12.《ネタバレ》 想うことは、先の皆様が語っているのであえて省略させて頂き驚いた事は、渡辺謙さんと井原剛さんの二人が馬の前で話すシーンで、異常なほどお馬ちゃんが、謙さんに懐いて居られて、あぁハリウッドで成功するのはこういった要因があるせいなのかと。感心。 【成田とうこ】さん [映画館(字幕)] 8点(2006-12-23 18:57:05) |
《改行表示》 11.《ネタバレ》 「父親たちの星条旗」とは一転、時間軸の判りやすい構成となっていますが、硫黄島守備隊の最後を描く作品としては、これが順当なところだったのでしょう。守備隊の誰をも英雄視せず、極力ヒロイスティックや感傷的な描写を避け、淡々と守備隊全滅?までの経過を、「父親たち」同様、極力、中立的に描いていることにより、祖国のために我が身を捧げた人々のこと通じ、「戦争を知らない子供たち」を聴いて育った世代にも全滅(あえて玉砕とはいいません)に向かう兵士達の心情が伝わってきました。おかげで観を終わった後、精神的に落ち込んだことといったらありゃしません。ひたすら平和な世に生まれ育ち、平穏な日々を過ごしていることの有り難さを思い知らされるひとときでした。反戦メッセージとしては「父親たち・・」のほうが明確ですが、日本人としたまた、自身の意志にかかわらず戦火にさらされた人々の顛末を考えるうえで本作は重要でしょう。 見終わった後に気分が滅入るだけ(人にもよるのぢょうが)の映画ですが、現在の平和の影に、このような出来事があったことを再認識するために、できるかぎり多くの人に見て欲しい作品です。ただ、滅びへの道を描いただけなので、戦争スペクタクルを期待する人は観ない方がいいでしょう。 【はやぶさ】さん [映画館(字幕)] 8点(2006-12-23 01:50:15) |
10.《ネタバレ》 硫黄島2部作の前編である「父親たちの星条旗」では主人公たちの名前と人物の一致を追うのに必死だったのですが(戦場のシーンでは良く判りませんでした・・・)、この作品は出演者のほとんどが日本人だったので物語に集中できました。後編である本作品では、愛する人たちの平和を一日でも長く守るため絶望的な戦いを覚悟する兵士たちの姿が淡々と描かれていて感動しました。本土にいる家族を思う兵士の気持ち、出生した兵士を思う家族の気持ちは日米で同じなのに、思いを同じにする人間同士が戦わなければならない戦争の不条理さを感じました。 【ポテト】さん [映画館(字幕)] 8点(2006-12-22 13:05:08) |
《改行表示》 9.《ネタバレ》 実際の戦闘シーンは極力避け、緊張感を保ったまま、少ない人物で戦争の虚しさを説く。日本人の代わりにイーストウッドがやってしまったって印象を受けました。 日本の大衆的な戦争映画では、兵士のふとした憂いや妻の悲しみなどから戦争へのアンチテーゼを理解しますが、ここでは平気で「戦争、早く終わんねーかな」と口に出してしまう。その大らかさがいいし、年配の方は「60年経ったんだな」と感じることでしょう。 36日間という時間経過が伝わりにくかったのと、栗林中将がちょっと軽薄すぎたのはマイナスでしたが、それを補って余りある魅力的な映画でした。 あと、どうしても日本人と言えば「刀」なのか、刀が登場するたびに違和感を覚えましたが、それも昔気質の軍人の象徴と捉えれば、納得できなくもありませんでした。 【めだかの学校】さん [映画館(字幕)] 8点(2006-12-18 16:45:16) |
《改行表示》 8.案の定と言うべきか『父親たちの星条旗』に続き私に大きな感動と混乱をもたらした。過去のイーストウッドならば渡辺謙を自らの分身とし、主人公として描いたであろう。しかし今のイーストウッドはそれを絶対にしない。でもこの作品に登場する日本人たちは軍国主義の思想が蔓延する中でもそれぞれが自分自身の思想を持ち続ける孤高の戦士たちだ。すべての人がイーストウッドの愛すべきアウトローなのだ。だから表面的には過去のイーストウッド作品とは異にしながらも『父親たちの星条旗』と反するように実にイーストウッドらしい映画のような気もする。それぞれが兵士であるまえに一人の人間であることが強調される。かといって人間ドラマで逃げない。「天皇陛下万歳」、一人を除いて誰もが心からそう叫ぶ。戦死した祖父が戦地から私の父に宛てた手紙がうちにあるのですが、「お国のために」という当時の空気がその一通の手紙からも読み取れます。そんな風潮が前提としてあることをけして濁さない。「一人を除いて」の一人とはもちろん主人公であり語り部である二宮和也である。彼は今の時代の人間がタイムマシーンに乗ってやってきたかのような人。そうすることで今の時代の我々観客とその戸惑いを共有する。過去の悲劇を今に伝える伝道師の役目を担っている。それからもう一つ。『父親たちの星条旗』で友人を死なせたことを永遠に悔いる衛生兵の苦悩、その友人の死のこの『硫黄島からの手紙』での扱いのなんてあっけないこと。二つの作品がセットになることで戦争が個にもたらすものの大きさが実に顕著に表されていると思う。 【R&A】さん [映画館(字幕)] 8点(2006-12-12 12:45:31) (良:1票) |
