みんなのシネマレビュー
かっぱ堰さんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263

221.  N.Y.マックスマン 《ネタバレ》 イケメンで固めた特撮変身ヒーロー物のようで(一応大人向け)、アメコミのヒーローが実体化したようなものらしい。同じシリーズの3作目だが、続編はなかったようなので三部作の最後ということになる。 初代と二代目のヒーローは東京で同じTV局に勤める兄弟という設定だが、今回の三代目はなぜかニューヨーク在住ということになっている。つまり題名の「N.Y.」とはアメリカのニューヨークのことで、冒頭では本物の空撮映像なども出ていたが、舞台挨拶によると撮影は全て東京の100m以内で収めたようなものらしい。実際見てもほとんどTV局の屋内で撮っている感じだった(テレビ朝日の中?)。 内容としてはヒーロー物ながらコメディ調で笑えるところもなくはない。またレギュラーで出ている悪者のせいで起きた事件の謎を、主人公の探偵が解明していくミステリー調の展開のようだったが、結局最後はありがちな結末で終わってしまう。敵が普通の人間なので、変身ヒーローとしての活躍があまりないのも不足感がある。 ただし終盤で、今回の主人公だけが持つ特殊能力が初めて明らかになり(ほとんど反則)、そこまでの間で不可解に見えた場面の真相を明らかにしていくのは少し意外で面白かった。どうせ安手のしょうもない映画だろうと思っていたが、いかにも低予算でTVドラマ風ながら、最終的な印象は意外に悪くなかった。 なお若手の顔ぶれを見ると、仮面ライダー/スーパー戦隊の出演経験者に出番を用意するための映画のようでもある。自分がこれを見たのは「手裏剣戦隊ニンニンジャー」(2015~2016)の「かすみ姉」(百地霞/モモニンジャー)が出ていたからで、この映画では印象の全く違う役どころだが、演者の山谷花純さんはもともとこういう感じの役が多い気がする。今回は「許さない」と「キモ」の表情が見どころか。 ちなみに二代目ヒーローの相手役の内田理央という人は今回も主要人物で出ているが、初代ヒーローの婚約者役である山本美月という人はほとんど見えなかった。またどうでもいいことだが、千葉雄大という役者はいつ見ても年齢不詳だ(この時点で28歳と本人が言っていた)。[DVD(邦画)] 6点(2021-03-13 20:22:33)《改行有》

222.  劇場版 動物戦隊ジュウオウジャーVSニンニンジャー 未来からのメッセージ from スーパー戦隊 《ネタバレ》 スーパー戦隊恒例の“VS”シリーズとのことで、その時点での現役戦隊(動物戦隊ジュウオウジャー)が前任戦隊(手裏剣戦隊ニンニンジャー)と共演し、そこに放送開始前の次の戦隊(宇宙戦隊キュウレンジャー)が予告的に姿を見せる形になっている。 また今回はスーパー戦隊シリーズ通算40作記念が謳われており(ジュウオウジャーが40番目)、ドラマ的にもここで戦隊の歴史が途切れそうになる状況をわざわざ作っておいてから、メンバー同士のつながりと、歴代戦隊の応援のおかげで未来につなぐことができたという形にしている。結果としては「スーパー戦隊恐るべし」ということで大変結構なことだった。 ニンニンジャーは今回ゲストの扱いだろうが、アカニンジャーとその息子と父親の3世代が揃って親子のつながりを見せつけるので、現役戦隊よりかえって強い印象を残していた。主役のはずのジュウオウジャーが荒唐無稽な忍術で振り回され気味に見えるところもあり、現役戦隊もまだいろいろ学ぶべきものがあるのだろうと思わせる。 なお序盤の段階で、次の日に死ぬ運命だった男に息子がいるのはなぜか、という疑問を持たされたままラストに至る映画だったが、最後に真相が明らかにされた場面では、本当にこんな話でいいのかと唖然とさせられた(あまりにいい加減)。しかしニンニンジャーの最後を飾った前回のFINAL WARS(2016)のあと、メンバーがそれぞれの道を歩み始めてからの後日談のようなものとすれば、その間に意外な事情の変化があっても不思議でないといえなくはない。それにしてもこのオチにはかなり呆れた。 主役のジュウオウジャーは前回のVS映画で姿を見たことがあるが、今回はトラの人が色っぽいのが目についた。サメの人は性格がきつそうな感じかと思ったら、女子だけ(スーツアクター)の場面では女の子っぽい動きを見せていたのが微笑ましい。 またニンニンジャーは人格的な軽さが目立つようだったが、この緩い感じがやはり結構心地よく、本放送開始から6年も経って今どきこのニンニンジャーが好きになって来た。個人的にはかすみ姉のファンだが、この人の出番としては「ずっとあなたのことを疑っていたんです」の微妙な表情が面白かったのと、「ナーイスです!」がかわいい。 ほか未来のアカニンジャーの子役はけっこう凛々しい顔を見せていた。父親よりよほどまともな人物に見える。[DVD(邦画)] 6点(2021-03-13 20:22:30)《改行有》

