4.この映画を見終わった後の後味の悪さは何だろうか? 理不尽と自己犠牲の葛藤とが入り混じって、見ている方は、気持ちの整理がつかなまま終わってしまう映画だ。 舞台はアメリカだが、ヨーロッパの映画。 なぜ、アメリカでなければならなかったのか理由もわからない。 確かに、アメリカ中西部の田舎町にありそうな工場と工員が忠実に描かれている。 カメラワークも現実と空想の部分で分けて、そのコントラストを出しているが。 だから、何なのかわからない。 それが運命だと云うのでは、余りにも作り手の自己満足。 最後に、カトリーヌドヌーブはよかった。 【映画の友】さん 0点(2001-08-18 00:39:12) |
3.私はこの映画を見て、点数をつけるなんてココに来るまで考えもしなかった。私には点数なんてどうでもいいのでゼロにしておきます。この話しは面白くも感動もなく(良かった)なんて人に薦める様な映画ではなく、でも心の中に閉まっておきたい映画となりました。セルマ役はビョークでしか出来ない。あの魂の叫び、歌声はビョークではなくセルマ。セルマが愛したのはミュージカルと息子ジーン。セルマの生きがいはミュージカルとジーン。セルマに関わる人達は私達の身近に存在している人そのもの。あんな事件が実際に起きたとしても、おかしくはない。確かにセルマは弁護士や友だちに本当のことを話せば生きれたのだと思う。・・・セルマは秘密だと約束したのに裏切られた。でも、セルマは約束に対して裏切ることが出来ず自分だけは裏切るまいと孤独だったと思う。真実は一つ、セルマと私達だけが知っている。ビルを殺した訳を 片側からしか見ようとしない人達をきっとセルマは許していた。そして私も、きっと片側からしか見ようとしない人間なのかもしれないと感じてしまった。最後に歩く107歩・・・死に向かって自分の意志で歩くのはとても想像のできない程、恐ろしい事なのだろう。セルマを見て人間を見た。もがき、叫び、身体が震え、正気でなくなったり、冷静になったり、彼女は空想の中で歌い、歩き、そして処刑台へ。恐怖で支えれなくなった身体は板に縛られ、でもジーンの手術を知ったセルマは何かが乗り移ったかの様に冷静になって、大好きな歌に息子の歌詞をのせ最後の魂の叫びを私は聴いた。衝撃的なラストシーン、ショックだった。彼女のショーを見ているようで(これは最後ではない、そう思えば続くのだから)という言葉がただボー全としている頭の中に聞こえてきた。受け止めなければならない人の死。セルマの人生はミュージカルに始まり、ミュージカルに終わる。私の死は最後にどんな魂の叫びを吐き出すのだろう・・・。と感じる映画でした。 【LISA】さん 0点(2001-08-03 19:45:40) (良:4票) |
2.あんなに脚本上都合のいい目の病気が本当にあるのか?失明するほどド近眼なのに、どうして眼鏡に度が入ってないのだ?…といったような瑣末なことより、とにかく描かれる人間像の浅さが気になった。あのラストでしかもなんの感動も得られないのでは、不快感しか残らない。 【さる】さん 0点(2001-08-03 05:12:44) |
1.三流映画だなぁというのが正直な意見。見るんじゃなかった。友達に「よかったよ」てすすめてやろっと! 【映画好き】さん 0点(2001-07-01 23:04:29) |