4.《ネタバレ》 そうです。そうなんです。村上小説の主人公は、なぜかいつもモテモテなんです(笑)。にしても、原作や村上春樹の小説など一度も読まずにこの映画を見る人は、ただの優柔不断男と病んでる女達の不可思議ワールドとしか思わないのではないかと危惧してならない。勿論、彼の小説を映画化するのは相当困難な問題があると思うし、この作品は小説的な映画という作りでなんとか頑張っていたとは思うが、やはりなかなか大変なものがあるとも感じた。読んだ人それぞれにそれぞれの「ノルウェイの森」があると思うので、あのシーンがないとかあの台詞がないとか言っても仕方ないと思うが、個人的に残念だったのはやはり性交やエロスのシーンで、その描き方たるものなんとも中途半端で機械的。もっと生々しく描けなかったのかと言いたくなる。映像的には、あの空気感や独特の世界観など、原作の雰囲気がよく出ているし美しいシーンも多いが、個人的には映像よりも音の方が印象深かった。二人で散歩するシーンの風の音や小鳥のさえずりなど、楽園を思わせるサウンドでうまく心情表現してると思うし、それに対して悲劇の時に鳴り響くストリングスのおどろおどろしさといったらない。この「落差」が凄く恐ろしい。ある意味、そのへんのホラー映画よりも怖い。 【あろえりーな】さん [レーザーディスク(邦画)] 6点(2011-06-30 22:31:10) (良:1票) |
3.直子役に菊地凛子が決まった時点で原作と異にする作品なのだろうと思った。そして実際、映画の直子は原作の直子のように静かに狂ってゆかず、ひたすら生々しく、そう、まさに生きている人間の悲しみと苛立ちに満ちた狂い方を見せてゆく。トラン・アン・ユンが与えた息吹は原作から解き放たれた独自の世界を作ろうとする。しかし、、しかしだ。他方、松山ケンイチと水原希子はあの魅力的な村上春樹の世界を再現してしまっているではないか(言いすぎか?)。匂わない汗。香らない食事。どんなに激しいセックス描写があってもそれは文章でしかないという無機質な感覚。映画には向かなそうな、文章でしかない世界。それが村上春樹の世界なのだと私は思う。それを非現実的な響きを持つ、まるで読むように響く二人の声によって実に見事に春樹ワールドを作り上げている。監督もやられたクチなのだろう。この世界観に。だから独自を貫けずに二つの世界を中途半端に発生させてしまった。現実の世界と非現実の世界を右往左往する主人公というのはそれはそれで面白いのだが、現実の直子と非現実の緑というあべこべの構図にちぐはぐさを感じる。 【R&A】さん [映画館(字幕)] 6点(2011-04-19 15:32:03) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 なんかなあ・・・見ているときも、見終わった後もそんな気分。これじゃあ、異様にモテる男と面倒くさすぎる女の物語じゃないか。そこに動機が見出せない。 どうしてワタナベはあんなにヤリまくりモテるのか?原作では、ワタナベの不思議な魅力を淡々と描いてみせる。ワタナベの見方を通して、あるいは関わる人々から言われる「ワタナベ評」を通して、人物像を形成していく。例えば、緑の父親にキュウリを食べさせるエピソード(映画では省かれてる)。自分はこういうワタナベに対して人間としての魅力を感じる。 ところが、映画ではこの“理由付け”の部分が上手く描けてないから、結果的に「なんかなあ」と思ってしまう。これは、ストーリーテリングの問題が大きい。脚本家としてのトラン・アン・ユン。 “理由付け”の非力さという意味では直子も同様で、どうも映画中の彼女には惹きつけられるものがなかった。なんだ、あの媚びたような口調は。こっちは、役者にも問題がある。 ただ救いというか、個人的に新たな発見もあった。ラストで緑の名前を呼び続ける場面。原作にもある。これは、緑のセリフ「私をとるときは私だけをとってね。私を抱くときは私のことだけを考えてね。」と繋がっていたのか。映画のシンプルな構成だからこそ、浮かび上がった。 さて、国民的小説ともいえる「ノルウェイの森」。 もし自分ならこう撮る、直子役には○○を起用する等の居酒屋談議も当然出てくる。 大変僭越ながら、私の妄想をここに発表すると、ラストのシーンはレイコがギターを弾きワタナベと2人だけでやる直子のお葬式にする。レイコのギターをバックにエンディングロールを迎えて。 まあ、それはさておき。かつて、映画化されそうでされなかった「ノルウェイの森」。いや、できないだろうとも言われていた。情けないな、外国人に先を越されてしまったね。本作はトラン監督の感受性に敬意を表すると共に、色々な解釈があっていい、忘れた頃にでも他の人による第二、第三の「ノルウェイの森」を期待したりして。 【ジンロク】さん [映画館(邦画)] 6点(2010-12-25 14:52:47) (良:1票) |
1.原作をほぼ忘れかけている状態で鑑賞したのが良かったのかもしれない。緑の演技の下手さに最初は辟易としたが、段々馴染んできて気にならなくなった。トランアンユンの技巧(意図的に斜めにするシーンなどなど)や映像の透明度、瑞々しさは素晴らしいと思った。大衆向け娯楽純愛映画ではなく、その点にまずほっとし、監督がこの物語をどう解釈したかが理解できた気がした。あの時代を切り取って、そして生きていくこと、成長していくことを主眼にしているのではないだろうか。直子の誕生日の時の台詞と、最後の台詞を考えれば分かりやすい。18と19の間を行き来すればいいのに、という直子と、死者はずっと17、21のままで遠くへ行ってしまう、というワタナベは明らかに異なっている。誰もが自らの「ノルウェイの森」観を基準にするが、監督の解釈を受け入れる余地は十分にあるだろう。原作を読んで5年後に観ることをおすすめしたい映画だ。まぁそれにしてもセックスシーンは中途半端過ぎて話にならない。村上春樹の生々しさが表現されておらず、口だけで濡れるだの勃起だの言ったところで下品なだけで生々しくない。そこは大いに不満だった。 【Balrog】さん [映画館(邦画)] 6点(2010-12-19 17:52:45) (良:1票) |