19.この映画、私にとっては歳をとるにつれてより強く心に響いてくる映画だ。先日BSで見た時には原節子が「毎日が何事もなく過ぎて行くことが耐えられないです。このまま行ったらこの先どうなっちゃうんだろうと考えると恐ろしいんです。」と言う言葉が身につまされた。死んだ旦那の事を思い出さない日が多くなり、ひとりじゃとってもいられない。ホントは明日にでもお嫁に行きたい。けど、そんな人間が現れないのか彼女に勇気がないのか・・。そう考えると彼女の義理の両親に対する心遣いには、どこかに罪悪感もあったのではと思えた。「私、ずるいんです」と言って泣く彼女は笠智衆にそんな気持ちを分かってもらい、さらに許してもらいたかったが、「それでいいんじゃよぉ」と微笑む笠にはどうやら通じなかったようでそこがまた痛い。悲しんだり現実的になったりする死にまつわるシーンにも馴染み深いものがあり後半は泣けてしょうがなかった。人間てちっぽけで悲しくて、でも美しいもんだなぁと思った。 【黒猫クロマティ】さん 10点(2003-12-15 11:59:17) (良:5票) |
18.開始五分はとにかく穏やかだった。その五分と言う間に、日本映画の“静けさ”の本当の意味を知った。音楽はいらない、日常の音がただ静かに音楽のような役目になって、二人の会話を浮き立たせる。そして二人の穏やかな会話が心を和ませた。自分が持っているのにも関わらず、自分は持っていないと言って強情を張り、でも結局自分が持っている事がわかると、黙り込む。しかし妻は決して夫を責めない。その心の余裕、やさしさに感動し、泣きかけてしまった。二人は決して争い事を起こさず、無理もまったくせず、ただ自然に相手を想い合う老夫婦。優しさに満ちていた。そして僕の心は完全に癒され、幸せな気分になった。この時点で既に10点をつけると確信した。そして二人は東京へ。大都会、多人口、日本の中心へ。未知の世界へと足を踏み入れた二人だった。始めは子供達も親切に親を想い、見ていたが、徐々にその姿も雑になって行く。その姿はあまりにもあからさまで、僕自身、怒りの感情が爆発して、壁に穴を空けてしまうのを抑えるのにすごく苦労した。どうして親の気持ちを理解しない?親がどれだけ我が子を想い、どれだけ愛しているかなぜ解らない?親が何を求めて東京に来たのかなぜ気付かない?あまりにも辛く悲しかった。観続けているのが辛くなった。そんな中、血の繋がりのまったくない紀子だけがこの辛さ(暗さ)に光を灯していた。老夫婦を心から想い、優しく包み込む紀子。あまりの優しさ、親身さに涙が止まらなかった。血の繋がりはなくとも、まるで親子のような“愛”が老夫婦と紀子の間にはあったのに、実の子供と親の間には薄っぺらな形だけの親子のような関係のようにしか見えず、悔しさすら込み上げ、奥歯を噛締めても涙が止まらなかった。本当に親子の絆はこの映画のようにいつかは薄れてしまうのだろうか?そんなの辛過ぎます。悲し過ぎます。僕は絶対そんな大人にはなりたくない。でも、今はそうならない自信がある。それはこの映画を観たから。僕に親という掛け替えのない存在の大切さに気付かせ、深く考えさせる切っ掛けを作ってくれた。僕はこの気持ちを絶対に忘れない。僕に親の大切さを“映画”という形で教えて下さった小津安二郎監督に、感謝の気持ちと敬意を払い、10点を点けさせていただきます。僕はこの映画が大好きです。本当にありがとうございました。 【ボビー】さん 10点(2004-08-23 15:17:13) (良:3票) |
17.はとバスが案内する東京は戦後復興したキレイな東京であるが、子供の家から見上げるリアルな東京は煙突から立ち上る煤煙だらけの空。子供達にとって父母の到来が非日常となり、必ずしも望むべきものではなく、彼等の行動、セリフはあまりにリアルであるが実の子だからこそのものである。一転して好意的な次男の嫁こそがしたたかであり、女一人で生きている彼女がまるで東京の象徴のように映る。随所に見える彼女のエゴ、義理の父母が訪ねて店屋物で夕食を済まさせ、母が泊まった際にも「尾道へお越しなさい」という言葉に「遠いので」と答え、義理の妹には「夏休みには東京へ遊びに来なさい」と再三誘っている。そんな彼女の自らのエゴに対する罪悪感が「私ずるいんです」と告白させる。それに対し「いいんじゃよ」と父は寛容と愛情で応える。静かな映像の中で見せられるそのリアリティは、痛烈な毒を持ち、父母の素朴さにより一層胸を締め付けられる。核家族社会であり続ける限り、この映画は永遠普遍の名作であり続けるだろう。 【亜流派 十五郎】さん 10点(2004-01-14 18:19:15) (良:3票) |
