4.《ネタバレ》 原題の「Let The Right One In」(正しき人を入らしむ)は「ヴァンパイアは招かれない限り、その家には入ることができない」という故事に由来するということらしい。エリは何百年も生き続けるには昼でも活動できる人間のパートナーが必要で、恐怖で押さえつけるのではなく自分(エリ)が必要であること、すなわちパートナーの心に「招かれ入る」ことが条件である。最初のオヤジパートナーもエリを何かしら(性的対象か)でエリから離れられず、オスカーも心の隙間にエリが上手く入り込んでいる。多くの人が「ぼくのエリ」というタイトルを残念に思っているようだが、ヴァンパイアの少女相手に最終的にはいじめられっ子のオスカーが「ぼくの」という独占欲が現れるような心の成長が良く描かれていると思える、しかし「200歳の少女」はいらない 【かのっさ】さん [DVD(吹替)] 9点(2011-02-25 10:48:20) (良:3票) |
3.《ネタバレ》 私が怖かったのは、血まみれのエリでもプールでの惨殺でも無く、二人で列車に乗り去って行くシーンだ。冒頭では父娘としか見えなかった関係の真相がオスカーに置き換わったことで判明し、その真実に戦慄する。同時に二人の、特にオスカーの行く末に複雑な思いを巡らせる。【共棲】という単語を辞書で引くと「異種類の生物が同じ所に住み、密接な結びつきを保ち、利害を共にしている生活様式」とある。ヴァンパイアは不完全な生きもので誰かと共棲しなくては生きて行けない。オスカーの籠絡がエリの計画だったのか、自然な流れだったのか。そこはストーリーからは判別しがたい部分だ。では、オスカーはエリに何を求めたのだろう。いじめられっ子にとっての唯一の味方? 友達がいないさびしん坊の遊び相手? それは間違いではないが表層でしかない。自分だけがエリの秘密を知っているという特権。そして、自分の庇護が無くては生きられない者に対する優越と自身の存在意義の確認。それが仄かな恋慕とフュージョンし、共棲相手の獲得として快感に達したのではないかと思う。その意識は献身と言うより、むしろ独占欲に近い。SとMが混濁した複雑なモーメントが見える。壁越しのモールス信号から始まったコミュニケーションはまさに二人だけの世界を形作ったと言える。萩尾望都「ポーの一族」が証明するように、ヴァンパイア作品とジュブナイルの相性は悪くない。それを冷厳な空気感の中にまとめた演出を高く評価したい。この厳粛な見応えはオスカーの「運命」を描いているからだと思う。 【アンドレ・タカシ】さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2011-10-25 23:13:46) (良:2票) |
《改行表示》 2.《ネタバレ》 いや~、何と言っても、少年の白パン一丁姿。これほどまでに「無防備」を感じさせるものはありません。 で、その少年が、ある少女と知り合う。この少女とは、色んな意味で決して結ばれることはないんだけど、だからこその、この愛。痛々しいんです。実際、少女は少年の前で血まみれになってみせる。 題材的にも「血」というものが何度も画面に登場するのですが、必ずしもホラー作品としての残酷描写をそこにのみ求めていないのが、いいですね。猫が襲ってくる、あるいは突然体が炎上するショックシーンの、うまさ。 少女は身寄りを失い、一方の少年はイジメに立ち向かう。だけどクライマックスでは、水着姿の少年はやっぱり無防備で、やっぱり少女に救われる。救われるけれどもちろん「ああよかった」というシーンではなくって、これこそが運命の残酷さ、というべきもの。 切ない映画でした。 【鱗歌】さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2019-06-15 10:22:59) (良:1票) |
1.そぎ落とされた所、見えない所に想像は生まれる。そして、冷淡に感じるほど澄みきった美しさは、まるで凍傷のように感覚を麻痺させる。だから僕はこの映画について、まだ整理できないでいる。ただ言えるのはおもしろかったってこと。 |