223.  ザ・ライフルマン 《ネタバレ》 ラトビアの作家アレクサンドルス・グリーンス(1895-1941)の小説を原作にした歴史映画である。原作者自身の従軍体験が反映されているそうだが、本人は第二次大戦時にソビエト政権に殺害されてこの本も禁書になっていたとのことで、それを作中の時代から100年後に初めて映画化したという意義があるらしい。 邦題の由来は、第一次世界大戦時のロシア帝国時代にラトビアで編成され、後にその多くがロシア赤軍に加わったラトビア・ライフル兵部隊(Latvian Riflemen / Latviešu strēlnieki)で、ソビエト時代の記念像が首都リガに建っている(むかし見たことがあるが今もあるらしい)。映画はバルト海に近いスロカ(Sloka、墓地と記念碑あり)での戦いに始まり、死の島(Nāves sala)、「クリスマスの戦い」(Christmas Battles / Ziemassvētku kaujas)、「ツェーシスの戦い」(Battle of Cēsis / Cēsu kaujas)の各戦闘を追っていく形になっている。 ストーリーとしては、母親をドイツ軍に殺された主人公がライフル兵部隊に志願してドイツと戦ったが、ロシア帝国には裏切られ、その後に参加した赤軍にも裏切られて、最後に加わった新編成のラトビア国軍で、真にラトビア人のために戦ったということになっている。歴史的には、終盤のツェーシスの戦い(1919年6月)でドイツ勢力を敗北させたことでラトビア(とエストニア)の独立が固まったらしいが、この映画で見る限り、亡霊の軍隊の加勢まで得てやっと勝てたかのような印象だった。 主人公はまだ16歳で従軍し、最初は軍隊に向いてないのではと思わせるところもあったが、最後は新生ラトビア軍の新兵のために、最前線で身をもって(OJTで)教官役を果たすまでになる。ラトビア国軍は「子供と脱走兵と難民※」の軍隊だと言われていた通り、本当に子どもばかりで痛々しく、志願者の母親が嘆いていたのも大変ごもっともなことだった。 ※字幕の「難民」は外国人ではなく、当初の主人公と同じように家を失った地元民の意味と思われる。 かなり悲惨な戦いだったが一応の事情をいえば、ラトビア人がまとまって作った国はそれまで存在したことがなく(エストニア人と一緒くたにドイツ人支配→ロシア支配)、この時初めてラトビアという国の枠組ができたのであり、その後の独立国の時代とソビエト連邦構成共和国の時代を経て、再び現在の独立国につながった元がこの時だったということである。ラトビアを愛する人々の立場では、こんな悲惨な戦争をしてまで作った国をこれからも大事に守っていこう、というのが本来の受取り方と思われる。 そうは思っても、さすがにこんなガキ連中に鉄砲を持たせるのはやめておけ、と言いたくはなったので、部外者としてどう思うべきか微妙な感じの映画ではあった。あるいはこの映画自体が、現代の普通の感覚を微妙に反映させておこうとしたのかとも思った。 具体的な場面としては、冬の戦闘では積雪はあまりないようだったが、敵陣の土盛りが凍結して滑るため、銃剣の先で足場を作っていたのは原作者の実体験かも知れない。またエンドロールの背景では、映画でも参考にした当時の写真が出ていたようで、この時代の記憶を映像として後世に伝える意味はあったらしい。ほかどうでもいいことだが、序盤で母親が主人公を撫でていたのは犬の扱いのようだった。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2021-03-06 09:10:00)《改行有》

224.  ゼロポイント 《ネタバレ》 高校生(男)を主人公にした若者向けの物語で、同名の原作小説がある。劇中高校は仮名だろうが原作者の母校がモデルのようで(Gustav Adolfi Gümnaasium)、原作者の実体験を反映しているらしいが、本人は映画公開後の2017年に32歳で死去したというのが悼まれる。 映像的にはわりと現代的であか抜けた感じで、登場人物の心理を明暗で表していたのはわかりやすい。題名は高層住宅の窓から身を乗り出した時点のことだと思えばいいか。 主人公はもともと家庭に問題があったのに加え、転入した学校では同級生に迫害され、さらに学校外でも踏んだり蹴ったりの目に遭わされるので、見ている方も嫌になって途中でやめたくなる。それでも我慢して見ていると、終盤に至って事態が次々好転していくのは都合良すぎだったが、そこにこの映画のメッセージが詰まっていたらしい。 まずは言うべきことを言って自分の意思を示すとともに、周囲に理解者を作ることが重要になる。一方で攻撃に対しては適切な反撃が必須であって、暴力に対しては実力行使で、悪意ある虚言には公明正大な反論で対抗するが、陰湿な相手には悪をもって悪を制する手もある。さらに違法なことには法的な対処もありうるるわけで、そのようにして自分の立場を確保することで、自分で自分を支える自信が持てるということだと思われる。 当初は学校内のいじめがテーマかと思ったが、最終的には今後の人生を賢く生きるにはどうするか、主に若年層向けの処世訓を語る映画のようになっていた。極めて真面目な映画で結構だったが、ただし最後の一言は言い過ぎかと思った。あるべき姿を示すというよりは、自分ならどうするかを考えるきっかけにするための映画かも知れない。 ほか「エリート学校」の実態(卒業生含む)などこんなものなので信用するな、という皮肉もあったように見える。また終盤で差別的な発言(恐らく現地感覚で最高度の)があったのは必然性が不明だったが、世界に蔓延するポリコレに対抗しようとする反骨精神の表れかと思ったりした。 登場人物に関しては、主人公が走ることで精神状態の更新を図っていたようなのはいい習慣かも知れない。また主人公の仇敵(嫌な顔だ)が、多数派工作で主人公を孤立させ攻撃を集中させようとした卑劣な行動は嫌悪するしかない(よくあることだが)。 ほかどうでもいいことだが、スウェーデン語のjagのgは発音しないことを思い知らされた。また字幕に関して、舞台になったエストニアの首都Tallinnは「タリン」と書くのが普通だろうが、字幕ではそのほか「タルリン」「タリーン」などと書いて一定しないのは間抜けな印象だった。翻訳ソフトにでもやらせたのか。[インターネット(字幕)] 6点(2021-02-27 11:05:10)《改行有》

225.  とうもろこしの島 《ネタバレ》 基本はグルジア(今でいうジョージア)の映画だろうが、その他いろいろな国から支援を集めて作ったらしい。役者としては、祖父役はトルコ出身のクルド人のようで、また孫娘役は名字からしてグルジア人に見える。いずれにせよアブハズ語の話者ではないだろうが、台詞が少ないのでボロが出ないで済んだかも知れない。 題名の島は、最初に全貌が見えた時点では本当に小さい中州だが、やがてそれなりの畑地ができていくのは見事と思わせる。撮影は2013年の4~9月とのことで、季節が変化すると作物が伸びて人の衣服も変わっていた(体型が透けて見えすぎだ)。 ところで他の映画レビューサイトを見ると、最後に出た男は全く別の登場人物と思うのが普通らしいが、個人的には祖父によく似た人物かと思った(鼻など)。ただし少し若く見えるので、これは例えば祖父の息子(孫娘の父)が、最初にここで人形を見つけた時点まで遡ったと思うこともできる。この人形は娘にとっていわば父親の形見なのかも知れないが、祖父が最初にここで発見したのも息子の遺品だったのではないか。土地は耕す者のものだという言葉そのままに、祖父は息子の土地だったこの場所を、いわば自分の領土として守り抜こうとしたと取れる。 「戦争でのうても人は亡くなる」という別映画の台詞を思わせる結末になってしまったが、しかしそれほど柔な男でもなく、しぶとく生き延びて孫娘の成長を見届けたはずだと個人的には思いたかった。よくわからないところもあったが結果として、戦争があっても自然の猛威があってもこうして人間は生きている、ということを訴えたかったようではある。あるいは国家も耕作者も区別なく、人間の土地に対する支配など永続するものではない、というのが真意かも知れない。 ほか個別のこととして、負傷したグルジア兵に対しては祖父としても思うところがあったらしい(ポケットの遺品に手をやっていた)が、最後はもうこの男を軍隊には戻したくないと思っていたようだった。 また思春期の孫娘が変に色気づいていくのは心配させられた。トウモロコシ畑でつかまえて状態で翻弄されまくった男は哀れだったが(バカみたいだ)、その後の収穫時に孫娘が手を切ってしまい、軍手とかはしないのか、と思っていたらいきなり泣き出したので笑ってしまった(笑ってごめんなさい)。こんな乙女心には付き合いきれない。祖父も大変だ。[インターネット(字幕)] 7点(2021-02-20 09:29:38)《改行有》

