い込んでいた子が、初めて大人の聾者を見たときの喜び。家族がどっと笑っても何で笑ったのか分からない孤独。健常者と聾者、どんなに同じだと言っても、音楽を楽しむことだけは違うだろう、と思っていたが、冒頭の四部合唱(!)、一種のパフォーマンスかも知れないが、確かに音楽に近い何かだった。欠損は欠損には違いないが、それを補う力が人間には強いってこと、また欠損があることによって豊かさに敏感になれるということ。聾唖者こそ、サイレント映画の監督にふさわしいのではないか。というか、映画監督に必要なのは、聾唖への想像力だ。[映画館(字幕)] 7点(2010-04-17 11:58:06)(良:1票)

211.  クイズ・ショウ 《ネタバレ》 しょせんテレビってこんなもんさ、とか、娯楽なんだから、という言葉の下に、ある種の倫理の頽廃を描いている。こういう大衆時代の腐臭を嗅ぎ取る敏感さがアメリカの最良の部分で、本作のような映画が生まれる限り、あの国をなかなか見限れない。決して倫理的に低劣だったわけではない主人公が、インチキに引きずり込まれていく怖さ。俺の知ってた問題なんだから、から、答えを自分で調べる、になって、なら結局教えてもらっても同じだし、となっていく。父の時代にはあった真っ当な倫理観「教わったことを答えて金を貰ってたのか」、が「こんなもんさ」に堕ちていく。有名になりたいという欲望、しかし有名になると大衆は脅威になっていく。ラストシーンで笑い続ける大衆が、主犯であり共犯であり、被害者であり傍観者である。そういう社会像を突きつけた映画。すべて台本と演出の時代。委員会での懺悔に続く拍手をロブ・モローが何かしっくり来ずに立ち会っている場が印象的。何でもすぐに「感動のドラマ」の演出になってしまい、さらに次のドラマが用意されるのだろう。タトゥーロが向かないってことを「ラジオ・フェイス」と言ってたな。[映画館(字幕)] 7点(2010-04-03 11:59:24)(良:2票)

212.  太陽に灼かれて チェーホフ的なものを現代史に応用してみました、って感じ。チェーホフの世界って「崩壊の予兆の上に立つ特権階級の不安」ってなもので、それはいつの時代にもある。うっすらと退屈に浸かったようなおしゃべりの中から、キラリキラリと緊張が見え隠れし出す。コップを持つ手首の傷、川辺にきらめくガラスのかけら。三角関係の緊張が高まったところで、政治が顔を出す。感情の過剰の世界から、感情の欠損の世界への一気の揺り戻し。表情はガスマスクで隠される。この監督は川が好きで、『機械じかけ…』では川に飛び込み、『ウルガ』ではトラックを落とした。今回は昔の恋人たちが落ちる。どれもこれもすべて楽園の最後の一日のメランコリー。ラストで火の玉はクレムリンへ消えていったのか、火の玉の代わりに浮かぶのはスターリン気球。こんな時代を描いても、チェーホフ的なるものは普遍性を持って生きるのだ。[映画館(字幕)] 7点(2010-03-21 11:53:37)

213.  クローズ・アップ 《ネタバレ》 もし家族が資金を出したりすれば、一編の映画が出来上がってしまっていた。そしたら彼も、もう本物の映画監督になったわけ。これを裏返してみれば、キアロスタミ自身も、自分の中に卑小な詐欺師の部分を持っていると感じているのかも知れない。単純な“映画愛賛歌”の映画ではないだろう。クローズアップした顔は、もう顔でしかなく、職業を持たない。またロングで捉えると、ホンモノとニセモノ似てるんだなあ。アイデンティティのゆらぎ、と言うとものものしいが、そういったテーマを含んでいる。冒頭の車中、バスの中での会話、クローズアップの切り返し。嘘がばれるあたりの不安の演出なんかうまい。ひそひそ話しながら部屋に入り、何となくヒンヤリとした空気。運転手がころがした空き缶の演出。オートバイ二人乗りの映画の企画が、ラストで実現する。赤い花が家に戻っていく。などなど、演出・構成の妙がたくさん。ちょっとした誤解が引き金となって、つい演じてしまうことってあるなあ。[映画館(字幕)] 7点(2010-03-16 11:58:24)