《改行表示》 7.よくまぁここまでストイックな話を作れたと思う。これだけの題材、派手でカッコよくスカッとサワヤカな娯楽大作に出来ただろうに、抵抗に抵抗を重ねあくまでも淡々と粛々と話を進めていく精神力にまず脱帽。ただ、やはりなんというか栗林中将活躍のシーンが少ないのがちょっと残念ではある。彼らが1日でも長く守りたいと思った、たとえそれが強制された建前であったとしても…今の日本をどう思われるか、それが心配。 【ちょび】さん [映画館(字幕)] 8点(2006-12-12 10:01:36) |
|
《改行表示》 6.《ネタバレ》 「父親たちの星条旗」同様に極力エモーショナルに描くことは避け、「真実」を炙り出そうとしている。本作を観て、硫黄島で「何があったのか」を知って、観たそれぞれに何かを感じ取ってもらいたいという強い意図が感じられる。何かを押し付けるということはほとんどしていない。 「家族からの手紙又は家族への手紙」を有効に利用することや、大げさに演技させることによってエモーショナルに描くことは簡単である。本作の題材ならば、ストレートに観客を感動させることなど容易いだろう。だが、あえてそうしないのがイーストウッドの味であり、「わび」と「さび」ではないか。もちろん「戦争」をエンターテイメントに利用する気など微塵もない。栗林の知略をこと細やかに説明することも、壮絶な穴掘りの苦痛を描くこともしない。「戦争」を美化するつもりはないからだ。 イーストウッドの映画は昨今のハリウッド映画とは異なり、ただ映像を垂れ流すだけの「一方向」の映画ではない。映画を通しての「問いかけ」があり、観客は映画から何かを感じて考えるという「双方向」の映画なのだと思う。誰でも撮れる普通の映画ではなく、イーストウッドでしか撮れないから評価されるのだろう。 自分が一つ強く感じたのは、中将という司令官であっても、ただの一兵卒であっても、そして敵の兵士であっても、皆愛すべき家族がおり、愛される家族の一員でいたということだ。この点に関しては、身分も国籍も関係ない。それぞれの想いは、日常的な生活を綴った手紙や千人針に静かに託されているのが印象的だ。アメリカ側から本作を観た場合、「敵」であっても、バロン西のような人間的な痛みを知るものと戦っていたことを知らしめるだろう(伝説となっているバロン西投降勧告(真偽は不明)も当然描かない)。 また、「星条旗」同様に「戦争」には正義も悪も、英雄もいないということを強く描いている。「戦場」にあるのは醜さだけだ。 アメリカ側としては、日本人捕虜を抹殺する姿や、戦利品を強奪する姿や、「星条旗」では誤射によるアメリカ兵の死ですら描いていた。 日本側としても、アメリカ兵をリンチする姿、敵側に投降しようとする者を撃ち殺したり、戦場から後退しようとする者の首を刎ねようとしている姿が描かれている。 「万歳」といって自決する姿にも、玉砕しようとする姿(伊藤中尉)にも、「美しさ」はない。あるのは、「虚しさ」だけだ。 【六本木ソルジャー】さん [映画館(字幕)] 8点(2006-12-11 21:20:21) (良:1票) |
5.『父親たちの星条旗』と同じく淡々と描かれていました。空虚感が物凄く伝わってきて何とも言えない気分になりました。 【ギニュー】さん [映画館(字幕)] 8点(2006-12-11 20:06:44) |
4.《ネタバレ》 よくも悪くも全世界での上映を念頭に置いたアメリカ白人による日本映画だったと思います。現在に伝えられる史実を、西郷という一兵卒を狂言回しとして描くというねらいはうまかった。監督は彼を通して物語ったんでしょうね。日本映画なら他の登場者、特に実在の人物がいいかげんになるでしょうが、さすがハリウッド、脚本が見事でした。世界を視野に入れているため重要な部分が端折られ残念、たとえばトンネル掘りの大変さとその総延長の凄さ、火山島であるため地熱による暑さと硫黄ガスの苛酷さ。ゴキブリの量もとんでもないものだったらしいですし、島の形が変わったと言われている砲爆撃の凄まじさもちょっとあっけなかったです。ここを捉えても「父親たちの星条旗」とセットで観て全体像がつかめる作品だと思います。中村獅童演ずる伊藤大尉のエピソードが尻切れになっているのが残念。