14.この映画は決して安易なカタルシスを与えてくれはしない。それ故にハリウッド映画の与える安易なカタルシスに慣れきってしまった人には到底受け容れられない映画だろう。しかし、私にとってはそれこそがこの映画を何度も繰り替えし見てしまう理由だ。他人に押しつけられる最大公約数的な結論(エンディング)なんてまっぴらだ。結論は自分の頭で考え出し、それに対して責任を持つものだ。だからこの映画がエンディングを放棄してしまっているのは制作者の誠意の表明なのだ。私はそれを支持したい。あと、この映画を傑作たらしめているのは各カットの構図の完璧さだ。しっかりとした絵になっている。いかにスタッフが時間と金と頭を使ったかの証拠だと思う。特にベトコン村を急襲するシーンの構図は神憑かり的な完璧さだ。この映画はあくまでベトナム戦争を題材にした、抽象的戦争映画なので、ベトナム戦争に関する表現上のリアリティの無さはあまり問題じゃ無いと思う。 【トマシーノ】さん 10点(2004-11-04 16:47:03) (良:2票) |
《改行表示》 13.戦場に適応しまくった歴戦の勇者が、一方で戦争への適正を持たない新兵達を引き連れて理不尽なミッションを遂行する物語。どっかで見たことあるなぁと思ったら、スピルバーグの『プライベート・ライアン』とまったく同じ話でした。ジョン・ミリアスによるオリジナル脚本、及びコッポラの当初の構想では、見せ場が連続する『プライベート・ライアン』ばりの大戦争映画になるはずだった本作ですが、あらゆることがスケジュール通りに進まず、撮りたいものが撮れないという状況から、哲学性を前面に押し出したこの形に落ち着いたのだとか。。。 メイキングドキュメンタリー『ハート・オブ・ダークネス』を見れば現場の混乱ぶりがよく分かるのですが、コッポラはこの状況でよくぞ最後までやりきったなと感心させられます。また、完成した映画にはそうした混乱がはっきりと反映されているのですが、それでも作品として一定の形に収められているという点に、コッポラの天才性が表れています。現場も映画も完全に破綻しているのです。ぶっ壊れて、どうやってもまとまらないところにまで追い込まれているのに、その破綻自体を映画の肥やしにしてしまっているという神業。スケジュール通りに撮られていれば出来の良い戦争映画止まりだったかもしれない本作に、芸術作品として数百年に及ぶであろう寿命を与えたものは、この破綻だったと思います。。。 ただ、これが面白いかと言われれば、それはまた別の話。凄い映画ではあるが、決して面白い映画ではありません。序盤のキルゴアパートをピークとし、その後どんどん盛り下がっていくという観客の生理に反した歪な構成。作品の要であるはずのカーツ登場以降の地獄のようなつまらなさ。役の存在意義がわからないのにやたら目立つデニス・ホッパーと、ウィラードの前任者という重要な役柄なのに完全に忘れ去られたスコット・グレン(当初の構想ではラスボス)。結局オチが付かず、なんとなくの雰囲気で逃げたラスト。見ていて眠くなりましたね。 【ザ・チャンバラ】さん [ブルーレイ(字幕)] 7点(2014-11-24 02:30:00) (良:1票) |
《改行表示》 12.何回も観てる、でもコッポラが何をしたかったのかは未だにわからないというのが正直な感想です。聞くところによるとコッポラもマーティン・シーンも撮影中正気じゃなかったみたいです。 アメリカにとってベトナム戦争というのは、どうしようもないくらいの恥部で、後世に語り継がれつづける醜態、失敗の代表だと思うし、戦争ですよ?どうあがいたって芸術作品になどできないのです。だいたい戦争の狂気はわざわざ映画で教えられる必要はないと思うけど。 カーツ大佐とかサーフィンとかプレイメイトとか「ひゃ~何だこれ」っていうのを次から次へとみせてもらいましたが、「だからなんだ」としか思えなかったです。 ベトナムへの言い訳はもううんざりです。原爆ふたつも落とされた国はどうすればいいのさ。 【envy】さん [CS・衛星(字幕)] 4点(2010-05-03 19:46:38) (良:1票) |
