12.ごめんなさい。映画として何一つケチのつけようのない素晴らしい出来だと思うのですが、話がどうしてもダメでした。泣かされ損というか、この救いの無さに、たとえようのないあざとさを感じます。これほどまでに欠点の少ない映画は何年に1回見るかどうかというほどのこの出来栄えの中で、どうしてこれほどまでに嫌な話を描かなければならなかったのか、わたしにはとても理解出来ません。シナリオは非常に良く出来ていますし、ヒラリー・スワンクの卑屈な個性もこの役柄に怖いくらいハマりました。モーガン・フリーマン、クリント・イーストウッドも、おそらく当たり役と言って良いでしょう。何箇所か、ありがちな、でも必要なカタルシスはありますし、ラストでは伝えたいものもしっかり伝わって来ます。でもこの映画が、イーストウッド監督作品でありながら都市部を中心とした小規模な公開に終わったのは、この映画が実際にここで描かれている地方の貧しい人々の目に、入れられるものではなかったからでしょう。アメリカで貧しい家に生まれるというのがどういうことか、この作品は徹底的に残酷にそのテーマを取り上げながら、結局絶望しか描けていない。貧困は「ミスティック・リバー」でも強調されたテーマですし、イーストウッドにはそれを描きたいという強い渇望があるように見えますが、こうしたテーマに悲しさだけしか見出せないところが、実はハリウッドスターとしての彼の限界なのではないかと感じました。皿洗いをして、床掃除をして、人生に後悔しながら死んでいく人たちが、この映画を観て素晴らしいと思うでしょうか。映画が本当に夢を与えなければならない人たちに対して、この映画が勇気や力を与えるでしょうか。大変良く出来た映画であるという観点から高い点をつけますが、わたし自身はこの映画を二度と観ないと思います。もしかしたらわたしがイーストウッドの作品を観るのは、これが最後になるかも知れません。それぐらい、嫌な映画でした。 【anemone】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-05-30 00:02:57) (良:3票) |
《改行表示》 11.僕もやましんの巻さんと同様にフランキーとマギーの関係は恋愛そのものであり、同時にそれを超え出たものであると感じた。「自分を守れ」「タフなだけではダメだ」「相手の逆へ動け」、、、ボクシングにおけるフランキーの信条こそが彼の美意識としての人生を物語る。しかし、そんな彼の孤高さは、孤独と等価だ。フランキーとマギーは孤独が結びつける精神的な関係であると共に、トレーナーとボクサーというボクシングを通じた絆によって、一種の肉体的な関係をも共有する。僕らはそこに通常の恋愛における激しさやメロウさとは違う、揺るぎない生の勁さ(つよさ)、身体性に基づく深い関係を見出すのである。 2人は精神的な恋愛関係であると共に、身体的とも言える強い結びつき、生の実感を共有する。だからこそ、マギーはフランキーによって死に至らしめられることを望み、最終的にフランキーはマギーに対してタオルを投入できたのである。 スクラップがケイティに語り聞かせる。彼らがどう生きてどう死んだか、それが2人の物語として語られてこそ、関係を生きるという実感、可能性、そのリアリティが初めて強調される。僕はそこにこそ、この映画の生の強度を強く感じる。僕らにとっての主体的な生とは何だろうか?主体的な生とは主体的な死にも繋がる。今、日本には年間3万人の自殺者がいるが、彼らは主体的に死を選び取っているのだろうか?正直言って僕には分からない。僕には所詮「生きる」意味すらも実は分からないのである。分からないことは分かるし、そのことを意識する限りにおいて、分からないことのリアリティを感じることができる。それだけなのである。この映画を観て感じるリアリティも逆説的な生への実感という意味で同様かもしれない。最後に、、、この映画の陰影ある映像こそ、クリント・イーストウッドの「いかがわしい場所で人間の道を極める」意志そのものだろうと、僕は思うのである。 (追記)この映画のラスト、、、「人間の宥め難い不遇の意識に対する水のような祈りとして」、生きる努力に対するひとつの許しとして、タオルは投げられたのだと僕は思う。ちなみに行為としてのタオル投入は、闘いの放棄という意味しかない。通常、セコンドは闘者の直接的、間接的(肉体的)意志を感じ取り、またその声を聞き、タオルを投入する。その際、セコンドは闘者とリングを共にしているのだ。 【onomichi】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-04 20:39:29) (良:2票) |
10.原作を読んだ上で映画館に臨みました。原作は短編集であり、正直なところ、それほど傑出しているとは思えない作品でした。さりながら映画については、イーストウッドの手腕にただただ驚かされるしかありませんでした。まさかあの原作を、骨格はほぼそのままに残しつつ、ここまでの作品に昇華させるとは……。当方、このところ海外ミステリ小説にどっぷり浸かっており、原作を台無しにしてしまっている映画作品の多さに辟易していたのですが、この「ミリオンダラー・ベイビー」は原作を大幅に凌駕しています。イーストウッドをはじめとするスタッフ一同に心からの拍手を。 【K】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-03 18:09:59) (良:2票) |
