5.《ネタバレ》 父親役の岸部一徳を除けば、主人公タカシを含めた登場人物たちは無名の俳優ばかりである。根津甚八や石田えり余貴美子ら顔の売れた俳優は、現実世界と同様にブラウン管の中で陳腐な昼メロを演じるか、C.C.ガールズの青田典子のように夢に登場するだけ、というのが面白い。サエない小学生タカシの日常と、そこにシンクロしていく彼の父母それぞれの子ども時代。彼らは当たり前に父であり母であり子どもである。けれど父であり母であり子である彼らからその当たり前な時系列を取り除けば、そこに残るのは、アツオとジュンコとタカシという対等にサエない3人の子どもの姿だ。中島哲也監督は魔法もSFも用いずサラリとそれを見せてくれる。妹のイタズラ描きを誤魔化すためダイナミックに塗りたくっただけの風景画がコンクールに入選してしまうこと。欲しくもない賞状をもらうこと。それがちっともうれしくないこと。あるいは病弱で寝たきりのお母さんがヘビ女であること。お母さんの部屋につづく階段を昇るとき、だから少し足がすくむこと。だけど、雨に濡れ自分もヘビ女になったって構わないくらい、お母さんが大好きなこと。本当はお母さんに甘えたいこと。子どもたちそれぞれの悩みや人には決して言えない思い。彼らかつての子どもたちを現在のタカシの延長線上に置かず、そっと並列させるのがいい。タカシの目下の悩みは逆上がりができないこと。おっぱいの大きな女の人が好きなこと。ダメ人間になりたくないこと。人には言えないそんな思い。それは逆上がりができない自分が許せないトモコも、さらには何度叱られても校則違反の買い食いをやめないヤスノキヨミだってそうだ。悩みは尽きなくて、だれにも話せない自分だけの思いがあって。逆上がりができたら今度は跳び箱が「乗りこえなきゃいけない人生の障害」として立ちはだかって。世界の仕組みは謎だらけで。だけど河原に吹く風はとても気持ちよくて。そうこうしているうちに鉄棒でつくった手のひらのマメはいつのまにやら消えている。それが人生だ。ラスト、神様に願いごとをするタカシ。逆上がりの悩みはまた別の悩みに変わっている。トモコが好きで、そんなトモコも同じように悩みを抱えていて。でもトモコが悩みを一つだけでも乗りこえたら自分のことのようにうれしくて。だけどトモコのおっぱいは小さくて。やっぱり悩みは尽きなくて。人生、それでいいのだ。 【BOWWOW】さん [DVD(邦画)] 10点(2009-11-29 01:42:11) (良:3票) |
4.《ネタバレ》 ああ、ここに「下妻物語」「嫌われ松子の一生」の原点があるのですね。田舎道。テレビドラマ。突如始まるイメージシーン。繰り返される過ち。オチで破壊される予定調和。錯綜する回想。階段の上にある心のしこり。後の両作ほどには突っ走っておらず、情感たっぷりな映画ではあるのですが、ヘンな人とヘンなエピソードの積み重ねは既にきっちり登場しております。キャラ的には、普段はだれ~んとしながら、一大事には田舎町を疾走して夫に一撃喰らわせる母・順子と、いつも主人公に襲いかかるペチャパイ夏子が良かったですね。少年の夏の日を通して描かれるのは、子供って生き物、大人って生き物。子供には大人が特別な生き物に見えるけれど、実は大人は子供から時間がずっと続いてるだけの生き物なのよ、と。社会も学校と似たようなもの。人生は逆上がりができたりできなかったりみたいな事がただずっと繰り返されてゆくものなのですね。経験から学ぶも人間、学ばぬも人間。 【あにやん🌈】さん [DVD(邦画)] 8点(2006-08-30 00:10:48) (良:2票) |
《改行表示》 3.《ネタバレ》 今だからこそ中島監督は日本映画監督陣の中でも特異な立ち位置にいる監督ですが、 その根底には「映画」に対するしっかりとした「理解」と「情熱」がこの頃既に出来上がっていたのだと感じました。 物語は逆上がりが出来ない主人公のたかしの「何故」を描いた映画。 作中では彼が生活の中のあらゆる物事、あるいは自身の感情に疑問を抱く事こそがテーマの話です。 そんな様々な疑問の中で本作の主軸となるのが 「大人になるとはどういうこと?」という疑問です。 その事をたけしに諭す登場人物として2人の人物が登場します。 一人は学校の先生。この先生は大人になる事をいわゆる社会の常識で語ろうとする役柄です。 一人はたけしの父。父は子供時代をひきずり「大人も分からない事しちゃうんだ」とたけしに言う役柄です。 もっと単純に比較すると、 大人と子供は違うんだ!と説く先生 大人と子供は変わんないよ!と説く父ちゃん そのような2つの考えが作中で対峙します。 そして本作の結論は後者に傾きます。 何故ならたけしはいつの間に逆上がりが出来たから。 何故なら父ちゃんも母ちゃんも子供の頃から地続きで 今もあらゆる「何故」を引きずりながら生きているからです。 そして巨乳派なたけしが何故貧乳のともこが好きなんだろうと疑問を持った時、たけしはまた一つ大人の階段を上がります。 大人になるという事は「何故」の積み重ねである事、 そこにはゴールが無い事を本作は教えてくれるのです。 さらに個人的には小品ながらも中島監督らしい個性も垣間見る事が出来、 また今の中島監督があまり表には出さない表現方法も観る事が出来ました。 まず現在の中島監督の作風と大きく違うのはカメラワークだと思います。 遠巻きで、しかも中心から少しずらした所に登場人物を配した草原のシーンがあるかと思えば、 古い家屋に少女が座り込むシーンはシンメトリーだったりと、 地味なんだけど、しっかりとその場の情景で、 美しいシーンを押さえている印象を受けました。 今の中島監督の画とはまた違う面白さがあります。 あえて苦言を書くと物語の本筋を解説で済ませてしまうのは、 中島監督の常套手段とはいえ不満が残りました。 【吉祥寺駅54号】さん [DVD(邦画)] 6点(2010-07-28 21:48:23) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 「僕はおっぱいの大きな女の人が好きだ」という少年タカシの姿は何だか自分自身のことを言われているようで何とも恥ずかしく、でも、それを正々堂々と包み隠さないで言えるタカシは、男の中の男だ!男なら思っていること、言いたいことがあるのなら全て正直に言えと私もタカシと同じ少年の頃から親父に散々、言われてきただげに余計に胸に突き刺さる。大人からしてみたら何てことのない世界や考えもしないことが子供であるタカシにとっては不思議?どうして?となるのである。子供だから思いつく不思議と大人であるタカシの父親のこれまた大人だけど、大人になりきれないまま大きくなってしまったような駄目な親父、親父にとってもタカシと気持ちは同じであろう!逆上がりが出来なくたって、カラオケ屋に閉じこもり、馬鹿みたいに歌い、殴られ、惨めな親父にしても、子供であれ、大人であれ、同じ人間である。馬鹿な生き物、それが人間本来の姿なんだというようなものがきちんと描かれている。利口過ぎてつまらない人間よりも馬鹿だけど、面白い人間の方が見ていても楽しめるし、私は大好きである。中島哲也監督もおそらくそんな感じがしてならない。何故?何故?常に何かに対して疑問を問い掛けるタカシとそれに答える父親、父と息子の繋がりを包み隠さずに描いて見せてくれている中島哲也監督の人間観察の鋭さ、面白さなど色んな要素が散りばめられていて面白い。タカシが付けたテレビの画面の中で起こる殺人事件ぽい、ミステリー調のメロドラマやら自転車のシーンやら空の青い色やら白い雲やら、どうして?おっぱいは大きいのがあったり、小さいのがあったり、大人は突如、子供みたいになってしまうのだろう?それ以外のどうして?が大きいおっぱいが好きな筈なのにおっぱいの小さな女の子の事を好きになってしまったり、全てが上手く行かない。人生はある意味、辛いけれど、だからこそ頑張ろう!て何だか色んな意味で「嫌われ松子の一生」の松子的な映画である。最後にタカシが託す少女への希望、解る。同じ男の気持ちを完全に表すタカシの台詞にタカシ!お前は俺だ!て叫びたくなってしまった。 【青観】さん [DVD(邦画)] 8点(2010-06-11 22:11:02) (良:1票) |
《改行表示》 1.主人公の女運の無さに同情した。 でも、救いのある感じのラストに安心した。 物語は無いに等しいけど、ノスタルジックでほのぼのとした雰囲気が良かったです。 一応はコメディに分類されるのかも知れないけど、大笑いするといったシーンはほとんど無くて、クスっと笑えるところが好みでした。 逆上がりが出来るか出来ないかによって、人生が左右されてしまう辺りが面白かったです。 あと、どうでもいいことだけど、ずっと松子だと思ってました。 【もとや】さん [地上波(邦画)] 8点(2008-09-19 02:55:33) (良:1票) |