11.《ネタバレ》 赤ん坊を盗んで育てるというストーリーは生理的に受け付けない人もいると思います。特に母親の人は。この映画を楽しめない人は、やはり希和子を赦せなかった観客だと思います。わたしは八日目のセミの意味とは、刑務所から出所した希和子を意味すると思います。彼女には友だちもいなければ仕事もない、家族もない。子供も産めない。彼女が持っているものは1つだけ。誘拐犯という肩書だけです。今後の彼女の人生は多くの人から白い目で見られて生きることになる。セミは通常七日で死ぬものです。8日目も生きていたら「おまえ、まだ生きているの?」と思われます。希和子も同じです。彼女は8日目以降も生きていて良いのでしょうか?生きる資格はあるのでしょうか?八日目のセミ、死ぬ時期を間違えた生き物。この映画はべつに犯罪者に同情しているわけではありません。出所しても生きる希望なんてもうないよね?もうそろそろ死んだ方が良いのでは?と周りから言われている人間に対して、8日目以降も、生きていていいのですよ、というメッセージが込められている。そして薫が子供を産もうと決意した動機が印象的です。「この光景を我が子に見せたい」原作者の角田さんは30回以上海外旅行に行き、そのなかで行った国が26か国だとか。今はもっと増えていると思いますが、彼女は「見る」ことを人生の喜びの1つだと捉えています。自分が感動したものをまだ生まれていない子供にも見せたいという思いがあったとおもう。八日目の蝉は他の蝉には見られなかったものを見ることができる、すなわちそれは生きている限りは美しいものに出会うことができる、生きる価値はある、という問いかけが含まれている。小説(映画)というのは誰が悪い人間で、誰が悪くない人間なのかを語るものではありません。今、人生に絶望している人、大きな罪を抱えて自責の念に苦しんでいる人、このまま生きていて良いのかと悩んでいる人、そういう人にこそ見てほしいと思います。この映画では生きるべきだと言っています。罪の意識の強い人ほど特に泣けます。自分自身が許されたような気持になりました。 【花守湖】さん [DVD(邦画)] 9点(2012-08-21 00:00:11) (良:4票) |
10.《ネタバレ》 母の映画にして女優の映画。作品中、男は徹底的に排除され、マトモに顔を捉えられている男優は殆どおらず、唯一ある程度表情が捉えられる劇団ひとりすらも、肝心なシーンでの表情はフレーム外に排除され、そのままフェードアウトしてしまうという扱い。ひたすら映画が描くのは女達の哀しみ。母である事を奪われた女、母であろうとした女、二人の母を持ちながら母性愛を意識できずに育った女、大勢の母達に囲まれたがゆえに不器用なままに孤立していった女。その母性が生むエゴゆえに悲劇が生まれ、だけれどもその母性こそは何物にも替え難い大切なものであると静かに訴えてきます。永作博美と井上真央の、決して大仰さはないのに凄みすら感じさせる演技に圧倒されました。また『パーマネント野ばら』に引き続き小池栄子が絶妙。毎度の少しヘン、というパーソナリティが今回の映画での哀しい背景を持つ存在にぴったりとハマっていました。日本の郷土のニオイを強く漂わせた画作りも回顧の物語というスタイルに同調し、この国から生まれた独自の個性を持った母と娘の映画として、じんわりと内に染み入ってくる作品でした。 【あにやん🌈】さん [映画館(邦画)] 9点(2011-05-12 21:42:15) (良:4票) |
9.《ネタバレ》 「八日目の蝉」とは、本来あるはずのない幸福のことである。母娘が小豆島に初めて来た日、ブランコのある公園で蝉が元気に鳴いていた。だが希和子が「島を出よう」と言った日には、もう蝉は鳴いていなかった。希和子は写真を撮られるのを嫌がっていたのに、小豆島を去るにあたり自ら写真館に赴き、幸せな日々の思い出を残そうとする。まるで「八日目」の終わりが近づいていることを、予感したかのようだ。■恵理菜がかつての沢田邸に辿り着いたとき、沢田家の人々が「薫」と声をかけてくれた記憶がよみがえって来る。そのとき、蝉の鳴き声も聞こえてくる。まるで八日目の蝉が、最後の生を謳歌するかのように。そしてかつて暮らした自宅の前に来ると、今度は惜しみない愛を注いでくれた母の「薫、薫」と呼ぶ声が聞こえて来る。そこにあったのは、本来あるはずではないが、まぎれもなく愛に溢れた生活だった。希和子は犯罪者だが、沢田夫妻はそうではない。主人公らを離れに住まわせ、家族同然に接していた。そう、沢田夫妻も希和子も、薫に愛を注いでくれたことに変わりはなかった。そう気づいたとき恵理菜は、自分がかつて「薫」と呼ばれ愛された日々があったことを、心の底に封印してきた過去を、肯定的に受け容れられるようになったのだ。■希和子は許された八日目の幸福を、せいいっぱい享受しようとしたのだろう。恵理菜は、たとえ母と子二人だけでも、愛のある暮らしがどれほどいとおしいものか、そしてただ母でいられることがどんなに幸せなことかに思いを馳せる。そのとき自分も、かつて希和子がしたように、この世のきれいなものをいっぱい我が子に見せてやりたいと決意するのである。■秋山家に引き取られた恵理菜は、島の方言を抑圧される。だが中山の千枚田に辿り着いたとき、感極まって「ここ、おったことある」と、一度だけ関西アクセントで言う。このシーンが、虫送りのシーンの直後に来る。中山の虫送りは、過疎化のため行われなくなっていた。沢田そうめんも人手に渡り、沢田家ももうそこにはいない。かつて暮らした離れも雑草が生い茂り、むろん希和子はいない。ふるさとは変わり、あどけない子供時代ももう戻っては来ない。だが人は親に愛され、親とふるさとから巣立つことで大人になり、子を愛する親になるのだ。映画は、原作にはないふるさとと家族への郷愁という要素を加味したことで、誰にでも共感できる作品に昇華された。 【高橋幸二】さん [地上波(邦画)] 9点(2012-06-27 22:23:43) (良:3票) |
8.《ネタバレ》 幼子を奪われた母親の心情を思うと遣り切れません。我が命を奪われたようなものです。そういう意味では、希和子は人殺しと同じ。彼女の罪は果てしなく重い。でもその一方、希和子と薫の別れの場面では、涙してしまうのです。犯罪者が捕まって喜ばしい事ではないのか?自分の感情に戸惑いました。“希和子が薫に注いだ愛情は本物だった”。その1点において、自分の心は動かされたのだと理解しました。もっとも実母にしてみれば、これこそが許し難いこと。子に与え、また受け取るはずだった愛情を希和子に横取りされたのだから。希和子は夫ならず娘までも奪った憎い女。憎過ぎる。もし誘拐犯が彼女でなかったなら、恵津子の娘に対する接し方も違ったかもしれない。娘の気持ちを尊重し、大きな愛で包み込むことも出来たのではないか。そもそも、無事に帰ってきてくれたことが奇跡なのです。しかし恵津子には、“もう一人の母”の存在など認められるはずがなかった。希和子の愛情を上書きしようとしたために、実母と娘は苦しみました。ただ、救いがあるとすれば、娘が立派に育ったこと。確かに不倫して身籠るような真似をしたのは、恵津子にとっては痛恨の極みだと思う。でも恵理菜は、まだ顔も見ていないお腹の子を愛おしいと言った。彼女が幼少期に十分な愛情を受けて育ったことの証です。愚か者だけれど、一番大切な“愛する心”は持っている。恵理菜は、人間として合格でもないが落第もしていません。全てはこれからです。これから。子が幸せになること。全ての親の願いはそれに尽きます。 【目隠シスト】さん [映画館(邦画)] 9点(2011-08-04 19:30:15) (良:3票) |
7.《ネタバレ》 -八日目の蝉-というタイトルの意味に色々な説があるようだから、決まった答えはないんだろう。私は“本来は与えられない時間”と解釈した。蝉は八日目を迎えられない。でももし八日目があったら?という意味なのかと。それは希和子にとって、自分が産むことの出来なかった子との時間。薫と名付けるつもりだった、中絶したために産まれて来なかった娘と暮らす時間なんだろう。
誘拐。最初は秋山家への突発的な復讐心からの行動だったろうけど、不倫相手への執着よりも、子供に対する母性が勝ってしまったんだろう。秋山に身代金や何かを要求するでなく、希和子にとって恵理菜は薫となり、掛け替えのない四年間を過ごすことが出来た。 裁判での、まるで秋山夫婦を見下すような感謝の言葉は、娘との“本来は与えられない時間(八日目)”を過ごすことが出来た、希和子の本心と思えてならない。もうそれだけで、あの四年間の思い出だけでもう充分だから、出所後に当時の写真を取りに来た。もとから成長した恵理菜と会うとか、そういう考えは無かったんだと思う。
恵理菜の母親は逆に、奪われた時間が戻ってきた。誘拐されて生死不明の娘が四年後に戻ってきた。これもまた“本来は与えられない時間(八日目)”なのに、こんなに嬉しいことはないハズなのに、失った時間を埋められないまま、空回りした母性。 他の蝉が見られなかった“八日目”が、必ずしも幸せな時間ばかりとは限らない。 そんな二人の母親に育てられた恵理菜。不倫関係から出来てしまった“望まれない子”を自分の境遇と重ねて、堕ろす決意で産婦人科に向かった恵理菜。だけどお腹の子に“八日目”を与える決意をする。生まれ出る前に目覚める母性。記憶の奥底に封じ込められた希和子から与えられた愛情。
永作博美の演技が素晴らしかった。写真館で、顔を上げるあの数秒はホント神がかっていた。薫と過ごせる時間がもう僅かしか無いことを肌で感じている表情。あんな素晴らしい感情表現が出来る女優なんだ。 小池栄子も素晴らしかった。猫背気味で自信なさげに恵理菜の跡を付いて回る姿は、私の知ってるタレント・小池栄子ではなく、安藤千草という男性恐怖症の一人の女性をしっかりと演じ切っていた。 薫ちゃん役の子が「暗いねえ~。怖いねえ~。」って言う言い方が、私の友だちそっくりで・・・彼女私より2つ歳上なんだけどね。 “見上げてごらん 夜の星を”のシーンで泣いた。この歌だったんだ。恋愛や不倫は男と女がするものだけど、その先に女は母性が目覚め母親となる。子を産めなくなった母親に芽生えてしまった他人の子への母性。「その子はまだご飯を食べていません!」あまりに悲しい別れの言葉。とても良い映画でした。 【K&K】さん [インターネット(邦画)] 9点(2022-01-06 00:43:15) (良:2票) |
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6.《ネタバレ》 親は子どもを育てていく中で、子どもの遠い将来を考えてしまうものです。だからどうしても、大きくなってから困らないようにと、ついつい口うるさいことを言ってしまったりもします。反対に、子どもは、今この瞬間のうれしさや楽しさを生きている。そこに日々の葛藤が生まれるわけです。ほんとうは、目の前のこの子が、今幸せならいいはずなのに。だから、「今日1日、明日1日をこの子と過ごせますように」と切実に願う「母親」の愛を一身に受けて育った子が、幸せでないはずがないのです。本当の家に戻ったことで、無理矢理封じ込めてしまってはいたけれど、薫の奥底に心から愛されていた記憶はしっかりと刻まれていたのでしょう。そう思わせてくれるラストに、ただただ号泣でした。 【おおるいこるい】さん [CS・衛星(邦画)] 9点(2012-10-04 13:45:07) (良:2票) |
5.《ネタバレ》 「お詫びの言葉もございません」って、どういうふうにも解釈できる微妙なセリフがうますぎる。物語最初の方には、こんなニセ親に赤ちゃん育てられるか、と思った。観終わった後にも、確かに希和子は美味しいとこだけ持ってったな、とじわじわ思った。でも、今このレビューを書きながら、もう一日でも、せめて晩ご飯食べるところまででも薫と一緒に居させて欲しかったと思ってる。 【なたね】さん [DVD(邦画)] 9点(2012-10-07 20:09:32) (良:1票) |
4.序盤は救いようのない残酷な物語だと思っていたけど、終盤に向けて印象が変わって行った。 法的に誰が悪くて、倫理的には誰が悪いとか色々考えさせられたけど、終盤はもうそんなことはどうでもよくなりました。 何も悪くない恵理菜が如何に立ち直って、如何にして本当の母親になっていくのかを見守る物語だったんでしょうね。 そのサポート役となった千草の存在が良い味付けになっていて、物語を成立させていたと思う。 恵理菜、希和子、恵津子のどの視点から見ても割り切れない不幸さが付き纏うし、男どもの視点からじゃ申し訳なさ過ぎて罪悪感に耐えられない。 そんな中で千草の存在が唯一の希望になってたと思う。 直接的な関係者ではないので第三者の立場から見ることができるし、全くの部外者というわけでもないので、この深刻な問題に関与する資格もありそう。 そういう絶妙な立ち位置を成立させた設定と小池栄子の演技力に拍手を送りたい。 どう転んでもバッドエンドにしかならないと思えたこの物語をハッピーエンドに導いた功績は大きい。 そして、千草が恵理菜を救ったことによって、千草自身も救われたなら嬉しい。 そういう後日談的な描写はなかったけど、そう信じさせてくれるだけの説得力はあった。 あと、八日目の蝉は可哀想という話があったけど、あれはやっぱり恵理菜自身のことを言ってるんでしょうね。 自分だけが生きてる寂しさや死んでしまった薫への罪悪感が入り混じった言葉のように感じられました。 その考えも終盤には肯定的に変化したようで、薫の分まで生きて幸せになろうという前向きな姿勢に感動しました。 【もとや】さん [DVD(邦画)] 9点(2011-12-20 16:35:06) (良:1票) |
3.《ネタバレ》 数年ぶりに映画館で映画を見た。前回はポニョ(何という落差) 最近映画館を避けるようになったのは、前評判が良くてもはずれが多いことと、映画館でのめり込んで泣いてしまうのが恥ずかしいから、それで無難なものだけを選んでいたのだったが・・・。 この映画は正解だった。永作博美と井上真央という大好きな女優が出演していたこともあるが、まさに心を揺さぶられる映画であった。 原作、TVドラマ、映画にはそれぞれの良さがあり、較べることは無意味だとも思う。インタビューで原作者の角田さんが、「小説は私の手を離れた時点でひとり歩きをしていくと私は思っています」と言っていたのが印象的だった。 映画はいきなり裁判のシーンから始まり、親の永作博美と子の井上真央の物語が平行しながら進められていく。最後の最後までこの二人がスクリーンに同時に登場することはなかった。いかにも映画らしい効果的な演出だったと思う。 印象的なシーンも多かった。泣いていた赤ん坊が永作博美に抱きかかえられ、笑うシーン(私にはそう見えた)出るはずのないおっぱいを飲ませようとするシーン、4歳の女の子が駆け下りてくるシーン(家出?)など、もちろん大詰めのフェリー発着所のシーンは私だけでなく周り中が号泣だった。 さて「八日目の蝉」という題だが、理解力に乏しい私には、八日目の世界がまだ見えてこない。これからもたくさんの人が書くであろうレビューをぜひ参考にしたいと思う。 【ESPERANZA】さん [映画館(邦画)] 9点(2011-05-18 23:26:15) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 冒頭の裁判時の証言から、物語の中へ自然と引き込まれていく。永作博美さん演ずる希和子が素晴らしく、逃亡誘拐犯の「母親」を演じきっている。一方の井上真央さんは、非常に難しいプロットであろうが、その揺れ動く、定まらない心情を淡々と顕している。見る方も2時間半近くの長尺であるが、全くそれを感じなかった。「どうなるの、どうなるの」と心地よく急かされる。希和子の逃亡跡を辿る恵理菜は、遠い記憶の中で焦燥、あるいは認めたくない当時の幸福感を、最後の小豆島の港で許せたのであろう。逃亡中の小豆島の光景はやや冗長なのではと感じていたが、最後に恵理菜(薫)に納得させるには、必要でありまた、素晴らしい光景、風景、人々で溢れていた。一方で(原作未読だが)原作から切り取った脚本は、映像にする上で過不足無い表現だと言える。出演の長短の関わらず、脇の女性俳優の方々の演技、存在も素晴らしく光っており、この作品を支えている。 【プライベートTT】さん [映画館(邦画)] 9点(2011-05-15 18:12:32) (良:1票) |
1.「優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした」って、こんなキャッチコピーにやられて期待せずに見に行きました。が、いい意味で期待を大きく裏切られました。お決まりの展開のお涙頂戴ものかと思いきや、2時間半以上の長時間にも関わらずまったく飽きの来ない展開、重いテーマなのに語りすぎずにスーッと入ってくるし、、、名作です!役者さんもみんな名演技でした! 【ぬーとん】さん [映画館(邦画)] 9点(2011-05-10 00:46:09) (良:1票) |