たぶん捕虜になったんでしょうが、その転向ぶりも描いてほしかった。そうそう、陸海軍で敬礼が異なるところもちゃんとしてましたね、軍服だけでなく徽章も。西竹一中佐は世界との接点としてクローズアップされシーンも多かったのでしょうが、それならば米軍の呼びかけシーンも必要だったのでは? 栗林中将と最初にあう浜辺のシーンの台詞はちょっと頂けなかった。なんか、アメリカ人の会話のようで。すべてを盛り込んで「人間の條件」のように8時間以上の作品にしてもよかったかなって少し思います。 なお12/9にオンエアされたCXのドラマもよかったです。市丸海軍少将側の物語も知ることができました。テレビなら上出来! 【shintax】さん [映画館(字幕)] 8点(2006-12-11 17:13:54) (良:1票) |
3.《ネタバレ》 硫黄島は位置がマリアナ諸島と東京の中間にあり,たまたま飛行場に適当な平地があったために戦略上の重要地点となったものです。ガダルカナルにしてもキスカにしても防衛も増援もできない地域では当時の日本軍でも転進と言う名の撤退をさせていますが,西中佐の言にあるようにこの島を海に沈めることができないならば守るしか選択の余地はなかったのです。栗林中将の作戦はできるだけ長い間守備を続けるための戦術で,それが増援の艦隊が存在しなくて,数少ない航空機も本土防空のために撤収すると言う状況ではどうせ死ぬなら華々しく散りたいとの誘惑を抑えての任務遂行に徹したことは賞賛されるべきものがあります。通常軍隊では兵力の半数が無力化されると組織的活動は不可能として全滅として扱われるのですが,文字通り最後の一人までが死守する例は世界の戦史の中でもラストサムライでオルドリンが勝元に説明したギリシャ時代のテルモピュライ,アラモの砦などと並び称されるもので,さだまさしの防人の歌にはむしろこのほうが相応しいとも思えますが,日本では反戦が表に出ないと映画にできないような雰囲気が続いていたので映画化できなかったのでしょう。これは戦艦大和の出撃みたいな無意味な戦闘ではなく,たまたま任務を負った人達が困難な中でその義務を果たす状況を題材にして丁寧に描いています。もちろん戦争が非情で残酷なものであることは自明ですがそれを映画と言う形で残すことも必要なことです。題名にあるこの出されずに(だから多分検閲も受けていずに)砂に埋められた手紙は実在していたのでしょうか? 【たいほう】さん [映画館(字幕)] 8点(2006-12-11 15:37:20) (良:2票) |
2.『父親たちの星条旗』は見ていないのだが、日米の兵士が同時に出てくるところは向こうでも使われたのだろうか。宣伝にあったとおり、日本側からしっかり描かれていた。楽しむための映画ではもちろんないし、感動したとも言いにくい。でも見ておいてよかった。両方見てから出ないとイーストウッド監督の言いたかったことは理解できないのだろう。 【HK】さん [映画館(字幕)] 8点(2006-12-10 17:44:44) (良:1票) |
1.(ちと長くなってしまった) 「ラストサムライ」はまだ「日本を舞台にしたハリウッド映画」というレベルでしたけど、今回は「ハリウッドの資本・スタッフによる邦画」と言ってしまっても過言ではない仕上がり(クォリティは当然ハリウッド・レベル)。硫黄島の激戦を背景としてしか描かないのは余りにも勿体ないという判断からか、たぶん「父親たちの星条旗」の硫黄島シーンと同時に撮影されたであろう本作は、そのものズバリ、皇軍の硫黄島戦を真正面から描いた戦争映画になってます。一応の主人公は大本営から見捨てられた硫黄島守備隊を指揮する栗林中将となってますが、狂言回しとして全島に渡る戦闘、そして帝国軍や米兵の真実を目の当たりにしていくのは二宮和成演じる西郷(これが本当の儲け役)。執拗な空爆、止まない艦砲射撃、そして蟻の様に浜辺を埋め尽くす圧倒的数の敵兵士…。この絶望的状況下で36日ものあいだ耐え抜き、犬死と解っていながら散っていった英霊達には、日本人なら誰でも哀悼の意を捧げたくなる筈です(これは紛れもなく現在の日本人に宛てられた「硫黄島からの手紙」)。同時に、こんな「ハリウッド映画」が観られる平和な時代に生きていることに対し、感謝の念も生まれるでしょう。36日という時間経過が判り辛かったことが唯一の難点でしたが、2時間半近い時間を全く感じさせない力作に変わりはありません。正月映画の本命としてお薦めします。そんな訳で、本国での興収を潔く無視した製作陣にも心からの感謝を込めて+1点の、8点献上。 【sayzin】さん [試写会(字幕)] 8点(2006-11-30 00:09:23) (良:1票) |