《改行表示》 6.初見。後悔しか浮かんで来ない過去、澱みきってくたびれ果てた現在、希望が浮かんで来ない将来。 この歳で観た本作に心洗われる思いです。 とりわけ歌に。 贅を極めた聖職者の頂点たる教皇(アレック・ギネス)の神に仕える初心を思い出したかのような振る舞いは、重みがあるシーンでした。 心の拠りどころの一つとなる秀作です。 |
5.感動しました。観終わった後に色々考えさせられました。素晴らしい!でも、単調すぎて途中、睡魔というサタンと闘わなくてはならない試練を与えられてしまう。でも私、頑張りました!! 【憲玉】さん [DVD(吹替)] 7点(2006-11-04 00:53:54) |
4.説教くさいけど、3回ほど泣いてしまいました。いい映画です。 【患部】さん 7点(2004-05-14 13:01:51) |
3.今ではこんな作品を創る人はいないだろうな。70年代前半になぜこのような映画が創られたのか?宗教というのは一つの生き方だとは思うが、あの挫折の時代(70年代)において、敢えて神の名のもとに、確信的に所有を否定する考えは、やはり一種の逃避としか思えない。この作品に見られるフランチェスコのような聖者像や彼に従って若い青春を抑圧する信者には、いまでは多くの人が共感し得ないだろう。若さ故の自意識の表出というのは、とても自然なことだ。そこでの挫折を僕らは「青春」と呼ぶが、生き難さの抑圧の中でも僕らは真っ当に生きることを目指して、社会における様々なエロスと抑圧を引き合わねばならないのだ。僕らは21世紀の高度資本主義社会に生きる者として、自明の抑圧に耐え、その中でささやかな生きていく欲望を見出だすのみである。青春を抑圧するところに哲学はない。。。と今では思うが、この映画を観た10数年前には、違和を感じながらもその清清しさに心を動かされたような気もする。実のところ。 【onomichi】さん 7点(2003-10-18 14:14:33) (良:1票) |
2.最初テレビで見てドノヴァンのテーマとともにえらく感動しました。映像もきれいでほんわかです。でも後に映画館で見たらテレビにない放蕩シーンがあって、ちょっとびっくり、ゲンナリしました。カットされていた短い方が良かったというと邪道かもしれないけど。テレビ版なら8点か9点なんですが・・・。 【omut】さん 7点(2003-08-03 04:40:09) |
1.一貫してマタイの福音書の難しいとされる部分が、うまく解釈、描いている。「持たざることの至福感」と「(苦しみの中にも福音を見る)神への全面的信頼」は、極めてキリスト教の大事な部分である。ここが理解できない限り、「真理は汝らを自由にする」の意味がつかめない。戒律主義に陥り、哲学的苦行僧物語で終わってしまう。その至福感は、雪原での教会再建の場面、豪雨の中での托鉢の場面等の厳しい環境の場面で、「安心していろ(神が養ってくださる)」と言ってるかのように使徒・民を励まし、その時のグラハム・フォクナーの揺るぎない神への信仰を表す目力と、全ての苦しみを超越した微笑みが、多くの人の心を引きつけるのだろう。後半の迫害後、総本山の教皇に間違いを拝聴に行こう(もちろん、命がけだろうが)という考えは、通常の聖職者を描いた映画とは異なる。「苦しみも、御心」と受容し、感謝しつつ現実と対峙していく姿が描かれ、それがさらなる感動を呼び起こす(英映画「ミッシヨン」参照)。ある面で途中まで成功しているのに、詰めの甘さが致命的で、「Hippys!」「現実逃避」と批判されても仕方がない。 【prado】さん 7点(2003-07-06 12:44:44) (良:1票) |