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タイトル名 |
ブレードランナー/ファイナル・カット |
レビュワー |
よしのぶさん |
点数 |
7点 |
投稿日時 |
2009-10-11 06:34:15 |
変更日時 |
2009-10-11 06:53:13 |
レビュー内容 |
科学が発達して、人間と人造人間(レプリ)との区別がつかなくなった世界。レプリは感情と移植記憶を持ち、人間との間に愛も生まれる。人間であることとは何か、生命とは何かを問う作品。だがいくら科学が発達しても、人間と見まがう人造人間を造るのは土台無理と思うので感情移入できない。寿命が少ないことに不満なレプリが反乱するが、そもそもロボット三原則を埋め込むとか、人間とすぐ区別がつくデザインにするとか、長年生きて満ち足りた人生の記憶を移植しておけば済む話。レプリを見分けるのに感情テストは笑える。ピッとスキャンすれば判別できそうなものだが。ボスのロイは、処理屋デッカを助けてやり、静かに死ぬ。仲間はみな殺され、自分の死も近いと悟ったロイ。彼の感情は、他人の生命を慈しむまでに発達し、自分の死を受け容れる。「恐怖の連続だろう、それが奴隷の一生だ」「思い出もやがて消える、時が来れば、涙のように、雨のように」感動的な場面だ。雨の未来都市はリプリの心象風景。光の点滅や影、雨、ビル群などで感情を表現する演出手法は芸術的。よくぞここまでと感心する。が、レプリが強制労働に従事してきた辛い過去、美しい宇宙の光景などが言葉でしか紹介されないので、人生ドラマとしての深みに欠ける。創造主の社長に復讐するのはいいが、逃亡の為に人を殺したり、親切なセバスチャンを殺すのはダメ。単なる悪党に堕している。レプリの一人が蛇ダンサーというのも必然性なく、悪趣味。デッカは、レプリを処理するのに何のためらいも無かったが、自分の正体を知ったレイチェルが涙するのを見て、心が動き、彼女に恋する。ロイの死でレプリへの同情は決定的となり、レプリを人間の仲間として受け容れる。ここでもデッカの過去が紹介されていれば、ラストはもっと感動的だったろう。レイチェルがデッカに「テスト受けたことある?」と聞き、夢のユニコーンの折紙が置いてあることから、デッカがレプリであると示唆されるが、これは不要。人間とレプリの心の交わりを描いているのだから、全否定となる。もし記憶を埋め込むとして、ユニコーンは使わないでしょう。ユニコーンの夢は人間の証明とも思えます。ブレードランナーを観た日本人は、「強力わかもと」の夢を見るか?
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