6.《ネタバレ》 ■「明るく楽しい」「不偏不党」がモットーである東宝が、SFとは言えよくぞここまでデスパレートな映画を製作したものだと感心します。あの当時は汚い核兵器である水爆の威力がほぼ頂点に達していた時期なので、あれだけ盛大にICBMを撃ちまくったらそりゃ死の灰が降り注いで全人類が滅亡するでしょう。ハリウッド映画ではよく“核戦争後の世界”というテーマがありますが、そう言えば邦画では皆無ですね。島国日本では水爆2~3発おとされたらもう逃げ場がないですし、放射能の恐ろしさを世界一に理解している国民ですから、当然です。■僧籍を持つ松林宗恵が監督ですから、根底には仏教的な無常観が感じられます。世界情勢の激変に巻き込まれてゆくフランキー堺親子という徹底的に庶民目線の作劇は、東宝特撮映画には珍しく乙羽信子が出演してることもあり、まるで新藤兼人が脚本を手掛けた様な印象です。二階で泣き叫ぶフランキー堺のシーンはあまりにも有名ですが、宝田明と星由里子が無線で「コウフクダッタネ」と交信するシーンでは観るたびに自分は不覚にも泣いちゃいます。流れ星みたいにミサイルが国会議事堂の上に飛んできてからの地獄絵図は、緻密なカット割りも功を奏して未だに強烈なトラウマとなっています。■この映画と言うか東宝という会社の限界は、「戦争は政治の継続である」と言われているのに、政治がまったく描かれていないところでしょう。ワルシャワ条約陣営を「同盟国」NATO陣営を「連邦国」と言い換えて国籍マークや軍服まで架空のものを使い、何をそこまで遠慮しなければならないの?と言いたいぐらいです。航空機や潜水艦などは当時の両陣営の実物をけっこう正確に摸しているのに、“ミグ”を“モク”と言い換えることまでしています。もちろん、アメリカやソ連と言った言葉はまったく出てこないので、なんで第三次世界大戦が勃発したのか理解不能です。登場する政治家は日本政府だけで、山村聡はじめ貫禄ある顔ぶれですけど、まるでバチカンかダライ・ラマみたいなご託宣を発するだけでどう見ても単なる傍観者でしかない。戦後の日本と言う国の国際的な位置づけからすると、この描き方もある意味リアルということでしょうか。■この映画が当時の観客にあまりに強い衝撃を与えたので、東宝は翌年に超能天気な『妖星ゴラス』を製作したんじゃないかと個人的に思っています。 【S&S】さん [CS・衛星(邦画)] 6点(2012-11-07 23:46:18) (良:1票) |
《改行表示》 5.《ネタバレ》 公開は1961年だが、劇中の新聞の日付によれば第三次世界大戦が起こったのは1962年の秋以降(正月前?)のことらしい。この年には実際にキューバ危機が起きており、非常にタイムリーな企画だったとはいえる。 ただ劇中でやたらにミサイル基地のトラブルが続発するとか、前線の戦闘機や戦車がよくわからない理由で交戦を始めた上に、軽々しく核兵器を使用するといったことが短い時間に繰り返されるのは都合が良すぎである。また閣僚が会議しているのを聞いていても、国際情勢が具体的にどのように動いているのかがわからず、偶発性を言い訳にして現実世界を描写する努力を怠っているように感じられた。所詮は特撮映画だからこの程度でいいということなのか。 また主人公が最後まで逃げず、家にいることにこだわる理由がわからない。核攻撃を受けるのが都心部だと思えば、周辺住民と同じく徒歩でも埼玉方面へ逃げるなりして、最後の最後まで生き延びようとあがくのが正しい庶民のあり方だろう。特に父親の立場なら、せめて子どもだけでも助けたいと願うはずではないか。主人公が庶民のヒーローぶって物干し台で泣かせる台詞を言うために、家族全員が残らせられたようなのは理不尽だ。 もちろん、主人公が言っていたことの意味そのものはよくわかる。