11.共に戦争で頭がおかしくなっちゃった犯罪人カーツ、処刑人ウィラード。ミッション過程における、それぞれのエピソードをこれ見よがしな演出で描く事により戦争の「狂気」を際立たせようとしているのでしょう。チープな発想とリンジョウカンが噴飯モノです。そもそも戦争などどのような大義を掲げようと正気の沙汰ではない行為なのです。本作の「狂気」などその大義すらカケラも見当たらないという点での失笑・嘲笑でしかないウスッペラ~イものなのです。おかしな者同士の「どーにでもなれ」と言わんばかりのヤケクソ感漂う結末に、立ち見での鑑賞と相まってグッタリ・ガッカリした事は今も忘れられません。大枚をはたいて作り上げたという事ですが、桁違いの額の税金を使う本物の戦争に比べれば「愚劣」さも他愛ないと思えるところに1点加算。 |
《改行表示》 10.カーツ大佐はベトナムでの闘いで自分の中(アメリカ)に潜む偽善と嘘に気付いたのではないだろうか。 ベトナムの子供に予防注射をしたが、その子供達はベトナムの兵士により腕を切り落とされたと・・・。彼ら(ベトナム人)には恐怖は存在しない。狂気そのものなのだ。 偽善や自らの社会的地位と確立、或いは浅はかな思い上がりで戦場に来たアメリカ人兵士達とは“殺し合う”という意識が全く異なっていると痛感したのだろう。カーツの言う「恐怖を友にしなければいけない」とはそのことを指していると感じる。 人間の内にある暴力性を訴えかける戦争映画は腐るほど有るが、この作品はそんな単純なモノではない。闘うために必要な“恐怖と狂気をコントロールすることが出来る道義心”或いは“自由に対する欲望と精神的強さ”が自らに有るのかどうか、それをカーツは身をもって経験したのではないか。ベトナム兵士はそれを持ち合わせていた。しかしカーツ(アメリカ)は己の中にある恐怖に屈し、精神は分裂した。つまり敗北したのである。闇の心すなわち恐怖である。 この作品はベトナムが舞台では有るが、ソマリアやイラク等の中東におけるアメリカの関与にも十分に連動した内容であり、それに対する批判と警告を指したコッポラによる独自の考えである。偽善と虚による闘争心と本能を題材とした哲学なのだと思う。 【おはようジングル】さん [DVD(字幕)] 10点(2006-01-29 09:58:24) (良:1票) |
9.私のような凡人の解釈では「戦地にいると人はおかしくなっちゃうよ」いう映画と捉えているが、それを映画という分野で娯楽作にしたいのか芸術作にしたいのか、ドキュメンタリー風にしたいのかイマイチ判らなかった。ただ映像から、当時の撮影現場のとんでもないピリピリ感は伝わるし、これに賭けたコッポラの想像を絶するエネルギーは本当によく分かる。マーロン先生も存在感ある。音楽の使い方も凄い。CGを一切使ってない爆撃等の迫力も凄い。カット割とかも無駄がない。でもだからと言ってメッセージ性はさほど感じなかったし(特に後半)、ちょっとここまで難解にしなくても良かったのではないかなと思った。また客は呼べないがカンヌを制したと言うのは本当にうなずけた。自分的には登場人物に感情移入できるという意味では「ディア・ハンター」の方が好きです。なので少し厳しい点をつけます。 【まさかずきゅーぶりっく】さん [ビデオ(字幕)] 6点(2006-01-16 15:37:26) (良:1票) |
8.これまで繰り返し語られてきたことだが、この映画は、悪夢の如き戦争を描いたのではなく、戦争に纏わる悪夢そのものを描いているのである。まず、冒頭。密林を一瞬に炎と化すナパーム弾、「ワルキューレの騎行」の旋律とともに隊列を組むヘリコプターの一群。破壊の象徴としての圧倒的な重量感と硬質性、その神々しさ。戦争という生の破壊的状況において、それは荒ぶる女神の如き美しいものとなる。中盤。ボートを駆って河の上流を目指す一隊に訪れるベトナム戦争という義なき闘争への疑念。剥ぎ取られていく人間性。河の上流は、明らかに人を正義から狂気へと導く思念的道筋である。終盤。此の世の境界というべきド・ラン橋を超えた辺りより、映画には常に不穏な音楽が流れ続ける。ボートは遂に彼岸とも言うべきカーツ王国に辿りつく。カーツを神と崇める天国。それはカーツの思念的理想を生み出した地獄でもある。ウィラードによるカーツ殺しは、文化人類学的に言う「王殺し」であろうか。これもカーツの思念的達成である。<特別編では、カーツを殺したウィラードは、鬼が島から帰還する桃太郎の如く、村上春樹の「羊をめぐる冒険」の主人公の如く、現世に戻る。