みんなのシネマレビュー
TANTOさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 900
性別 男性
年齢 42歳
自己紹介 最近になってまた映画を観る習慣が出来ました。
前はほとんど観なかった邦画をたくさん観るようになり
新しい映画ライフが充実しています。

昔ほど数はこなせませんが
趣味と生活のバランスをうまく保ちながら
なるべくたくさんの映画を観て、
なるべく読み応えのあるレビューを続けていきたいと思います。

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445

61.  娼年 《ネタバレ》  [娼婦」ならぬ「娼夫」。たいていの場合は体であるが、それを含めて自らを商売道具として売る一人の男性の話。    まず個人的には、不特定多数の女性それぞれと真剣に向き合ってかつ、その場限りの関係で終えられるという感覚が私には理解し難かった。単純に、自分は一人の女性のことばかり考え、良くも悪くもその人以外のことに目が向かなくなる性格だからということもあるだろう。相手の女性に囚われずに、ある意味「器用に」女性の相手ができるこの森中領という人物に、宇宙人かな、と感じるくらい距離を覚えた。  「女なんてつまらない」「セックスなんて手順の決まったただの運動」という領に、仕事を通して女性の多様さや深さを教えようとする静香。少し考えたことは、少々言葉が悪いが、この話は単に一般的な風俗で男が女を買う、というのを入れ替えただけなんだろうか、それとも女が男を買うとなったときにそこに込められる意味も変わってくるんだろうか、ということが気になってきた。私の感覚では、女性が相手を求める感覚も男性が相手を求める感覚も、そんなに違いはないと思っている。男性のほうがあからさまで直接的な場合が多いので、ことさら単純・シンプルと思われがちであろうが、それこそこの物語の森中領くんのような複雑さや深さを持った男性もいるだろう。逆に、男よりあからさまに性を求める女性だっているだろう。そういう意味では「女性は~」という言い回しは私にはさして響かなかった。ただ私自身は男性であり、「異性としての女性」はやはり特別な存在で、その中でも特定の女性には自分の身を半分以上持っていかれるような想いを抱いている。そのように一般的な意味の上での「女性」と私にとっての「女性」では見方が変わるので一概には言えないが、女性だろうが男性だろうがある程度の年齢を生きてきて複雑でも深くもない人間なんていないだろう、というのが私の感想だ。領と東くんの絡みでもあったように、男同士の同性でも感じるものがあってああいうことに発展する場合もある。そういうものも描くあたり、別に「女性」一本槍で押してくる映画でもないんだなと少しほっとした。  「子どもの頃から大人の女性が大好きで、だから歳を重ねた女性がどうしてそのことを罪のように感じるのかがわからない」  この台詞が心に残りました。私はそこまで相手が何歳でも良いとまでは言いませんが、結局その人に魅力を感じるかどうかが大事だと思っています。それ次第では自分より年下を好きになることもあるかも知れないし、その逆も充分あり得るだろう。ただやはり限界はあって、いくら年下でも高校生や中学生にはそんな感情は湧いたりしないし、それは彼ら彼女らはまだ子どもで、自分自身の判断能力も未熟なうちにそんなことをするべきではないと少なくとも私が考えているからだ。私はそうだが、果たしてこの領くんがどこまでそういったことを許容できるのかが知りたいと思った。一般的な美的感覚で言うところの造形が良くない女性であったり、体形が崩れた女性に対しても同じようにできるのか、汚い話ですが排尿はOKでも排便は?など、彼の限界値がどこにあるかが少し気になりました。色々考察する機会をくれるいい映画だと思います。[インターネット(邦画)] 8点(2022-09-21 20:56:34)《改行有》

62.  桜のような僕の恋人 《ネタバレ》 桜の儚さと早老症を発症した女性という、ちょっとあからさまかなという構図で描かれていました。しかし調べてみると決して突拍子もない病気というわけではなく、実際にある病気でしかも世界での発症例報告の6割近くが日本人という、日本人に多い病気ということがわかりました。製作Netflixだからというわけでもないんですが、もう少し軽い造りかと思ったら、けっこうきちんとしたヒューマンドラマでした。 結局晴人は美咲の病気について、彼女が亡くなるまでそれが早老症とは知らなかったんですね。なんとなく病気ということは知らされていただけで、だから最後の瞬間、雪の中で会った彼女が美咲とは気づかなかった。そんなことになってるなんて知らなければ、無理からぬことだろう。死後そのことに気付かされた晴人は自らの愚かさを悔いて慟哭を上げますが、最後の瞬間に気づいてもらえなかったのは晴人だけのせいでもなく、そこまで全てを隠し通してきてしまった美咲のせいでもあるだろう。どこかで早老症と打ち明けていれば、と言うのもしかし美談めいたものを求めるいかにも第三者の言いそうなことというのもわかっています。自分ならどうしたかな…。境遇も性別も異なる自分には想像しかできませんが。でもやはり早老症の美咲に晴人がどう向き合うか知りたかった気もします。 美咲は桜に例えられていましたが、身振り手振りを交えてクルクルクルクル表情を変えながら楽しそうにはしゃぐ様子は、さながら様々な色で人を楽しませるチューリップのよう。それでいて演技っぽくなく自然で、松本穂香さんの人柄なのかなと思います。その兄役の永山絢斗さんも良かった。今どき珍しいガンコ兄!という感じででも人情に厚い見応えのある役柄でした。 早老症だけでなく、もし好きな人が、心から愛する人が、何かの病に侵されそれがどうしようもないと分かった時に自分が恋人なら、家族なら、友人なら、何が出来るだろう。大事な人達が早老症に罹ったらということをとりあえず想像してみた。そんな機会、この映画を観ないとおそらくないだろう。大事にして考えようと思う。[インターネット(邦画)] 7点(2022-09-19 22:47:51)《改行有》