また劇中描かれる庶民の暮らしには微笑ましい場面も多々あり、この映画の全てを否定し去ることはできない。しかし、要はいつもの和製特撮で世界を破滅させる娯楽映画というのが本質で(そもそも題名がそうなっている)、そこに庶民の哀歓で味付けし、最後に型通りのメッセージを付けただけのようにも解されるため、自分としてはどうしても高く評価する気にならない。 なお、昔の映画に出る政治家は、自分の身を犠牲にしても国民を救うという使命感があって真面目だと思うが、今になってみるとそんなところにもリアリティが感じられないのが悲しい。 【かっぱ堰】さん [DVD(邦画)] 3点(2012-06-23 21:27:46) (良:1票) |
4.黒澤明の『生きものの記録』(1955)といい、『ゴジラ』(1959)といい、これ(1961)といい、当時拡大し続ける超大国の原水爆競争に、いかに人々が恐怖を抱いて暮らしていたかが、よく伝わってくる。それに今と違って、当時の日本人はまだずいぶん真面目に生きていたということ。この映画は、想像のフィクションとはいえ、そうしたことの時代の良い証言だ。そういう意味で、これは抜きん出た一作といえると思う。それになにより、これを見終わると、今自分が平穏無事に生きていること、それだけでも贅沢なことなんだと、あらためて感じさせてくれるところ。逆説的ながら、ここが素晴らしい。 【goro】さん [DVD(邦画)] 9点(2012-02-02 02:05:32) (良:1票) |
3.《ネタバレ》 七五三のシーン、乙羽信子のお祖母さんにフランキー堺のお父さん、その子たちの三代かと一瞬思ったが、会話から、あれは夫婦なんだろうな、乙羽さんまだお祖母さんは気の毒だ、などと思い返していると家に帰り、すると星由里子が出てくる。え、この人誰? こっちがフランキーの若妻か、するとやっぱり乙羽は気の毒でもお祖母さんか、それとも星はフランキーの妹なのか、などと混乱していると、星が「お父さん」と呼びかけている。え、じゃあの子どもたちはずいぶん歳が離れてるようだが星の妹弟なのか。ここまでに分かったことを整理すると、つまり大正生まれの乙羽と昭和生まれのフランキーがアネサン女房の夫婦で、フランキーが14歳ぐらいのときに長女の星が生まれ、それから戦後の混乱期十年間は子どもを作れなかったが落ち着いてきてあと二人作った家族、ってことなんだな。別にどうでもいいんだけど、この映画のヘンさがそんなところから始まっていた。これ、近景と遠景しかなく、中景はパニックになる群衆だけで、たしかに核時代の怖さってのは遠景が突如近景に覆いかぶさってくるところにあるのかも知れないけど、近景がいま言ったように輪郭が曖昧。会話もひどく、ホームドラマ用のセリフの間に強ばったメッセージがこなれないまま挟まっている。一方遠景がこれまた、大事な回路が簡単に故障したり軍人のオッサンがチャッチャッと起爆装置外せたり、ほとんどコントをやっており、核時代の軍隊はもうコントなんだという『博士の異常な愛情』的な批評の目でやってるんなら分かるが、どうもそうは見えない。マジでやってる。典型的なプラカード映画で、けっきょく戦後日本が核兵器廃絶に関して何にも出来なかったのは、プラカードを掲げるだけで満足していたこの想像力皆無のだらしなさに尽きるだろう(この国のプラカード主義は根強く健在で、たとえば拉致問題。交渉をしようとせず内輪での講演会やポスター貼ってるだけ、しかも交渉の扉を閉ざしたバカな政治家の人気が当時は上がった)。というわけでこの映画、建設中のビルが見える日比谷公園など時代の風景だけ味わえました。 【なんのかんの】さん [DVD(邦画)] 4点(2011-12-16 10:19:03) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 小学生の頃に読んでいた東宝特撮映画を紹介した本の中で紹介されていたのでタイトルだけはその頃から知っていたが、実際に見るのは今回が初めて。