226.  みかんの丘 《ネタバレ》 製作国はエストニアとグルジア(今でいうジョージア)とのことである。エストニア人の登場人物はエストニアの役者が演じており、エストニア人同士ではエストニア語だったらしいが、他の民族と話すときは、いわば広域の共通語としてロシア語を使っていたように聞こえた。 この周辺については馴染みがないので、劇中の紛争に関しても、例えばグルジア対ロシアの関係と、アブハジア対グルジアの関係は相似形ではないのかといったことはよくわからない。しかしこの映画の立場として、要はロシアが背後で煽ったから紛争が起きたのだという前提なら、とりあえずロシアを悪者にすればいいのでアブハジアは敵扱いしなくて済む。登場人物としてアブハジア人も出て来ていたが、危険人物のようで実は何気に話の通じる地元民らしかった。一方でロシアに対しても、あからさまに名指しで反感を煽る形には見えなかったので、基本は融和的な姿勢の映画だったらしい。 それにしてもいまだに紛争が解決しない状況で、グルジア政府も支援してこういう映画ができたということは、グルジアとしてアブハジアを奪還する意志はもうないということなのか。紛争の頃には金がなくて映画も作れなかったそうだが、この映画は今やEU加盟国(NATOも)になったエストニアと共同で、欧州評議会の文化支援基金の支援なども受けて作られており、ロシアなどはさておいて、今後はそういう方面との関係を当てにしていける情勢なのかも知れない。 以上に関して、別に現地情勢に詳しくはないのでこの映画から勝手に思っただけである。 映画自体のテーマとしては、国家や民族に関わりなく人間同士はわかりあえる、ということだろうが、基本的に素直でストレートな作りのため、あらかじめ思っていたことを再確認して終わりという印象だった。新しい発見があるかどうかという面からすれば、今までこういうことを考えたこともない素朴な人々(登場人物の若者のような)向けに、西欧感覚で教え諭す啓蒙映画のようでもある(または西側への勧誘映画とか)。ちなみに歴史教育の害悪などは嫌になるほど思い知らされている。 なお主人公が現地を離れないでいた理由ははっきり言わなかったが、「自分たちの土地を守る」と言った息子のために、その土地に縛られてしまった状態だったのか。誰かが埋まった場所からはもう離れられないという感覚が、当事者にはあるのかも知れないがよくわからなかった。ほか「全部作り物だ」という台詞は一般的な戦争映画への皮肉だったかも知れない。[インターネット(字幕)] 6点(2021-02-13 08:58:07)《改行有》

227.  デス・レター 呪いの手紙 《ネタバレ》 大まかにいえばサスペンス調の展開が面白かった。主人公の男だけだと本人の精神状態の問題かという疑いが生じて読み取りが面倒になるが、都合よく好奇心旺盛で強気の刑事が相棒についてくれて客観性が保たれたので安心できる。また「本当の罪は、逃げたこと」というのも道徳的・教育的観点からは好印象で、ロシアにも普通に倫理や良心といったものがあるのだなと思わされた。ラストの巻き戻しは都合良すぎに見えたが、時間が前後すること自体は序盤から予告されていたので許容範囲ではあり、結構後味のいいエンディングになっていたのは悪くない。 また映像的には、ロシアといえば寒々している、という勝手なイメージそのままの寒色系の世界ながら、現代モスクワの都市景観が美しく映像化されており、壮麗な摩天楼群(「モスクワ・シティ」というらしい)と孤独な登場人物が対比されていたようだった。 問題点としては、どうも結果として統一感に欠けていた気がする。最初と最後はつながったようでもあるが、単純にわかりやすく感動的な「本当の罪」の部分は別系統の話だったのを、少々細工して付加しただけのように見える。 また納得感の得られない箇所も多い。例えば受取人の元夫は単なる連絡役のようだったが、そういう役職のようなものを置く必然性はあるのか、また配達人でもないのに呪われたのはなぜかといったことが不審な点として残る。また少女はいわば告発人らしいが、そのように都合よく罪人を発見する仕組みがあらかじめ準備されていたのかも疑問に思われる。そもそも配達人が手紙を見てしまうというのが何か宿命的なことのように捉えられていたのも不自然だった(18世紀の男は一応「金目の物」目当てだったと説明していたが)。 見る側のせいかも知れないが詰めが甘いようでもあり、それでも結局は後味のいいエンディングでごまかされた気がした。 その他細かい点では、主人公がパーティ会場前でタクシーを降りた時、車の窓に悪役の顔が映ったのは怖くはないが少し驚かされた。同じように序盤でPCのディスプレイに刑事の顔を映した場面もあり、こういうのが好きなのかも知れない。 またこの映画で特に忘れがたいのはその刑事が非常に魅力的に見えたことで、これで「女だったのか」などとは冗談でも言えない。この人のかわいい+きつい顔を最後にもう一度見ることができ、切ない感覚を残したのも後味のいいエンディングに貢献していた。[インターネット(字幕)] 6点(2021-02-06 11:17:53)《改行有》