> ここまでストーリーを俯瞰してきたが、改めてこの物語の骨子を言えば、それは「狂気のその先にあるもの、その一線を越えることへの抑えがたい欲望と恐怖」である。そしてその答えは、Nothingなのである。この物語はそういう悪夢なのだ。そう、これはコッポラの悪夢。彼が芸術的信念に基づいて辿った悪夢の先、現代の黙示録として名づけた物語の終末はNowhereであり、Nothingなのである。彼がただ善悪を超えた美しさ、心象の完全性のその先に描いた光景、それは物語として如何に脆く儚いものであったろうか。Nothing。その恐怖。そんなものは物語として、映像として描ききれるものではないのだ。その到達と挫折が混沌としたラストシーン。彼の作品に対する自身の評価は、どうだったのだろうか。それは、彼が80年代以降に辿った道筋によって示されている。しかし、映画界でこの領域にまで足を踏み入れた作品は数少ない。そして僕にとっても忘れがたい悪夢としてこの映画は脳裏に刻まれることになった。大傑作。<全くもって個人的に。。> 【onomichi】さん 10点(2004-03-28 21:45:54) (良:1票) |
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7.ストーリーは決して破綻してないですね。別の人が撮れば、ここまで話題作とはならなかったまでも、骨太の戦争映画ができると思います。音楽は抜群です。ワーグナーもドアーズも両方ばっちりですね。問題点は、プロットが散漫すぎることとテーマを描ききってないことでしょう。これは、コッポラが「錯綜」や「狂気」を表現したくて確信犯的にやっていることだと思いますが、やっぱり川を上るあたりでは眠気に襲われます。多分幾ら理由付けしてこういう作品の良さを布教したところで無駄でしょう。観た者に「こういうの好き?」「退屈?」という二者択一を迫る映画ですから。この作品が好きで何回も観た人の気持ちは判るし、コッポラの気骨には10点あげたいですが、個人的にはやや「退屈」でした。 |
《改行表示》 6.もう何回見たことか。愛してると言ってもいいくらいの映画です。 なにより映像が美しいし,音楽の使い方も素晴らしい。 深読みするのは勝手だけど,ストーリーについて言えばこれはどう見てもただ単に破綻してるだけでしょう。従って,ストーリーには関心を持たないのがこの映画を愛するコツではないかと。 |
5.ノンクレジットな70ミリ版で見ました(ラストの炎上が入ってないタイプですね)。色々と賛否両論ある映画ではありますが、私はこの映画、やっぱりコッポラが上手い事コントロールできなかった映画、だと思います。描かれるエピソードがとっ散らかった印象で、それはベトナムの混乱を表している、と好意的に解釈できなくもないですが、やっぱり編集しきれてないだけなんじゃ、と。その繋がりが悪いために、マーティン・シーンが辿る物語に、ちっとも意識が向いてゆかず、彼のドラマが迫ってきません。かと言って、「ジュラシック・パーク」のように地獄巡りツアーに同行した観客の視点、という訳でもないですし。登場する様々な映像には、視点の差異があり、それはコッポラが確固たる信念の元で撮ってた訳じゃない事を感じさせます。その末に辿り着く世界は、もはや映画のリアリズムから軌道を外れたファンタジー。カーツさん、「狂気」に説得力を感じさせて下さいな、と思う私なのでした。 【あにやん🌈】さん 6点(2003-12-06 14:13:51) (良:1票) |
4.誰か後半の30分が何なのか教えて~!(汗)ワケわかんないし、正直つまんなかった。 【Ronny】さん 1点(2003-10-19 01:13:29) (笑:1票) |