63.  街の上で 《ネタバレ》 起伏の少ない映画。とりあえずそれが第一印象です。主役の荒川青くんを中心にゆるりと流れる、でもその流れはそれほど綺麗ではない。どっちかというとどよっとした汚れた小川を眺めている気分だった。 主役の荒川青くんは一見おしゃれで良い意味でだるっとした雰囲気を持つ若者。他者とはそれほど関わらず、それゆえにいざ接近戦になるとすぐボロが出る性格。そんな荒川くんが彼女に別れを切り出されるところからはじまる。 このタイミングでモテ期到来というか、突然女の子との出会いが増える荒川くん。田辺さん、女監督さん、イハさんなど。荒川くんは田辺さんや女監督さんにはモーションをかけるというか、積極的に関わっていくように動きますが、なぜかイハさんにだけは一歩置いた友人対応。先の二人にあんなふうに接するような男だったらイハさんにもいきそうなもんだけど、それは起こりませんでした。何が違いなのか。一見したところではわからない。 ただ、広いようで意外と狭い「街」の上で起こっていく出来事は良くも悪くもいちいち人間臭い。そして人間臭いゆえに、上述したようにどよっとした小川の雰囲気で流れていく。 雪との別れ、古書店での田辺さんとのやり取り、バーでのマスターと五叉路さんとのやり取り、映画への出演、間宮との出会い、イハとの出会い、その他諸々の出来事がちくちく刺さる。素晴らしく良いというわけではないですが、じっくりと眺めて味が出る映画だという印象でした。[インターネット(邦画)] 7点(2022-09-15 19:41:10)《改行有》

64.  台風のノルダ 《ネタバレ》 少し前にNetflixでダウンロードしてあって、いざ今日見てみるまでこのような短編ストーリーとは知りませんでした。 で内容の感想ですが、例えばこれが大学生などの自主制作映画だとしたら(にしては映像が綺麗過ぎますが)、 すごーい キレーイ と驚く作品なんだと思います。 ですが大人が仕事として作った作品としてはもう少し作り込んでほしかったというのが感想です。先にレビューされてる方も書かれていましたが、途中で予算が足りなくなったとかそういう事情があったんでしょうか?冒頭すぐに裸の少女、いきなり男子二名がケンカを始め、台風も同時に来て、世界は終わりだと聞かされ、、って色々急すぎるわ!! 本当ならもっと男子二人が野球部で活動するシーンだったり試合のシーンだったり、台風の前振りとか、何十分かそういう下地があってのあの冒頭のシーンだと思うんだが、そこがすっぽり抜けていてもうほんとに急。途中ケンカ相手の西条くんが東に呼び出されいきなり世界が終わるから少女を助けてとか言われて「大事な話ってそれかよ!!!」とキレるシーンは全くもってその通り。あれがある意味この映画の視聴者の反応でもある。いきなり物語が展開していきなり世界の終わりを告げられていきなり鉄塔の上で雷に打たれる女の子がいて「いや急になんだよ!!!」と言いたくなる。 一度、しっかり長編としてみたい映画だなとは思いました。現時点ではちょっと。エンディングの曲の時間すらもったいない。[インターネット(邦画)] 3点(2022-09-12 21:27:12)《改行有》

65.  星の子 《ネタバレ》 結論から言うと、ちょっと何を伝えたいのかがわからない映画でした。宗教というものを内から見るか外から見るか、ちょうどその境目にいる少女ちひろにスポットを当てたストーリー。彼女の両親は彼女の命を救ってくれた(と思っている)その宗教にどっぷりで、同時にその水の力も信じ切っている。誰かにまやかしだと諭されても耳に入らないほどに。一方でちひろはその宗教には属してない親戚や学校関係の人間ともたくさん交流があるが、概して彼らはそういう宗教を煙たがっていたり批判的。自分はどちらに属するべきなのか、結局最後まで彼女の心は決まってないように思えた。自分の両側から両親に大事そうに抱き抱えられながら、でも本人はなんだか苦しそうに見えた。これから彼女はどういう結論を出すのだろう。 やたらと人を誘ったり物を勧めてきたりしなければ、個人的には特定の宗教を毛嫌いしたりはしない。それぞれの裁量で好きにしてくれれば良いと思う。が、えてして大体の宗教は人集めやひいては金集めにえらくご執心のように思える。明らかに関心ないなって人に対して、ズイズイと土足で踏み込んでくるように勧誘したりする人も見たことがある。気弱な人ほど話を聞いちゃったりして悪質なキャッチと何が違うのか、いつも不思議に思う。そもそも、「信心が大事」と言いながらお金や財産を提供することが必要とされることがもうすでにバカバカしい。心だけあればいいんでしょ?いったいどんな人たちがどの程度本気でその宗教に入ってるんだろう、なんてそんなことを考えたりする。 今はちょうど世間で統一教会の問題がクローズアップされている。別にだからというわけでは無いが、普段から宗教に対して思っている意見を再認識できた映画であった。つまり何が言いたいかというと、小さな子どもや学生などに言うことと同じで、宗教も「人に迷惑かけないのであれば何を信じていても自由」だと思っています。それが、やたらと誰かを勧誘したり、何か買うことを勧めたり、ということになってくると違うと思う。作中であった、ちひろの両親が公園で布に水を掛け合うシーンなども、やはり公の場でやることとしてはそれは異様で、他者からどう見えるかが認識できていないという点ではやはり迷惑だと思う。確かにあの公園は通りたくない。 ここに書いたのは個人的な宗教観です。あしからず。 人はそれぞれ何かを信じています。それが「宗教」と名のつくものであったり、誰か人であったりモノであったり、人によってそれは様々だと思いますが、私はそれは本当に自由なもので、だからこそ誰にも絶対的に不可侵な自分だけのものであって欲しいと思います。同じ思想の人がたくさんいるとか、誰かもやってるからやるとか、いたずらに外側に出すべきものでない。なんだか宗教が嫌いな理由が整理された映画になってしまいました。そういう意味では良い映画かも。[インターネット(邦画)] 4点(2022-09-12 19:23:10)《改行有》