228.  ゴースト・ブライド 《ネタバレ》 ロシア製のホラー映画で、同じ監督のものとしてはこの後の「黒人魚」(2018)も見たことがある。 まず特徴的なのは、写真を撮ると魂を吸い取られるという昔の俗信を使ったことである。日本でも同じ理由で写真を嫌う人々が昔はいたと思うが、劇中のロシアではこれを使って死者の魂を保存するという、いわばポジティブな発想になっている。その実行過程で、死者のまぶたに瞳を描くのは日本ではギャグにしかならないが、劇中の古そうな写真を見るとたしかに不気味ではある。 最初のうちは期待しながら見ていたが、どうも疑問点が多いのは問題だ。「銀板」に魂を定着させたのは近代科学の成果としても、生きたまま棺に入れるのは科学と無関係な別の伝統的呪法に見える。現代の儀式になるともう写真撮影は不要だったので、発端で保存の機能を果たしただけだったらしい。もともと「古代スラブ民族」の雰囲気を出した土俗ホラーだったところに近代的なネタを組み合わせたが、すり合わせが不十分なようでもあった。 また呪いが現代に伝わった過程について一応説明はあったようだが、個人的には最初の事件(19世紀前半か)と「曽祖父」「お母様」の関係がわかった気がせず、部屋に籠っていた「曾祖母」と出歩いていた白い婆は同じものかもわからなかった。そのほか何かと不明・不可解・不明瞭な点が多く、邦画でよくある独り善がりの難解ホラーのようだった。 そもそもあまり怖くもないが、白い婆の立ち姿などは悪くない。「目を閉じて息を止める」という対処法も悪くないので、そういう怪異との共存を日常的に強いられてきた家族の苦衷がもっとしっかり感じられるとよかった。なお花嫁に性交経験のないのが必須というのでは、現代ではいずれ破綻するのが目に見えていたわけだが、劇中家族の立場としては今回一応の決着がついたということらしい。 登場人物について、新婚の男の名前(Vanya)は字幕でなぜかヴァンヤと書いてあるが、カタカナ表記だとワーニャと書くのが普通である(イワンの愛称)。ちなみにナスチャはアナスタシアの愛称らしい。そのナスチャ役のヴィクトリア・アガラコヴァという人は、前記「黒人魚」でも主演しているが、この映画でも非常に可愛い表情を見せたりして好きになって来た(国内向けの宣伝写真は最悪だが)。[インターネット(字幕)] 5点(2021-02-06 11:17:51)《改行有》

229.  ビブリア古書堂の事件手帖 《ネタバレ》 原作は読んだことがあるが、作中に出る本を読みたくさせる小説として有名らしい。ちなみに自分としては「たんぽぽ娘」は読んだ(いかにも自分好み)。 場所設定としては原作・映画とも北鎌倉が中心で、加えてこの映画では鎌倉らしさの表現として切通しを見せている。ただエンドロールの撮影協力に常陸太田市と伊豆ばかりが見えたのは、地元の皆さんには申し訳ないが落胆要因だった。 物語としては原作1巻の1話から4話に直接つながる形で構成しており、原作が軽めに流していく感じなのをじっくり掘り下げたようではあるが、個人的には微妙な印象だった。昭和のメロドラマと平成の恋物語を並行させる形になっているが、本と引き合わせてくれた人との出会いという点が共通するだけで、話の性質は違っているので連関があるようにも感じない。太宰治を気取る「駄目な男」にも、太宰の言葉にかこつけて開き直る異常者にも当然ながら全く共感できない。 ただ意味的な面では、350万円で売れる本よりも、本を大事にする人を大事に思う人の心を大事にしたい、という結末だったらしいのは悪くない。平成の主人公男女が関係を深化させる過程も原作とは変えており、ラストで一気に「あなたが必要です」というのは唐突だったが、要はトラウマを解消させてくれた人物だったから、という理屈をつけたようではあった。 ほかメロドラマの男が長身なのは見た通りとして、主人公の母親役(神野三鈴)も意外に168cmとのことで、何気に遺伝的なつながりを表現していたらしい。また映画独自の点として、主人公の男が店を手伝う条件にしたのが読み聞かせだったのと、店でも絵本ばかり読んでいたらしいのは、子ども時代からやり直そうとしたという意味かも知れない。 登場人物に関して、原作の栞子さんは小柄でカワイイ系で巨乳気味の美女というアニメ向きキャラだが、この映画の黒木華という人は、演技でカバーしている(口元をかわいく見せている)とはいえ外見的に合っているかは何ともいえない。しかし原作ではライトノベル風のイラストに騙されていただけで、実物がいるとすれば本当はこんな人だったりするかも知れないとは思った。快活でなれなれしい妹(演・桃果)もいい感じだった。 また特に今回は(今回も)夏帆が見せる素朴な可愛さには見入ってしまったので、いろいろあるだろうが今後とも末永く活躍してもらいたい。[インターネット(邦画)] 5点(2021-01-30 14:28:17)《改行有》

230.  グーグーだって猫である 《ネタバレ》 原作も少し読んだ。題名の由来は、最近見た映画「ビブリア古書堂の事件手帖」(2018)で夏目漱石が出て来たところで初めて気づいた(遅い)。 映画は原作とかなり雰囲気が違っており、序盤ではネコと主人公が中心の世界に見えたが、特に小豆島の男が出て来てからはネコが脇に追いやられたようになる。芸人を入れてのギャグやドタバタが煩わしく、またスポンサーの宣伝や変な外国人など、何かと気の散る要素が多い映画になっている。 なお主人公は架空の名前だが、劇中の著作名を見れば原作者がモデルなのは明らかである。大病で手術したのは事実とはいえ、実在の人物をこのように扱った映画をみて原作者がどう思ったかは気になった。本人が納得していれば別にいいわけだが。 内容的には、まず序盤で前任のネコが口を半開きにして死んでいたのが悲しい。このネコは15歳まで生きたとのことで、終盤で出た人間体も15歳の演者(大後寿々花さん、1993年生まれ)にしたのは安易な発想かと思った。しかしネコと人は同じ時間を生きているわけではなく、ネコが先に年上になるというのは面白い表現で、そう言われてみると15歳の演者も年齢不詳のように見えて来た。 物語に関しては、避妊手術の罪悪感が根底にあるように見える。あからさまに書きにくいが、主人公は年齢的に最後というあたりで新しい出会いがあったと思って期待していたところ、突然の手術で望みが断たれてしまい、自分がネコにした仕打ちを改めて思わされたのではないか。しかし前任ネコが夢に出て、恨み言をいうでもなく、以前のように心を癒してくれたので安心できたと思われる。主人公がもう終わりだと思ったその先へ、背中を押してくれる形になったらしい。 結果的には題名のネコより前任ネコの存在感が大きかったが、ほかに原作者の「8月に生まれる子供」という著作も重要だったらしい。自分にはよくわからないが、題名の原作を超えて作家の作品世界を表現する意図があったようではある。 そのほか吉祥寺の街の紹介が変にしつこいので、それ自体が製作目的の一部だったと思うしかない。「ネコの街」といわれた台東区谷中とは別に、吉祥寺では「人と猫が共生する街」として、2011年から毎年「吉祥寺ねこ祭り」というイベントをやっているらしい。別にこの映画が発端というわけでもないようだが、2015年の「吉祥寺にゃんこ映画祭」では当然のようにこの映画も上映されたようだった。[インターネット(邦画)] 5点(2021-01-30 14:28:13)《改行有》