3. 「ゴッドファーザーPARTⅡ」で念願のオスカー監督賞をゲットしたコッポラが次なる野心を満たすべく選んだのがジョセフ・コンラッドの小説「闇の奥」の映像化だった。しかーーーーし!彼がドツボに嵌ったのは周知の通り。ま、至極当然の結果である。そもそもコンラッドの原作はかの天才オーソン・ウェルズですら映画化を熱望しながら挫折せざるを得なかった程に手強い代物なのだから身の程知らずもイイ所だ。原作が不朽の傑作たる所以は実に1899年!という欧米「帝国主義」華やかりし時点に敢えて欧米によるアフリカ植民地政策を真っ向から批判すると共にその終焉を鋭く予見した点にあるが、本作は原作の上っ面をなぞってベトナム戦争モノに改悪(主犯は脚本のJ・ミリアス!)し、派手にドンパチをデコレートしただけの陳腐な凡作としか個人的には思えない。大体ベトナム戦争終結から4年(撤退から数えれば実に6年!)も経過した後でベトナム批判するなんぞコンラッドの勇気と先見性に比較するのもおこがましいと言うモノだろうw。ハッキリ言ってコンラッドに比肩しうる映画人は第二次大戦勃発と同時に「独裁者」をクランクインさせたチャップリンのみ!キャラクター造形も掘り下げが甘過ぎる。原作の白人貿易商クルツが本作のカーツ大佐のモチーフであろうことは名前の類似性のみならず、密林の奥地に自分の王国を築く共通性からも明白である。が、「ゴッドファーザー」でコッポラに逆利用されたリベンジに燃えるブランドの怪演も相俟ってクルツに横溢する”カリスマ”がカーツには皆無であり、カリスマを演じる場面すら無い。クルツは主人公マーロゥをも魅了したが、カーツ大佐ではウィラード大尉を魅了する説得力が全く一切てんでちっとも無いので終盤が完全に腰砕けとなっている。加えてリヒャルト・ワーグナーの「ワルキューレの騎行」をキルゴアみたいなアフォの描写に使うセンスの悪さ!はどうにも頂けない。と、兎に角…熱烈なコンラッドのファンとしては本作は絶対に高く評価できないのが正直な感想。デビッド・リーンになら「ノストロモ」の映像化も可能だったと思うが、コッポラにコンラッド原作は余りに荷が重過ぎたというコトか…。 【へちょちょ】さん 5点(2003-09-29 01:19:19) (笑:1票) |
2.傑作。この映画を見終わった直後の率直な感想はこの一言に尽きた。この映画を戦争映画と形容する人がいるが、僕はそうは思わない。ここで描かれているのは哲学だ。かの有名なあのシーン、ワルキューレ騎行とともにヘリでベトナムの村を爆撃するシーンですらただの飾りにしか見えないほど、この映画で描かれている哲学には人の心を打つものがある。主人公のウィラード大尉はベトナムのとある河をさかのぼっていく中でさまざまな戦争の絶望感、退廃を目の当たりにし、そこからこの戦争の背景にある軍の上層部や人間社会全体の腐敗を敏感に感じ取る。今まで信じてきた価値観が崩れ、世界が混沌の色を濃くする。(この点は映画の鑑賞者も同じ気分を味わったことだろう。)そして、彼が目指す先にいるのはカーツ大佐。そう、彼こそ腐敗した軍の上層部や人間社会から背を向け、自らの意思で己の理想を貫いた人物。ウィラードはそんな彼の哲学に心を引かれ、彼に感化される。軍や社会の呪縛から逃れ自らも彼のごとく自由な意思で生きよう、ウィラードはそう思ったに違いない。ウィラードは軍の命令としてではなく、自らの意思からカーツを殺すことを決断し、実行する。このときウィラードはカーツと同じ自由の境地に達っした。(だからこそカーツを殺したウィーラードに原住民はひれ伏した。)総括すると、この映画で描かれているのは人が腐敗した社会から抜け出し、精神的自由を勝ち取るまでの過程であり、その自由な行動とは恐怖(ラストで繰り返されるセリフ)を伴うものである、ということだと思う。この哲学はベトナム戦争という退廃的な舞台でこそ映えるものだ。 |
1.R・デュバルがサーフィンをさせる為にベトナムの村を急襲するシークエンスは、人間が本能的に持っている戦争をすることの快楽を徹底的に表現し、その迫力たるや、まさに戦争そのものをフィルムに収めたような錯覚を起こすほど。又、兵器としてのヘリコプターの性能を駆使することで、この作品のテーマでもある「恐怖」の表現にも成功している。ただ、“戦争の狂気”を躍動感溢れる演出で描いた前半に比べ、哲学書の引用と意味ありげな独白過多の後半は芸術性を重んじるあまり、話が曖昧で急につまらなくなってくる。カーツ大佐のような白人を「神」として崇拝するほど「未開」ではなかったベトナム。コッポラ監督としては、残虐性と神秘性が同居するアジアというアメリカにとって異質なな文化を、あまりにも図式的に捉えすぎたのではないだろうか。 【ドラえもん】さん 8点(2001-04-22 18:11:25) (良:1票) |