16.この作品は間違いなく小津監督の代表作である。そして、この映画が何故、名作であるかと言われたら、それは何よりも世界共通のテーマである家族の問題、普遍性を感じるからこそであると私は思う。この映画で描かれている家族の崩壊というそのテーマこそ正に現代に通じる大きな問題点であり、それを既にこの時から先を見据えて描き出す小津監督の持っている感性の鋭さ、幸福な過程に突如、訪れる不幸、誰もが一度は経験するであろう人が生きて行く上で欠かすことの出来ない普遍性に誰もが観た後、何かを考えさせられるはずです。そんなこの作品、やはり誰もが発する言葉の美しさ、現在の日本人に失われつつある言葉の美しさがこの作品の中には見える。その言葉の美しさがあるからこそこの映画は人々の心を打つ、感動させるものがあると言えるそんな作品が正しくこの映画!何を言ってるのか全く解らない今の人達こそこの映画を観て、言葉の美しさを学ぶべきだと声に出して言いたくなるほどの本当に全てにおいて美しい作品です。小津映画の特徴にある笑いは少ないかもしれないが、これほど言葉の大切さ、人の心の温かさを教えられる映画はなかなかありません。小津映画を見ないで日本映画を語る。日本映画なんて、面白くも何ともないなんて言うのは大きな間違いだ!この映画を観ると少なくとも今の日本映画にはない何かが見つかる。感じられるはずです。 【青観】さん [映画館(邦画)] 10点(2005-07-03 17:34:47) (良:2票) |
15.「私ずるいんです」 笠智衆に対して頑なに言い募る原節子は、最後に救われたのだと僕は思う。「東京物語」とは、大都会でひとり生きてきた原節子演じる紀子が自らの頑なさを笠智衆という在るがままの御仁にぶつけることによって救われる物語なのである。もちろんこの大傑作映画は、登場人物たちのさざめく日常を丹念に描き、様々な人々の様々な奮えを静謐に表現することによって、実に多面的で奥が深い作品となっている。その多くの場面に僕は感銘を受けた。 それでもやはり、原節子という優しさの象徴のような女性がその内情の弱さを吐露する場面は、この物語のクライマックスであり、それは笠智衆という「精神」の静かな態度によってしっかりと受け止められるのである。最終的に、笠智衆は妻に先立たれ、子供達には厄介者扱いされるような不遇の立場にあるわけだが、彼はその立場を捩れなく自然に抱えこむことによって、決して自らの弱さに屈しない、かつ自らの強さを誇張することのない凛然とした「勁さ(つよさ)」を見出すのである。原節子が最後に救われ、癒されたのはそんな彼の自然さであり、「勁さ(つよさ)」である。彼女が自分の「ずるさ」と自然に向き合えたことこそが彼女自身の癒しだったのだ。 笠智衆が一人佇む最後のシーン。彼が自分の人生を十分に反芻しており、そのことから滲み出る自然体であることの「勁さ」というものを僕は切に感じることができた。そして、僕も救われたのである。 【onomichi】さん 10点(2004-08-25 01:20:02) (良:2票) |
14.小津作品初めて拝見しました。この作品の良さは若い頃見ていたらきっと今ひとつ充分に自分の心に伝わらなかったのでは、と思っています。自分もある程度の年齢に達し、結婚し、子供も出来て親になってここに登場するそれぞれの人たちの気持ちがよく理解できるようになりました。結婚すると親の事を決して邪険にするわけではなく自分の生活の事をまず考えてしまいがちになるし、そこには親子だからという甘えもあります。子供というのは親が子供を思う程親の事は考えないものなのですよね。あの時にもっと親孝行しとけばよかったな、、と思う頃には親が亡くなってたりです。普段忘れがちになる親子の気持ちや生きてゆく事の意味などこの作品から教えられた気がします。劇中出てくるセリフのひとつひとつよく親や親戚たちとやりとりしてた言葉だったのでよけい胸に響いてきました。(特に“あんたが大きくなる頃にゃ婆ちゃん生きとらん~”のセリフは、うちの母が今子供たちによく言ってることだ)ラスト近く一人になった周吉が海を見つめているシーンは、三年前に亡くなってしまった自分の父親と重なって泣けてきました。 【fujico】さん 10点(2004-02-16 15:34:03) (良:2票) |
