《改行表示》 8.《ネタバレ》 霧、霧、霧である。 冒頭から行く先の見えない光景に遭遇し、霧が晴れたかと思えば、磔にする責め苦と説明過多のナレーションによる二重の拷問を観客は受けることになる。 主人公たちが乗る船は常に視界を阻まれるように霧が発生し続ける。スコセッシが敬愛する溝口健二「雨月物語」の船がそうであったように。 噂だけしか入ってこない先人たちの現状、この目で直接見なければ納得がいかない。霧をかき分け、海原を超えてでも真実を知りたい。時折上から見下ろされているような視点。まるで神が見守っていてくれているとでも思いたげな。 自らも小高い丘から見守ることしかできない苦しみを味わうなんて知らずに。 信用できない水先案内人、洞窟に取り残される不安、松明を掲げる者が静かに十字を切ることでようやく表情が緩む。 日本側の容赦の無い隠れキリシタン狩り、弾圧の様子。 村を材木が散乱し野生の猫が跋扈する無人地帯にし、押し寄せる波に晒し、抜刀して首を跳ね飛ばし、簀巻きにして海の中に沈め、血を垂らしながら逆さまに吊るす“見せしめ”の数々。 壁に刻まれた母国語、再会させるのは、目の前で処刑を行うのは、踏みにじらせるのは異邦人の信仰心をへし折るために。 スコセッシが今までの作品で描いてきた死にたくても死ねない生き地獄。床や水面に見る“幻”、主の声(幻聴)、幾度も気が狂ったように自分自身を嗤う。生きる恥をさらし続けてまで生き延びる意味を探しながら。 家財道具に刻まれた無言(沈黙)の抵抗。 何度も何度も許しを請い逃げて来た男が首にぶら下げる「逃げるのをやめた」証。 遠藤周作の原作との決定的な違いは、「夜明け」という希望の灯が昇らない点にある。闇の中で蝉の鳴き声だけが響き続けるのだから。 その代わりに燃え盛る焔、掌の中で鈍く輝く“尊厳”が無言(沈黙)の抵抗を示すのだ。 かつてイエス・キリストを題材に「最後の誘惑」を撮ったスコセッシだ。この映画もまた、こんなご時世だからこそ存分に“挑発”し、問いかけるような作品だ。 【すかあふえいす】さん [映画館(邦画)] 8点(2017-02-09 09:31:59) (良:2票) |
《改行表示》 7.《ネタバレ》 原作にかなり忠実であることに驚かされた。決して派手さのない物語を海外で映像化するのはずいぶん大変なことだと察するが、スコセッシの原作に対する思いの表れであろう。すぐに棄教してしまうキチジローの弱さが意味するところや、穴吊りの呻き声から転ぶまでの重みなど、あっさりとして伝わりづらい点も多い。また、説明過多なセリフやナレーションが多くなっているのも気になるが、日本以外の観客を意識するなら仕方のないところか。拷問シーンが続くため、原作未読の人はそちらに注意がいってしまうかもしれない。それでも、出演陣の日本語や日本のセットに違和感はなく、前半には霧を多様して異国に来た司祭の心象を映し出すなど映像表現も豊かであり、作品の出来は満足できるものであった。 遠藤周作が問い続けた「日本人にとってのキリスト教とはなにか」。この問いがマーティン・スコセッシというハリウッドの名監督によって映像化されたことを歓迎したい。 【カワウソの聞耳】さん [映画館(字幕)] 8点(2017-01-22 14:20:48) (良:2票) |
《改行表示》 6.遠藤周作の小説の映画化ですから、やっぱり竹中直人に出演して欲しかったなあ、と。何の役かというと勿論、「カメオ出演する原作者」の役で(そんな役、無いけど)。 「イエスの生涯」で遠藤周作はイエスを、ただひたすら愛を説いて十字架上に死んでいった無力な青年、人々の苦しみを分かち合う「永年の同伴者」として描いており、そしてこの「沈黙」における「あの人」もまた、弾圧される信者たちや主人公を直接的に救うことはなく、しかし彼らの苦しみに寄り添う存在として描かれています。 しかしその一方で、この「沈黙」には、異端の者として挫折していく主人公の哀しみ、みたいなものが同時に描かれていて、遠藤作品では「留学」などが同様の視点を感じさせますけれども、これにはもしかしたら、極東の地に生まれてキリスト教の世界では傍流を歩まざるを得ない作者自身が、投影されているのかも知れません。 という点から見ると、やはりこれは、あくまで欧米人の視点で描いた映画なんだな、という気がしてきます。あくまで主人公と神との関係(あるいは、信者と神との板挟み、とでもいうか)に主眼が置かれていて、そして信仰心そのものに主眼が描かれていて、異端の哀しみみたいなものは、あまり感じられない。これはこれで、なるほど、と思わせるものは、あります。 舞台となっている長崎、五島列島の風景は、どことも得体の知れぬ、何やら地の果てのような雰囲気であって、我々日本人の目にすらも「見知らぬ異国」として映る、謎めいた世界のように描かれています(日本でロケしてないから、と言っちゃあ、それまでだけど)。原作同様のセリフが登場しても、どこか雰囲気が異なっているのは、そこに、自国としての日本、という感覚が一切含まれていないからでしょうか。作者が日本人であり続けねばならなかったように、主人公も日本人として後半生を送らねばならかった、そのことへの諦念よりも、「形はどうあれ、やっぱり信仰心、だよね」というノリで押し切ってしまうのが、やはり欧米の視点、なんですかね。 と言う訳で、次は是非「おバカさん」の映画化をヨロシク! 【鱗歌】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2020-12-07 21:34:29) (良:1票) |
《改行表示》 5.《ネタバレ》 原作は中学時代に読んで、まったく理解できず挫折。で、映画でリベンジ。尚、近年の教科書では「踏み絵」(板)と「絵踏み」(行為)は用語として使い分けられている事に留意する必要がある(原作は仕方ないが、台詞や字幕は工夫できたのではないか)。 序盤で日本人が「モノ」を求める事を神父が懸念する場面がある。これは偶像崇拝につながるからだろう。であるならば、「踏み絵」も単なる偶像崇拝に過ぎないと考えれば、絵踏みをする事にはそんなに躊躇はないはずである、という話は時々耳にする(カトリックとプロテスタントの違いはあるだろうが)。逆に日本人はモノに神が宿ると考えるので絵踏みには躊躇があるだろう。が、そもそも絵踏みをしたところで棄教したとは言えないし、こんなのは「形式的」な儀式に過ぎない。また「信仰を捨てた」と白状したとしても、本当に棄教したかどうかはわからない。なぜなら「内面の自由」は誰にも侵すことはできないし、他人の心の内などそもそも誰にもわからないからである。終盤までそういった事はうまい具合に映像表現されていたように思うが、その分ラストの「手の内」の映像は余計だった。「心の内」では心許無いので最後の最後で映像による「偶像崇拝」の誘惑に負けてしまったようにも思える(これが映画の限界なのかもしれないが)。あとは皆さん仰るように英語を流暢に話す江戸時代の日本人と「神の声」も難点ではあるが、概ね違和感なく見る事はできた。 遠藤は日本にキリスト教が「根付かない」理由としてローカライズ(日本化)に失敗したからだと述べていたと記憶している(デウスを大日如来とするのはどうかと思うが、こういう「勘違い」で広まった側面はあるだろう)。なら、沼に生える「麦」を蒔けばよいわけだが、禁教であった近世日本においても数百年間隠れキリシタンとして信仰を守ってきた事実をどう考えるべきか。16~17世紀に渡ってきて殉教した宣教師達はある種の「一粒の麦」になりえたと言えるのではないか。他方、当初は「普遍」や「真理」にこだわっていた宣教師達が「転んだ」後はある意味日本流に信仰を守り抜いたという点ではローカライズを体現したと言えるのではないか。遠藤の本作に込めた真意はわからないがそんな印象を持った。ただし、ローカライズというのも信仰スタイルの問題ではなく「原始仏教→大乗仏教」のような教義的な事が言いたかったのかもしれないし、遠藤としては人口の1%に留まっている日本の信者数への不満はあるのだろう。その起源や原因をどこに求めるのかは人それぞれではあるが、本作で描かれたような歴史を認識しておく必要はあるだろう。 【東京50km圏道路地図】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2020-09-24 14:55:38) (良:1票) |
《改行表示》 4.原作未読なのですが、ああこれはむごい場面に耐えなきゃならない映画だろうなあとの予想通り、迫害される切支丹たちの姿がてんこ盛りの中盤までの長いこと。つらい。 空気ががらりと変わってくるのは中盤以降。イッセー尾形演じるイノウエ様の意外や滋味溢れる人格や、役人のくせに私情をだだ漏れさせる浅野忠信の人間味が観る者にじわじわと来ます。そして真打ちリーアム・ニーソン登場への展開はまさに一気呵成、流れるような脚本力でした。 私が瞠目したのは日本人の生来の信仰概念を西洋人のそれと比較し、違いを指摘してみせたフェレイラ神父の分析力です。信仰という一筋縄では解析できない難解な心のありようを説明する、その言葉に説得力を持たせるには苦悩が知的に顔に刻まれた役者L.ニーソンでなくてはならなかった。ほんとそう思いました。着物も似合ってましたし。 そして特筆すべきことに、外国人監督による日本舞台の作品でありながら本作は目に違和感を覚えることが一切ありませんでした。西洋人のフィルターを通したばかりに細かいところで突っ込みを入れたくなる作品がごまんと存在しますが、スコセッシ監督は井上の屋敷においても上座を一段高く上げて床の間の壁を真っ赤にしつらえ、でかい甲冑を置くなどというミステイクはしませんでした。百姓らの着衣、町人の風俗、小物、街並。とりあえず私の日本史認識レベルでは「これはどこの国だ」というストレスを感じず観賞することができたのは、大変ありがたいことでした。 音楽を排し、せみの声や波音だけを耳に残すことで静寂を感じさせる。日本の情感を丁寧に表現した監督に敬意を表します。 【tottoko】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2019-03-30 12:37:31) (良:1票) |
3.《ネタバレ》 まず、驚いた点として、音楽がほぼないと言ってよいこと。映像の力が弱いシーンには何かしらのBGMが入ってくるのかなと思ってみてましたが、そこも沈黙。にも関わらず、長時間に渡って、飽きることなく画面に吸い込まれました。見せ方がとても上手いと思います。また、和洋どちらの肩を持つでもなく、淡々と叙事詩のようにストーリーを描いているところも魅力と思いました。そして最後の最後まで主人公の胸の内は分からない。良い映画かは分かりませんが、ものすごく惹き付ける映画であることは確かだと思います。 【なす】さん [映画館(字幕)] 8点(2017-02-13 23:30:10) (良:1票) |
《改行表示》 2.3時間弱、最近観ていない、このテの映画だし、気が重いなぁ 米映画観るたびハズレばっかりなんだよなぁ などと消極的に入手した前売りチケットで足取り重く映画館へ 大きめのスクリーンながら客は4人(平日の20時’17/2/2) これは、苦痛の時間になるのかと覚悟したが。 素晴らしい映画だった 3時間あっという間、息を呑むカメラワーク、メリハリの効いたカット割 演者の気迫、本気度が伝わる演出、OPのサイレンスとEDの自然音 これは凄い映画だ、スコセッシ監督に感謝 私は宗教いう物を信頼していない(漠然と神頼みはします) 祈れば許されるなどと言う考えが、争いを正当化する詭弁ぐらいに思っている あの状況、心の中で懺悔しながらレリーフを踏む事を神が否定すると思うのか そんなに神という者は心が狭いのか、理解し難いが、事実として認識はしている 一番の悪役である浅野忠信演じる通訳でさえ、役人の仕事をしたまでであり どの人物にも意外と感情移入できる非常に凝った演出が秀逸 ちょっと地味な印象が強いが、多くの人に観てもらいたい秀作です 【カーヴ】さん [映画館(字幕)] 8点(2017-02-03 11:28:42) (良:1票) |
1.《ネタバレ》 重いわ~。 アッと言う間の3時間でしたが、ひたすらに暗い気持ちにさせる作品でした。 遠藤氏のこの原作を読んだのは30年以上前かなあ。 その時の感想は、やっぱり、暗くて気分が落ち込んでしまうものでした。 この映画は、かなり忠実に原作に沿っていますねえ。 そんな中で私が最も感激したのは、最後の棺桶の中の手を映したシーンですね。 やっぱりああいった『わかりやすさ』を映さないことには、話が締まらないからでしょうかねえ。 日本好きなスコセッシ氏ならではの演出かと思います。 万人に勧める作品じゃないですが、観て損をした気持ちにはならないと思います。 【ミスプロ】さん [映画館(字幕)] 8点(2017-02-01 20:55:08) (良:1票) |