66.  水曜日が消えた 《ネタバレ》 とても設定が面白い映画だった。曜日ごとに人格が変わる七重人格者。しかし実際にはその中の「火曜日」のみを中心に話は転がり始める。「火曜日」は火曜日にできることしかできない。火曜日のテレビしか見れないし火曜が定休のお店にはずっと入れない。そんな「火曜日」がある日目覚めたら水曜だった。戸惑いながらも行けなかった図書館に行き、そこで魅力的な女性と会ってウキウキな「火曜日」。そこでふと思う。 あれ、「水曜日」ってどうなった? 観客は見たこともない「水曜日」の存在が気になり、想像を働かせる。水曜は音楽好き?ロックないでたち?瑞野さんとはどんな関係?ていうか他の曜日は大丈夫なの? キャスティングもとても役柄に合っていたと思う。主演の中村倫也さんはなんだか中性的な人だし、色んな人格がそれぞれに彼の雰囲気に当てはまる。違和感なく見ていられた。 どれかの人格が一人くらいこれまで夜更かししようともしなかったのかとかそういう野暮なツッコミは置いといて、他の曜日とふせんでやりとり、家中に他の曜日からのメッセージがあふれているというのがなんだか不思議な世界観で引き込まれた。 個人的に特に良かったのはエンドロールでの曜日間でのふせんのやりとり。あれは面白い。みているだけでなんだか頬が緩みます。もともとこんなふうに成立していた7人の生活が、今回たまたま荒れちゃった部分を切り取って映画にしたんだよね、って感じ。 実際に多重人格の人がいれば日常生活は大変だろうしましてや七重人格なんて本当に苦労するだろう。そういう意味ではとてもシリアスな状況を描いた話なのだが、全体としてなんだかシュっとした、スマートな雰囲気を感じた。もちろん多重人格によって話が荒れるシーンもあるのだが、あくまで「曜日で替わる人格」というところにスポットを当ててブレないストーリー描写のおかげで観ているほうもテーマに迷うことはなかった。 これは是非エンドロールまでじっくり全て観て欲しいと思います。良作です。[インターネット(邦画)] 9点(2022-09-09 18:20:43)《改行有》

67.  ようこそ映画音響の世界へ 《ネタバレ》 ドキュメンタリーの形をとっての「映画音響」をテーマとしての映画であったが、大変見応えのある映画だった。蓄音機から始まる「音」への映画のアプローチがものすごく興味深い。映画界、特に音響の分野を目指している若者はこの映画を見るべきだと思う。素人の私からして、映画音響の考え方に取り憑かれるような内容だ。 本当の初期の頃には映画館に本物のオーケストラが張り付き演奏し、セリフもその場で役者が当てるような形で行われていた。そこから徐々に声の録音、効果音の作成、それらの編集と目まぐるしく出来ることが増え技術が進歩し、今に至る。 音や声の作成と同じく、それを出力する手段も同時に進歩していく。スクリーンの裏に一つしかなかったモノスピーカーが両サイドに一つずつ配置されるステレオスピーカーになり、やがて館内を360°カバーする5.1chサウンドとなり。 正直私は音に対してこれまでそこまで真摯に向き合ってはこなかった。聞きやすいか聞き取りにくいか、強いて言えばそれくらいの判断基準しか持ち合わせてこなかった。私も作中に出てきた映画製作会社の幹部たちと同様、「音」に対してそこまで真剣に考えたことがなくどちらかと言うと軽視してきた人間ということだろう。だが、ここまでの音響世界での足跡とその軌跡を見るにあたって、当たり前に自分たちが楽しんできたあの音たちは当たり前ではなかったんだと思えるようになった。10分程度の長さの音を作るために数週間を要する。それはひょっとしたら、映画にとって音と双璧をなす映像よりも時間のかかる緻密な作業が必要なのかも知れない。 単に効果音と言っても、動物の声などを組み合わせた効果音や、道具を駆使して自分たちで音を創り出すフォーリー、風などの環境音など、そこにも様々な分野があることを知った。ジェット機の音にライオンや猿の声が入っていたなんて、本当に驚きだ。 そう言ったことを知っていき、驚く反面、技術の進歩に伴ってリアルな音、というのが軽視されていないかということが心配になってきた。個人的な見方だけど、観客へのインパクトを重視するあまり、またどんな音でも工夫や時間次第で創り出せる今の技術下では、実際の音よりもインパクトや驚きを演出するため加工しているのではないか、と。そうなってくると少し違うような気もしてくる。上述したジェット機の音にしても、「本物は意外と大したことなかった」と、それ以外の音を加えて編集して客にこれはジェット機だと聴かせているが、それが正解なのかどうかは個人的に疑問が残る。R2D2などの機械のしゃべりや、非現実の事象の音に対してその音を作るために様々な工夫はあって良いと思うが、実際存在するものを「インパクトが足りない」と違う音で演出するのには違和感を覚えた。あくまで個人的な見方です。あしからず。 しかしそれはそれとして、音に対する考え方、その姿勢にとても感銘を受けたことは間違いない。 私は今年40歳だが、産まれてからここまで世界の技術革新と共に歩んできた、そういう時代とともに育ってきたという自負があります。物心ついた時には小さなブラウン管、ファミコン、ワープロやフロッピーだったのが、今や60インチ近くの有機ELテレビ、PS5やスマホゲーム、テラバイトの容量を持つPCなどを個人で所有するような時代となった。 同じように音の世界の技術革新に触れ、それを飽くことなく追いかけて形にし続けてきた先人たちに素直にリスペクトの念を抱かざるを得ない。素晴らしいドキュメンタリーでした。[インターネット(字幕)] 9点(2022-09-07 01:33:48)《改行有》

68.  轢き逃げ 最高の最悪な日 《ネタバレ》 冒頭から轢き逃げが起こるまでおよそ5分。その5分はまるで運転免許講習で見せられるビデオのように典型的なパターンですね。そのままそれに使えるんじゃないかと思いました。 事故が起きやすいようにある程度誰かにお膳立てされていたとは言え、道のど真ん中にいた人を轢くなんてただただ運転の注意不足と技術不足なんではないかと思ってしまう。 よく人に話をすることがあるのですが、必ず言うのが、「その日の朝出かける時に、自分がその日事故をしたり事故に遭ったりなんてことを知ってる人なんていない。事故に関わる可能性をゼロには出来ないが、ゼロに近づける努力はできる。交通事故は被害者も加害者も最悪。どちらにもならないように気をつけよう。」ということです。起こってから後悔しても遅い、ということを教えてくれる、ある意味教習ビデオよりわかりやすい教材でした(笑) ただ、、、こんな言い方をしてはなんですが、車の轢き逃げがそこまでニュースバリューがあることが少し不自然と感じました。その日の夕方のニュースではもうトップニュース扱いになり、翌日の新聞も一面に掲載されるという。逆に、轢き逃げがそれくらい大きく扱えるような平和な日本の話なんだなと感心しました。 轢き逃げをした秀一の、あるまでテレビ的に盛り上がるようにじわじわ追い詰める輝は、はっきり言って本当に「テレビ的な演出」としてのキャラの価値しかなかったように想う。それくらい人物に独自性がなく、ああ、そのためだけにこさえられたキャストなんだなあとか思ってしまった。 「轢き逃げ」というある意味リアリティのあるテーマに対して、内容ももう少しリアリティの感じられるものにして欲しかったのが本音のところです。[インターネット(邦画)] 6点(2022-09-06 00:53:31)《改行有》

69.  植物図鑑 運命の恋、ひろいました 《ネタバレ》 なんだか久しぶりにただただ眩しい恋愛映画を観たなぁって感じです。だいぶ昔に書籍も読んだはずで、うっすら内容も思い出しました。 「雑草なんて草はない」「全て名前がある」 というセリフはよく覚えています。いろんな他のことにも当てはまる言葉で、素敵なセリフだと思う。 樹くんが料理も出来て性格もしっかりしている青年であるだけに、あの出会いかたはちょっとなー、、、と思うのは私だけでしょうか。 「良かったらおれを拾ってくれませんか。」「しつけのできたいい子です。」 いやあ、ないわあ。 その流れであっさり拾っちゃうさやかもやはりあり得ない。 あと、さやかの仕事での空虚さを出すための演出なのでしょうが、内見で客に迫られるシーンとか必要ですかね? 原作の設定をなぞらえただけですし仕方ないとは思うのですが、それ以外はとても気に入っています。 自分自身料理が好きですし、料理のシーンがあるのは見ていて楽しい。さすがに野草をとったりはしませんが、ワラビやノビルのレシピには興味ありますね。料理には興味があるのですが、野草には全く興味がないので、植物図鑑買って野草の種類覚えようとは一ミリも思いませんけど(笑) でも本来は全く興味の無いことでも、好きな人の好きなものだと思ったらハマれるって不思議ですね。でも確かにそういうことは起こるし、そういう意味でもいい恋愛映画だと思いました。色々あり得ないと思う部分もある映画ですが、マンガみたいだけどこんな恋愛してみたいなっていうのを擬似的に体験できる映画だとも思う。私は嫌いじゃない。[インターネット(邦画)] 7点(2022-09-03 00:25:55)《改行有》

70.  羊とオオカミの恋と殺人 《ネタバレ》 宮市さんが本当におとぎ話から出てきた人のように綺麗で人形のようで、実写映画なのに逆に現実味がなくてそれが物語ともうまくマッチしていたように思う。 殺人をネタとして扱うこの映画の手法にはひょっとしたら賛否あるのかもしれない。世間的な悪者だけ殺されてるってわけでもなさそうだし。彼女がただ気に食わなかっただけの犠牲者もたくさんいたことだろう。それでも特に不快感に襲われることもなく鑑賞することができた。いい意味で、殺人と殺人鬼というものを受け入れて見ることができた映画だと思う。 たまーにテレビやネットの世間の人の声で聞こえるのは、「教育に悪いからドラマで未成年(という設定の人物)にタバコ吸わせるな」「自転車にノーヘルで2ケツするな」とか聞きますが、ナンセンス極まりないと思う。そんな声を聞くたびに、「じゃあ火サスで殺人とか、名探偵コナンは何故いいの?ワイスピには何にも言わないの?」などと思ってしまう。誰かが殺人を犯したって事件が起ころうが、殺人を扱うドラマや映画は全然普通にメディアに流されます。真剣に作品を楽しんではいるが、作り物、ということはきちんと認識して一線を引きながら楽しむことが何故できないのか。この映画はそういう一線の画し方を少し身近に感じさせてくれたと思いました。 少し物足りなかった点は二つ。宮市さんが黒須が叫ぶまで殺人を見られていたことに気づいていなかったことと、春子が兄の川崎さんの本当の部屋を見なかったこと。 前者は、あれだけ手の込んだ死体処理をする人たちがあんな壁の穴に気づかないのは話の流れ上不自然と思ったこと。殺した後、壁紙や壁の絵まで入れ替えたりするのに、穴に気づかないって、いやいや。 後者はやはり妹にも兄の異常性に気づいて欲しかったかな。別にタイまで行ったとかいう設定にしなくても、兄が異常ということを知ればその時点で彼がどこで何してようが居場所がどうこうなんてことは忘れられるんじゃなかろうか。ということよりも、信じてた兄があんなんだったと知った家族の反応が気になった。ひょっとしたらそこから他の家族もおかしいとわかっていったりして、という勝手なストーリーも妄想しました。 殺人というものをテーマに据えながら同時にコメディのように見せるこういうやり方は、本当なら個人的には好きではない流れだと思ったんですが、想定していたよりとても面白かったです。黒須くんが羨ましいとか思ってしまったりして。 殺人鬼が面白い、なんてあまり世間的に言えたことではありませんが、だからこそ作品として楽しめました。[インターネット(邦画)] 8点(2022-08-30 09:40:35)《改行有》

71.  明日の食卓 《ネタバレ》 同じ名前(正確には同じ読み)の息子を持つ別々の三組の親子を描いた映画。ライターの母、専業主婦の母、大阪の母。それぞれの家庭がそれぞれに問題を抱え、それを赤裸々に粛々と描いている。特徴的なのはそれぞれの子どもたちの心情がある程度描かれている点。それぞれの石橋ユウが、母親や自分の家庭に対して心の声を上げます。私達の暮らしでも、実際誰が何を考えてるかなんて正直わかりません。母子の関係でもそうだと思いますし、わかってるつもりでいたら何かあった時になおさら動揺することになるでしょう。この話の母親たちのように。母親は子どものことを最後まで信じてあげたいと思う反面、当の子どもたちはそうじゃない、自分たちはそんないい子じゃないんだということを伝えたい。でも両者ともお互いに愛されたいし愛したいと思っている。そんな切ない話でした。 個人的には大阪の母編が好きな話かな。頑張る母と優しい子どもが通じ合ってるシーンは見るだけで何だかホッとします。子どもがあり得ないくらい優しくて敏感に何でも気付くのがちょっと文字通りあり得ないかなと思うんだけど、でもそんな感覚でいるとこの母親達のように突然面食らってしまったりするんでしょうね。 あとの二組の家庭は少し壊れすぎかな。いや全然こんな家庭あり得るんだろうけど、見ていて不快感は強かった。特にサイコパス息子とリビングでプール親父はあり得ない。プール親父のキレ方ったら、演技だとしてもひどい。キツいもの見ちゃったなという感覚は拭えない。 どこの家庭も決めのワンシーンのように子どもとハグをするが、ハグが特別な場面のものみたいになっちゃってる時点で母と子の距離は遠かったんだろう。たぶん、家庭に問題のないところではハグなんて日常的なんではないだろうか。ぎゅっと抱きしめられて嬉しくなかったり安心しない子どもはいないだろう。いや大人でも多分一緒だ。愛し合えてる、求め合えてると確認し合えるし、言葉では説明できないことが伝わることもあるだろう。 自分にとって一番大切なものは何か。仕事?家庭?夫?友人?子ども?そういったものを見直すきっかけになる映画と思いました。[インターネット(邦画)] 6点(2022-08-30 01:53:44)《改行有》

72.  影踏み 《ネタバレ》 かつて空き巣=「ノビ師」として有名だった真壁はある議員宅に「仕事」に行った際にかつての旧友でもある刑事の吉川に捕まってしまう。その後刑務所で刑に服し、出所したところから話は始まる。 真壁が捕まった日に本当は何があったのかを探るミステリーと、双子の関係性について描いた作品。私は双子ではありませんが、やはり同じ人を好きになったりする確率は高いんでしょうかね。 「同じ顔をしている」というところが彼らとしては大事なところなんだろうか。それ以外は別に双子でなくてもよくある話のような気がする。自分の持ってないものを持っていたり、欲しかったものを取られたり、そんなのは双子でなくても兄弟がいれば日常茶飯事だとも思う。いや、何なら兄弟じゃなくても、友人や知人など、誰かと生活してればそんなのはよくあることだろう。となるとやはり双子で、同じ顔を持つ者にそれをされるのが堪え難かったということ。「同じ顔をしてるのに何であいつだけ」「俺とあいつの何が違うんだ」という感情は芽生えるのかもしれない。けれど、どんなに同じ顔でも同じDNAを持っていたとしても、人が二人いる以上彼らはそれぞれ別の人格で別の人生を持っている。本体と影では本質が全く異なるように、彼らも「自分は自分」という意志を持って生きてほしかった。 そういった生き方を出来ずにただひたすら自分の影を踏み続けた彼ら。影が嫌になった時、その影から離れるか、影を消しにかかるのか、、、自分ならどうするだろうか。[インターネット(邦画)] 7点(2022-08-30 01:52:33)《改行有》

73.  クワイエット・プレイス 破られた沈黙 《ネタバレ》 だいぶ前に一作目を鑑賞して今回思い出したように二作目の鑑賞に至りました。設定はよく覚えていたのでそれを基に鑑賞開始。ああそうそう、音たてたらあいつら出てくるんだった。 二作目で何か深まったかというと、別段何も深まってない、ただ続きの話を展開されただけという印象です。まあそれはそれでいいんですが、新たな設定としてやつら泳げないっていうのは、いささか稚拙かなと感じました。そんな設定なら、沖合いに大音量のラジカセ積んだ無人ボートかなんか一隻浮かせておけば、やつら次々と海に飛び込んで死んでいくのでは??それこそ絶滅するまでそれを続ければいい。なので泳げない設定は蛇足だなーと感じた。 この『クワイエットプレイス』は、「音をたてられない」というのがとても特徴的な作品。よって全編通してサイレントな展開が多いです。そういった特徴を今回も前面に出してきていたのは良かったと思います。それ以外はなんだか普通のモンスターホラー映画になっちゃったと感じました。家族から離れて一人でどっか行って、それを誰かが連れ戻しに行って、残ったほうも襲われて挙句ロックをミスって閉じ込められるとか、いずれもどっかで観たことあるようなシーンばかり。まあこれだけ色々映像作品見ていれば似たような展開のものも増えてくるのは必然なのですが、もっと独特なものが欲しかったというのはゼイタク?? あと終盤の桟橋に出てきたゾンビのような顔色の一団は何だったんでしょうか?ただの人間なんですか?あんなん説明されてましたっけ?何か見逃したかな?いろんな「?」が浮かんだシーンでした。 まだ続編も作ろうと思えば作れると思いますが、作るならやはり前作を超えるものを作って欲しいものです。期待。[インターネット(邦画)] 6点(2022-08-23 01:03:43)《改行有》