9.うーん、どー書けば良いのか。別に難解なお話ではないけれど、何つーか、良い意味で頭が真っ白になってしまって、どう言葉にすれば良いのか分からないのですが・・・僕はこれ、いわゆる「悲劇」ではないのだと思います(もちろんハッピーエンドでもないけれど)。僕はイーストウッド作品は「許されざる者」と「ミスティック・リバー」しか観てないけれど、共通してるのは、登場人物の行為を正当化もしていないし、断罪もしていない、という事。彼はただ、人間の「ある姿」を映像に収めて観客に提示する。だからこの作品も決して「尊厳死」の是非を問うものではなく、あくまでシンプルで寓話的なラブストーリーなんだと思う・・・・・・うーん、やっぱしうまく書けん。また見直す機会があれば、改めて書きます。とりあえず僕はこの作品を見てる間、何度かまばたき出来なくなってしまいました。 【ぐるぐる】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-03 18:07:13) (良:2票) |
8.人に薦めるべき作品というか観るべき作品ですよね。あとは他の方が書いている事と全く同じですし、久々にまた観たいと思いました。アビエイターなんて話にならないですよ。 【am】さん 9点(2005-03-13 04:09:45) (良:1票)(笑:1票) |
《改行表示》 7.《ネタバレ》 映画にタブーが存在するならば、それはおそらく性か死の問題であろう。イーストウッドはまさに死の問題を扱い、それをシリアスに、しかしながら至極現実的に描いた。ただそれだけである。どうやら人はホラーなどより、現実の負の一面を見せ付けられたほうが遥かに衝撃で、暗いと重いと嫌悪をあらわにするようである。しかしこの映画は暗いのではなく現実の一部を切り取った映画にすぎない。 重要なのは、イーストウッドが感動的なハッピーエンドよりも、目の前の現実に向き合うほうに自らの映画的価値を置いているということ。死んでも蘇生するような非現実的世界を描くことよりも、終末期医療に一つの現実的な答えを(映画的特権を用いて)出す方がよっぽど難しいということである。以上のことを把握しなければ、本作は前半の成功劇に目を奪われ、後半部をただ暗いと斬って捨てるだけだろう。 個人的には、映画が娯楽性だけで秤量されるべきものならば、映画はなんとつまらないものだろうと思う。イーストウッドの、娯楽性を抑えてでも表現したかったもの、そこにこそ映画的価値が置かれてもいいのではないだろうかと思う次第である。 【ノマド】さん [DVD(字幕)] 9点(2006-12-14 17:43:59) (良:1票) |
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6.《ネタバレ》 『ミスティック・リバー』を見た時、この映画は俺には合わないと思った。それは、ただ単に俺の「映画を楽しむ為のカテゴリ」の中に「俳優の演技」という項目が無いからに他ならないのだが、あの映画全体に漂っていた「静寂」がどうも我慢できなかったから。基本的に俺は、映画を素晴らしくするのは何よりも音楽であると思っている。映画がラストに向かうにつれ、感動的かつ壮大なシーンに差し掛かった時に鳴り響く壮大な音楽は、見ている私たちをさらに興奮させてくれる。だから「映画に対する感動」に「音楽」は必要不可欠というのが僕の考えだった。だけどこの映画の場合は違った。『ミスティック・リバー』ではあんなに嫌いだった「静寂」が、こんなにも胸に響いてきたのは初めてだ。正直、音楽が鳴っていたり、大袈裟なシーンが挿入されていたり大袈裟な演出が施されていたりしたら、この映画は台無しになっていただろう。家族や周囲の愛を一度も受けずに、ただただ惨めに30年間も生きてきたマギーと、娘に愛を注ごうとするも、結局はその愛を拒否されてしまいボクシングに生きるしかないフランキー。お互いはお互いにとっての「一筋の光」となり「希望」となる。ラストでのフランキーとマギーのシーンで、二人の顔が一筋の光で照らし出された演出は、お互いがそれぞれにとっての「一筋の光」になっていたという象徴に他ならない。人間の生と死、そして愛の価値。そしてそうしたテーマを、この映画全体に漂う「静寂」は切ないほどに引き立てていた。人間は何のために生きて、何のために死んでゆくのか。生きてさえいればそれで良いのだろうか?本当に愛するという行為は果たして何なのだろうか?この映画はそれを描き出している。何だかあまりにも書きたい事が多すぎて文章が上手く成り立ってない気がするし、まだまだ書き足りないような気もするが、人間の持つ尊厳と価値というテーマを淡々と、それでいて衝撃的に描き出した、僕にとってしばらくは忘れる事が出来なさそうな作品であった。 |