13.20年前にレンタルビデオで見た時にはとくに感動しなかったが、今日映画館で見て感動した。襖の影から人が現れて襖の影へ消えるの繰り返し、膝の高さのローアングル構図、小津映画のお約束をこれでもかと見せつけられる。しかし心に残るのは深い感動であってテクニックそれ自体ではない。ベタな平凡なストーリーを展開させて、人生の普遍的な喪失感が胸に迫ってくる。何故そんなことが可能なのか小津の魔法使いとしか言いようがない。 【ブッキングパパ】さん [映画館(邦画)] 10点(2020-12-12 16:45:51) (良:1票) |
12.これはまあ、何と言ったらいいか、言語に絶する、あるいは言語道断(?)とでも言ったらいいのか こんな完璧な映画作っちゃいけませんよ。
レオ・マッケリーの「明日は来らず」にインスパイアーされて作ったということで、 あちらも、見捨てられた老夫婦が自分たちで生る道を模索するさまが悲哀とともにが描かれて素晴らしい作品だが、 これはさらにその域を越えて、諦念とそれを許容する寛容が、世界的なスケールで描かれ、ほとんど普遍の域に達している。
不朽の名作とはこういう映画のことを言うんでしょう。映画史上、永遠に残る傑作です。 【kinks】さん [映画館(邦画)] 10点(2015-10-04 23:32:00) (良:1票) |
11.この映画がもてはやされるのに、どこか引っ掛かってました。終盤の「母の死」という事件が、映画の中であまりに大きな転機になっていて、これは通俗性の表れだろう、と思ってました。だから世界中で受け入れられたんだろうと。しかし本当にこの作品が小津作品の真骨頂みたいな扱いで、良いのか、と。……しかし、自分にも子供が出来て、子供の事を「何か頼りないなあ」とか「でもまあ頑張ってるよなあ」とか言う立場になってから、改めて観た時、本作はどうにもタマラン映画なのでした。背中を丸めた年老いた親、その親を邪険にする子供たち。いや別に邪険にしている訳ではなくて、いわば空気のようなアタリマエの存在だからこそ、なのかも知れないけれど、血の繋がらない人たち(原節子とか中村伸郎とか。それこそ東野英治郎とか)の方が余程フレンドリーな描かれ方をすることで、子供たちのよそよそしさが目立つことに。しかし、親としては、子供たちが順調に育ってくれて(当時は「戦死」で息子に先立たれるなどという理不尽もあった訳で)、家庭を持ち「自分たちの世界」を持ってくれれば、それで良いのだな、と。孫より子供の方が可愛い、という、無限の愛情、それが一方的なものとなってしまうのは、やはり必然なのか。医者になった息子に最期を看取ってもらえる、というのが、幸せであり、また幸せの限界でもあるのか。妻の死を目前に静かな表情で「そうか、いけんのか」「そうか、おしまいかのう」とつぶやく笠智衆。感情を露わにしてくれた方が観てるこちらにも救いがあるのに、「どうしてそういう言い方するのよ」と悲しくて仕方がない。まあ、脚本に書いてたとか監督に指示されたとかいうのがその理由なんでしょうが(そう思わなきゃ、やってられませんわ。笑)。この静かな表情からは、「自分たちは役割を終えた」という諦念がにじみ出て、映画を通じて登場する背中を丸めた座り姿とともに、忘れられないものとなりました。しかし彼にはまだ、最後の「役割」が残っている、それは、自分の子供たちだけではなく、すべての子供たちにかける言葉。未来があり、自由があり、しかしそれを行使し切れずにいる、原節子への言葉。やがては子供たちの世代もいずれは孫を持つ世代となり、すべてが繰り返されていく訳で、永遠のテーマですなあ。そしてこれも変わらぬ、尾道・浄土寺。 【鱗歌】さん [CS・衛星(邦画)] 10点(2013-02-22 04:12:38) (良:1票) |
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10.何も起こらないとても退屈なつまらない映画です。ただ、見終わった後すごいものを見た事だけがわかります。残念ながら今の私にはそれをあらわす事ができません。何十年か経っていつの日かこの映画の真の素晴らしさを理解し言葉であらわせれるような人間、映画好きになっていたいと思います。余談ですが、私は恋愛映画が大嫌いです。一般的な恋愛映画で描かれる恋愛というのは非常に薄っぺらい関係だと思っています。しかしこの映画で描かれている夫婦は好きだの愛しているだのそんな安っぽい言葉を使わずとも、信頼関係を通り越し信頼という言葉すら必要ないほどの愛情を感じました。日常のたわいない会話の一つ一つにどきどきしてしまいます。私にとっては最高の恋愛映画だとも思っています。欲張りな私は何十年か経って人間、映画好きと併せてこんな夫婦になっていたいと思います。 【pnpls】さん [CS・衛星(邦画)] 10点(2012-04-18 09:37:59) (良:1票) |
9.アメリカのテレビで日本語放送・英語字幕という特異な環境で鑑賞。原節子の清楚な美しさ、彼女の日本語の美しさに感動しました。遠くの故郷・家族のことを思い出し、自然と目頭が熱くなりました。年をとってから見て良かったです。ありがとう。 【ジャッカルの目】さん [地上波(字幕)] 10点(2006-12-29 00:41:42) (良:1票) |
8.基本的にモノクロ映画は苦手なのだが、この作品にはすぐに引き込まれてしまった。色を特に必要としない。登場人物たちの心情とそこに流れる空気を感じられれば充分な気がする。例えばうちわの使い方が表現する。自分ばかりをバタバタと扇ぎまくる息子と娘。義父母の事をゆっくりと扇いであげる嫁。それだけで全てを語っている。何も自分で自分を扇いだからといって怒られる訳はない。悪いことは何もしていない。ただ気持ちの問題だけ。例えば食事のシーン。父のことを思いやった風の言葉を吐きながら、飯をせっかちに掻きこむ娘。悪いことはしていない。ただその言葉に気持ちが感じられないだけ。誰も悪くはない。ただ合理的なだけ。現代人に似ている。古さを感じさせなかったのはそのセイだろう。最後次女と嫁の会話だけが代弁者となり、救われた気がした。でも個人的に杉村春子演じる長女の存在が一番気に入ってしまった。彼女の演技あっての作品だと思った。 【ちゃか】さん 10点(2005-02-26 17:52:43) (良:1票) |
7.実る稲穂は頭を垂れるし、深い川ほど静かに流れる。馬鹿であり続け、黙すということ。分からないふり馬鹿なふりをし、後続に道を譲り、心の機微の全てを墓まで持って行くということ。父と母のそんな優しい虚偽と、賢明な狡猾。それはローアングルから世界を見据え続けた、畳の上数十cmの目線の美学の見事な貫徹でした。一枚も二枚も三枚も上手でした。それは怜悧と冷徹を孕んだ、達観というものの美しさでした。それは混沌化前夜の東京における、失われるものの黙示でした。世界が変容する音が聞こえ始めていました。それを見据える、冷徹な監督の目がありました。これは黙示録でした。そして、日本映画の、一つの間違いのないイコンでした。 【ひのと】さん [DVD(字幕)] 10点(2004-10-19 23:34:59) (良:1票) |
6.私はリメイク版(八千草薫や松たかこが演じているやつ)を見てこの映画を知ったのですが、そのリメイク版を見た時点で衝撃、というか静かな衝撃みたいな映画が終わった後もぼーと物思いに耽てしまう感覚に襲われました。機会があってやっとこちらの方を見れるようになったのですが、リメイク版もこちらもそれぞれの良さがあり、どちらも10点満点の映画だと思います。やはり元の脚本が素晴らしいのでしょうね。心に残る映画です。 【あしたかこ】さん 10点(2004-08-31 22:37:22) (良:1票) |
5.わたしが観た小津安二郎作品の中で一番好きな映画です。東山千栄子と笠智衆が、わたしの亡くなった祖父母に似ていて、何度観ても泣いてしまいます。日本人で、日本語で、この映画を観れて本当に良かったと思います。 【rexrex】さん 10点(2004-06-12 12:42:45) (良:1票) |
4.見た後に涙が止まりませんでした。日本人の綺麗な部分と情けない部分が実に上手い具合に演出されてると思います。言葉、映像が美しく、心がホッとする作品。 【VNTS】さん 10点(2003-12-20 03:06:41) (良:1票) |
3.「家族の崩壊」が表向きのテーマだが、実際に描きたかったものは違う。それは、笠智衆の達観ぶりとその「背中」が物語っている。長年連れ添った妻が亡くなった朝、外で朝焼けを眺めながら「きれいな朝焼けじゃった。今日も暑い日になるぞ。」と言いながら家へ入っていくシーンが象徴的。この無常観の描き方には鳥肌が立つ。人間、家族を築いても最後は自分一人、そして朽ちていく・・。それでも、それを受け入れて生きていく姿、悟りの境地が笠智衆の背中に表れている。 【STYX21】さん 10点(2003-11-13 20:54:45) (良:1票) |
2.日本はもちろん、世界的にもトーキー以降の最高傑作だとぼくは信じています。それ以上、何を多言する必要がありましょう。そして、原節子はぼくにとっても永遠の存在です。世の中から映画が失われても、この1本さえあればいいです。ぼくは。 【やましんの巻】さん 10点(2003-07-15 14:36:17) (良:1票) |
1.弱冠18歳で、観た。泣いた。 【クチイシ】さん 10点(2002-01-18 21:57:11) (良:1票) |