5.《ネタバレ》 妻投稿。 母親に「いらない」宣告されたロボット少年が、その悲しい思い出から深い優しさを手にいれ、それを使って新しい愛を作り出す・・・という内容かと思いきや・・・。このラストはすごい「僕はどのようにして生まれてきたの」「愛されて生まれてきたんだよ」の「愛」がいかにはかないかをドカンと打ち出した内容になっている。宇宙人もどきがその「愛」をありがたがる様子は、まさに現代社会の「愛」という概念に対するスピルバーグの最高の皮肉だろう。やられました。8点。 【はち-ご=】さん [地上波(吹替)] 8点(2008-03-06 21:59:38) (良:1票) |
4.《ネタバレ》 とてもいいと思う。”愛”の不気味さのようなものが良く出ていた。(以下ネタバレ!)一途に、そして執拗に、母親だけを追い求めるデイビッドを不気味と思うのはなぜか。たとえ何千年も経って世界が滅んでも、好きな人を一日だけ生き返らせたい・・・その姿は客観的に見るとおぞましいけど、実は人間のエゴが鮮明に反映されてしまっているのか。ラストシーンも美しいけど恐ろしい。やさしい音楽が余計に煽る。そういえばこの映画の感想で「いきなり何千年も経ってしまうのはあまりに猪突」というものがあるが、私はそうは思わない。これはどちらかというとおとぎ話だし、お話の上でも必要だったと思う。ラストにデイビッドが母親のためにコーヒーを淹れるシーンが好き。 【おしりはばとび】さん 8点(2005-01-13 00:16:08) (良:1票) |
3.テディが欲しい!今すぐ欲しい!誰かくださいっ! 【paraben】さん 8点(2004-11-08 00:27:21) (笑:1票) |
2.人間とロボットの違いは何か?と考えた時に、意外と明確な答えは出て来ない。「人間は自然物で、ロボットは人工物」?しかし詭弁ながらもこういう反論も出来る。“自然の産物である人間が進化の過程に必然的に作り出したものもまた、自然の産物であり、そういう意味で人間とロボットは同系列的な存在だ”と。では「ロボットはプログラミングが必要だ」?それも違う。人間にとっての教育と、ロボットにとってのプログラミング。それらは第三者の教育的介入、という点では何の違いもない。つまり人間とロボットの違いは、構成体が有機的か無機的かの違いだけなのだ。人間もロボットも、その精神の実体は脳内の電気信号の交換に過ぎない。人間の脳は有機的コンピューターで、ロボットの脳は無機的コンピューター。それだけだ。人工知能を持ったロボットの思考能力は、人間と何ら変わらない。だから私は、デイヴィッドは人間だったのだと思う。彼の、プログラムによる融通の効かない行動パターンは、人間の、偏狭なイデオロギーを前提とする自己満足的な行動と何ら変わらない。彼と彼が彷徨うこの作品世界。矛盾と破綻、消化不良と自己完結のこの作品世界の姿にこそ、「人間」というものがあるのかも知れない。「人間」を描く上でデイヴィッドはスケープゴートであり、知らず「人間」を体現していた。釈然としない展開、絶対的な破綻と引っ掛かりが観る者を戸惑わせる作品だけれど、好意的に観ればどんな解釈でも出来る懐の深い作品のようにも思える。要は、破綻は大きいけれど、この作品に残された思考ののりしろを私は否定しないということだ。タイトルはとても良い。誰もが気付いただろうけれど、日本人は「A.I.」を「愛」と読める。この稀有な偶然は、日本(だけ)でこの作品がヒットした1つの要因なのだろうと思う。 【ひのと】さん [映画館(字幕)] 8点(2004-03-01 16:54:01) (良:1票) |
1.意外に面白かった。でも、スピルバーグが見なかった事にしてって言ったら、忘れられる。 【Figure4】さん 8点(2003-04-28 21:46:20) (笑:1票) |