214.  居酒屋ゆうれい 京浜急行沿線って、なにかいい意味での場末的な雰囲気を残している。消えていく幽霊はなぜ哀れなのか。幽霊ってのがそもそも、死別を自己完結できないとこから来ているわけで、それを何とか納得させたいときに、哀れに消えていく幽霊が必要になってくるのだろう。生き残ったものの後ろめたさ、ってことが底にありそう。舞台が場末ってことがしっくりくるのだ。死別と生別の二人、死別のほうが優しく、生別のほうが冷たい。女同士のほうがなにやら仲良くなっていってしまう。あの世とこの世のけじめが曖昧になる。のりうつったりもする。男にとって、妻も死者も同じものなのだ。演出はあまり奇をてらわないのがよく、鏡の中に座って映る室井滋、時計の振り子越しに夫婦を眺め下ろしたり、転がるビー玉など。トルコの軍楽隊みたいのも聞こえるが、島倉千代子の「愛のさざなみ」が場末感充溢していて嬉しい。くりかえす~、くりかえす~、さざなみ~の、ように~。[映画館(邦画)] 7点(2010-03-13 11:58:53)

215.  エイリアン3 《ネタバレ》 ヒロインは坊主頭。まわりの男どもは僧服のようなものを着て、セットはざらりとした中世修道院風。うろついている犬。カタコンブのような地下の迷路。そしてラスト火の中に消えていくヒロインとくれば、これはジャンヌ・ダルクを描いた宗教映画だろう。とうぜん活劇映画としては地味になってしまう。タルコフスキー的な陰々滅々とした雰囲気の中でいくら走り回っても、爽快感は訪れない。だいたい宗教はあまりに「思弁的」で「反活劇的」である。活劇の人間は「考える」のではなく「企む」べきなのだ。定められたルールの中で企て合うゲームに酔える人間でなければならない。そこが宗教映画と活劇映画が両立できないところ。また対抗するエイリアンが前作のクイーンを見た後では貫禄に欠けた奴で、一生懸命チョコマカチョコマカ走ってはいるが、かなり物足りない。でも、宗教映画と割り切って鑑賞すれば、邪悪なものを内に孕んだまま火で浄化されていくヒロインは、自分のうちに魔女がいる可能性を肯定してしまったジャンヌ・ダルクであって、結論としてそれなりの面白味はなくもない。[映画館(字幕)] 7点(2010-03-09 12:03:06)

216.  ダイ・ハード3 シリーズの約束事のうち、舞台を一つに絞るってのは守られなかったが、一日の出来事は守られる。それと、非番で二日酔いでシャツ一枚。このシリーズらしさが一番生きているのは、悪漢の質の高さ、というか計画性。最初はただのサイコ野郎と思わせておいて、しだいに「そうじゃない」を見せていく。悪漢の女が円月刀みたいので舞うように首をさく、という美意識もある。大義名分と泥棒との落差、っていうのは一作目にもあった、つまるところテロリストじゃなくただの泥棒って。そういうシリーズの遺産を大切にしており、水準以上のアクション映画の質は保った。だからカーチェイスはやってもらいたくなかった、作品を「ありきたり」に傾けてしまった、相棒を使ったことも。[映画館(字幕)] 7点(2010-03-07 11:55:04)(良:1票)

