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タイトル名 |
ゆれる |
レビュワー |
港のリョーコ横浜横須賀さん |
点数 |
9点 |
投稿日時 |
2008-06-19 00:30:23 |
変更日時 |
2018-12-02 20:19:38 |
レビュー内容 |
私には2歳下の妹がいる。姉妹仲は恐らく普通。私たちはすべてが似て非なる存在のため、家族として当たり前の慈愛、信頼、寛容はあるものの、姉妹であるが故の嫉妬、劣等感、羨望も持ち合わせていることもまた事実だろう。同じ親から生まれ、どれだけ親が平等に扱っていたとしても、環境によって育まれた立場や認識の差は、なかなか変わらないのかもしれない。
事件によって大人しかった兄は豹変し、そんな兄に戸惑う父や弟。それぞれが描く互いのイメージ(認識)がことごとく覆され、沸き起こる不安。人は「家族」という存在に、心のどこかで絶対的価値を求めているのかもしれない。絶対など存在しなと思いつつ、それでもどこかで信じているのかもしれない。だからこそ、その考えが根底から覆された時の絶望感は計り知れない。小さな波紋はじわじわと大きく広がり、心は揺さぶられ、絆も揺るがされ、互いの存在や価値さえも揺るがしてしまうほどの恐怖に変化するのだ。 兄の稔は、必死で自分を助けようとする弟の猛に深い謝意を感じてはいるものの、同時に自尊心を傷つけられ、恥と屈辱を感じてしまう。皮肉なことに、稔自身も父や弟と同様に、自らの認識と違う弟を目の当たりにして戸惑い、不安や恐怖心が生まれてしまったのだろう。証言台で話す猛の表情は悲しいほど無機質で憎しみに満ちているが、その姿を見つめる兄の表情が安堵に満ちているのは、なんとも悲しい。
しかし、猛が偶然見たホームビデオに映し出されていたのは、取り合う手と手から感じられる兄弟の確かな絆。これを見た瞬間、私も猛同様に嗚咽を漏らしてしまった。幼かったあの頃の数々の映像が頭の中を駆け巡り、苦しくなるほど胸が痛んだ。同時に、温かく優しい感情にも包まれた。私は、自分が想像していた以上に妹を大切に想っていたことに気がついたのだ。 本作のように、いつか私たちにも認識のズレを感じる時が来るかもしれない。しかし、私たちにも見えない絆があると信じたい。不安定で不確かなことばかりだが、私と妹との絆だけは消えないで欲しいと願う。
最後に猛が必死に「兄ちゃん、家へ帰ろうよ」と叫ぶ言葉の裏には、「あの頃の二人に帰ろうよ」という願いも込められていたのだろう。そして弟の声に気づき微笑んだ兄の「帰る場所」が、どうか父や猛のいる場所であることを、切に願った。 |
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