6.硝子を挟んで二つの「顔」が重なる。 利己的な弁護士と虚無的な殺人犯。両者の発言と深層心理は時に絶妙に重なり合い、発される言葉が一体誰のものなのか一寸分からなくなる。 主人公は、或る殺人犯の靄がかった深層に、自分自身の本性を見つけるのだ。 ラストカット、彼は一人十字路に立ちたたずむ。果たして、どの路を進むべきなのか。答えの見えない葛藤に途方に暮れるかのように。
映画が終幕し、主人公と同様に映画館のシートでしばし呆然とたたずんだ。 秋の夜長、味わいがいがある余韻を残すサスペンス映画であることは間違いないと思う。 「三度目の殺人」というタイトルからも伝わってくる通り、往年の国産サスペンス映画を彷彿とさせるクラッシックな佇まいは、非常に上質だった。
と、今の日本映画界におけるトップランナーであることは間違いない監督の最新作を大いにべた褒めしたいところではあるのだけれど、あと少しのところで諸手を挙げて賞賛することが出来ない悩ましさがこの作品には確実に存在する。
先ずはストーリーの練り込み不足。最終的に示される深いテーマ性に対して、ストーリーの奥行きに物足りなさを感じずにはいられなかった。 意味深長でシンボリックな描写は随所に散りばめられ、その一つ一つの場面は極めて映画的で、非常に印象的ではあるけれど、同時にそのすべてに説得力が乏しい。
なぜ殺人犯は十字を切ったのか?少女の父親の愚劣な行動の実態は? と、物語の核心となる重要なポイントの描き出され方が、あくまでも象徴的で類型的な処理をされるため、ストーリーテリングとしても、人間描写としても、掘り下げが浅いと感じざるを得なかった。
それに伴い、各俳優陣の“良い演技”も何だか“型どおり”に見えてくる。
殺人犯を演じた役所広司は凄まじい演技をしているとは思う。言葉では表現しきれない空虚さと漆黒の闇を抱えた殺人者を、圧倒的な存在感で演じている。時に少々オーバーアクトにも見えなくもないが、この役柄のある種のメフィスト的立ち位置を踏まえると、正しい演技プランだったと思う。 しかしながら、肝心の人物描写が浅く中途半端なので、やはり最終的な印象として説得力に欠け、実在感が希薄だった。
広瀬すず&斉藤由貴の母娘像も、両者の好演により絶妙に忌まわしい関係性を醸し出せてはいるのだけれど、実際に彼女たちが抱えたであろう「痛み」の描写が皆無であるため、「そういう設定」の枠を出ず描かれ方が極めて軽薄だったと思う。 広瀬すずに関して言えば、昨年の「怒り」での“或るシーン”があまりに強烈だったため、殊更に今作での彼女の使い方に「弱さ」を感じたのだと思う。
そして、このサスペンス映画が、一級品になれなかった最大の理由は、「主演俳優」だと思う。 主演である福山雅治の演技者としての奥行きが、そのままこの映画自体の奥行きの無さに直結している。 決して、福山雅治が悪い俳優だと言っているわけではない。演者として、表現者として彼のことが嫌いなわけではない。むしろファンだ。 ただ、この映画においては、福山雅治という俳優の良い部分でも悪い部分でもある「軽さ」が、肝心な部分で引っかかってしまっている。
同じく是枝裕和監督が福山雅治を主人公に抜擢した「そして父になる」は素晴らしかった。 あの映画においては、主演俳優の軽薄さが最良の形で活かされる主人公造形が出来ていたからこそ、新しくも普遍的な父像を浮かび上がらせ、難しいテーマを孕みつつも、新たな家族映画の傑作として成立したのだと思う。
「そして父になる」と同様に、今作の主人公造形においても、おそらくは主演が福山雅治に決まった上での“当て書き”だったのだろう。 だからこそ、当然ながら主人公キャラクターの設定自体はマッチしているし、映画の構成的にもビジュアル的にも商業的にもバランスはよく纏まっているように見える。 だがしかし、突如として目の前に現れたメフィストフェレスと対峙して、自分自身の存在性と、「正義」というものの意味を突き付けられるというあまりにも深淵な人物表現を必要とされる役どころを演じ切る力量と適正を求めるには、彼には荷が重すぎた。 少なくとも、この映画においては、クライマックスに入り主人公の感情が揺れ動き、感情的になるほどに、演者としての空回り感が際立っていたことは明らかだ。
くどくどと長くなったが、結論として「面白くない」ということではなく、充分に見応えのあるサスペンス映画であったことは冒頭の通りだ。 傑作を通り越して名作になり得る「雰囲気」を感じる映画だっただけに、口惜しさも大きいという話。 【鉄腕麗人】さん [映画館(邦画)] 6点(2017-09-22 23:59:36) (良:2票) |
5.《ネタバレ》 人は自分の今までの経験を通して、あらゆる物や人を、自分の常識や理解の範疇に押し込める事で型にはめて、自分なりの善悪の基準で無意識の内に物や人を裁いている。 それは映画であっても同じで、今観ている映画を、自分の知識や今までの映画体験を通して、ジャンルを分け、筋道を考え、結末を考え、物語の意図を監督の意図を知ろうとする。 そうして理解しようとしなければ、理解が出来なければ、気持ちが悪いから。自分の器に、物や相手をはめなければ怖いから。 ラストの接見室の場面。重盛は観客も予想したであろう、三隅の意図(自分が犯行を否認する事で、咲江への言及を免れ、彼女を苦しめずに済む)を彼に投げかける。重盛は自分の器に三隅をはめようとし、若しくは自分が三隅の器にはまろうとし、同一化しようとする。それは視覚的にも提示され、それまで徐々に境界を薄めていっていた鏡面は完全に姿を消す。そして二人が重なり合う寸前、また二人は離れる。 観客も重盛も三隅の真意(そもそも思いがあったのかすら)も、犯行の真実も犯人も知ることは出来なかった。 確かな事は、司法制度という器に無理矢理はめこまれて、”死刑になった三隅”という人物がいる事実。 三隅は理解も共感も寄せ付けない。 この映画は、観客が安易な物語の枠組みにはめる事も、偏狭な物差しで裁く事も、観客にとって都合のいい真実を捏造する事も、特権的な視点を持つ事も許さない。 これほど挑発的な是枝作品は始めて観た。 【ちゃじじ】さん [映画館(邦画)] 8点(2017-09-16 09:40:57) (良:2票) |
4.時間をおいて二度見ました。一度目の採点が3点とするなら その数ヶ月後テレビ放送をしているのを再度見て評価が6点上がりました。 思わせぶりでハッキリしない話は基本好きでは無いのだが、 予めそういう映画と解って再見すると一度目では味わえなかった所が見えてくる所もあり。 ただ、見る側の脳内補完に頼る雰囲気映画が許容出来る精神状態で見るのかどうかで 評価は変わって来そうだね。 【デミトリ】さん [DVD(邦画)] 6点(2019-02-03 08:52:34) (良:1票) |
3.《ネタバレ》 「三度目」「十字架」「カナリア」「裁くのは誰?」「器」などなど、あれこれメタファーを盛り込み過ぎの感はあったし、俳優みんなオーバーアクトな感じもあって、見終わったときはお腹いっぱい。いつもの是枝監督作と比べると「思ってたのと違う」感もあった。その上、サスペンス風な味付けなので、「犯人」「動機」「真相」みたいなところにも関心が飛んで、さらに落ち着かない。ただ、あとでじんわりじんわりと、作品の味が伝わってきて、思ってたのと違ったけど、これはなかなかよかったのでは、と思うようになった。何より、最後の「器」がいい。結局、登場人物たちはみんな役所さん演じる三隅に、自分が思う犯人像を重ねていて、それを彼は「演じて」いるに過ぎない。彼が力強く自分の意志を訴えているように見えるシーンでも、彼の目は「からっぽ」だ。それを考えると、最初は苦手だなと思った役所さんのオーバーアクトも説得力を持ってくる。裁判をめぐるあれこれの表現は、自分は昔近い人に関する裁判を数回傍聴したことがあって、そのとき「裁判なるもの」に感じた違和感を、すごく適切に表現してくれた気がする。裁判は「真実」を明らかにする場ではなく、起こってしまった「アノマリー(非日常)」を日常世界へと回収するための共同体儀礼である、というのは言い過ぎかもしれないが、そういう側面が見事に描かれていた。これは、米国産の量産される裁判モノにはない、是枝さん的な視点でとても面白い。「モヤモヤ」する映画であることは間違いないが、そもそも裁判で「スッキリ」すること自体への違和感というか、そこを見事に突いた作品だと思います。 【ころりさん】さん [CS・衛星(邦画)] 7点(2018-10-11 11:54:58) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 「忖度」→自己犠牲→神? 【ネタバレ】 あきらかにそういう撮りかたしてたよな。最後らへん。一回しか見てないけどよ。
こりゃあかんよ。「忖度」という言葉がなぜ今の時代のキーワードなのか全然わかってない。つか、生まれつき空気を読めない人に対し、おまえ普段迷惑かけてんだからみんなのために私刑犯して、低級な人間から神様に昇華して死ね、じゃーまるで権力者の思うツボじゃねーか。
法律は忖度と対峙する。すべての人間の平等性を確保するために「法」とは生まれ存在するのだ建前上は。法律家はだからあくまで真実を追求しなければならない。そのへんをまるで足蹴にして、あまつさえ法制度を逆手に取って自己満のうちに死にましたじゃ、法に対する侮辱というか、こいつ何言ってんだ、なんて思われるだけだわな外人にゃ。
日本人はなぜ忖度するのか? 断言するが、宗教的コミュニティによる(会社・階級を超越した)馴れ合い社会を維持するためである。いじめや不正はその中で「安全に」行われる。したがって仕事ができる人間よりも、馴れ合いを「絶対に」堅持できる人間が重要視され出世する(旧貴族が無難である)。そりゃ~当座はうまくいくかもしれんが、長期的には組織は当然劣化する(つーか、してしまった)。しかしこんなことバラすわけにいかんし(なんせ悪いこといっぱいしてきてるわけだから)、戦争によるリセットも不可能だし、さてどうしましょ? というのが今の時代じゃねーの? 会社も、政治も。
盲人が象を撫ぜるんじゃなくて、「群盲が」象を撫ぜてわからんわからん言ってる、わかるはずの「目明き」は排除しちまっただどんすんべ? と善人ヅラした馬鹿どもが脳天気に呟いてる、そういう状況が問題化してるんだぞ今は。
それをまるで必要悪みたいに描いて。まったく何十年も古いっての。『白痴』。忖度すなわち賤民制度の肯定。
映像的なことをいえば、つくづく才能のない監督だという印象は変わらん(わかってたけどよ)。世の中の些末をしつこくほじくりだす脚本力はすげーとしか言いようがないが、しかしそれも売れてだんだん周囲にコントロールされはじめたか、あるいは年食ったか。
この監督は救いを神になることに求めてしまった。一方で、本物の神に似たものがもうすぐ具現化しようとしている(世界中のすべてを監視する、あるいは全人類の一生分の思考量を一瞬ですますものの現出)。こんな時代をこの監督が思考するのは「とても無理」だろう。もう期待できん。
これからは、日本流の「不正隠し」はできなくなるかもしれん(外人に全部バレる)。優秀な移民が来れば、大多数の「他人の言葉で喋っていればよかった」無能どもをいったいどうするのか?
リベラル(犠牲の尺度)をどうあらたに引き直すのか? 日本はなぜ周辺との融合(止揚)を頑なに拒否するのか。なんでそんなに自信があるのか。 それとも自ら滅びを選んでいるのか。
な~んてカッコつけていってもしゃーないが、しかし今の時代、みんな多少なりと感じていることを書いたまでで、そういう時にこのての(体制の「温存」に与するような)古臭い思考の映画を見て腹がたったので、あえて苦言を呈させていただく。 【アンギラス】さん [映画館(邦画)] 2点(2017-10-22 05:17:47) (良:1票) |
1.撮影に入ってからも脚本の変更が相次ぎ、監督自身が迷走したらしいと聞いて、期待よりも不安が上回る状態で観に行ったが、いやいや、よく出来ていた。ベネチア映画祭コンペティション部門出品作だが、それに恥じるものではない。弁護士に限らず裁判に携わる者が感じるモヤモヤを疑似体験するみたいな。日本も裁判員制度へ移行したわけだからもはや他人事ではないなと。また、この着地点に至るまでも単純に面白い。これは多分、俳優・役所広司の凄さ。被害者への憎悪を吐き出す回の接見なんて鳥肌もので、共演者の一人、満島真之介はこの瞬間を「体に電気が走ったよう」と表現している。2時間釘付けにされ、その後もしばらく頭から離れない。是枝監督の新しいジャンルへの挑戦は成功に終わったと言えよう。 【リーム555】さん [映画館(邦画)] 7点(2017-09-10 00:34:00) (良:1票) |