4.《ネタバレ》 ゴジラ (1984年)に続き「原点回帰を目指し、現在にゴジラが現れたらどうなるか」というコンセプトのもと、ゴジラが単体で登場する作品としては32年ぶりとなった第3段。なお、GODZILLA(1998年)も単体での登場作品ですが、製作側が「原子怪獣現わる(1953年)のリメイクを作りたかったが、資金集めのため、ゴジラのネームバリューを借りました」と言っているので除外します。 私は1984年版を「コンセプトは良いのに表現力が伴わず、非常に残念」と思っているので、以下、主に【1984年版との比較】という観点でお伝えします。 まず一つ目。1984年版に比べ、危機的状況の臨場感がはるかに上回っていると思いました。他の皆さんがおっしゃる通り、東日本大震災-2011年-の記憶がまだ遠いものでないからでしょう。ゴジラ1作目(1954年)も、太平洋戦争終結時-1945年-から9年しか(人によっては“9年も”のようですが…)経っていませんでした。その点、1984年版は、こうした生々しい記憶・体験の空白期での製作だったので、どうしても【頭の中でのシミュレーション】に留まっていたように思います。ある意味、当時は、幸せな時代だったのかもしれません。 次に二つ目。1984年版に比べ、シミュレーションとしての情報処理が洗練されていると思いました。1984年版は、膨大な情報量を消化しきれず、説明で一杯一杯で平板な展開になっていました。一方、シン・ゴジラは、前半に【会議や手続きなど諸々の理屈っぽい情報】を集約して【もたつき・まどろっこしさ】として表現し、後半になるに従い【対策実行のシミュレーション】に絞って【シャープ・スピーディー】な展開になっていたと思います。 三つ目として【本筋に影響しない恋愛ドラマ】を挿入しなかったことも気持ち良かったです。1984年版で一生懸命に演じていた田中健さんと沢口靖子さんには申し訳ないですが、登場シーンのたびに映画の流れがもたつきました。一方、シン・ゴジラの、長谷川博己さんと石原さとみさんとのやりとりは【対立から協働へ】とまとまり、恋愛感情も芽生えず、清々しさを感じました。 四つ目として、1984年版の【スーパーX】のような架空のメカを使わなかったことも嬉しく思いました。あれから32年経ちますが、スーパーXと思しきものは未だ自衛隊に存在していません。シン・ゴジラの【血液凝固剤】も架空ですが、スーパーXほど突飛な印象は受けず“あり得る”と思えました。 さらに五つ目。音楽も、1984年版はドキュメンタリータッチにしたかったのか?一部を除いて使い方が控えめで、音楽と共にその都度、映画の流れが途切れてしまう印象を受ける箇所が多々ありました。その点、シン・ゴジラの音楽は【普通】に劇的効果を上げていると思いました。この【普通】が1984年版では【普通】ではなく「音楽を下手に使うと却って展開を邪魔する悪い手本」のように感じていただけに、シン・ゴジラでは安堵しました。 最後に六つ目。これは比較ではなく私の推測ですが…1984年版は製作発表時こそ「現在にゴジラが現れたら…」というコンセプトで出発したものの、途中から「華が無いから、東宝シンデレラ(1984年に発足したオーディション。第1回グランプリが沢口靖子さん)が出演する場面を入れよ」「火山に誘導する対策だけでは地味だから、スーパーメカを出せ」といった会社からの営業上の注文が出てコンセプトがぼやけ、現場は混乱し、映像と音楽を十分にリンクさせる時間もなく…といった事情で、上記のような残念な仕上がりになってしまったのでは…と思ったりしています。そして樋口真嗣氏は当時19歳で、特殊造形助手として1984年版の製作に携わっていました。そうした製作現場の実情(あくまで私の推測ですが…)を痛感した樋口氏は「いつか、会社からの注文に振り回されない、本来めざした現代版ゴジラを作ってやる」と思ったかもしれません。だとしたら、今回、庵野秀明氏という最強のパートナーを得てその宿願を果たした…きっと、今は亡き橋本幸治監督をはじめ1984年版の作り手さん達も「樋口よくやったぞ!」と褒め称えているのではないか…そんな【32年越しのインサイドストーリー】を想像するぐらい、シン・ゴジラには感激しました。 さて、採点ですが…物心ついたときからCG特撮が当たり前の若い人達にはショボいと感じる部分があるにせよ、1984年版をタイムリーに知っている私としては、↓の【どっぐすさん】と同様に「これがずっと望んでいたゴジラだ!1984年版だってこのように作れば傑作になり得たはずなんだ!」と庵野・樋口両監督への感謝の思いで一杯です。私が勝手に想像するインサイドストーリーも加味し10点を献上させていただきます。 【せんべい】さん [映画館(邦画)] 10点(2016-08-17 22:15:28) (良:3票) |
3.《ネタバレ》 小学1年の時に観た「モスラ対ゴジラ」以来、このゴジラを観るのに何十年待った事か。まず想像を超えて禍々しいゴジラの造型とその進化。グリズリーみたいなハリウッド版とは圧倒的なセンスの差を感じる。そして着ぐるみの代わりに野村萬斎が歩くというアイデアが光る。ベタベタした家族愛などが入る余地のないハイスピードな展開、日本の政府やアメリカとの関係への皮肉、核への警告も描かれている。 それにしてもこの作品の一番の功労者は庵野秀明に総監督と脚本を依頼したと言われている樋口監督かも知れない。「ローレライ」から「進撃の巨人」までの演出を見て、この人には特技監督がお似合いだ思ったしだい。 そして伊福部昭のメインテーマやマーチがモノラル風に流れた時はトリハダものだった。
唯一気に入らないのは、自衛隊の全面協力という事実。安保法で入隊希望者が減っている自衛隊の宣伝活動にのってほしくはない。むしろ逆手にとって、軍隊のくだらなさを若者に感じさせてほしいと思うのは欲張りか・・・
2016年。ついに予想を超えたゴジラ映画の完成を祝いたい。 ただ、興行収入につられて、安易な続編を作るという過去の轍だけは、踏まないで欲しい。 庵野監督のゴジラは完成形。 10年後に新たな才能にゴジラを託したい。 【ブタノケ2】さん [映画館(邦画)] 10点(2016-08-06 05:32:50) (良:2票) |
2.《ネタバレ》 高い発生率の南海トラフ地震におびえる太平洋側の住人としては、この映画は単なる娯楽として鑑賞できなかった。建築物の崩壊シーンはあまりにも生々しく圧倒的で、震災で身内を亡くされるなど、深刻な被災を経験した人がこの映画を観るにはかなりハードルが高い気がして心配になったほど。
巨大生物に善も悪もなく、ただ決して共存できない存在として描かれているため、ゴジラは生物というよりは、まさしく地震やその他の天災をつかさどる荒ぶる神の化身に見える。東日本大震災では、大きな地震や津波が起こったあと、二次被害として原子力発電所の重大事故が発生したが、そうした段階を踏んだ震災の様子が、ゴジラの上陸、建築物の破壊、放射能火炎放射らと重なって見え、考え込まざるをえなかった。何度もくり返された 「生物なら倒せる」 というセリフは、決して避けることができない天災を人類が直接手を下して牛耳りたい、防ぎたいという願望が込められている気がする。
海外のGODZILLAで描かれる人間ドラマは、怪獣と対比させるためにやむなく必要だったのだろうが(そのため、どうしてもとってつけたような感が残る)、このシン・ゴジラは、擬人化した「震災」に立ち向かう人間ドラマであって、どちらも重要な両輪の役目を果たしていた。核を使わず、ピンポイントでゴジラをしとめる人間の知恵と勇気は、東日本大震災の折、放射能拡散を防ぐため、命がけで発電所に放水をくりかえした東京消防庁の人々、バルブを閉めに行った熟練者たちへの思いに重なる。この映画を観た外国人の中には、退屈な官僚たちの人間ドラマなど不要という感想を持つ人が多いと聞くが、日本人にしかわからなくてもいいと堂々と開き直りたい。 【tony】さん [映画館(邦画)] 10点(2016-08-06 01:08:26) (良:3票) |
1.《ネタバレ》 駄作オンパレードの平成シリーズ全作を束にして葬りさるくらいのクォリティの高い作品でした。 作家性と娯楽性が見事なバランスで結実していました。 カメラワーク、フレーム内レイアウトなど絵作りが味深く重厚。 きをてらわない、地に足の付いた演出力は特筆すべきものでした。 そして、新しいもんをつくるというから、 あのテーマ曲はゆめゆめ期待していませんでしたが、伊福部御大の旋律が炸裂の巻でした。 若干スマートなアレンジが施されているものの、アドレナリン出まくりでした。 こうこなくちゃと、がぜん盛り上がりましたよ、もう。 そして、エンドクレジットで皆さんご存知のマーチをメドレーでフルコーラス聴けた幸福! 「時計じかけのオレンジ」のエンドクレジットで劇中で主人公が歌ったスタンダードナンバーのオリジナルを たっぷり聞かせたように、そのセンスにやられたと思いながら、至福の時間を過ごしました。 ほんまに大満足やわあ、うちら! 文句なしに10点満点を安野モヨコさんのご主人に献上させていただきます。 |