《改行表示》 10.《ネタバレ》 映画の中で、人々が「記念写真」を撮る場面は、どうしていつも感動的なのか。それは、たぶん人物の写真を撮ったり撮られたりすることが、まもなく彼や彼女たちに訪れる“別れ”を暗示し、予告するものだからだ。・・・小津の『麦秋』や侯孝賢の『悲情城市』における家族写真、『少年時代』の主人公と村のガキ大将が撮った2人だけの写真、等々。『二十四の瞳』でも、大石先生と子どもたちが撮った写真は、いくつもの別離のたびにその悲しみを深めるものだった。 この『BALLAD』にも、「記念写真」の場面が登場する。それは武将・又兵衛とその配下の武士たちが、明朝に敵陣を強襲する前に、未来から来た少年・真一の父親が「写真を撮りましょう」と提案する場面だ。初めての写真に、緊張する又兵衛たち。だが、思い思いのポーズをとったりふざけあいながら、彼らは、楽しげに撮影に臨む。そして又兵衛は、「これで、この世に生きたというあかしを残せた」と感謝するだろう。 この場面は、こよなく美しい。それは、死地へとおもむく者たちを描くための、ただの感傷的な設定に過ぎないのかもしれない。だが、監督・脚本の山崎貴の意図がどこにあったにしろ、わざわざ真一の父親の職業を「(売れない)カメラマン」にしてまで盛り込んだ、この、原作アニメにもなかった場面があるからこそ、ぼくにとって『BALLAD』は忘れがたい作品となったのだった。山崎監督は、映画において「愛する人々の写真を撮る」ことの悲劇性を、ここできっちりと見据えている。タイムスリップを題材とした荒唐無稽な時代劇が、先に挙げた小津や侯孝賢作品をはじめとするひとつの「映画(史)的記憶」に満ち満ちたものとしてあることへの驚き・・・。 もちろん、そういった小賢しい贅言を弄さずとも、その美しさは、『非情城市』や『麦秋』がそうだったように、誰の胸をも打つものだとぼくは信じる。確かに、少年の成長物語としても、姫と武将の悲恋ものとしても、この映画はただただナイーブにすぎて、「オトナ」である貴方は嘲笑するばかりかもしれない。しかし、そういった作品が一方で、驚くほど豊かな「感情[エモーション]」と「表現」を実現していること。その事実をぼくたち観客も、見る、あるいは感じ取る“責任(!)”があるとつくづく思う。 というワケで、満点献上でも良いのだけれど、やはりここは原作アニメに敬意を表して・・・ 【やましんの巻】さん [映画館(邦画)] 9点(2011-09-02 18:05:58) (良:4票) |
《改行表示》 9.《ネタバレ》 会話式レビューA君『根本的に実写化を間違えているとしかいいようがないんですけど』 B君『まぁねぇ、簾姫の願いが時空越えて現代に届きタイムスリップして出会うのが何故、あのガキになるのか全く分からない。必然性がないんだよね』 A君『原作の方はその理由が「クレヨンしんちゃんだから」で、すべて成り立つ話ですけど、しんちゃんをそのまま実写化出来ませんしね、その時点で実写化無理って気付けって話ですね』 B君『しんちゃんの世界観だからこそ成り立つご都合主義をそのままリアルに実写化したら、ただの「不自然」が際立つだけだし』 A君『失笑が止まりませんでした』 B君『あと気になったのは、又兵衛が簾姫を好きなのは、あの時代では決して周りに口にしてはいけない事だとアニメ版では触れてましたけど、この映画はあのガキが部下と又兵衛の前で簾姫との事をはやしたてるけど・・』 A君『本来なら、あの子供は又兵衛に斬られても文句は、いえませんよね』 B『微笑ましいシーンにしたかったんだろうけど呆れたよ』 A『あとクライマックスの合戦ですけど、まぁ迫力はそれなりにあったと思いますし、見れたのは見れました・・しかし主役一家が車で戦線に突入する所は・・』 B『車の速度遅っ時速15キロ以下!それで敵とかビビッてる姿が間抜けすぎる!