231.  ハイサイゾンビ 《ネタバレ》 沖縄の映像関係者が地元で撮ったホラーである。場所はかつてコザ市と呼ばれた沖縄市だが、今も中心街はコザというらしく、「コザ花園(かえん)」の看板とか「ゴヤ中央市場」の表示が見えたのがご当地感を出している。ちなみに「ゴヤ」とは、米軍のキャンプ・コザが置かれる前からあった「胡屋」という地名を残しているものらしい。 市や観光協会も協力している地元PR映画だが、最初の公園だけが明るい雰囲気で、市街地に入ると人もいなくてゾンビばかりの寂しい街ということが印象づけられてしまう。しかし商店街がゾンビであふれかえる場面がかつての賑わいを想像させ(そういう意図か?)、また横丁のような所でエロいゾンビが登場して(「踊るゾンビ」演・水井真希)男ゾンビの股間に何気に触っていたりしたのは、こういう風俗面でも栄えた過去を偲ばせるものがあった(そういう意図か?)。 内容的には「カメラを止めるな」(2017)と比較されているが(制作年はこっちが早い)、別にワンカットで撮っているわけではなく、映画撮影中に本物のゾンビが現れたという設定が共通している。一応は本物のホラーだがコメディ色が強く、人がゾンビにやられて血が飛んで、登場人物の衣服が(レフ板も)どんどん真っ赤になっていくのは笑ってしまう。とにかく血が飛ぶ映画という印象だった。 物語としては、崩壊の兆しが見えた自主映画制作グループが、千載一遇の機会を得て再び映画への情熱を燃やす話になっている。人でなくなってもなお映画を撮ろうとする(生きようとする?)執念を描いており、最後はいわばゾンビの、ゾンビによる、ゾンビのための映画になってしまったかと思ったが、一応は人間ドラマとして、いわゆる映画愛のようなものも感じられた。いかに低予算に見えても嫌いになれない/好きにさせられるという点でもカメ止めに近いかも知れない。 キャストはみな沖縄在住の人々のようで、当然ながら地元市民もエキストラとして大挙出演している。劇中劇のヒロイン役の人(演・川満彩杏)がなかなか可愛いと思ったが、途中でいったん退場してしまったのは残念だ。この人がゾンビに噛まれて意識が薄れていく表情は好きだ(少し惚れた)。[インターネット(邦画)] 6点(2021-01-23 08:59:12)《改行有》

232.  恐怖と戦慄の美女<TVM> 《ネタバレ》 原題によれば恐怖の3部作である。邦題の美女とは3部作全てで主演しているカレン・ブラックという人のことで、原作は全て作家のリチャード・マシスン(地球最後の男/アイ・アム・レジェンドなど)である。 以下個別に書く。 【ジュリー】 外見は地味だが中身は違うと妄想するとか、隠されたものを自分は見抜けると思い上がってしっぺ返しをくらう話とすればわからなくはないが、ドラマとしての展開が唐突過ぎて説明不足である。序盤のわざとらしいチラ見せはいいとして、ほかに何か変な超能力でも使ったということなのか。アメリカ社会に隠れ住む魔物(witchか吸血鬼か)の魔力のせいだとすれば単純なヒトコワ系でもないのかも知れない。 【ミリセントとテレーズ】 オチが早いうちにわかってしまうが、結末に呪いが絡んで来るのが若干の工夫か。相手の持ち物を人形に入れて針を刺す、というのは日本でも親しまれている手法と思ったら、もとはブードゥーの魔術ということらしい。個人的には妹の容姿に嫌悪を催した(近場にいる実在の人物を思い出した)ので、妹を嫌う姉の気持ちはわかったとはいえる。ただし26歳というのは無理があるのではないか(演者は当時35歳)。 【アメリア】 呪いの人形が襲って来るだけの話で、最後がどうなるかは宣伝写真で思い切りネタバレしている。人形は顔にインパクトがあるが、骨董屋で発見したというには小奇麗な造形物だった。国内向け解説ではこれもブードゥーの呪いと書いてあるが、ズーニ族というのは実在のアメリカ先住民ではないか(民族差別だ)。ドラマ的には母娘の関係破綻というのはわかるとして、最後が何でこうなるかは不明だった。主人公は人形を気に入って何気に抱っこしたりしていたので、最初からそういう素質はあったらしい。 前の2つは最後のオチで勝負の小話だが、現世的な怖さだけでなく、超自然的な要素が微妙に入っているのが半端な感じだった。また最終話は「チャイルド・プレイ」という映画の元ネタかと噂になっているようで、これがこの3部作の最大の見所になっているらしい。 主演の人が地味だったり凶悪だったり様々な顔を見せるという企画だったようだが、個人的にはあまり好きになれない3部作だった。昔のTVドラマということもあるだろうが少々かったるい印象である。主演の人も外見的に好みでない。[DVD(字幕)] 4点(2021-01-23 08:59:09)《改行有》

233.  パプリカ(2006) 《ネタバレ》 パプリカといえば現時点ではNHKの「2020応援ソング」が有名かと思われる。映画の前に原作を読んだところ、帯に「ヤバい方のパプリカ」と書いてあったのは上記ソングがヤバくないという判断らしいが、しかしネット上で“可愛くない”とか“気持ち悪い”といわれていたのを見たことがあり、大して変わらないのではないかと思っている。 原作では、第一部は科学技術の開発に関わる現世的な話だったが、第二部に入ると時空間の制約を越えた奔放な展開になってアニメ向きの印象だった。映画では、登場人物を集約した上で第一部も踏まえ、派手でリアルに気色悪い現代風アニメを作っている。 原作のパプリカは、オタク気質の肥満の男も50がらみの大人のオジサマも惚れさせ、かつ惚れてくれる点で魅力的なキャラクターであり、かなり男に都合のいい女性像という感じだった。このアニメでは千葉敦子とパプリカが別人格という印象を強め、現実世界の千葉敦子はオタク(一応若い)に取れられてしまったが、オジサマ連中は夢の世界のパプリカちゃんに自分の夢を託す、という形で整理をつけたらしい。その過程で「夢」に関して、本来の精神活動としての夢→将来の希望としての夢→映画などによる架空世界の夢、という形で意味を発展させ、最終的には夢の世界を創ることの意義まで訴えていたように見えた。 またその「映画」というものに関して、原作でも短編長編のたとえ話までは出ていたが、このアニメではこれを膨らませて映画志望だったオジサマの物語を作っており、最終的に夢と現実を統合させていたのはなかなか感動的だった。原作も一応は問題解決だが物寂しさも残す終幕だったのに対し、このアニメは娯楽映画らしく通俗的だが文句なしのハッピーエンドになっている。ここは大変結構でした。 ただし問題なのはキャラクターデザインであって、千葉敦子/パプリカからしてあまり可愛気を感じないが、その他の人物もみな顔が気色悪いので親近感が湧きにくく、これが最初から映画の印象を悪くしていたと思われる。もう一つ、このアニメではパプリカが忙しすぎて、途中からオジサマがパプリカ抜きで勝手にトラウマ解消をやってしまったというのが不十分な活躍ぶりではあった。[ブルーレイ(邦画)] 5点(2021-01-16 09:29:27)《改行有》

