9.この映画には「悲しい」、「泣けた」というコメントが多いですが、私は一滴の涙もこぼれませんでした。代わりにこみ上げてきたのは主人公の元巡査に対する「激しい怒り」に対する「激しい共感」でした。それは私の特殊な生い立ちのせいでしょう。この映画で思い出したのは私自身の幼少時、貧困と暴力の家を夜中にそっと抜け出して母と二人で海に向かって歌を歌った思い出でした。周囲が辛いほど親子の絆は固く、何にも変えがたいものです。巡査が「善意」で行った事は当時の時点で病気に対する社会通念と子供の将来を考慮した場合、この親子以外の人々が客観的(=傍観者的)に合意する「良識」であり、「最善の判断」だったのかもしれません。しかしこの親子にはこの親子にしかわからない、この親子だけのかけがえのない世界(絆)があるのです。この親子にとってそれこそが全て(特に世間の人々の「良識」)にはるかに超越する「宿命的な」価値なのです。この映画は「善意」の人の「良識」がいかに残酷にかけがえの無い親子の絆を切り裂くかということを暴いた映画でした。テーマである「宿命」はハンセン病そのものではなく、むしろ苦境にある親子の絆の「宿命的強さ」を当時の「良識」がそれを残酷に切り裂く様を描くことで却って浮かび上がらせたものだと思います。最後に元巡査が「会ってやってくれ」といいますが、安易にその言葉を口にすることに激しい怒りを感じます。歳月が取り戻せますか?父といた時の自分に戻れますか?切り離された時点で全ての家族、人間に対する信頼を失ってしまったのですから。この主人公の場合、音楽だけが父と共にいた子供の自分に戻る唯一の手段だったのでしょう。私と主人公が違うのはただ、「私なら殺さないでしょう」、「二度と元巡査には会わないでしょう」そして「最後に一度だけ(変わってしまった自分を隠しつつ)無言のまま父親を抱擁しよう」と思うであろうことだけです。 【もこたりん】さん 10点(2002-05-10 01:59:37) (良:5票) |
8.もう、パブロフの犬です。むか~し彼女にみせたことがありますが、人が涙をこらえている横で寝ていました。別れました。 【PIAZZA!!】さん 10点(2003-12-06 01:03:33) (笑:3票) |
7.個人的にミステリーに関しては、島田荘司由来の新本格嗜好なので、松本清張に代表されるような所謂「社会派」はあまり好きになれない。
「差別問題」や「偏見」に対する異議申し立てとしての意味合いは大きいものの、あまりにもテーマが重々し過ぎて、ミステリーやサスペンスとしてのカタルシスや娯楽要素はまったくない。そう言う意味で、あえてこのテーマを「推理もの」というジャンルで扱わなくてはならない必然性が分からない。ここまで主張性を含めたいならドキュメンタリーでやった方が早い。むしろ、こういう形でハンセン氏病を扱う事に疑問が残る。
入手した情報による点と線の結び方も強引で、論理的な推理部分はほとんど無い。それ以外は旅先の風景の叙情性でもっているようなもの。時間が長いのも辛い。 【FSS】さん 4点(2005-03-23 23:30:52) (良:2票) |
6.暗い過去を背負うため殺人を犯してしまう天才音楽家の宿命を主題とする人間ドラマであり親子の物語である。 捜査が難航し、迷官入りかと思われる殺人事件を二人の刑事が執念で追及する。美しい日本の四季の風景を織り交ぜながら捜査の過程を叙情豊かに描く。特に日本海沿岸の荒涼たる冬の風景が親子の心情と重なり印象深い。 父の難病により故郷を追われ、親子は巡礼に旅立つ。行く先々で迫害され過酷な運命に翻弄される父子の絆・愛の強さが描かれる。その後の離別から息子(和賀)が犯罪を犯すに至る経緯は、宿命から逃れられない親子の姿を映すとともに人間の業の深さが表される。音楽家として名を成し、良家との婚姻を控え前途洋々たる和賀は、ハンセン病の父親の存在を隠すために恩人・三木を殺す。動機として弱いが、差別を受けた者にしかわからない苦悩が和賀を犯行に追い詰めたと考えられよう。 終盤、和賀の指揮によるコンサート会場での演奏シーン。ピアノ協奏曲「宿命」は、まさしく彼の芸術家としての高揚感・まばゆい未来への渇望と、対照的に暗い過去を抱える複雑な内面を表現するものであった。 人権にも関わる深く重いテーマを描き、美しい映像と圧倒的な音楽の力で情緒に訴える手法だが、後味は悪くない。 【風小僧】さん [映画館(邦画)] 8点(2016-01-10 12:46:36) (良:1票) |