ぶつかっても打ち身程度じゃん』 A『アニメ版だとしんちゃんの父が凶暴な運転をして、そこにみんなビビッてる訳ですしね』 B『そして敵武将の決着の付け方も・・「しんちゃん」ならあの結末有りだけど、実際はあんな屈辱受けたら切腹でしょ!清々しい顔して去るなよ!』 A『最後もアニメ版ではしんちゃんと簾姫が時空を越えて同じ空の又兵衛の雲を見上げる号泣必死シーンの簾姫のセリフ「おい青空侍」が石碑の「ありがとう」って・・余韻が数十倍落ちました。』 B『あとさ主人公のガキが最後に自転車で叫んだのは何?』 A『多分、あれで彼が強くなった事を示す「成長」の雄たけびでは?』 B『そうなの?だったら冒頭でいじめていた男達に挑むシーンとか見せればいいのにな』 A『もうキリがないのでやめましょう。これを見るならアニメ版を見たほうがいいという結論にしかなりません』 【まりん】さん [DVD(邦画)] 3点(2010-06-30 01:31:52) (良:4票) |
8.山崎監督って、いい意味で色のない人だと思うんですよ。自分の色みたいなのがない(或いは出さない)がゆえにアクの強さがなく、毎回、広く人々に見られる作品になっている感じ。だけど、この作品は映画版『クレヨンしんちゃん』の映画化、今世紀に入ってから作られた最近の作品をわざわざ実写映画化してしまうっていうのは大変に無粋なように思え、また、元の作品に原監督の色が濃く出ているがゆえに、山崎監督ではなく原監督のモノとしか言い様のない映画になってしまうのではないかと危惧しました。結論としては、原監督と山崎監督のハイブリッドになって実写なりの面白さが出たな、と。原監督的こだわりはかなり薄まりました。でも、キャスティングのそのアクのなさ加減、色の薄さ加減まで含めて、これはかなり巧妙に計算されているんだな、と。つよぽん、ガッキーから筒井、夏川と、見事なまでに強い個性で押すタイプではない役者を揃え、アクの強さをいかに消しこんでゆくか、と。そう、オリジナルのアニメをそのまま映像化したら、とんでもない事になってしまうという危うさをきっちり回避してるんです、これ。実写で「野原一家、ファイヤー!」をやっちゃったら、ボディブレードでフルスイングをやっちゃったら終わりになってしまうという。そこら辺、『20世紀少年』なんかとは違いますね。結果として、広く口当たりのよい娯楽時代劇の出来上がり。シネスコ画面に展開する合戦シーン、一対一の殺陣など、必要な画も撮れてますしね。本格時代劇を、また『クレヨンしんちゃん』を大前提とした視点で捉えてしまうと物足りなさ大爆発でしょう。しかし、いい意味での俗っぽい仕上がりであるがゆえに、「『しんちゃん』でかつ大人なドラマ」という、客観的に見ると実はシリーズ中でもかなりマニアックなシロモノであった『アッパレ!戦国大合戦』よりも敷居は低く、間口は広い作品に仕上がっています。ポイントは『クレヨンしんちゃん』の実写化ではなく「おマタのおじちゃんと廉ちゃんの物語」の実写化。純化され、透明感を与えられたラブストーリー。そこに実写化の意義も価値もあったと思います。 【あにやん🌈】さん [映画館(邦画)] 8点(2009-09-06 18:36:01) (良:3票) |
《改行表示》 7.私はこの映画の原作(アニメ)の戦国大合戦の大ファンである。 イメージが壊れないか、がっきーや草薙君の演技は大丈夫なのか? 原作が大好きなだけに不安はかなり多かった。 そして邦画は普段あまり見ない。でも見に行った。 感想は・・ 見に行ってよかった! 昔の人の恋愛の掟はもちろん知らない。 身分の違う恋愛が許されないということは分かっていても、実際どうなのか想像がつかない。 草薙君とがっきーの演技はとても素敵だった。「愛している」ことを言葉で言えない、言わない。結ばれる事も無い。 でも目線で、お互いを思う心で、確実に通じ合ってる2人。スクリーンからそれが伝わってきた。 草薙君演じる武士はとてもかっこよかったし、がっきーが演じる姫は本当にかわいかった。 また、悪役の大沢たかおさんの演技も戦のシーンもとても迫力があった。 ひろしとみさえもいい味出していた。 所々笑える部分もあり、じーんとくる部分もあり、家族とでも恋人とでも安心して見れる映画だと思う。 最近そういう映画って少ないから、見終わった後私は心が温かくなった。 【ましゅまろシナモン】さん [試写会(邦画)] 7点(2009-09-17 22:07:42) (良:2票) |
6.《ネタバレ》 いい話だし、つっこみどころが色々あるのも今時の大作映画だから仕方がないとしても、この映画にはオリジナルに引っ張られてしまった致命的なシーンがいくつかあるように思う。車の窓を全開にしながらながら鉄砲の玉や矢が飛び交う合戦の中を走ること(しかも女性の乗せて)。まげを切り落としながら命を助けるという武士としてこの上ない屈辱を与えられたのにその相手が本気で感謝すること。都合良く一家が現代に帰れること。そしてなにより又兵衛が撃たれる理由も分からず、相手も判らないままで終わること。いい意味でアニメであれば成立するだろうこの様な部分も実写映画となればそうはいかない。オリジナルとの兼ね合いでそうしなければならなかったならその時点で実写化はあきらめるべきだったと思う、成立しないんだから。オリジナルを尊重して「おバカ」に振るならもっと徹底すれば良かった。そうすればぎりぎりいけたかもしれない。いい話なのにもったいないとしか言いようがない。 【ことひき】さん [映画館(邦画)] 2点(2009-09-11 18:01:27) (良:2票) |
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5.どうしてこうなったのかはもう様々な利権の絡み具合だと解釈したい。むしろこれがスタッフ、監督のベストなのだとしたらそれこそがっかり。演技やカメラがたまに学生さんが作ったものなのかと思うほど稚拙 【HAM】さん [映画館(邦画)] 0点(2009-09-06 00:10:42) (良:2票) |
4.大半の人はしんちゃんの後に本作を観ていると思いますが、まだ両方観ていない方には逆の順番で観ることを勧めます。絶対にその方が後味が良いです。同じ時間を費やすなら、得する方を選びましょう。 【アンドレ・タカシ】さん [CS・衛星(邦画)] 5点(2010-09-15 00:27:19) (良:1票) |
3.《ネタバレ》 全編の半分ぐらいが感動シーンだった気がします。みんなすぐ感動させるような事言い出すもんから、最後の方、かなり飽きてしまいました。一番最後なんて「帰ってくる草なぎくんに必死に駆け寄る姫」⇒「撃たれた草なぎくんとのお別れ場面」⇒「姫とのお別れ場面」⇒「ありがとう、という字に心打たれる場面」と4場面連続感動シーンを見せられちゃったもんだからつまんないつまんない。もはや感動させることに集中しすぎて狙撃された人のすぐそばに姫がいようが、誰が撃ったかわからなかろうが、だーーれも気にしません。やっと終わったと思ってもエンドロールはこれでもか!ってぐらい切ない感じの動画と写真。コミカル、コミカル、コミカル、感涙、泣きのエンドロール、ならわかりますが・・・コミカル、感涙、感涙、感涙、感涙、泣きのエンドロールっておい。。。胃もたれおこしそうでした。でも、姫の「いつもここでお前が戦で命を落とさぬよう、祈っておるぞ。」にはキュン死にしそうでした。そらモテモテですよ。 【メリーさん】さん [映画館(邦画)] 4点(2009-10-09 00:20:53) (良:1票) |
《改行表示》 2.《ネタバレ》 色々欠点がある映画だと思いますが、一番の欠点はアニメでは許されるところを、実写でもそのまま同じ演出をしている所だと感じました。どんな映画でもタイムスリップが起きる場面自体はギャグとしてやっている物なのに、この映画は真面目にやってしまっています。ハッキリ言ってバカみたいです。私は元のクレヨンしんちゃん版は未見ですが、恐らくはギャグとして演出しているのでは? 脚本も良く出来ているとは到底言い難い出来だと思います。又兵衛を慕っている若侍は、途中にあれだけ伏線張っているのに、全く成長するシーンが描かれません。まともな映画だったら、又兵衛か父親が合戦の最中に戦死する事で大人として成長する演出を入れると思うんですけど……。最後の「ありがとう」の石碑も、大クヌギの傍か湖のほとりに置かれているなら百歩譲って分かりますが、城跡に置いてあるので全くもって意味不明。どうせなら川上家の所縁の場所に置けよ!。 本作を観て改めて思ったのですが、監督の山崎さんは「ALWAYS 三丁目の夕日」で非常に評価されていましたが、そんなに褒めるほど上手でしょうか。脚本を兼任しているにしては穴がありすぎると思いますし、なにより撮り方が一々ドラマっぽいというか、陳腐と言うしか無い気が。役者さん達も御世辞にも好演しているとは言えないし、そういう役者さんの演技力を引き出す技量もイマイチな人なんだなと言わざるを得ません。 次回作は「実写版宇宙戦艦ヤマト」らしいですが、大丈夫なんでしょうか。主役は木村拓哉ですし、まさかSMAPファンなんですかね。 【民朗】さん [映画館(邦画)] 4点(2009-10-06 01:05:32) (良:1票) |
《改行表示》 1.《ネタバレ》 井尻又兵衛が向こう岸から川を走り抜けて来、山賊たちとの殺陣を繰り広げ、それを一気に畳み掛けるワンショット 又兵衛が部屋を出、簾姫が引き止める、又兵衛軽く会釈してその場を立ち去ろうとするが、真一がカメラ前を横切り又兵衛を説得すると踵を返し簾姫のもとへと戻って行くワンショット 櫓から降りてきて門を抜け、坂道を下り、走り続けるも、銃声が鳴り響き、脚を止めてしまう簾姫が一気に小さくなっていくワンショット 自転車に跨がり、坂道を下り、大声を上げ、性急なパン、びゅーんと駆け抜けて行く真一とともに幕を降ろすワンショット どの長回しのワンショットも見事に撮れている。そこに映し出される人物たちの感情を見事に切り取っている。長回しのワンショットは時間と空間の証明だ。断絶されない時間と空間、それは我々に流れている時間と空間と同じものであり、だからこそ長回しのワンショットが美しく撮れたとき、映画においての豊かな表現となるのだ。 この映画の主題は溝口健二「近松物語」的であり、香川京子というキャスティングはそういうことだ。 何故そういうことになるのかと言えば、思い起こせば3年前、没後50年溝口健二国際シンポジウムに登壇した山崎監督、あの姿を思い出すわけで、つまりそれが結実した今作のはずなのだ。 もし、水面、すすき、長回しのワンショット、そんなもので溝口健二を表現する気だとすれば、それは所詮溝口的クリシェが山積みとなっただけの凡作だ。 ただ今回の一番巧かったところは実は溝口とはあまり関係のないところであった。 それは簾姫が自動車に乗り、その後ろを又兵衛が馬で追い掛けるも距離は広がり、追いつくことが出来ないというシーンだ。この時誰もが、もはやこのふたりは永遠に結ばれることはないのだろう、という暗示に気がつくはずだ。この距離感の問題というのは要するにイーストウッド的であるということだ。そして、あの銃声、立ち止まる簾姫、カメラは止まることなく彼女を突き放して行く、実に立派な連鎖が起きているだろう。 山崎監督のやりたいことは充分に伝わるが、いまいちのれないのはあまりにも幼稚なシナリオだからなのか。あらゆるところに巧さは見えるが良い映画なのかとなると話は別だと言わざるを得ないだろう。 【すぺるま】さん [映画館(邦画)] 5点(2009-09-15 02:38:51) (良:1票) |