見る前は軽い娯楽作という印象が強かったのに大シリアスな映画だったのは驚き。フランキー堺は喜劇映画以外ではあまり馴染みがなかったが、喜劇とは違うとてもいい演技を見せていて素晴らしい。前半の人々の慎ましい日常生活の描写が丁寧である分、主人公が物干しで夕日に向かって家族の未来を思いながら叫ぶシーン、星由里子と宝田明の「コウフクダッタネ」「アリガトウ」の無線でのやりとり、パニックの中、娘の所に駆けつけようとする母親(中北千枝子)の姿、町中のみんなが逃げ去った後、ささやかに食卓を囲む主人公一家の姿など後半は涙が止まらないシーンばかりで今これを書いていても思わず泣きそうだ。子供たちが歌うお正月の歌も物悲しい歌として見終わったあといつまでも耳に残る。(たぶんしばらくは聴く度にこの映画思い出すだろうなあ。)ラストの笠智衆のセリフも言っているのが笠智衆なだけに説得力があり、よけいに胸をうってまた泣けてくる。21世紀の今見るとラストのテロップに異様なリアリティーを感じずにはいられない。この映画は一応はSFという形をとってはいるが、これ以上の反戦・反核映画は今後出ないのではではないかと思う。もちろん文句なしの満点をつけたい。 【イニシャルK】さん [DVD(邦画)] 10点(2008-09-18 17:37:20) (良:1票) |
1.本作は昭和29年製作の「ゴジラ」以来、数々の特撮映画を生み出してきた本多・円谷コンビ作品とは味わいが異なるものであり、メガホンを撮った松林宗恵自身の戦争に対する深い思い入れで、「反戦」というテーマがより鮮明に打ちだされた作品だったと言える。まさしく次なる世界レベルでの全面戦争を描いたものであり、その終末イメージの強烈さは、公開されて40年以上経っても未だに脳裏に焼きついて離れない。市井の名もなき庶民の生活をホームドラマ風に描いた本編と、破滅へと向かう一連の破壊スペクタクルの特撮部分とのトーンが、明確に違うのが本作の特徴とも言えるが、それは勿論違和感があるという意味ではなく、ドラマも特撮も描き方がいずれも直截的であり、互いに拮抗するほど自己主張していることに他ならないからである。主人公のタクシー運転手を演ずるフランキー堺は、元々コミカルな持ち味で人気者となった人だが、同時期公開された「モスラ」の熱血漢溢れる新聞記者とはまた違った力演で、どちらかと言えば「私は貝になりたい」の主人公と重なるほどの性格俳優ぶりである。とりわけ終盤での物干し場から涙ながらに世界へ訴えかけるシーンは、「反戦」の代弁者としての熱演を見せてくれている。当時、典型的な「絶叫型反戦映画」と揶揄されたこともあったが、それでもなお、真実味のある血の通った生身の人間の素直な感情表現は、我々一人一人の心に十分伝わるものがあり、ストレートな感動を呼び起こす名場面となっている。またしっとりとしたラブストーリーでもある本作は、團伊玖磨の叙情的な旋律がより深い哀しみをもたらし涙を誘う。そういう意味でも、極めて日本的な反戦映画だったと言える。そして今回の「破壊」をテーマにした円谷特撮の素晴らしさは、国会議事堂やパリの凱旋門などの建造物のミニチュアを逆さ吊りにして、水爆のエネルギーで一瞬にして跡形も無く吹き飛んでしまうというイメージを具象化し、また溶鉱炉でドロドロに溶けた鉄などを使って焦土と化した東京を表現したりと、かつて無いほど画期的で大胆な発想を、そのまま実践に移すことの凄さにある。この「破壊の美学」とも言える、今や伝説となった彼ならではの奔放なイマジネーションには、CG万能の現代のクリエイターたちは足元にも及ばないだろう。 【ドラえもん】さん [映画館(字幕)] 10点(2005-08-15 17:20:39) (良:1票) |