8.《ネタバレ》 「許されざる者」「ミスティック・リバー」と比較すると、かなりわかりやすい作品となっています。マギーの家族や対戦相手ははっきり悪人として描かれており、善悪の区別を意図的に避けてきた前述の作品達とは傾向がガラっと変わっています。またマギーが全身麻痺となる原因についても、原作では試合中のアクシンデントだったものを映画では対戦相手の明らかな反則行為に変更していることからも、よりわかりやすい形で観客の感情を刺激しようとする意図が感じられます。そう、これは観客の感情に訴える純粋なドラマ作品であり、イーストウッド流の哲学や死生観を語ってきたそれまでの作品とは別物と考えるべきでしょう。あの結末もイーストウッドの個人的な思想が反映されたものではなく、フランキーとマギーの物語の終着点があの形だったと考えるのが妥当です。。。二人の関係は、師弟であり、親子であり、友人であり、そして恋人であるという、人間が持ちうるすべての関係性が凝縮されたものでした。その相手が真剣に死を望み、ほとんど動けない体で可能な限り自分を傷つけはじめ、生きることが最大の苦痛となっている状態で、それでも枕元で「生きることが大事だ」なんて言い続けられるのか?ボクシングに生き、家族に恵まれなかったフランキーにとってマギーはただの恋人ではなく、長い人生の果てに残ったすべてと言っても過言ではありません。世界でもっともマギーの生を望んでいるのはフランキーなのです。しかしそのマギーは真剣に死を望み、一方で自身の意思を実行する手段をすべて奪われてしまった。医学も宗教も「生きることが大事だ」と定番のお題目を唱えるだけで力を貸してくれない。マギーの訴えに耳を傾け、それを実行してやれるのは世界で自分だけとなったフランキーの苦悩は、想像するだけで恐ろしくなります。泣きの演技をほとんど見せないイーストウッドが、ここではついに涙を見せ、迷いを口にします。ひたすらに強い男だったイーストウッドですら抱えきれないほどの絶望。尊厳死が社会一般で認められるべきかどうかは分かりませんが、少なくともマギーとフランキーの間においては、死以外の選択肢はなかったと思います。マギーに対するフランキーの思いは、医者と一緒になって「とりあえず生きろ」と言っていられる程度の軽いものではなかったのですから。 【ザ・チャンバラ】さん [DVD(吹替)] 8点(2009-12-23 18:21:00) (良:4票) |
《改行表示》 7.イーストウッド監督のほとんどの作品は悲しみを深く描いた重厚な物語ですが、本作の「重さ」はその中でも頭一つ抜けているのではないかと思います。辛い話に耐えられない方には絶対お勧め出来ません。 やり場の無い悲しみの中で、「愛とは」「生きるとは」という、誰にも決定的な答えを出せないテーマが提示され、鑑賞後もその余韻をしばらく消す事が出来ません。 たとえ物語に共感出来なくとも、どうしても考えさせられてしまう重厚な映画に仕上がっていると思います。 主演3人の演技には全く文句のつけようがありません。 中でもヒラリー・スワンクの演技は素晴らしい、というか凄まじいものを感じました。 とりあえず、単なるボクシング映画だという勘違いだけはしないように・・。 【おーる】さん [DVD(字幕)] 8点(2010-09-16 17:08:02) (良:2票) |
6.「どんなことがあっても生きるべき」という言い方がある。「生きること」は素晴らしいのだから,全ての人間がそうすべきだ,それが正しいのだ,と言いたいのだろうが,それはちょっとおかしいのではないかと私は思う。なるほど生きることは尊いが,だからといって当事者の立場や生き方を無視してまで「生きるべき」と決め付けてよいとは思えない。「障害者でも立派に生きている」のは事実だが,だからといって他人にヘラン・ケラーのように生きろと説教したり,「弱い」とか「残念だ」などと評してよい理由にはならないだろう。そもそも,人の死というのはプライベートなものなのだから,ある人の死を「人として正しい」とか「間違ってる」とか判断することは,その人の決断の意思,死の尊厳やそれまでの人生を無視することにつながる行為だとはいえまいか。年齢にも貧困にもめげず,決してあきらめずに生きたマギーのような人が,仮に最後に挫けたとして,あきらめたとして,それを「間違っている」と決め付けることなど,だから私にはできない。人の数だけ人生があるように,そして人の数だけ愛の形があるように,人間の選択も様々な形があると,私はそう思うのだが。 【veryautumn】さん [DVD(字幕)] 8点(2006-03-12 00:11:05) (良:2票) |
5.《ネタバレ》 イーストウッド、この人は一貫してアウトローを撮り続けてきたから勧善懲悪ではないもののハリウッド的予定調和を部分的にでもとりいれてきた。しかしハリウッドでのしっかりとした位置を確保した後、いつからか神の存在しない理不尽な社会を描きだし、前作『ミスティック・リバー』において予定調和は完全に崩れ去った。そして今作『ミリオンダラー・ベイビー』においてさらなる残酷な社会を炙り出す。貧しくとも健気に生きる家族は映されず、貧しさゆえに貧しさを利用する、ずるく心の貧しい家族が映し出される。やる気だけではけして報われないことを練習生が見せる。実力者は金のなる木として消耗させられ、欲張らず懸命にがんばった女にも神はその代償を与えない。常にどこかで神の存在が絶対条件であったハリウッドに対する挑戦状ともとれる今作にアカデミー賞を与えたハリウッドは懐が大きいのか、それともバカなのか。ボクシングがいかに危険なスポーツであるかを想像させる迫力のファイトシーンを見事に見せてくれたヒラリー・スワンクの受賞はうなずけます。 これまで自らの体を切り刻まれ、撃たれ、痛めつけられてきたイーストウッドが応急処置の天才というのが面白い。しかし応急処置の天才は応急処置の不可能な究極の傷を負う。愛する者を自ら殺すという究極の傷を。そしてフランキーは消え去る。究極の傷を負ったフランキーはどこに行ったのだろう。究極の傷を描いたイーストウッドはどこにゆくのだろう。観た後すぐにもう一度観たい衝動にかられた。 【R&A】さん [映画館(字幕)] 8点(2005-11-29 13:05:44) (良:2票) |
4.《ネタバレ》 迫力のカメラワークと観る手を決して飽きさせないテンポ、何よりも素晴らしい主役の3人の存在が光りに光った良い映画だった。「ショーシャンクの空に」同様、やっぱりモーガン・フリーマンの語り口はいい。カスレた重厚感を感じさせるイーストウッドの凄みのある演技は彼ならではだ。この映画を観ると人間の生きる意味を考えさせられる。人生の価値は他人が決めるものではなく、その人生を歩んでいる当の本人が決めるものだ。夢をかなえるということは、何かを手に入れるということではなく、「目標である自分になる」ということだ。その「目標である自分」に一歩でも、二歩でも、いかに近付けるか、それで人の一生の価値は決まるのだ。不断の努力でその夢を叶えたマギーの一生は、彼女自身にとってきっと価値あるものだったに違いない。尊厳死の問題は賛否両論あるだろうが、「死」が彼女自身が自分の一生を価値あるものにする為に選んだ道であるならば、ひいては夢をかなえる為であれば、それもひとつの立派な人生の選択であるのではないだろうか。彼女をチャンピオンへと育て上げ、そして自らの手で幕を下ろす。彼女の一生の価値を理解しながら、自ら育て上げた愛する者の一生に幕を下ろさねばならないフランキーの苦悩が痛い。私個人も彼女に近い年齢になった。成りたい自分に少しでも近付く為に、自分の一生を価値あるものにする為に、もっと真剣に努力をしたいと思う。 【six-coin】さん [映画館(字幕)] 8点(2005-05-29 01:34:48) (良:2票) |
《改行表示》 3.これはボクシング映画ではない。幸福論の映画である。メインテーマは、幸福な人生とは何か。その問いかけが、見ているものがスルーしてしまうほど浅すぎもせず、かといって、説教臭さを感じさせるほど深くもない。絶妙の深さで止まっている点が、アカデミー賞を取った一因の一つではないだろうか。 丁寧に作っているので観客をあきさせないし、光と影にこだわったカメラワークはすごく印象に残る。役者の演技も皆光る。 特にイーストウッドが普通に演技していたのに驚愕!この人ってやろうと思えば普通に演技できるんだと思った(笑) ただ、あまりにも、あまりにも話に救いがなさすぎる。 心に残る映画ではあるものの、後味が最悪。もう二度と見ようとは思えません・・・。 |
2.《ネタバレ》 最期の選択について。同じ障害を抱えていても強く生きている人はいるんだから、彼女も死ぬべきではない――そう思う人もいるだろう。でもボクシングというスポーツにすべてを賭けていた彼女が全身不随になってしまうことの苦しみ、しかも支えてくれる家族もいないという孤独を思えば、彼女の決断を責めるのはおかしいと思う。そもそも人の心の苦しみはあくまで主観的なもので、他のケースと比較して重い軽いとたやすく言えるものではない。身体障害のない人がどうこう言うべきではないし、たとえ障害があったとしても、苦痛の感じ方は個々人によって異なるのだ。 同じように、この結末に希望を見出せるか否かもまた人によって違う。少なくとも私は、救いのない絶望的な結末だとは思わない。むしろ不幸と断ずることは失礼じゃないかとすら思う。短い間とはいえ栄光を手につかみ、心から信頼できる人物と出会うことのできた人生。生きるために生きるのではなく、ボクサーとしての誇りのために、ほんとうの意味で「生きる」ために死んだ(*)。最後の瞬間、ベッドの上の彼女の笑顔にはまぎれもない幸福があった。重い物語ではあるけれど、一口に不幸とも幸福ともいいきれない、歓びと哀しみの入り混じった物語だ。少なくとも彼女の人生にはかけがえのない生の実感があったではないか。何の価値もない絶望的な人生だったなんて、誰が言えるだろう? 幸福のあり方は人によって違うのだから。この映画には確かに、生きることの美しさがある。イーストウッドの映画は暗い。しかしただただ陰惨なのではなく、光を探すために暗闇を見つめる、そんな映画なのだと思う。 (*念のためにいっておくと、全身不随の生活が「ほんとうの意味で生きていない」と言っているわけではありません。あくまでも「彼女にとって」の話です。文脈からわかると思いますが念のため) 【no one】さん [DVD(字幕)] 8点(2005-11-06 12:06:48) (良:1票) |
《改行表示》 1.ミスティックリーバーに引き続き、後味の悪い映画です。一言で言って、痛さを感じる映画です。 肉体的にも、精神的にも痛さがひしひしと伝わる映画です。正直言ってもう一度みたいと思いませんが、 心地よい言葉ではないからかもしれません。クリントイーストウッドは何故、あの年で、こうも救いの ない映画を続けて撮れるのでしょうか..... 【KAZU】さん [映画館(字幕)] 8点(2005-05-29 01:14:54) (良:1票) |