74.  37セカンズ 《ネタバレ》 ひたすら脳性麻痺の人はかわいそうだねみたいな内容の映画だったら嫌だな、という感想を持ちながら前半を観ていた。好きな人と結ばれたいと思うのは誰しも願うこと。だけどどんなに容姿が良くて性格が良くてお金があって秀才だったとしても、本当に自分が好きな人と自分の思い通りのタイミングで結ばれるなんてほぼほぼあり得ない。少し厳しい言い方になるかもしれないが、そういうことが思い通りにならないのが障害のせいだなんて、逆に意識しすぎだと感じる。脳性麻痺ではないが、自分も障害を持つ人に恋をしたことがあるので、余計にそう感じる。結局は自分に合うか合わないかというシンプルなことだと思うのだが。 そんなふうに思っていたら、車椅子で人生を謳歌している人が現れその連れ合いの女性と仲良くなり、脳性麻痺の障害を持つ女性ユマは新しいドアを開けることになった。その連れ合いの女性舞さんはユマには最初刺激が強かったとは思うが、23くらいの女性にとって知っていても別段不思議ではない大人の世界を見せてあげる。ただ面白がって夜遊びに連れ回すだけではなく、ユマと母親の関係性まで考えてくれる、とても出来た女性だと思った。介護士?の俊君も立派だとは思うが、彼についてはあまりどんな人か描写されるシーンが少なくて、ユマについてタイまで一緒に行って仕事は?、とかある意味この映画で一番謎なキャラクターだったかもしれない。 映画だから少し大袈裟に表現したのであろうが、仕事のパートナーのサヤカという子はひどかったな。いや性格はもちろんなんですが、あんな扱いをしたら自分が捨てられるってわかりそうなものだが。どうせユマにはそんなことできないとでもたかを括っていたんだろうか。ユマが独立しようとしている動きに気付いていたはずなのに、それであの対応しか出来ないとか終わっている。あれは要らなかったな。 人の内面から来る良さに、障害なんて関係ないと思う。五体満足無障害の人でも内面が腐ってる人なんていくらでもいるし。だがやはり、実際の生活ではいろんな苦労があるだろう。そういった生活に関わる難しさを持ちながら、存在も知らなかった双子の姉に会いにタイに行くというのは、すごいエネルギーを感じた。その行動力に感動した。自分も、何かに対してそれくらいの行動力を出してもいいんじゃないかと刺激になりました。 てかどうでもいいことですが、彼女パスポートは持ってたんですね。あの母親の性格からしてそんなもの持たせなさそうですけど。そんな重箱の隅に残った栗きんとんのかけら程度のことが少し気になりました。失礼しました。良作です。[インターネット(邦画)] 8点(2022-08-20 01:10:15)(良:1票) 《改行有》

75.  サイダーのように言葉が湧き上がる 《ネタバレ》 これを書いてる時点でまだ誰かのレビューを見たわけではないですが、なんだか「作画が…」とか書かれてそうだな。個人的にはそれも含めて楽しかった。なんだか学生の文化祭を観ているような気持ちで見ていました。もちろん、良い意味で。 その上で身もふたもないことを言わせてもらえば、映画を楽しんだというよりも、そこに込められたメッセージやテーマに思案を巡らせることを楽しむようになってきてしまっている私がいます。この映画で言えば、チェリーの俳句への創作意欲とそれを誰かに認めてほしい承認欲求、さらにスマイルの出っ歯へのコンプレックス。それらが交互に混ざり合って、一つのストーリーになっていたと思いました。チェリーとスマイル以外は丁寧に描かれていたのは藤山さんくらいかな。ジャパンとかビーバーとか、なぜその名前?とか思うキャラはたくさんいたし、スマイルの家の裕福具合とか色々気になることはあったけど、あえて説明は削ったのかな。書籍もあるようだがそちらでは描かれているんだろうか。モールの物品をかっぱらったり想い出のレコードを割ってしまったりなど、割と洒落にならないことをやっているがコミカルに描けているのはアニメの特性かな。なんにせよ、単体の映画としても楽しめる作品だった。 私もスマホのカバーに小さな辞書を仕込みたくなりました。すぐに検索しましたが、あんな造りになってるカバーは無いようです(もちろん本も、泣)私もデジタル画面より、紙のほうが好きだなあ。自分のルーティンにを大事にしていたり、探し物に夢中になったり、好きな子に見られないかもと分かっていながらこっそりメッセージを発信してその行方を気にしたり。。。色々共感できるシーンがありました。 上述したように、映画を楽しんだ、と言うよりもそこに込められていたメッセージやそれに共鳴した自分の何かにひどく反応してしまった、そういう作品だったと思う。だから、私の感想は多分他の人には伝わらないかもな。そんなレビューですんません(汗) 一点だけ不満を述べさせてもらうなら、最後の俳句を詠み上げるシーンは、ちゃんと五七五のリズムで詠んで欲しかったな。[インターネット(邦画)] 8点(2022-08-16 00:58:20)《改行有》

76.  打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?(2017) 《ネタバレ》 花火大会を見に行くと、たまにドラ◯もんやミ◯キーの柄で上がる花火を見かけることがある。たまたまそれがこちらの正面を向いて上がれば綺麗な柄として眺められるのだが、横を向いているとなんの絵柄だかさっぱりわからない。つまり、花火は平べったいはずだ。でも、通常の円形の花火では角度によってそんなことになるのは見たことがない。平べったいのは絵柄花火限定かな。そんなことを思いながら映画を見ていた。 映画でも、花火の形が実際どうであるかなんて大した問題ではない。でもそういう日常の一コマを切り取って一つのテーマやきっかけとするやり方が、ひどく魅力的に思えた。繰り返しのタイムリープの結果、彼らがどんな形に落ち着いたのかは分からないが、少なくとも典道やなずなや、祐介たちも打ち上げ花火を見るたびにこの時のことを思い出すんじゃないだろうか。思い出す時期にもよるが、仮に失恋の記憶だったとしても、この時のことは不思議で澄んだ青春の記憶として残ると思う。 何か一つ掛け違えただけで全く流れが変わってしまうことがある。なずなが好きなはずの祐介が、展開次第で全く逆の結論を出してしまったり、また違う未来では典道の抜け駆けに逆上して典道を殴ったり。 現実にはあの球は無い。願い事を言って投げれば願いを叶えてくれるあの球は。でも、いくつかに分かれた未来のうちの一つの形に過ぎないとしても、自分と駆け落ちしようとしたなずなは現実で、それを糧に生きていけるなら幸せだなと思う。 失礼な言い方かもしれないが、映画を楽しんだ、と言うよりかそこから考えたことや自分の振り返りに時間を使えて有意義だった、という感じがする。『時をかける少女』以降タイムリープの物語なんて珍しくもないかもしれない。けど花火の形なんて、日常のなんでもない話題から始まるストーリーというのも良いなと思った。良かったです。[インターネット(邦画)] 7点(2022-08-13 13:03:24)《改行有》

77.  22年目の告白 -私が殺人犯です- 《ネタバレ》 率直に、どういう話だろうという興味で見始めました。あらすじもざっと読み飛ばした程度でとにかく鑑賞し始めました。ちょうど時効制度が効力を持つギリギリのタイミングで殺人を行なった犯人が、時効になった途端世間に堂々と顔を出し挙げ句、「私が犯人です」と公表する。さらにその事件を扱った手記まで出版し、なんなら彼の整った顔立ちも手伝ってある種特殊な有名人として扱われるようになるという。 まあこれはいわば創作の話なので、実際このようなことがあったときに世間がどんな反応をするかはわかりませんが、私は曾根崎がなぜかヒーローのように崇められたりソネ様などと人気が出ることに違和感を覚えます。ただの時効を迎えた殺人犯になんで人気が出るのだろう。話題性があれば、それが自分で5人も残虐な方法で人を殺したと言ってるような奴でもなんでも人々は受け入れるのだろうか。人々なんてそんな無節操なもんだよ、と言われているようでなんだか少しイライラした。 似たような話で、最近安倍元総理を撃ち殺したとして捕まっている山口容疑者なる人物がいますが、彼に対しても一部では同情票があったりなんならカッコいいといった意見があったりするようだ。彼はある種、特定の宗教やそれに関わる政治家への世間の不満を代弁したような形になって、世間からそこまで悪くは言われない。今のところ、「山口狂ってる」とか「彼を早く死刑にしろ」などという声や聞こえてこない。起きた事件の割にはけっこう世間は冷静に彼を見ているように思えた。それが正しいかどうかは知らないが。 もし自分がこのような殺人の犯罪被害者であったらどうするだろう。最愛の人を目の前でこのように殺されて。たぶん私は司法には委ねない。ラストのピアスのような行動に出るかもしれない。東野圭吾氏作『さまよう刃』でも同じことを思った。やはり感情として、そのようなことをしでかした犯人が一般人のように、いや一般人どころか侵した罪のおかげで有名になってチヤホヤされるような状況で、しれっと能書きを垂れたりするのを目の当たりにすると、殺意が湧きますよね。ピアスや、夏帆さん演じる遺族の少女の気持ちがよくわかった。 法に裁かれるべきだ、というのはよく聞かれる言葉だし真っ当だ。しかし、近年になってその法の存在自体が揺らいでいるように思える。それを作り運用する人々の信用が失われてきているせいだろう。自分に都合のよいように法律を解釈したり変えたり作ったり。この映画の主題とは違うかもですが、そろそろそんな時代に限界がきているのでは、と想いを馳せた作品となりました。興味深く拝見できました。[インターネット(邦画)] 7点(2022-08-09 01:36:19)《改行有》

78.  きみと、波にのれたら 《ネタバレ》 恋人の影を追って水筒を持ち歩いたり、巨大スナメリビニール人形に水を詰めて町に出たり。私はそういう子、嫌いではない。むしろ興味津々に話しかけたりするかもしれない。自分が周りからどう見えるかほとんど考えていないところは、少し怖いですが。でも周りからどう思われようが、気持ちが走って隠しようがなくなるのはとても理解できる。笑顔で会話なんてできなくなるし、仕事も手につかなくなるし、常に塞ぎ込んで楽しい気持ちになんて一ミリもなれない。様子がおかしいと励まされたり声をかけてもらっても、頭の中はそのことしかなくて。愛想笑いくらいしても心は全然別のところにあって、そんな状態が何年も続く。 ずっと一緒にいる、何年経っても何十年経っても、というセリフに縛られながら、でもミナトとの訣別を迫られるし、なんなら自分でもそうしなければいけないということを理性ではわかっている。でも感情がそうはいかない。そんな葛藤を感じられる映画でした。 アニメだから成立していることがたくさんありました。死んだ恋人が水に投影されるだけならともかく、落とした携帯がエレベーターのように水に持ち上げられたり、ビル一棟がまるまる水に囲まれてその屋上からサーフィンとか、アニメじゃないとあり得ないですね。上述したスナメリ人形の持ち歩きなども、情景としてリアルならおそらく見れたもんじゃないだろう。良くも悪くも、アニメだなと実感しました。 水の前で特定の歌を口ずさむとミナトの姿が現れる、逆に言うと歌わないと現れない。その設定のせいで少し歌が耳タコでした。例えば歌によってひな子のおじいちゃんが出てくるとか、顔も知らない誰かが出てくるとか、バリエーションがあったらまた違う面白さがあったかも。少し話が一本槍すぎたかな。[インターネット(邦画)] 6点(2022-08-07 11:07:42)《改行有》