217.  親指トムの奇妙な冒険 《ネタバレ》 それほど観ているわけではないが、人形アニメって悪夢的傾向があるような気がする。シュヴァンクマイエルの印象が強すぎるせいかも知れないけど。人形が動くこと自体、もう悪夢なのだろう。それと人形にアニメは、ともかく「ゴクロウサン」という気持ちにさせられる。壁やテーブルを這い回る虫だけでも大変だったろう。そうか、こういう面倒なことをやってる作者の存在自体、日常をかけ離れた悪夢的な印象があるんだな。皿の上で跳ねてる魚や料理やのシーンみたいのが好き、人間が絡んでいるシーン。主人公はETふうの表情で、世間に対する好奇心と戸惑いを持っている。十字架にかかっているサンタクロース。もうちょっとでノドに届くカミキリムシのブローチ。ブルジョワ家庭に原寸大で生まれ変わったトムの回りには、ハエが天使のワッカを作っている。やっぱり人形アニメの世界って、ちょっとクレイジー。[映画館(字幕)] 7点(2010-03-04 11:58:15)

218.  多桑/父さん 《ネタバレ》 おそらくこの16歳まで日本人だった「父さん」にとって「日本」とは、自分の不遇・不運の対極として天上にキラキラと輝く天国だったのだろう。戦後の経済成長、それに取り残されていく鉱山で働く父さんの、置き去りにされていく感覚。それを彼は、ここが日本でなくなった、ということで受け入れようとする。昔の「平等に貧しかった」日本統治時代のほうが、世界のありようとして受け入れやすいのだ。哀切なのはバスケットボールのシーン、日本が台湾に負けてしまうこの場でさえ、彼は日本の側に立とうとする。自分の不遇の代償のように、台湾は日本にコテンパンに敗れ去ってほしかったのだ。自分だけを残して繁栄し力を付けていく台湾、そんな父さんの頭上で「日本」は、より純粋なイメージになっていく。日本が「美智子さんの旦那さん」の時代になって、しかし初雪の皇居の画面も見せずに映画は閉じる。もうそれは現実の日本からははるかに離れた無垢のものになり過ぎてしまい、画面にはならないのだろう。画づくりは師の侯孝賢の影響大で、ロングの多用、電灯の下の人々、など。[映画館(字幕)] 7点(2010-02-28 12:02:38)

219.  アポロ13 面白い題材をいかにもハリウッドらしくソツなく料理したという一編。難関に次ぐ難関を一つ一つ乗り越え、家族の反応なんかも折り込み飽きさせずに楽しめるが、結局それがそうであっただろう生々しさから遠ざかってしまった気もする。3回目だというのにもう飽きている大衆が背景にあって、家族よりもこっちをもっと突っ込んだほうが面白かっただろう。事故になった途端飛びついてくるテレビ。なるほどと思ったのは、もうコロンブスなどの個人の英雄の時代ではない、ってこと。どこまでも可能性を求めていくスタッフの冷静な姿勢が現代の英雄的行為なのだ。四角と丸の空気清浄器をあれこれ繋ごうとする。ライカ犬とは違うんだ、と生理データ器具を取り捨てる、なんて意地も見せ、困難を前にチームの和は固まり、無関心だった娘が家族の愛に戻ってくる、といったアメリカ人好みの「教訓」もいろいろ揃えてあります。[映画館(字幕)] 7点(2010-02-26 11:08:06)

220.  乙女の祈り 少女の特権は、現実に対する仮借なき軽蔑だ。どちらの家庭も、鯖の臭いや腐ったサンドイッチの臭いをたてている。その中で夢見る絵はがきの中のくすんだ黄色に包まれたような王国。現実逃避と言われればそれまでだけど、もともと彼女らは「現実」に対して、まじめに付き合うだけの価値を認めていないわけだ。その世間の外側、イギリスや南アのほうがかえって粘土の王国に近い。南米の芸術などを考え合わせると、どうも南半球にはイマジネーションを過剰に活動させる磁場があるらしい。あの母親役が良かった。少女の眼から見た単純な敵というのではなく、慈愛あふれるがゆえに鬱陶しい存在。これは向こうの人が観ると、ニュージーランドとイギリスの関係にダブるのかなあ。[映画館(字幕)] 7点(2010-02-23 11:54:13)

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS