8.《ネタバレ》 9年後の再会ということで、一見よどみなく話しているようで、それでいてお互いの真意をさぐりあっている様が本当にリアルだ。80分の短い映画だけれど、ほぼ全編しゃべりっぱなし。この映画の素晴らしいところは、「会話」が主役の映画なのに、登場人物の感情や微妙な関係性を描くのに「言葉」に頼っていないところ。その最たるものが、ラストのアパートのシーンだと思う。それまでしゃべりっぱなしだった二人だけれど、アパートの二人は、核心に触れるような言葉を交わすことなく、身振りと視線と音楽で「会話」する。そこから終幕への流れは、本当に素晴らしいものでした。脚本にも参加したという主演2人に拍手喝采です。 【ころりさん】さん [DVD(字幕)] 8点(2010-01-26 14:14:24) (良:2票) |
7.《ネタバレ》 若者から大人へ。
前作とは何が違うか、どうか最後まで見て欲しい「サンライズ」の続編。
前は電車という街へ向かう道中、今作はいきなり街の中から、街角、路上、人々で賑わう街、書店、インタビュー、思い出す思い出は前作、キャメラの質感も前作の雰囲気を思わせる。
喋る喋る喋る、喋っている最中も動き出したくてウズウズ、ふと横を向いた瞬間に。
やはり歩いて歩いて歩く、時折悪態をつきながら再会を分かち合う、親しい友人か愛する異性か、子供から大人になった二人だけの秘密があの頃に戻してくれる。 「もっとあるよ(あと1時間くらい)」
二人にとって。会話の内容なんてどうでもいいのかも知れない。ただ互いを見つめ合いながら一緒に歩ければそれで。 過去は一緒にいるための話題として語られ消費される。街にこだまする音も。言葉は映画を彩る、二人の道中を飾る音楽のようになっていく。そう思うと音楽は鳴りっぱなしだな。
だがまさか10分もくっちゃべってる場面を延々と、前作とお~んなじように同じ俳優によって見せられるとは思わなんだ(褒め言葉)!誰にも話しかけねえ!前作のオッサン!!来てくれー!!!助けてくれー!!!!
年齢を重ねた二人、、二人にとっては至福、見守る人によっては苦痛を感じたり退屈に思う人も多かっただろうね。何故俺は退屈に感じなかったのだろうか。
指先が現す銃、カフェでも身振り手振りと舌は止まらない、食事。 「裸見ないと」 上着を脱ぎ、髪を下し、煙草をたしなみ、落ち葉、路地。おっと、ここまで頑張った観客に言いたい。どうかカフェで切らないで欲しい。
路地から歩道橋の上へ、公園を通り、短い橋を渡り、木漏れ日、ラフな格好は男を誘っているからなのか、上着は脱いだまま、性の話は女を求めているからなのか。
会話は前作とのギャップに戸惑う瞬間も。 突然椅子へ彼女を誘う、階段を下りたりすべり下りたり、川沿い。 黙ると死ぬのか!?船すら止まってやがる!!動け!動けってんだよこの野郎!!!動き出してくれてほっと一息。
船が動き続けることで髪と薄布もなびき続ける、船上でも男は姿勢を変え続け女も座る、橋はトンネルとなって影を落とし日も少しずつ傾く。 「細かいところに目がいっちゃうの」 そうなんだ、気をまぎらわそうとしてあらゆる仕草を見ざる負えない。車に乗っても喋り足りない。 運転手「うるせえなコイツら」
哀しそうな顔で触ろうとしてやめる手、路地を曲がる瞬間に雰囲気が明るく、抱擁、路地裏、猫、住人の紹介、自宅へ御招待、一曲、上着を脱いでくつろぐ、ギターを抱えて歌う、写真。 CDの音楽が流れ、二人は黙り…なんて思っていた瞬間が俺にもありました。
身振りでコンサートの様子を伝え、その後は二人だけが知っている。沈むであろう姿も映されて。 【すかあふえいす】さん [DVD(字幕)] 8点(2016-08-26 07:38:04) (良:1票) |
6.イーサン・ホークの眉間に刻まれた“シワ”が、9年という時の流れをあまりに雄弁に物語る。 「時間」を自由に操作できることは、映画という表現方法ならではのマジックであるはずだが、それを排し、実際に9年の時を刻んで描き出すことによるまた別のマジックが、この映画には溢れている。 リアルタイムに過ぎ去った時間を経た二人が、映画の中のリアルタイムで邂逅する。 この映画の80分という時間は、まさに映画表現が生み出した奇跡だ。
映画世界の中で、リアルに歳を重ねた主演俳優の二人がやはり素晴らしい。
素人感覚だと、映画のキャラクターと同様に実年齢を重ねられたことで、よりリアルな演技がしやすくなるのではとも考えてしまうが、実際はそういうわけではないだろう。 両者とも一流俳優として9年間で幾つもの役柄を演じ続け、幾つものキャラクターの人生を辿った上で、再びかつて演じたキャラクターの人生に戻ってくるというアプローチは、きっと素人が考える以上に困難なことだったと思う。 その上で、9年ぶりに出会った二人が再会し与えられた時間である“80分間”を、そのままの時間で“会話”のみで演じてみろというのだから、一流俳優であっても極めて高い要求だったに違いない。
その高いハードルを阿吽の呼吸で越えてみせた両俳優の技量は流石だと思うし、そこには技量の高さを越えた俳優同士の肌感覚の相性の良さがあったのだろうと思う。 それはこの二人の俳優のキャリアにとっても、とても幸福な出会いだったろうと思える。 その一方で俳優の実生活においても多大な影響を及ぼしたであろうことは想像に難くない。
前作においても、二人の男女の微妙な心情がそのまま表れる名シーンが数多く存在したが、今作でもそれは随所で観られる。 ヒロインが抑えてきた感情をさらけ出す白眉の車中シーンは、1テイクで撮ったらしく、映画史においてもまさに奇跡的なシーンと言えるのではないか。 またヒロインのアパートの階段を二人が一歩ずつ上がっていくシーンには、再び深まっていく二人の情愛と、月日を経たからこそ生まれるためらいがせめぎ合い渦巻いているようだった。
そして、あまりに印象的なラストシーン。
「Baby you're gonna miss that plane.」 「I know.」
きっと男は、搭乗時刻が迫る飛行機には乗らなかっただろう。 きっと二人は、再会した瞬間に、大きな「期待」とそれと同等の「覚悟」と共に、別々に歩んできた9年間との決別を決めていたのだろう。
さあ、次はまた9年後。 一時の感情を努めて抑えて離れ、今度はその時の後悔を胸に一時の感情に従うままに結ばれた二人が、どういった9年間を送り、また何が変わり、何が変わらなかったのか。 “覚悟”をして観たい。 【鉄腕麗人】さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2015-10-01 23:52:29) (良:1票) |
5.冒頭にインサートされる9年前の2人の姿があまりにもせつなかった。年をとることは決して失うことばかりではないはずなのに、輝くような若さをこれほど眩しく思った映画は初めてだった。9年前とは違った何かが、2人の体の中でどんどん熱くなっていくのも痛いくらいに伝わってきた。髪に触れようとした手をさっと引いたり、ベンチでの距離をさりげなく縮めていったり、「本当に溶けるか試したいの」と抱きしめられて一瞬体を硬くしたり。些細な仕草に込められた感情表現が、前作同様素晴らしかった。(タバコからタバコに火を移すシーンも大人になってしまった2人を端的に表わしていて思わず泣けた)たった1度のキスもない脚本が見事。どうしようもない2人の気持ちが滲んでくるようなラストにも、作り手の品性が感じられた。願わくは、あまりにも現実的な今の苦悩を、この2人には吐き出さずに会話して欲しかったかな。セリーヌには強がりが似合うし、ジェシーにはためらいが似合うから。しかし、こういうのを見ると、またイーサン・ホークを好きになってしまうな~。ユマ・サーマンと別れてから、実は愛想尽かしていたんだけど(親戚でもないくせに余計なお世話っ!)。
【showrio】さん [DVD(字幕)] 8点(2006-01-23 12:43:52) (良:1票) |
4.妻を愛してないイーサン・ホークの設定が妙に生々しい…。 【モチキチ】さん [DVD(字幕)] 8点(2005-09-09 21:05:55) (笑:1票) |
3.《ネタバレ》 映画の初めの方で、ほんの少しだけ前作『恋人までの距離《ディスタンス》』の映像が登場するところがある。そこには9年前のイーサン・ホークとジュリー・デルピーがいて、やはり若いというか、初々しい。その後、あらためて画面に現在のふたりが映し出される時、ぼくたち観客もまたある深い感慨にとらわれるだろう。「ああ、あれから本当に9年たったんだ…」と。
9年前に出会ったアメリカ人青年とフランス娘の、パリでの再会を描く本作。映画の中のふたりも、演じるイーサンとジュリーも、それぞれ9年という歳月を経てきたことを、この10秒にも満たない前作のインサートによって実感させる。それだけで、いとも鮮やかに虚構と現実それぞれに流れる“ふたつの時間”を重ねるのだ。あわせてこの作品は、85分という上映時間と物語の進行をシンクロさせるという“離れ業”を実現してみせる。今は作家となったイーサン・ホークがパリを発つまでの85分間を、映画はきっちり85分で描いてみせるんである!