79.  羊の木 《ネタバレ》 まず大前提として、その人が本当は犯罪者だろうが一般人だろうが、初対面の人間に恐る恐る探りを入れながら話したり、色々質問ばかりされるのは至って普通なこと。まして新しく町にやってきていきなり新生活を始める大人が6人もいて、しかも小さな町でというなら質問攻めに合うくらいのことは当然だろう。どの登場人物も表現の違いはあれ、「私、元受刑者で人殺しなんです。察してね」オーラを出していてそこが余計な演出でくどく感じた。「私、今から一般人ですから!どうも!」くらいのほうがむしろ自然な気がする。 あと不自然なのは市役所の課長でしょうか。いや、直轄案件って。。。そんなん実際あるんかな。いや無いだろうな。あったとして、あんなセキュリティガバガバな人にそんな案件持ち込まんだろうな。私もこういうお役所の人とたまに接することがあるんですが、なんでこういう人たちって上のご機嫌伺いばかりで思考がフリーズしてる人ばかりなんでしょうね。こんな案件、ちょっと考えれば町の人口増加で地域振興になるどころか、犯罪者を呼び寄せる町だとバレて人口流出するリスクしかないだろう。あの課長が市長からなんかお手当てでももらっていればまだ現実味があったわ。 ここからは個人的な感想です。この映画のテーマの一つとして、出所した元犯罪者(人殺し)を一般人と同じように扱えるか、というものがあると思います。私は実際にそういう人にお会いしたことはありませんので、あくまでこうなるだろうなという想像しか語れませんが、たぶん私は平気で接することができると思います。もちろん相手の性別や容貌や性格によりますが、でも相手の性別や容貌や性格で接し方を変えるのは、別に相手が刑務所出じゃなくてもそうするので、それで良いかなと思っています。元受刑者、というのがその人との付き合いを考える上で全く無視できる要素とは言いませんが、逆に言えば他にもいろんな要素があるうちの一つに過ぎません。ちなみに私は体に障害があり、別にそれを聞かれれば答えるし隠してるわけではありませんが、それをことさら人前でアピールして人付き合いしようとは思ってません。この元受刑者たちがやってることはそういうことですよね。「元受刑者ってバレたらどうしよう」とか「おれ、人殺しなんだよね」とか自分から言い出すとか、「私に構って」というメッセージにしか聞こえない。大人6人の話でしたが、そういう意味では中学生みたいな話だなと思って見ていました。ありがちな、極端に元受刑者を差別するような話にも思えて、少し嫌悪感も抱きました。 この映画では結果として6人中2人が更生できなかったことになる。これが割合として多いのか少ないのかはわかりませんが、作中の魚深市役所の市長や課長の目論見は机上の空論でしかないということはわかったことでしょう。そんなに受け入れたければ市役所に勤めさせて全員あんたらの秘書にでもすればいいのに。もちろん住居はあんたらが世話して見つかるまではあんたらの家ね。どっかの議員や役所の偉いさんの思いつきみたいなアホなアイデアを真剣にやらされる現場の方の苦労をお察しします。なんかそんなふうに社会風刺として楽しめた映画でした。ちょっと違う楽しみ方だったかもしれませんが、個人の意見として、あしからずご了承ください。[インターネット(邦画)] 7点(2022-08-05 21:46:15)《改行有》

80.  砕け散るところを見せてあげる 《ネタバレ》 「目に見えないし手も届かない。あるって言っても誰も信じてくれない、私の空のUFO」 清澄と玻璃が共有したこのUFOは、何だかとても心に残りました。ちょくちょく出てくる何だか子供騙しにも思えるCGの UFOは、普段なら失笑ものなんでしょうが、何故だかこの映画では笑えない、二人の心中を表すとても大事な心象風景となっていました。 「いつからか、玻璃のUFOはおれたちのUFOになっていた」 きっとUFO=不条理に降りかかってくる不幸、もやもやした感情、自分にまとわりつく悪環境、のようなものを指しているんだろう。そういう意味では私の頭上にもずっとUFOは浮かんでいる。 玻璃の喋りかたのせいか、話の進み方はとてもゆっくりしているのに、何故ここまで見入ってしまったんだろうか。一分数えてと言われたらきっちり一分を計り、おしるこのお餅をもらったことに素直に感動し、その優しさに素直に感謝し。。。玻璃の表現の一つひとつが微笑ましく沁み渡る。とても良い子だ。悲しいくらい。 玻璃の父、堤真一さんが出てきたあたりから話は急変する。鑑賞前に見たあらすじから、玻璃に何か後ろ暗い過去や猟奇的な一面でもあるのかと思ったら、そういう話ではなかった。 そして、父親の存在となぜか荒れきってる玻璃のクラスの雰囲気が少し唐突感はあった。父は何故あんなふうになってしまったのか、学校は全体的に落ち着いて見えたが何故あのクラスだけあんなことになっていたのか、もう少し背景を知りたい気がした。 おばあさんの件があってもまだ父を信じようとしていた玻璃も、お母さんのスーツケースとピアスを見つけた瞬間に父を信じようとしていた気持ちは嫌悪・憎しみに変わっていった。最終的にそれは殺意となるわけだが当然のことだと思えた。 事件のショックで記憶を失い一時は清澄と離れてしまったとは言え、二人がまた出会えてしかも結ばれたことは本当に嬉しかった。清澄は本当の玻璃はあの事件の日に置き去りになっていると表現していましたが、それでもなお二人が新しい二人として関係を始められたことに意味があると思う。人と人との深い心の結びつきや、人の心の醜さ・温もりなどを同時に感じる映画だった。タイトルの指すところがわかりにくいが、エンディングの歌もじっくり聴き入ることができて、じんときました。文句なく良作です。[インターネット(邦画)] 9点(2022-08-04 16:35:26)《改行有》

080.89%
1171.89%
2242.67%
3758.33%
49010.00%
511212.44%
617319.22%
717419.33%
811913.22%
9758.33%
10333.67%

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS