4.《ネタバレ》 プロットとしては『ブロードウェイと銃弾』の映画製作版という展開ですが、『ブロードウェイ』とは逆に製作されている映画がどんどん悲惨な出来に陥ってゆくのがミソ。アレンの映画は自身の身の上が反映されることが多いのですが、本作で気づいたのは撮影監督が言っちゃ悪いが聞いたことない無名な人であること。それもそのはず、本来は名手ハスケル・ウェクスラーが撮影監督だったのにアレンと揉めて撮影開始後に降板しちゃったそうです。その辺の恨みつらみが映画の中の撮影監督(なんと中国系と言う設定!)のキャラに反映されて劇中アレンと揉めまくり、撮影監督との通訳がアレンの眼の代わりになるエピソードが笑えます。さすがにアレンもそのまま通訳くんを活躍させると『ブロードウェイ』のチャズ・バルミンテリと同じだと気が付いたみたいですが、通訳くんがクビにされた後の展開は急速に失速してしまう印象なのが残念です。 ラストの「フランスがあってよかった」と言うのは名セリフかもしれませんが、ちょっとフランス人のファンに失礼かも。欧州での高評価とは裏腹にハリウッドでは無視されている北野武をついつい思い出してしまう一編でした。 【S&S】さん [DVD(字幕)] 5点(2010-10-17 18:03:26) (笑:1票) |
3.「ハリウッド」というよりも、「観客も含めた映画に携わる全ての人」への皮肉に満ちたバック・ステージ・コメディ。才能の枯れ果てた嘗ての巨匠、利益のことしか頭にないプロデューサー、言葉の通じないカメラマン(しかも中国共産党員?)、口八丁手八丁のエージェント、そして、盲目の監督が撮った駄作でも「芸術」の一言で許容してしまうアート映画信仰。こんな環境で「良い映画」なんか出来る筈がない。私は「フランスが存在してて良かった…」って台詞が一番笑えました。また、一見いい加減に見えるストーリー自体も、「安易な家族再生もの」や「都合の良いラヴ・ストーリー」への皮肉なってる。もしかして2002年度の作品でモノラル音声ってのが、現在の映画製作に対する最大の皮肉だったのかもしれません、6点献上。 【sayzin】さん [CS・衛星(字幕)] 6点(2007-02-03 00:03:01) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 その経歴ゆえ、その知性ゆえ、そのスタンスゆえ。「もっと別の意味があるのではないか?」観る者の深読みを誘うトクな映画作家。それがウディ・アレンである。ベタベタなスラップスティックであっても、甘っちょろい男女の恋物語であっても「もっと複雑で重層的な意図が・・」と意味を訪ねる観客は数知れない。どこまで計算しているかは本人のみぞ知るところだが、誠実な作りをしていることだけは確か。誠実は「自信」と言い換えてもいい。 酔ってホテルに戻ったエリーとハルがスクリーンから唐突に消える。画面に映るは殺風景な部屋の片隅と2人の声だけ。今、こんなシーンを堂々と見せることのできる監督は彼を置いていない。西海岸の気候や文化を茶化すのも、作品に自身を投影し、道化に徹するのも自信あればこそ。自分を最も支持してくれる国を賛美しつつ、しかし一方ではピンぼけでカメラアングルもままならない作品を「芸術だ」と評するフランスの行き過ぎた形而上路線をからかってみせる。そしてエリーとのあまりにも安直な恋物語を見せることで、本作をも皮肉の俎上へと載せてしまうというこの度量。これを送るアレンもアレンなら、受けたカンヌも大したもの。 アメリカに愛想を尽かし、おいそれとパリへ旅立つヴァルとエリーを囲むのは、彼が愛してやまないNYのこの上ない絶景。皮肉と揶揄、そして矛盾。「アニーホール」以来、手を変え品を変え、アレンが追ってきたのは人間こその不条理だ。だからウディアレンは今日も映画を作る。一義的にこのドタバタコメディに笑い転げるもよし、何かの比喩や暗示があると勘ぐりを入れるもよし。人の心を強く惹きつけるものは一色ではなく、相反するような複数の色を持つものだ。解釈する楽しさを教えてくれる当代一の名監督に大きな拍手を。好演したマーク・ライデルにも拍手。着古したラルフローレンに身を包んだアレンよろしく、いかにも人間的な滑稽さで観客を包む本作は、ちょっと古風だけれど、でも気分はすこぶるいい。 【給食係】さん [映画館(字幕)] 8点(2005-05-11 15:04:59) (良:1票) |
1.《ネタバレ》 2002年のカンヌのオープニングを飾って以来、約3年間ほったらかしにされていたアレンの作品。その理由は映画を見ればだいたい分かる。 心因性の失明に陥った映画監督がそれを隠して映画を創るというストーリーだが、本作も眼が見えない人が創ったようなピンとぼけた映画となっている。 この映画が(本来)伝えたかったことは、①眼が見えないことをヴァルが必死に隠そうとする姿と周りがそれに気付かないギャップを楽しむドタバタ劇、②父と息子の復縁する姿、③ヴァルと前妻エリーとの愛を再燃していく姿だと思う。 そして①~③を通して、眼が見えていたはずなのに見えなかったことが、眼が見えなくなったことで見えるようになっていくというストーリーを描くつもりだったのではないかと思っている。 しかし、①に関しては、どっちの時計や銃がいいかという小手先のネタや、高いところから落下する姿が描かれるのみで、肝心の映画「眠りなき街」の撮影シーンがほとんど描かれていない点が問題だ。また、面白いキャラクターもいるのに上手く活かされていない。 バレそうになるところで何とか乗る切るのがこの手の映画の面白いところだろう。 中国人カメラマン→エリー→ロリ→ハル→記者の順でなんとかごまかしていく方が良かったと思われる。変人だからの一言で済ませ、誰も疑問に思わないというのは致命的な欠陥のあるストーリーだ。特にエリーだけは疑問に思って欲しかった。「自分と会わないのはおかしい」という疑問は持っていたが、ヴァルのことを死ぬほど分かっているといっていたのに結局、何も見えていないのではないか。 ②に関しては、精神科医が突然トンチンカンな訳の分からないことを言い出したかと思ったら、本当に息子が出てきやがった。しかもストーリーと全く意味なし。出すのならヴァルが再び眼が見えるきっかけに使うべきだろう。 ③に関しては、ヴァルの嘘に気付き、エリーと二人三脚で映画を創る姿をきちんと描かなければ誰も納得しないだろう。眼が見えたときの「君はなんて美しいんだ」とニューヨークの美しい景色だけでは騙されない。ヒットはするものの金のことしか興味のない婚約者に嫌気をさすというストーリーの方が本質的ではないか。見えなかったものが見えるというテーマに対しては。 結論としては、良かったのはラストと原題のタイトルだけ。タイトルは二重に意味があり面白いとは思う。 【六本木ソルジャー】さん [映画館(字幕)] 4点(2005-04-24 01:31:20) (良:1票) |