《改行表示》 4.《ネタバレ》 子供のころ観て、Dボウイ展の影響で再見。 あの頃は、あまり良くわからず ボウイのファンだったから見にいって それなりに印象には残っていたが、まぁ、そこそこ。 でも、あれからいろいろなことがあって大人になり、 ああ、こういう映画だったんだと。 決して同性愛だけの映画ではない。 こんなの、子供には分かるはずもないよ。 大人になった今、再見して良かったと思います。 追記(2021.11) 先日、「戦メリは名曲なのに、ホモ映画に使われたのが惜しい」という意見を言う人と同席しました。 それはその方の意見なので特に否定もしませんでしたが。 この映画は同性愛を描いた映画ではない。 価値観が異なる人たちがゴッタになる収容所という場所。 日本と欧米。 生死感。 捕囚長のイギリス将校は頑なに日本人を見下し、 ヨノイ大尉は帝国軍人としての誇りを第一にして振舞おうとする。 ただ、忌避すべきはずの同性への恋慕の感情に取り乱しながら。 そしてセイアズの抱擁とキスを受けて、ヨノイ大尉の全てが崩壊した。 軍人であるべしとした自分の価値観や誇りに隠れていた自分自身を知ってしまったから。 自分自身の誇りと愛をこめて遺髪を取り、去っていく。 ハラ軍曹は粗暴で雑なようで、誰にも何も語らず自分自身を見ている。 ローレンスに感じる友情のような感情が自分にあることも、 帝国軍事としてなすべきことをしている非道な自分も。 酔っ払いながら、俺はクリスマスファーザーだと、ローレンスを独断で釈放したハラ軍曹は 帝国軍事として恥ずべき行為であっても、規律違反であっても、 友人でありたいと思っていたローレンスを死なせたくないという自分がしたいことをした。 自死することになったとしても、自分がしたいことを。 酒のせいで思ったのか、そう思いきるために酒の力を借りたのか。 個人的には後者と思いたい。 その結果、ローレンスは生き残り、敗軍の将として明日の処刑を待つハラ軍曹の下を訪れる。 何も出来ない無力感のまま席を立つローレンスに、 強く厳しい、収容所の時のようにハラ軍曹はローレンスを呼びつけ、 キラキラした笑顔で、メリークリスマス、ミスターローレンス、と声をかける。 君が生きている。 メリークリスマス、ミスターローレンス。 俺はクリスマスファーザー。 君の未来を贈ることが出来たから、俺に何の悔もないよ。 メリークリスマス。 と、ハラ軍曹はキラキラした瞳でローレンスを見つめる。 大戦時の日欧の情勢も、愛する者の性別も、個に生きるか組織に従うかも。 価値観はそれぞれに異なる。 ただ、その異なった価値観を越えて、誰かを想ったり与えたりすることはできないのか。 立場を越え、憎しみや痛みを越えた先にひとりひとりが想いあうことができれば。。。 【こっちゃん】さん [DVD(邦画)] 9点(2017-03-18 20:40:50) (良:1票) |
《改行表示》 3.《ネタバレ》 ■本来「俳優」が賄うべきポジションを、音楽家と芸人それぞれの若手トップスターが務めてしまったという、ある種の「倒錯」的なキャスティングは、本作の重要なコンセプトの一つだろう。つまり、折しも80年代の前半、これからいよいよバブルに突入するという狂熱の時代を担った「あの」二人が、本来の「俳優」を差し置いてこの映画に集わされたということは、まともな「俳優」が配されている英軍将校陣営とのシンメトリーではないだろうか、と思うのだ(デヴィッド・ボウイは生来の演者だから、アンビバレントなポジションにいる)。結果として、そのことがその後の日本の芸能史に大きな意味をもたらしてしまったという、誠に凄まじい映画である。 ■もう三十年来何度も見てるが、子供のころは、音楽はもちろんだが、帝国軍人の美意識や凄惨さとか、そんなところばかりに夢中になっていたが、今日十数年ぶりに鑑賞した結果、これは、コミュニケーションの不通と、日本人の西洋コンプレックスを描いた映画だということに、やっと気づいた。コンプレックス故の、一方的な「倒錯」した表現とその哀しさ。それを解消しようと、クリスマスという西洋のイベントの意味を知ったハラは、これをブレイクスルーとして活用した。ここにかろうじて成立したはかなく拙い、しかし切実なコミュニケーションが、エンディングへと結ぶ。ヨノイのセリアズに対する邂逅とて同様であって、こちらの方がより不器用で、倒錯の度合いが深いというだけである。 ■冒頭、ローレンスは、捕虜の身でありながら、ハラに対して「救いたい」と言うのだが、つまりはその哀しさを見抜いているということである(ハラは「日本人は敵に助けられたりしない」と返すが、どこか拙く響く)。それは確かにマッカーサーが「日本人の精神年齢は12歳」といったのに通底する「哀れみ」であって、大島渚という一人の「戦後文化人」が抱えざるを得ないコンプレックスであるのだが、失われた10年やら9.11やら大震災やらを経て、いいかげん「もはや戦後ではない」現在ですら、そのコンプレックスがほとんど解消されていないことに思い至って、ハッとさせられる。 ■吉本隆明が「音楽は素晴らしいが映画自体はダメ」みたいなことを言ってたけど、却って本人の興味の強さを感じたのを覚えている。たけし自身も同じこと言っていて、いや、だからこそ今の北野武がある、ということがよく分かる。 【麦酒男爵】さん [レーザーディスク(邦画)] 9点(2014-12-13 02:09:17) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 とても美しい日本映画だと思う。また実に映画音楽らしい音楽を邦画で初めて意識できた作品だった。初見は18歳の頃だった。思い出の一本。世界中が狂気の最中、さらに捕虜収容所という特殊な環境下で出会った人々たち。戦争が終り立場も変わる。ハラが処刑されるまでの間、彼がしたことは英語の習得だった。処刑前夜、訪ねてきたローレンスと彼の母国語で語るハラ。涙が止まらなくなった。そしてラストシーン。この上ない笑顔は一瞬の輝き。このラストシーンでこの映画のすべてがひっくり返った。 【カズユキ】さん 9点(2003-09-15 08:02:13) (良:1票) |
1.この有名なラストシーンにはは、『夜の大捜査線』や『パピヨン』と非常に似たものを感じます。苦楽をともにしたはずの二人の男が、わかりあえることは決してできないのだということをお互いわかりあって、別れとなる。いずれも泣けました。 【新加坡指令】さん 9点(2002-12-13 23:09:00) (良:1票) |