234.  AKIRA(1988) 《ネタバレ》 2020年オリンピック関連で話題になっていたので改めて見た。最初に見たのは90年代のTVと思うが、その時点で印象的だったのはいわゆる「金田のバイク」と、臓器のようなのが膨れる場面だった。いま見てさすがに斬新だとまでは思わないが、1988年の時点で先進的だったろうということは否定しない。音響面でも面白いところがある(救急車のサイレンかと思ったら背景音楽だったなど)。 前提として、近未来は当時の現実の延長上にある、という考えなのは堅実な印象だが、実際に2019年を経験した立場からすれば、「貯金は××銀行へ」という看板とか紙がやたらに多いのは未来描写として外している。不良少年の仲間意識で泣かせようとするのも前世紀っぽいが、そのほか特にヘルメットに覆面の連中が火炎瓶を投げるなど、1988年ならまだ記憶に新しかっただろうが2019年では失笑モノである。一方で軍事衛星からの光線兵器であれば、実際どこかが作っていそうなので怖い。 ちなみにネオ東京というのは1980年のTVアニメ「未来警察ウラシマン」でも出て来ていたが(ネオトキオ、2050年想定)、東京湾に新都市という発想自体は昔からあったらしい(ネオ・トウキョウ・プラン、1959年)。 ストーリーとしては幼馴染の2人の自立と新たな出発という感じのようで、最終的にはこの世界と別の宇宙で新しい未来を自ら作る、という壮大なセカイ系の物語になっていたらしい。当時の若者はともかく今の自分として特に共感できるものでもないが、劇中事物に即していえば、あんな連中に宇宙創造を任せていいのかとは思った。 ほか今回見て思い出したのは、登場人物の中でわりと普通に見えるいたいけな少女の最期が衝撃的だったということだが、今の感覚で見れば、こんな男にどこまでも執着するのが悪いと切り捨てて終わりだった(結局男と一緒にあっちの世界へ行ったのか?)。好きになれる人物が誰もいない殺伐とした世界だったが(主人公の男は単純バカ)、あっちに行ってしまった連中はまあいいとして、残った連中はこれからこっちの世界をまたそれなりに作っていくのだろうとは思った。悪役っぽい強面の大佐はけっこう実直な人物だったらしい。[DVD(邦画)] 5点(2021-01-16 09:29:24)《改行有》

235.  奇々怪々譚 醒めない悪夢の物語 《ネタバレ》 全8話のオムニバスホラーである。以下個別に書く。 ①年取ってこうなったら怖いかとは思った。物悲しい。 ②オチ付きの小噺。ヒトコワ系だけかと思っていたら違った。 ③東京の安い一軒家は事故物件だろうという安易な予想が覆される。集合住宅に住めない理由はそれだったかと納得させるオチ。怪しい声がいい。 ④ラストは面白くないがそれほど悪くない。確かに、ユーズド商品として売っている古本など、こういう経過で市場に出たものではないかと思うことはあった。 ⑤第5話に至って初めて女性の俳優が出る。私事になるが、実は女性専用とされる掲示板サイトを時々見ることがあり(書いてはいない)、そこで「生霊を飛ばす」という表現が時々使われるので、そういう話かと思ったがそうでもない。その女性専用サイトには明らかに男が入り込んでいて嫌われているが(おれは書かない)、わざわざ女子だけの中へ紛れ込もうとする男の心情に通じるもののあるオチかとは思った。ただし面白くはない。 ⑥コーヒーを含めた総称として「お茶」ということは自分もあるので、その点だけは彼氏に共感した。それより彼女が発言しようとする顔に結構注目してしまう。表情に影が差していたのが輝きに転じるのもいい。これは結構好きだ。 ⑦川ゾンビと川テトラポッドと川河童(普通に河童)が語られる。何を探しているかわからない男が出たので、むかし読んだ夢に関わる非常に嫌な感じの怪談を思い出したがそれとは違っていた。二段階のひっくり返しは悪くなく、「めっちゃ恥ずかしい」の隣で時が止まったような男の顔も悪くない。これもいい方。 ⑧普通に怪談。 見ていると変な方向に発想が飛ぶが、結果的には違っていたという感じの意外性はある。また音の使い方が特徴的と思うところもある。いかにも低予算だが面白いところもあり、時々ある低劣オムニバスホラーよりはよかった。 なお各話冒頭の「こんな悪夢を見た」は、どちらかというと夏目漱石「夢十夜」の「こんな夢を見た」から直接取ったものではないかと思った(8話しかないが)。最初から夢オチ宣言かと思ったが、副題で「醒めない」とすることで現実との連続性を確保する微妙な戦術らしい。[インターネット(邦画)] 5点(2021-01-09 13:52:55)《改行有》

