ブタがいた教室の投票された口コミです。

ブタがいた教室

[ブタガイタキョウシツ]
2008年上映時間:109分
平均点:5.58 / 10(Review 40人) (点数分布表示)
公開開始日(2008-11-01)
ドラマ学園もの動物もの実話もの小説の映画化
新規登録(2008-12-19)【素敵な鯛の靴】さん
タイトル情報更新(2024-05-22)【イニシャルK】さん
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監督前田哲
助監督橋本光二郎
キャスト妻夫木聡(男優)星先生
田畑智子(女優)池沢先生
池田成志(男優)小鷲先生
大杉漣(男優)仁科教頭
原田美枝子(女優)高原校長
北村匠海(男優)拓実
松原菜野花(女優)松原菜野花
ピエール瀧(男優)榎木伸哉の父
清水ゆみ(女優)音楽教師
戸田菜穂(女優)甘利花の母
北山雅康(男優)
脚本小林弘利
作詞トータス松本「花のように 星のように」
前田哲「Prayer」
作曲トータス松本「花のように 星のように」
民謡フランス民謡「クラリネットをこわしちゃった」
主題歌トータス松本「花のように 星のように」
挿入曲清水ゆみ「Prayer」
製作日活
関西テレビ
読売新聞社
配給日活
美術磯見俊裕
編集高橋幸一
録音小野寺修
あらすじ
生きることは、食べること。そして、食べることは殺すこと。豚の飼育を通して、生徒たちにそのことを考えさせようとした、ある教師の姿と、生徒たちのリアルな討論を描く。
ネタバレは禁止していませんので
未見の方は注意願います!
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2.《ネタバレ》 レニーゼルヴィガーとユアンマクレガーが出ている「ミスポター」でのワンシーン。レニー扮するポターが、田園地帯を散策中、牛の世話をしていた農夫にたずねる。「この牛は、なんて言う名前なの?」それに対して彼は答える「家畜に名前はつけません。殺すときかわいそうになるのでね」・・・・・・つまり、これが「ブタのいた教室」が0点である理由の全てなのである。

この教師は、子供達にブタにPちゃんという名前をつけさせてしまった時点で

”生き物を食べるために育てる=家畜”



”生き物をかわいがるために育てる=ペット”

の違いが分かっていない愚かな教師だ。 育ててから子供達で食べるかどうか決めさせるのであるなら、スタート時点で名前をつけず、「家畜」「ペット」の境界をニュートラルにする必要がある。しかし、すでに名前をつけて「ペット」に分類させたブタを、最終的に食べるかどうか決めさせるなんていう行為は「育てたブタを食べるかどうか?」ではなく「かわいがったペットを食べるかどうか?」と子供たちに迫る愚行なのである。

いわば「戦地で食べモノがなくなったら、死にかけの戦友を食べるかどうか?」という議論をするようなものだ。われわれとて、ペットとして飼っていた動物は食べたくもないはず。

そんな意味不明で議論のテーマにもならないことを、おおまじめな顔で議論し、見当外れの意見がとびかう教室。空いた口がふさがらないのである。

食物連鎖のピラミッドは自然の摂理。それにしがたい、生きるために上の階層が下の階層の生物の命を奪うことには罪はない。
罪があるのは、生きるため以外、すなわち装飾のために毛皮とるために殺すとか、ハンティングのような娯楽のため殺すことだ。教師が教えるべきことは、そのことであって、「生きるために動物を殺すことはアリかナシか?」ではない。人間はほかの生き物と違い「感情論」を持つ生き物であるがゆえに、生き物を殺す葛藤が生まれる。でも大事なのは、食物連鎖という自然の摂理に従い下層の生き物の命をいただき、その食べ物に感謝すること、そして、食べモノを粗末にしないことであることを伝えることが教師の役目だ。

それを伝えたうえで、毛皮はぎの現場の映像資料を見せ、食物としてでなく装飾目的で動物達が糞尿と病気が蔓延する劣悪な環境で大量に育てられ生きたままこん棒で殴ったり感電して失神させられ生きたまま泣き声をあげようが容赦なく皮をはがされ、まだムシの息で生きたままの皮をはがれた動物達の山が食べられることなく積み上げられ廃棄されている場面をしっかりと目に焼きつかせることも教師の役目だ。

子供達の母親世代には、毛皮の現状も知らずダウンジャケットのフードのフチにリアルファーがくっついているのを何の意識もなく購入して「きれいでしょ」くらいの気持ちで着用している。そうした親が子供に毛皮の罪を教えることは期待できないのなら、学校で教えるしかないだろう。

名前をつけてペットとして飼育したブタを食べるかどうかなんていう意味のない議論をするより、学校のウサギ小屋にいるウサギを教室に運び込んで「みなさんの着ている上着を飾るために、このウサギを生きたまま殴って気絶させて皮をはいで、みんなの上着に縫い付けるかどうか議論しましょう」と、毛皮の真実を教えるほうがよっぽど、命の重みを学ばせることができたのではないか?