5.《ネタバレ》 ボクシングという題材を使いながら、そこに固執しないストーリーが非常に良い。「人は死ぬ時に悔いて死ぬもんだ、彼女はそうでない。」マギーは間違いなく悔いのない人生だっただろう。もしこれがボクシングを中心としたストーリーであれば彼女の生い立ち、家族、考え方、・・・それらの物語は私たちに詳しく伝えられることなく進んでしまっただろう。ボクサーとして成功していく流れもあっさりとしていてとてもいい。(何せ1R K.O.だから)一人のボクサーの生き方を作り見せる事を通して、イーストウッドが考えている事、伝えたい事がビシビシ伝わって来た。(「通して」という所をどれだけ割り切れるか。)あれも、これも伝えたい事、描きたい事は山のようにあるだろうに、ビシッと内容を焦点化し作品にする上手さは素晴らしい。作品全編に流れるゆったりとしながらもテキパキと物語を見せてくれた。 【蝉丸】さん [DVD(字幕)] 9点(2005-11-13 15:11:51) (良:1票) |
4.自らの誕生日にスピードバックを返す。次の誕生日にはビジネスライクなマネージャーを贈られ拒む。母に贈った家は喜んでもらえない。このバランスの崩れたマギーの贈与に正当な光を与えるのがフランキー。アイルランドへの郷愁、自家製のレモンパイへのこだわりに窺えるフランキーのホームへの渇望は、妹といっしょに犬を笑い、父と遊んだ幼き頃へのマギーの思慕と重なり、美しく無償の愛が交換される。市民ケーン的な形式を踏んでいた「アビエイター」よりもこの映画が市民ケーン的に見えるのは、始終マギーの瞳に透過された薔薇のつぼみを我々は見てしまう、見えてしまうからではないだろうか。 【彦馬】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-03 13:26:46) (良:1票) |
3.「ミスティック・リバー」同様、クリントの描く人生は死ぬまで罪を背負い続けなければならない、ある種理不尽なもの。でも「ミスティック・・・」で描かれた誰もが流されて生きるストーリーと違い、この映画の登場人物は必死で自分の人生を掴もうとする人たちで、だからこそ生きるということはそういうことなのかもしれないと、この映画を見て素直に思った。決定的瞬間をわざわざスローモーションで大げさに見せる他のスポーツ映画とは違い、淡々と戦いを映し出すボクシングシーンが素晴らしく、またメイン3人の演技も文句のつけようがない。おそらく今年最良の1作。 【ぽん太】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-01 18:00:09) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 正直、前半はボクシングの話に少し飽きかけていた。いきなり右フックがどうとか言われても素人には分かんないよ、って感じだった。しかし後半、じわじわと悲しみがこみ上げて涙が止まらなかった。クリント・イーストウッドの演技には頭が下がる。私はこの作品を知り合い4人で見に行ったのだが、見終わった感想で「マギーはフランキーの娘じゃないのか」という疑問がうかんだ。4人のうち2人がその疑問を言ってきて、最後に「愛する人よ。私の血」というのがあって私の血というのは自分の娘だからなのではと思った。それにマギーは「お父さんにお願いしてもいい?」などと言っている。題名の「ミリオン・ダラー・ベイビー」も100万ドルの娘と訳せば納得はいくだろう。しかし、ホントにマギーの父がフランキーだとしたら家族で病室に来たときも母親は気づくはずだし、ケイティというフランキーの娘の名前もつじつまが合わなくなる。見た直後かなり余韻が残り、私のようにフランキーの娘がマギーだとしたら…と思う人がいるかもしれないと思ってレビューを見たが…あれ?あたしは間違った解釈をいていたのかしら。もう1度見なきゃ謎は解かれないかもしれませんね。最後、フランキーは注射器を2本カバンの中に入れていたから、マギーを殺して自分も死のうと思ったんじゃないかな。 【アンナ】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-05-30 19:46:32) (良:1票) |
《改行表示》 1.クリント、すごい。この作品と彼の演技、素晴らしいの一言。もともと、映画を見る前は、そのタイトルから、アメリカンドリームをつかむ少女の話をもとにアメリカ社会を描く社会派の作品だろうな、とたかをくくっていたのだけど、良い意味で裏切られた。もちろん、安楽死の問題など社会派の内容もあるけど、クリントがここで描きたかったのは、「人間」そのもの。人間の生、人間の死、人間の欲望、怒り、愛、醜さなどなどなど。そしてそうした生生しい人間の姿は、社会や宗教とは関係なく、世界共通、人類共通のものであるといえるだろう。最後のクリントの行動と気持ちについて、ほんとに、いろいろと考えさせられた。もう一度みたい映画。ちなみに、ヒラリースワンクの主演女優賞は納得、モーガン・フリーマンは良かったけど、助演男優賞をあげるほどではないな(彼には、この作品の役どころよりももっと良い役がこれまでにもたくさんあった)。個人的には、助演女優賞は、ビッチなマギーの母親と妹にでもあげたいね(笑)。 【あまね】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-03-07 08:40:38) (良:1票) |