5.お遍路姿で親子放浪の旅・・・、のシーンがどうにもこうにも、生理的にダメです。ラフマニノフも真っツァオなコテコテ浪漫BGMが拍車を掛ける・・・。しかも長い・・・。まあ、これは原作に文句をつけるべきなんだろうけど、あのような不遇な生い立ちの人間が、金のかかる「クラシック音楽」の道で大成するのは、あまりにも非現実的。まあね、そりゃ何にでも例外ってのはありますけどね・・・。おまけに、加藤剛の演奏シーンでの演技・・・。あれが天才? だから、私の中では、この作品に対するイメージは、「お説立派な講釈を垂れているオジサンの、社会の窓が開いている」なんだよね。感動の嵐の中、ひねくれモノですみません。 【すねこすり】さん [CS・衛星(邦画)] 3点(2008-06-30 13:57:03) (良:1票) |
4.脚色の仕方が非常に上手いです。あえて親子の放浪の旅を最後まで見せないようにして“タメ”を作っているので、終盤の「宿命」を奏でた音楽と共に流れる映像は見る側に感動を与えます。 恩師である三木の殺害にしても具体的な殺しのシーンは一切無く、中盤以降になるまで顔さえ登場しない。これも一種の“タメ”であり、三木とはどんな人物で英良といかに関わりが有ったのかという謎を引っ張っている。観客をラストシーンまで引き込むには打って付けの表現方法だと感じた。 基本的に追い込み型の脚本の組み方をしている作品だと思うのですが、そこに持っていくまでの物語のつなぎ方のスムーズさに感心しました。リメイクしてもこれ以上の出来は絶対に期待できないでしょう。 【おはようジングル】さん 8点(2004-02-02 17:04:04) (良:1票) |
3. 確かに清張の原作より素晴らしい(御本人も認めてらっしゃるし)。ここまでの傑作となりえたのは、原作でチョロッとしか書かれてない「父子の乞食遍路」をクライマックスに据えた橋本忍(と山田洋次)の脚本の上手さがあればこそ。イヤ、野村芳太郎監督の演出が(カットバックしまくりで)手堅いのも主たる要因だとは思うけど。加藤剛や丹波哲郎、森田健作に島田陽子は別にどうということもないが、緒形拳と加藤嘉の迫力には脱帽!ビジュアル系の若いニーチャンやネーチャンだけ出しても、脇を締める個性的なバイプレーヤーを欠けば、名画の域には容易に達しないコトが如実に証明されていると思う。原作を凌駕した希有な作品に敬意を表して…9点!(-1点の理由?泣かせようってのが見え見えなんで) 【へちょちょ】さん 9点(2003-01-04 06:29:48) (良:1票) |
2.英良が駐在(緒方拳)の元から何故逃げ出したか、については私は英良は駐在のことを憎む気持ちがあったからではないかと思っています。父親との旅は貧しく辛かったとは思いますがそれ以上に父親とは離れたくはなかったと思う。だから理由はどうあれ別れさせられた駐在の元にはいられなかったんじゃあないかなあ・・・。 【さゆり】さん 10点(2002-02-19 14:35:14) (良:1票) |
1.高校の時、映画のポスターが貼ってあり、気になってました。大学の時、寮のテレビで見て、涙を友人から隠すのに大変だった想い出があります。僕自身も似たような環境(生い立ち)で育ってきたため、後半の回想シーンの時はいつも自分とオーバーラップさせてしまいます。思い切ってビデオソフトを買って見ようとしたその翌日にいきなり自分の父が亡くなりました。それから半年以上、「砂の器」を観ることができませんでした。あまりにも強烈な思いでだったんです。それにしても子役の春田君の演技は凄かった。そして加藤嘉の演技、丹波哲郎は最後の方はもう、本当に涙が出てきたそうですね(演技でなくて)。そしてなにより細かいのが緒方拳とその奥さん役の人の演技です。亀嵩から千代吉を送致するシーンで、子役の秀夫が駐在所に入って千代吉をじっと見ているとき、涙をこらえている三木巡査の奥さんの顔が頭にしっかりと残っています。そして亀嵩駅のプラットホームでの緒方拳の涙を隠そうとして帽子のひさしを下ろしたときの表情、最高です。そして僕個人として一番涙がドバーっと出たのが、ラスト近くのところ・・・画面左に演奏会の様子を映しながら、右に白髪になった三木(緒方拳)が「秀夫、何でそんだらこと言うだらか、たった一人の親、それもあげな思いをしてきた親と子だよ・・わしにゃ、わからん・・・こい秀夫、首に縄つけてでも連れて行く・・」と叫ぶところが映る。このシーンは凄い!世界中で唯一、本浦千代吉を支えてきた善人の鏡の三木さんが、苦労に苦労を重ね、差別の恐ろしさを身をもって知っている秀夫に命がけで訴えているからだ。この時バックに流れるテーマ曲が初めてチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のように変化する。この音楽と映像のガップリヨッツが胸を締め付ける。とにかく「七人の侍」とともに戦後日本映画の最高傑作であるこの「砂の器」がなぜ人気があるか、海外版にもなっているか、みんなで考えていきたい。 【高原太】さん 10点(2001-09-07 18:38:31) (良:1票) |