最後にひとつ。

ディズニーピクサーの「モンスターズインク」で、外来の汚染生物であり危険な存在と認識されている”人間”の女の子。マイクはその子をどうやってモンスターの世界から追い出すか、それまでの間彼女をどう隠すか、を必死で考えているのに、マイクの親友サリーはその子に<ブー>という名前を付けてしまう。それを知ったマイクは叫ぶ

「名前なんてつけたら、愛着わいちゃうでしょ!」

そう。だから私は言いたい。


「ブタにPちゃんなんて名前つけたら、愛着わいちゃうでしょ!」
フィンセントさん [地上波(邦画)] 0点(2014-08-04 15:37:46)(良:3票)
1.《ネタバレ》 例えば英語圏でPIGをPOAKと呼び換えるように、一頭の家畜が「肉」となり店先に並ぶまでの過程を、人は忌み嫌う。他の生命を奪い食べるという自然の摂理、その正当性と残酷を正しく認識する以前に人はそこから目をそらしてしまう。大人ですら真に理解しているとは言い難い(そしてそれゆえに避けて通ろうとする)この難題を子どもたちに語りあわせるコンセプトは素直にすばらしいと思う。しかしそれをきちんと描ききるだけの確固たる志が、残念ながらこの映画には無い。通り一遍の大風呂敷を広げ、あたかもタブーに挑むかのように見せながら、映画は肝心の核心に近づくたび安全地帯へと逃げ帰る。これが子ども向け映画で出来る限界であったと言われればそれまでだが、禁忌を語るに足る厳しさや中立性を一切欠いたその姿勢はあまりに生ぬるい。子どもたちが仔ブタを家畜ではなくペットとしてPちゃんと名付けてしまう発端の姑息な「誤算」からして、物語はさっそく肝心の食育から弱々しく目をそらし、語るべきテーマから大きく逸脱してしまっている。さらにはその生半可さが、ペットとして可愛がったブタを家畜として送り出すという、食育とはまるで別次元の(本来なら不必要な)辛い決断を子どもたちに迫るのだからなんともたちが悪い。トラックの荷台に乗せられたPちゃんを、まるで転校生を見送るように泣きながらセンチメンタルに追いかける子どもたち。だがPちゃんの行き先は、新しい学校などではなく、血腥い精肉工場なのだ。それでも映画は美しい別れの感傷にただひたるばかりだ。彼の行き先を自分たちで決定した(させられた)ということ、そのことの重い意味を子どもたちに最後まで理解させることなく。中途半端な食育の名の下に訳もわからぬまま決断を下させられた子どもたち、そんな彼らの胸に去来するのはおそらく学舎を共にしたクラスメイトとの単なる別れの悲しみでしかないだろう。例えば性教育を語るのに即物的なポルノ映像が必要ないように、精肉工場で屠殺され血を抜かれスライスされるブタを子どもたちに見せる必要は勿論無い。しかし食育を題材としながら終始核心から目をそらし続けるだけの無害きわまりないこの映画は、血の痕跡を丹念に洗われ清潔にパック詰めされたスーパーの豚肉と何ら変わりない、無難で欺瞞にみちたシロモノだ。私たちは今日もその安全な肉を買い、能天気においしいねと舌鼓を打つのだろう。
BOWWOWさん [DVD(邦画)] 0点(2010-01-24 02:30:59)(良:2票)
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【点数情報】

Review人数 40人
平均点数 5.58点
0410.00%
112.50%
200.00%
312.50%
4512.50%
5512.50%
6717.50%
7717.50%
8820.00%
912.50%
1012.50%

【その他点数情報】

No名前平均Review数
1 邦題マッチング評価 9.00点 Review1人
2 ストーリー評価 4.00点 Review2人
3 鑑賞後の後味 4.00点 Review2人
4 音楽評価 Review0人
5 感泣評価 9.00点 Review1人

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