…この「演じる役者/演じられる登場人物」、「映画の上映時間/映画の中の時間」という“現実と虚構”の境界線を曖昧化することで、そこには、「真実味(リアリティ)」という以上の「リアル」が実現されているだろう。イーサンとジュリーはただこの役を演じていうのじゃなく、この役を「生きている」という…。その上で、映画の中のふたりが「9年間」という《ディスタンス(距離)》を「85分間」で埋めることが出来るかどうか、観客もまた固唾を飲んで見守り続けることになる。それはどんなサスペンス・ドラマよりもハラハラさせられ、またどんな人間ドラマよりも人生の“真実(リアル)”に満ち、さらにどんなラブストーリーよりも“恋愛(あるいは、男と女)”そのものの核心を、ぼくたちに見せて(=教えて)くれるに違いない。
そして見終わった後に、ぼくたちはきっと確信する。イーサン・ホークとジュリー・デルピーのふたりは、間違いなく「映画史上最高のカップル」である、と。何故ならこのふたりは、この現実においても間違いなく「最高のカップル」に違いないのだから。…少なくともこの映画を見たアナタなら、その一点においてきっと誰もがそう思ったことでありましょう。
…でも、ジュリー・デルピーLOVEな小生にはツライ映画だったよぉ~。何でユマ・サーマンと別れたんだよぉ、イーサン・ホーク!(笑) 【やましんの巻】さん 10点(2005-03-22 16:44:50) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 前作「恋人までの距離(ビフォアサンライズ)」と対になっているのが面白い。 本作は冒頭から「ビフォアサンライズ」を意識している。前作のラストでは、彼らが過ごした場所が静かに次々と映し出されるが、本作は冒頭から彼らが過ごすであろう場所が次々と映し出されていく。 彼らの出会いが偶然によるものならば、彼らの再会は偶然によるものではなく、意図されたものだ。ジェシーがフランスでサイン会を開くという意思と、セリーヌがそこに顔を出すという意思がなければ、この再会はあり得ない。 9年ぶりにみせる彼らの性格も前作とは対比的である。 前作ではロマンティストであったセリーヌは、本作では現実主義者になり、前作で現実主義者であったジェシーは、本作ではややロマンティストになった気がする。セリーヌ自身も、ジェシーの本を読んで、自分の今のドライさを嘆いているのが印象的だ。人間は時間とともに変化するのが見て取れる。 しかし、根っこの部分は変わらないのも人間だ。 自分のドライさを嘆くセリーヌだったが、彼女らしいロマンティックさは残っている。自分のやりたいことをやり、自立した強い女性を装っているが、愛されたいけど愛せない、愛を渇望しながら愛に怯える姿がセリーヌらしい。 ロマンティックに本を描いたジェシーもやはり現実主義者であった。彼が本を描いたのには、セリーヌと再会して、12月に来なかった理由を問うものであったのは彼らしい。セリーヌの歌を聴いて、人名は聴く人によって変わるのだろうと本心ではない冗談を言うのは、前作の詩のシーンをなぞったものだ。 前作が「別れる二人」を描いたものならば、本作は「別れない二人」を描くものだ。9年前に再会を果たせなかった二人のその後の人生は決して恵まれたものではなかった。人生を変えた「出会い」によって、彼らの人生には微妙に狂いが生じてしまったかもしれないが、彼らの「再会」によって、再び彼らの人生も大きく変わるだろう。個人的には、ジェシーはこの飛行機には乗らず、セリーヌとともに人生を歩んでいくのではないか。 ジェシーはジェシーの妻に幸せを願っているからこそ、別れようとするだろう。 再会はしたものの彼らは上手くいくのか、たとえ上手くいかなくて美しい思い出が壊れたとしてもチャレンジすることが大切なのだろうかと、色々と観終わった後に考えられるのが、本シリーズの良さだろう。 【六本木ソルジャー】さん [DVD(字幕)] 7点(2005-02-21 01:36:56) (良:1票) |
1.イーサン・ホークにはこのシリーズだけ演ってて欲しいぐらいだ。それじゃウマ・サーマンに養育費が払えないか。 【mimi】さん 8点(2005-02-16 23:06:28) (笑:1票) |