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タイトル名 |
旅芸人の記録 |
レビュワー |
Qfwfqさん |
点数 |
10点 |
投稿日時 |
2005-03-03 12:32:13 |
変更日時 |
2005-06-17 02:55:10 |
レビュー内容 |
時間はこの人にとってあまり重要ではないのだろうか。いつも同じことが起きていた(場所)こそが彼にとって重要なのだと思う。記憶から思い出されるのは時間ではなくていつも場所である。時間の旅行が伝えているのは常に不変だった場所だ。ただの場所ではない。記憶としての場所と歴史としての場所が彼の映画ではいつも混在する。そしてここから人物は登場しているかのようだ。人物が、場所から発生しているというのは非常に重要な事で、というのも、アンゲロプロスが生み出す神話的空間の磁場によって時間を越えた普遍性が彼らに与えられるからだ。旅芸人たちには神話の人物名が与えられている。長い時間をかけてさえ、場所が創り出すギリシャ的なものは変わることがない。だが、それではまだ半分足りない。ギリシャはギリシャという場所であると同時にバルカン半島という場所に包まれている。ギリシャ的なものが内なる力だとすればバルカン半島は外力だろう。バルカン半島は民族同士の争いが絶えず、当然ギリシャも巻き込まれた。この辺の歴史は、もう何が何だか分からない。政権交代、内戦、外からの侵略、虐殺・・ひたすらにこれの繰り返し。この凄惨な歴史を語るためにはそれなりの語り手が必要だった。アンゲロプロスが旅芸人に託したもの。それはまさに吟遊詩人の役目だったのだろう。「ヤクセンボーレ!」と叫ぶあの曲の悲しみはもはや言葉で表現などできない。吟遊詩人でありながら、ギリシャ市民が味わった悲劇を彼らも当然味わっている。[DADA]さんが指摘するように遠景の長回しでゆっくり歩く彼らはギリシャの一般大衆でもあり、ここから彼の映画で重要な要素となる大衆と音楽の交差が見えてくる。こんなに贅沢で思索にも富んだ娯楽映画はない。最初に時間はあまり重要ではないと言ったが、例外が一つある。冒頭とラストのシーンだ。全く同じ構図で同じセリフなのにもかかわらず、見る側は全く違う印象でこのシーンを見つめることになる。4時間の長丁場がまるでこのシーンでの時間と空間の再会の為に用意されているのではないかという位の仕掛けだった。映画叙事詩の最高峰。 |
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