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タイトル名 |
ベティ・ブルー/愛と激情の日々 |
レビュワー |
feroさん |
点数 |
8点 |
投稿日時 |
2003-11-04 02:08:57 |
変更日時 |
2004-02-23 22:47:34 |
レビュー内容 |
「インテグラル」の方を観て、はっきりと自分の間違いに気付いた。前にここに書いていたレビューの的外れさに自分で情けなくなった。僕が確信していることは、この映画が「ゾルグとベティの愛」の対立項として「人々の善良なる愚かさ」を挙げていることだ。この物語の登場人物には悪人は一人もいない。ペンキ塗りを命じた雇い主でさえも、悪人には描かれていない。では、何故にベティは死ななければならなかったのか?それは、ベティとその愛情があまりに純粋であったからである。ベネックス監督は何度も何度も、人々の愚かさ・日常に潜む虚無を取り上げている。(妙なネクタイのエディの葬儀、銃で威嚇する若い警官、強盗での警備員、病院から帰ったゾルグが見る白皮症の男ボブと妻の喧嘩 etc.) 薬売りのサーファーに言ったゾルグの言葉「どこもかしこも血の海」は示唆的である。そして、銀行強盗のあとベティの「何のため?バカね。」でゾルグも自らもその愚かな人々の一人であったことに気付く。小説の出版が決まり、ベティの回復を確信したその時には、既にベティは取り返しのつかない状態になっていた。それも、善良でありながら愚かな人々のせいである。ゾルグはベティを愚かな世界から解放し、彼も二人の永遠の愛の世界に戻る。 と、筋道だててみたのだが、ここまで書いて「本当か?」と書いたことに自分でも自信がなくなってきた。しかし、ベティの価値観を軸に話を読み取っていくと、頑なにゾルグとの愛(またはゾルグの尊厳)を守ろうとしたベティの行動と、それに対する「愚かな人々」が鮮明になってくると思うのだがいかがだろうか?この映画の示す情報量からすれば、単に「破滅的な愛の映画」としていいものかと疑問をもったりする。 |
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