236.  パラノイアック 《ネタバレ》 「青鬼」「デスフォレスト」に続くフリーホラーゲーム第3弾とのことで、廃墟に侵入した若い連中が逃げ回って殺されていく展開になる。基本的には心霊系だろうが、「怪物」も出るのはもとのゲームに由来するものか。見る人が見れば怖いのかも知れないが、個人的にはやかましいだけのホラーだった。 特徴としては基本的にPOVであり、冒頭の自宅の場面からして劇中カメラで撮られている。また主人公グループ3人だけでなく、別のグループ3人(緑)が同様に逃げ回るのと並行する形で作ってある。ほかクラシックの著名な曲が使われており、映画の章立ても第一~第三楽章にしていたが、どういう効果を狙ったのかわからない。ホラー向けに作った曲ではないはずだ。 なお序盤で窓ガラス越しに怪しい人影が一瞬見えた場面があったが、その手の趣向はそこしか気づかなかった。 【以下個人的解釈】 題名のparanoiaとはどういうものか知らないが、少なくともこの映画では、要は強い妄想があるという意味らしい。廃墟で主人公が体験したことのほとんどが妄想だったと思えなくもないが、しかしビデオ撮りしているからには客観映像のはずだと解釈すれば、筋の通らないことは全て妄想のせいともいえない。死人が生き返ったりするのはゲームというものの性質上かも知れないが、まともな理由など考えても仕方ないという気もする(「ソラリスの陽のもとに」と関係あるかは不明、読んでない)。 それより主人公の主な妄想は、姉らしき人物(肩書付きのテロップが出ない)を「お母さん」だと思い込んでいたことのようで、これは叔母がクマを息子と思っていたのと同じということになる。その姉は、叔母がされていたのと同様の「経過観察」をしながら妹を世話してきたが、実は叔母と同じように破滅してしまえと願ったりしているのではないか。 本来この姉は問題ない人なのだろうが、上の階のピアノに怒るとかコップの縁をいちいち拭くのは神経質なようでもあり、また終盤で恨み言を劇団員風に述べるとか、凄惨な死体の傍らにあったカメラを冷静に拾うなどはもう変になっていたようでもある。最後の赤い空の場面でもなお妹を経過観察していたようだが、その光景をまた誰かが経過観察していたのかも知れない。 細かく考えようとすると面倒臭いホラーであり、結果として面白いともいえないが、それなりの企みはあったようなのであまり低い点にはしない。なお主演の小西キスという人(けっこう熱演)は、漢字であれば小西鱚と書けないこともないと今回思った。もう一つのグループの女子(奥田安沙)役は朝見心という人である(京都府出身とのこと)。[DVD(邦画)] 5点(2021-01-09 13:52:52)《改行有》

237.  この世界の(さらにいくつもの)片隅に 《ネタバレ》 原作との関係ではいわば完全版ということになる。主に、前作でほとんど捨象されていたリンさんのエピソードを全面的に加え、夫婦それぞれの過去を見せることで対称性のある物語を再現している。今回はリンドウの青が色彩的に目について、すずさんのタンポポのイメージ(黄色)と対照的に感じられた。またすずさんも今回はより大人の女性としての姿を見せている(こんなにエロいとは思わなかった)。ちなみに、これだけ長尺でもまだ省略されているエピソードがある(ミヨセンセーノハゲアタマなど) 前作を含む映画版の特徴として、原作で読者の読み込みに任せていたところをわかりやすく示すということをしているが、ただこの新作版で伯父夫婦の語った周作の過去などは、適当に想像しておけば済むことなのでやりすぎだ。また原作に出た事物を別のところで出している例もあるが、「愛はいずこにも宿る」(「どこにでも宿る愛」)という言葉に関しては、個人的感覚では結果的に得られた感慨として扱うべきものであり、途中で安手の格言のように語らせたのは残念だ。 その他前作になかった点として、広島に救援活動に行った人々(伯父や知多さん)のその後の健康状態に触れた場面もあった。また「狸御殿」の様子(顔)をいかにもそれらしく描いていたのは笑った。 なお前作と共通だが、原作で終盤にあった「記憶の器」という言葉を、映画では「笑顔の容れ物」に変えていたのに今回気づいた。真意は多分同じと思うが、原作段階では亡くなった人々の記憶を背負って生きる義務を自ら課すという悲壮感のようなものも感じたのに対し、これを変えることで、亡き人々を暗い記憶の中に封じ込めるのでなく、あえてこの世に祝福されていた存在として記憶にとどめようとする意志が明瞭になっていた気がする。残った人々もこれからできる限りの笑顔で生きていこうとするのだろうし、エンディングで水玉模様の服を作る絵からもそのように信じることができた。 現実問題として、みんなが笑って暮らせるわけではないのは当然のことである。しかし時代や場所や境遇の差はあるにせよ、人というのは誰しも常に笑いを求めているのではないかという気もする。日常的な暮らしの中の笑いというのは、いわゆる普通の幸せの実体をなすものではないかという気もして、自分としてもそういうところをないがしろにしてはいないか、と反省されられた(態度を少し改めることにした)。今回は戦争と無関係に個人レベルのことだけ考えてしまったが、そこがこの物語の持つ力ということだ。 完全版とはいえ全面肯定でもないので満点にはしないが、ちなみにコミックレビューの方は10点にしてあるので、それが本来の点数である。[ブルーレイ(邦画)] 9点(2021-01-02 10:26:08)(良:1票) 《改行有》

238.  夕凪の街 桜の国2018<TVM> 《ネタバレ》 NHK広島が制作して2018/8/6に放送された特集ドラマで、現在はNHKオンデマンドで見られる。ちなみにタイトルバックの空撮では、手前に「この世界の片隅に」に出る江波山も映っている。 原作と比較すると、現代パートを2004年から2018年にずらしているのが最大の違いである。つまり「桜の国(二)」の出来事が2004年には起こらず、形を変えて2018年に起きたことになっている。主人公の石川七海は40過ぎ(独身)、また広島への同行者は弟の娘の石川風子という人物(高校生)になっており、昭和30年の皆実から姪の七海へ、そこからまた姪の風子へとつながる形を作ったらしい。風子という名前は、皮肉をいえば昔の記憶が風化してきたという意味かも知れないが、真面目にいえば凪のあとにまた新しい風が吹き始めたという感じを出している。なおその母親である東子さんは顔が出ないが、原作の出来事がなくても結婚できたようで、いまは看護師長だそうである。 全体構造としては「桜の国(二)」に相当する現代パートを軸にして、途中に「夕凪の街」をほとんど全部入れており、終わりの方で端折り気味ながら「桜の国(一)」も扱っている。2007年公開の実写映画で現代パートが不要とまで酷評された難点は改善され、一応それほど違和感なく全体を72分に収めた形になっている。 原作にない部分としては「桜の国(一)」の途中に、いわゆる「原爆スラム」に関するエピソードを加えている。これはストーリーの説得力を増す意味はあるようだが、ほかに何か世間的な配慮の必要でもあったのかと思った。一方で登場人物が東京へ帰らないまま終わり、原作で非常に印象的だった「決めたのだ」の場面はなく、そもそも桜は申し訳程度にしか出ない。 ただ全体的に、原作にある個別の場面や台詞はかなり生かしており、また西武鉄道とか西東京の病院とか、「…のだ」「それよか…」といった言葉づかいからも、原作読者に気を使っている様子は見える。ワンピースを作る場面では、原作の可愛らしい絵柄を再現できていたようで嬉しくなった。 物語の面では、やはり「夕凪の街」の印象が強くなっており、「桜の国」の方は主人公の心のわだかまりが曖昧なためそれほど感動的でもない。ただ高校生の姪が、墓地で故人の没年月日を見て「本当にあったことなんだね」と言ったのは、年長者には“今の若い者は…”と嘆かれるかも知れないが、自分が現地で実際に見てもそう思うかも知れないとは思った。世代も変わって記憶が途切れそうだったところを、若い人を含めてしっかり思いを受け継いだ話になっており、広島のNHKが8/6向けに現代の感覚で作る、という条件下では悪くないドラマだったかも知れない。 なお登場人物としては、皆実役の女優は2007年の映画より個人的に好きだ(アイドルっぽくはない)。また小芝風花さんの熱演場面は新作エピソードに置かれていたが、その後の「誰も来てんなかったね」の台詞もちゃんとあった。[インターネット(邦画)] 7点(2021-01-02 10:26:05)《改行有》

239.  花嵐の剣士~幕末を生きた女剣士・中澤琴~<TVM> 《ネタバレ》 NHK・BSプレミアムで2017/1/14に放送したドラマである。現在はNHKオンデマンドで見られる。 主人公の中澤琴という人は幕末に剣士として活躍した実在の人物である。出身は上州(現在の群馬県沼田市)で、このドラマ製作の前年には地元で「お墓が建立されました」とのことである。剣も強いが長身で美形の“男装の麗人”的人物だったようで、ひところ言われた“歴女”好みのキャラクターということかも知れない。伝えられているとおり薩摩屋敷で踵を斬られる場面が入っており、また一生独身だったとされることの背景も何気に語られていたようだった。 この主人公が参加した「新徴組」というのは、京都の新撰組と並ぶ江戸の浪士組だというのは知っていたが、それをまともに取り上げたドラマは初めて見た気がする。鮮やかな紅色のかたばみ紋が見えたほか、「おまわりさん」の語源だったことにも触れられていた。 物語は、幕末に京都に集められた浪士組が後の新撰組と新徴組に分かれたところから始まる。主人公が兄とともに新徴組に加わり、江戸で活動してから戊辰戦争を経て上州へ帰郷するまでを扱っており、三田の薩摩屋敷への討ち入りが全体の山場になっている。なお開墾に従事する場面はない。 ドラマ的には、主人公が自分と剣とを切り離せない状態から、自分が何のために剣を生かすのかを悟る過程になっていたらしい。薩摩方が起こした騒乱で、庶民が泣かされるのを見かねて参戦したのは心正しい人物像の表現になっている。「剣は、いつかそれを捨て去る時のために使う」という台詞もあったが、少なくとも国内的にはそれが実現して終わったことになる。 なお浪士組を集めた清河八郎という人物のことは実はよく知らなかったが、「攘夷とは…暮らしだ…」という台詞からすると立派な人物だったらしい。攘夷というと過激なようでも、本意はそのように解されるということなら共感できる。その意図が兄を介して主人公に引き継がれたようで、それがまた上州に伝わる「法神流」にも通じるところがあったのかも知れない。 登場人物としては坂本龍馬なども顔が出ているが、沖田総司の兄に当たる人物も新徴組にいたとのことで重要人物の扱いになっている。主人公はきりっとして嫌味のないのが好印象で(少女時代から強そうだ)、「見とれてしまった」という台詞は意味不明だが少し笑わせた。ほかにも葭町の姐さんとか訳ありの女とか千葉道場の娘とか人物が多彩で楽しめる。終盤で出た甥の表情も面白かった。[インターネット(邦画)] 6点(2020-12-26 15:29:55)《改行有》

240.  コワイ女 《ネタバレ》 題名を全体テーマにした3話オムニバスのホラーである。以下個別に書く。 【カタカタ】 バケモノの顔を見て最初はコメディかと思ったが、その後は特に笑えない。ラストは意外だったが別に驚くようなものでもない。かなり前に一度見た時のメモには「女子高生には全く見えない」と書いてあったが、そんなことを記録して何の役に立つかと今回思った。 なお個人的には中越典子さんを見ているのが好きなのでその点はよかった。色っぽい場面は特にないが脚はきれいに見えた。 【鋼】 かなり独創的。上の口と下の口という言い方があるが、下だけで上も兼ねているようなものか、または下だけあれば上など飾りですということか。中身はドロドロだとか針を飛ばして来るなど、荒唐無稽に見えても意外に現実に基づいた戯画化を意図したようでもある。 女優の菜葉菜という人の公式プロフィールでは出演作で『「鋼」ヒロイン』と紹介されているが、ヒロインであるのに最後まで顔を見せないのはひどい。と思ったら写真の顔が本人だったらしい(かわいく写っている)。下半身だけでのキャスティングでもないだろうが、かなり適役の体型であることはわかる。特に序盤で動きがかなりハードなので、こんな所から転げ落ちて本当に怪我をしたのではと心配になった。エンディングでは涼やかな衣装で踊りながら何度も回転していたが、目が回って倒れる直前でカットされているのは笑った。 【うけつぐもの】 「監修 清水崇」と出る。真面目な話なのはわかるが意味はわからない。 愛する者が自分を裏切って去ることを主人公が恐れていたのだとすれば、直前の離婚が影響していた可能性はある。また娘は対象外だった(2代続けて)ことからも、息子に対する近親愛とか小児性愛的な感情はあったかも知れない。しかしそれにしても今この段階でこういう行動に出ることに説得力がないわけだが、それを要は呪いのせいだということで正当化しているのか。オムニバスの1エピソードとして甘く見ていたので見落としがあるかも知れないが、ちょっと納得しかねる話ではあった。 なおホラーの作り方として、出来事の顛末を全部見せずに切り上げるのは嫌いでない。また主演の目黒真希という人はなかなか魅力的な女優さんだった。 以上、全体的にはそれほどでもなかったが、顔の見えない菜葉菜さんのためにもそれなりの点をつけておく。ちなみにこの人がちゃんと顔出ししている映画も見たことはある。[DVD(邦画)] 5点(2020-12-26 15:29:53)《改行有》

0110.88%
1272.16%
2614.88%
3987.83%
418214.55%
532826.22%
628722.94%
717814.23%
8614.88%
9171.36%
1010.08%

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS