8.《ネタバレ》 とってもいい映画だったと思います。2010年の邦画No.1と言ってもいいくらい。大抵の映画は、主人公に肩入れして他は飾りみたいなものが多いけど、この作品に出てくる登場人物は、一人残らず皆、共感が出来る。「悪人」というタイトルですから、観る前は当然、妻夫木君演じる清水祐一の悪行を見せつけられる内容なのかなと思いきや、そうではなかった。登場人物は、誰もが悪い面を持っていた。それは、人間誰しもが持ってる影の部分。それを等身大で、リアルに、そして丁寧に描かれており、だからこそ、全ての人に共感することが出来た。祐一の役柄を考えると、妻夫木君ではちょっとイケメン過ぎるようにも思えるけど、彼の持ち味であるキラキラした瞳を消して、やるせない一人の若者を頑張って演じきっていた。満島ひかりの嫌な女役も、岡田将生の憎たらしい男役も、樹木希林演じるどこにでもいそうなおばちゃん役も、みんなとってもハマり役で素晴らしかった。個人的には、娘を殺された父が圭吾に言い放った「そうやって一生、頑張る人をバカにして生きていけばいいんだ」の台詞が、現代人のシニシズムを痛烈に批判してるようで清々しかったです。 【あろえりーな】さん [DVD(邦画)] 8点(2011-03-21 00:52:55) (良:3票) |
7.妻夫木聡と満島ひかりの演技が良かった。また、長崎に住んでいた者として、長崎人(妻夫木聡)と佐賀人(深津絵里)の疎外感、長崎・佐賀と福岡・湯布院(満島ひかり・岡田将生)のコントラストが、すごく身に沁みた。原作未読ですが、このあたり、長崎出身の吉田修一さんの設定がうまいなと思いました。ともかく、現代日本の闇を描ききった良作と思います。 【ashigara】さん [映画館(邦画)] 8点(2011-07-09 20:37:50) (良:2票) |
《改行表示》 6.《ネタバレ》 なんと言うか、淡々とした展開なんですが、じわじわと胸の奥からいろいろな感情がこみ上げてきましたね。まあ、人間誰しも悪人であり善人であり普通の人であることを痛感します。 この作品に出てくる人間たちはわかりあっているようでも、誰一人わかりあっていないし、皆探りあいながら他人にレッテルを貼って識別しその共通認識で連帯しようとしているような孤独な人たちなんですよね。 このどうにもならない孤独感を、妻夫木聡や深津絵里が演じ切れていたかというと正直微妙ではありますが、まあメジャー作品なのでそれは仕方ないところでしょうね(二人の演技はとても良かったですが綺麗すぎるんですよね)。これで、どこにでもいるような冴えないあんちゃん、ねえちゃんをキャスティングしていたら多分号泣していたと思います。 しかし、李相日という人は本当にヒリヒリするような映画作りをするのが上手いですね。 【TM】さん [DVD(邦画)] 8点(2011-05-31 00:43:33) (良:2票) |
《改行表示》 5.この伏線がここで効いてこう、みたいなエンターテインメントを期待する人にとっては陳腐な設定、ストーリーだろうな。 プロット的にははっきり言って大したことないし。 でもそういうところじゃなくてひとつひとつのシーンの中で描かれる登場人物の心模様、それを表現する行動や表情のディティール、それを味わうタイプの映画なんじゃないかな、これは。 そういう意味では極めて“小説的な”映画だと思いました。 (原作未読です) 【とと】さん [映画館(邦画)] 8点(2010-10-06 06:15:52) (良:1票)(笑:1票) |
《改行表示》 4.《ネタバレ》 原作は未読。役者陣の演技は文句無し。主演二人は切迫した状態や感情の機微を細やかに表現しているし、脇を固める樹木希林や柄本明の安定感と存在感は、素晴らしいの一言に尽きます。 テーマが「誰が本当に悪人なのか?」だとすれば、恐らく「誰もが立場や状況によって悪人にも善人にもなり得る」となるのでしょう。現実的に見れば、本作は「経験値の低い男と女の逃避行」に過ぎません。生まれ育った街から出た事もなく、人付き合いも碌にせず(出来ず)、世間一般では白い目で見られる「出会い系」で出会った男女が依存し合う、現実逃避の物語。しかし私は、この「世間一般」がキーワードだと思います。 二人は、自分の人生を満足に生きられない・生き方を知らない人間なのでしょう。閉塞感に包まれた何の変哲もない日々。周囲の期待や固定観念に縛られ、どこか自分に無理をしたり、犠牲にせざるを得ない人生。人並みに恋愛すらできず、またそのやり方さえ知らない不器用な生き方。世間一般では蔑まれる方法でしか他人と関わる事が出来ない、悲しくて弱い人間。それでも、誰かの存在を求めずにはいられない。そんな二人が出会えば、互いに惹かれ、共感し、依存してしまうのはごく自然の成り行き。先が見えていても一縷の望みに縋ってしまうのは、そういった弱い人間だからこそなのでしょう。 二人の行動には、多くの人が迷惑を被ります。それでも止まる事が出来ない(しない)のは、彼らのような人間が極限状態に追い込まれると、自ら破滅の道を選んでしまいやすい、という典型例なのかもしれません。彼らがもしいわゆる世間一般の感覚を持ち得ていたら、祐一は人殺しをしなかったはずですし、光代もそんな彼と行動を共にすることも無かったはずだから。結局二人は「似た者同士=世間一般とは少しズレた二人」だったのでしょう。それを対比として描写しているのが「被害者の父がマスオに危害を加えようとしたものの、ギリギリで踏み止まった場面」であり、「タクシー運転手と光代の会話」なのでしょう。 印象的だったのは「夜に鏡を見ていたら、急に(金髪に)したくなった」と言う祐一に、光代は「なんか分かるかも」と同調する場面。夜の孤独と現状を打破したい気持ちが集約されているような気がしました。 音楽が邪魔に思えたのは少し残念でしたが、それでも私は本作に強く心を打たれたので、この点数にしました。 【港のリョーコ横浜横須賀】さん [映画館(邦画)] 8点(2010-09-20 01:52:27) (良:2票) |
3.《ネタバレ》 成り行きで、悪いことをしてしまった者。(祐一) 悪いことをしている、という自覚のない者。(増尾クン) 悪いことをしている、という自覚のある者。(ぼったくり商法のオッサン) 「誰が本当の悪人なのか?」を視聴者に考えさせる群像劇であり、出演者のほぼ全員による熱演も手伝って、たいへん観応えのある内容となっていた。 悪人の定義づけは難しいが、犯した罪を後悔しているか否か、そこが重要であると私は思っていて、そういった意味では、祐一は根っからの悪人ではなく、不運に見舞われた "被害者" のようにも見えるのが、本作の救いがあるところ。ラストカットの、祐一を再生へと導くように照らす朝日の美しさ、、そして、それに涙する彼の表情が多くを物語っていたと思う。 そもそも、被害者の佳乃 (満島ひかり) を見ると、SNSで男漁りに明け暮れて、自ら破滅していったような印象すら受ける。悪人なんて、そこら中にいる。すぐそこにもいるし、会社にも、電車の中にも、特にネット上なんてウヨウヨと潜んでる。だから、善人と「悪人」を見極めて生きていくことの大切さ (難しさ) 、、本作は被害者側や視聴者 (=第三者) の視点からも、改めて今の生き方や人間関係を見つめ直させるような、教訓的な内容にもなっていた。 話がそれるが、昔はネットで男女が出会う映画と言ったら、幸せなストーリーが多かったが、、時代が経つにつれて、まるで世情を映し出すように、荒んだ内容の映画が増えた気がする。 昔なら例えば、森田芳光監督の「(ハル)」、あれは本当に良い映画だった。たんなる偶然とは思えないが、同じく深津絵里が重要な役どころで、やはり本作と同じように、寂しい日本の片隅から、メール通信でひっそりと幸せを探していた。もしかしたら本作は「(ハル)」の姉妹編なのかもしれない。 SNSという画期的な出会いの手段は、多くの出会いを生み、そして多くの「悪人」を生む温床になるとは、あの頃は誰が予想できたであろうか? 【タケノコ】さん [DVD(邦画)] 8点(2024-11-27 21:20:11) (良:1票) |
《改行表示》 2.《ネタバレ》 この映画と人によって解釈が異なるレビューを見て、本当の意味で人の気持ちや考えを理解するのは不可能だと改めて感じた。 言葉で表現することに無理があるのだと思う。取捨選択の末に口から出た言葉は全然違うものになっていると思う。自分の気持ちや考えをどれだけ把握できているのかもよく分からない。 佳乃の父が「大切な人がいないから自分には失うものがないと思い込んで、それで強くなった気になる」と大学生に関して言っていたが、彼の何を知っている?歪んだ現代の若者というレッテルを貼ることでしか理解できないのだ。山道で蹴り飛ばした行為は最低だ。その点だけを責めれば良かった。仲間内での薄っぺらい会話など彼を理解する材料にはならない。 祐一と光代の関係に関して以前の自分なら、安い関係だ説得力が無い急展開だと切り捨てていたと思う。でも、日々孤独を感じている今なら彼らの気持ちに共感できる。孤独を感じる中で少しでも自分を求めてくれる人がいたら直ぐにでもその人に依存したくなるものだと思う。人を理解するのは難しくよく分からない存在でも孤独には勝てない。 祐一の祖母はずっと一緒に生活していながら祐一の気持ちを理解できていなかった。知人による祐一が可哀想だという言葉にも聞く耳持たず。悪徳業者の仮面も見抜けない。 祐一の母にお金の無心をしていた話もショックを受けた様子だ。本意は罪悪感を和らげるための母への気遣いであり、母も本当はそれに気付いていながら自分の気持ちを誤摩化すため被害者面してるだけだと思う。祐一は本当に不器用で分かりにくい。最後の首を絞める行為の意図も解釈が割れてしまっているのは演出の問題ではなく、人が人を理解できない本質的な問題だと思う。 タクシー運転手が祐一を悪人だと言う。光代は世間的には悪人なんですよねと返す。運転手の言う悪人と光代の言う悪人が同じ意味だとは思えない。運転手(世論)は悪人と言ったが、殺人犯全てが悪の権化であると思っているはずもなく、情状酌量の余地がある犯人もいることを当然彼も知っている。他人事の事件に対して深い考察もなく安易に言葉にしただけだと思う。 一言に悪人と言っても、その言葉に込められた思いや意図はそれぞれ違う。彼は悪人なのか、誰が悪人なのか、その答えは自分の頭の中にしかないと思う。言葉にした時点でその答えを共有するのは不可能なのだから。 【エウロパ】さん [DVD(邦画)] 8点(2014-02-23 20:00:55) (良:1票) |
《改行表示》 1.《ネタバレ》 意外にも超号泣!原作が本当にすばらしいんだけども、映画への落とし込み方としてこれは自分は好きです。改めて思うに、もちろんすべてではないけど、悪人って生き方が不器用な人っていうだけなのかもしれないですね(ぶっきーだけにwww) 一番感心したのはイカが本当にさばきたての新鮮なものだったことです。「おくりびと」の川を遡上する鮭が偽物(たぶん)だったのに比べて、映画作りの真摯な姿勢にも感動しました。 【HAMEO】さん [地上波(邦画)] 8点(2011-11-07 00:27:38) (笑:1票) |