6.《ネタバレ》 これまでアタシちゃんは山崎貴って人を幾らか評価してたわ。いえ、擁護してた、ってカンジかしら? オンチな映画を作る人だけど、まあ、いいところもあるじゃない?大目に見てあげてもいいんじゃない?って。昨日見たばかりの『アルキメデスの大戦』だってオンチなところはあるけれど良かったし。 だけどこの映画を見て、本っ当にっ、心の底からっ!大嫌いになったわ。見終ってからずーっとイライラムカムカし続けよ。
冒頭からしばし続くヘンな演出とダイジェストっぷりに「なんてオンチな映画なのかしら?」って思ったら、そこは夢だったので、ああ、そういうコト、って思ったらそこから先もずっとダイジェスト。延々オンチ(ブツ切れな展開で感情移入もへったくれもあったモンじゃなくて)な状態で、だけど『ドラクエV』をプレイした事がある人ならば色々と脳内補完できますよ、って作りで、だからそういう志の低い映画なりの楽しみ方はできたのね。ビアンカ(アスティ似)とフローラのクダリなんかね。 音楽なんかもブツ切れだし、『V』の曲だけじゃなくて『VI』や『III』『IV』の曲も使っちゃうし。ブツ切れ展開には曲が合ってない状況が多いし。『序曲』の使い方酷過ぎだし。
だけどそんなオンチな酷さっぷりもクライマックスの馬鹿馬鹿しさには霞むわ。 これは『ドラゴンクエストV』の映画化ではなくて、『ドラゴンクエスト』の映画でもなくて、スーパーファミコンソフト『ドラゴンクエストV』についてのメタ映画。 そんなモン、『世界一受けたい授業』でヘラヘラと自慢しながら見せときゃいいのよ!ってモノを本編で見せちゃうワケ。 ゲームって所詮は作り物だけどイイもんですよね~、ってそんな誰もが判りきったコトを本編で語るなっての、バカ! ちなみにこの映画はCGで作られてるんですけどね、映画なんて全部作りモノなんですけどね、でもイイもんですよね~、って「山崎貴、お前如きに『ドラクエ』とCGアニメと映画を破壊する権利なんてあるのか?馬鹿野郎!!」って怒りに燃えながら新ピカを後にするハメになったわ。
山崎貴はクズでゲスな大馬鹿野郎、これからはその大前提でこの人の映画を見なくちゃならなくなったわ・・・
【追記】 ドラクエファンがこんなのドラクエじゃない!って感情的になってるレビュー、程度の話ではなくて(アタシ自身、実は『ドラクエV』はそんなに好きじゃない)、もっとずっと深刻な問題なので少し補足しとくわ。
クライマックスで突如、ここまで全部VRでした、ってのは夢オチの亜種、タブーよね。でも、問題は『ドラクエ』世界だけに留まってないの。 「今まで見てきたパパスの死やビアンカやフローラへの想いや冒険は、全部ニセモノですよ、作り物ですよ、だけど」っていう、その「だけど」の部分が全く上手く機能してない、上手く描けていないどころか、他の総ての創作までをも侵蝕して否定する状態になっちゃってる。
わざわざCGのコリジョン外してテクスチャ外して、ツルツルのポリゴン見せて、これが映像の真実でござい、ってモノを見せて、そこからそれでもこの世界は素晴らしい、ってモノまで復活させられてないの。キャラや作品世界を殺してしまったの。 それどころか世のゲーム、CGアニメーションは全部こういうモノなんですよ、って他作品まで全部(そう、ディズニーやピクサー、DWA、イルミネーションなんかね)巻き込んだ上で大失敗コイてるの。
それは映画やその他の映像作品総ての虚構性までをも内包しちゃってるワケね。つまり『ドラクエ』を軽視するだけじゃなく、ゲーム全体、CGアニメーション全体、映画というメディア全体、映像作品全体の虚構性を1つの作品の中で無責任に暴いた上で、その責任を取らないままで終わらせちゃってる。 もう山崎貴の稚気の成せる技、で済ませていいレベルじゃないのよね。
個人的には山崎貴=ROBOT=白組の積極的拒絶ってのをしてかないとダメだと思えてきたわ。
【追記2】 思ったんだけど、コレ『レゴ®ムービー』の出来損ないね。山崎貴にオリジナリティとか無いし。だけど愛のある無しの差は大きいわ。 【あにやん🌈】さん [映画館(邦画)] 0点(2019-08-02 17:36:31) (良:5票) |
5.《ネタバレ》 ドラクエ5に思い入れがある自分としては辛い作品でした。映像はとても頑張っています。「ディズニーアニメを目指してるんだろうか」と皮肉りたくなるほど高クオリティなのでびっくりしました。それにビアンカ可愛いですね(演技はアレですが)。 しかし問題なのがストーリーです。“原作通り”を望んではいませんでしたが、幼少期を早々に飛ばしたり、場面転換が急だったり、各キャラとの関係性が不鮮明だったりと「こんなことなら2部作にすればいいのに」と思ってしまうほど無茶な流れが多々ありました。 そしてあのラストです。「だからあんな不自然な飛ばし方、サブタイトル『ユアストーリー』なのか」と納得はしましたが・・・正直、そんな伏線回収(?)望んでなかったです。プレイヤーというメタ的なことを出すのは否定的じゃないですけど、そういうのやるならむしろ最初からやればよかったんじゃないでしょうか。押し入れから埃をかぶったSFCとドラクエ5が出てくる→スイッチオンであの(劇中の)オープニング→ラストはThe Endでリアルに戻る。そういう劇中劇で十分よかったと思います。それをよりにもよってVRにウイルスとは。「見終わったらまた5をプレイし直したくなるんだろうな」思っていたのですが、そんな気持ちにはなりませんでした。 【あんどりゅ~】さん [映画館(邦画)] 4点(2019-08-04 02:52:38) (良:2票) |
4.これは私が知っている「ドラクエⅤ」ではない。
今回はネタバレ無しレビューで行きたいと思うのでラストについては言及しないが、これは作り手の手の内にいいように転がされたというか、「ドラクエⅤ」の思い出を踏みにじられたというか……少なくとも、「う~ん 、そうきたかぁ!」等と感心してしまうようなオチではない事は確かであった。 思い返せば副題の「ユアストーリー」というのが公開前からちょっと引っ掛かってはいた。どういう意味なのだろうかと。 しかし、見終えた今、その副題に対して確かに間違ってはいないが、納得するという事は全くなく、単に言い訳にしか聞こえない。 全然フェアじゃないし、観客をビックリさせてやろうという思惑しか透けて見えて来ないのでむしろ腹立たしい。 「ドラクエⅤ」リアルタイム世代とか、思い入れが有りすぎる人ほど爆死する危険があるので注意。
とは言え、途中までは確かに「ドラクエⅤ」のストーリーに浸ることが出来たと思う。かなり端折っているので脳内補完するしかないが…。 あまりに年月の流れが早すぎて、感情移入する前にどんどん進んで行くので、ダイジェストだと思えばそこそこ楽しめた。 ビアンカやフローラやスライムなどのキャラクターはとても可愛いし、パパスはカッコいいし。
ただ、やっぱりラストがねぇ…。 「ドラクエⅤ」でそれをやらなくてもいいじゃん、普通に感動させてよって感じ。 いろんな人に警告したい映画ということで2点献上。 【ヴレア】さん [映画館(邦画)] 2点(2019-08-02 19:22:01) (良:2票) |
3.《ネタバレ》 ドラクエは初代ファミコンのⅢをプレイしていた記憶がある(エンディングまでたどり着いたのかは覚えていない。)のとアニメの「ダイの大冒険」(TBSのやつ)を見ていたというくらい(いずれも小学生の頃)で、とくにそれほど思い入れもなく、本作の原作であるⅤもプレイしたことはないのだが、純粋に一本のアニメとして見ると、冒頭部分がゲームそのままの画面であるという手抜き感は感じるし、時間的制約ではしょっている部分も多いのか、よく分からない部分もあるものの、普通にファミリー向けとして無難な印象・・・だったのだが、クライマックスに突然現れるメタ展開には予め知って見ていてもあ然としてしまう。メタ展開自体は嫌いではないし、この部分に山崎貴監督らしさも感じるのだが、子供時代からの(もちろん、現役の子供にも)ファンが多い人気のRPGを原作にしている本作でそれをやるのははっきり言って違うと思うし、下手をすればファンを敵に回すような展開になっていて、印象としてはかなり悪く、山崎監督としては自分色を出したかったのかもしれないが、原作者が監修を担当していながらよくもこういうことをやれるなという気になって呆れてしまう。やはり、テレビゲーム、とくにRPGは仮想現実を楽しむという側面が大きいジャンルで、だからこそこういうことをやられるとすごく冷めてしまう。ここに2点マイナス。ドラクエシリーズのキャラクターデザインは鳥山明が担当していて、本作エンドロールにも原作ゲームのキャラクターデザイナーとしてクレジットされているが、本作のキャラクターデザインは鳥山明の絵に寄せていないのはドラクエにあまり馴染みがあるとは言えない自分でもさすがにあまり良くないのではと思うものの、リュカの前に現れる占いババが「ドラゴンボール」の占いババのような姿だったのはなにか嬉しかった。 【イニシャルK】さん [DVD(邦画)] 3点(2025-03-27 20:19:03) (良:1票) |
2.ドラゴンクエストに関しては無知な人間ですので、失礼ながら一本のアニメーション映画として評価します。物語に起伏もありラストの妙にひねった展開がなければ普通に冒険ファンタジー映画として評価される出来だと思います。CGも動きの硬さは感じますがよくできてると思います。特に顔の生傷には相当こだわっていますね。2Dアニメは基本的に単色で塗られたのっぺりした肌しか表現できませんので、これは3Dアニメであることの強みを生かしていると思います。それで例のラストなんですが、まあ失敗ですし悪評も仕方ないです。でも一部に支持派がいるのは納得できます、というか支持します。やるならもっと序盤からわかりやすく示唆すべきというのも尤もな批判ではあります。でもラストのメッセージ的にもここまでは全てが本物であるかのように語られる必要性はあったと思います。我々はなぜフィクションに対して本物以上に思い入れを抱くことができるのか。それは単にフィクションが傷つくことのない別の世界へ逃れることを可能とする現実逃避の対象だからでしょうか?いやむしろ現実では傷つくことから本能的に逃げようとしてしまうからこそ、それに真剣に向き合う場としてのフィクションが必要なのだと思います。そしてそこで前述の生傷へのこだわりが生きてくると思います。この映画の裏メッセージは傷つくことこそが生きていると感じられる本物の証であるということだと思います。 |
1.《ネタバレ》 山崎監督のインタビュー「副読本のようにならず、ゲームというメディアと戦える方法はないだろうか……ということを来る日も来る日も考えていた」そしてある日、映画のプロットを書いているときに「今回挑戦した新たな手法がふっと浮かんだ。」(シネマトゥデイ)
そのアイディアが...裏目に出ましたね。 長時間プレイして得る達成感に対して、2時間そこそこの映画で期待に応える確信が持てなかったのかも知れない。 今回挑戦したと言う「新たな手法」は、山崎監督にとっては新しいかも知れないが、観客にとっては決して新しくはない。その代表例が TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のクライマックス。 物語に愛着を持つ視聴者はその演出に混乱し、ある意味でエヴァは伝説になったが、そんな伝説、そんなインパクトはいらない(笑)
作者の意図を超え肥大化した作品に、プレッシャーを感じた作り手が まれに陥る選択《物語世界それ自体を客観的視点で再定義する》ことで 物語を自分の手元に戻し、終結させる。 ただし、これは《観客それぞれが補完し自分用にカスタマイズした世界を、一方的に再定義してしまう》ことでもあり、よほど上手く行わないと拒絶反応を受ける事になる。
本作では、物語のクライマックスに突然、それが発動する。 今や東宝から巨匠扱いされるほどの監督が、これほど大衆に支持されている物語で、こんな危険な博打を仕掛けるとは信じ難い。
一応、私もDQVをエンディングまでプレイした一人。 この映画化に期待したのは、剣と魔法と勇者の成長、愛嬌あるモンスターたちとの戦い、謎と伝説と栄光の物語。その単純明快なヒロイック世界の追体験だと思うのだ。
百歩譲って、客観視点を生かしたければ、アバン(イントロ)で堂々と前振りするべきだし、エンドクレジットはオールDQシリーズのふり返りにするべきだった。
以上、否定するように書いたが、本作のDQらしい雰囲気づくりやCGキャラクターの (子供にも受ける) 演出には好感を持った。 不安から始まった鑑賞も、それなりに楽しんで終盤を迎えられた。CG制作スタッフの努力には感謝したい。
後にテレビで放送する際は、客観視する部分をカット(アフレコも変えて)発動したのはミルドラース (ラスボス) の次元魔法ってことにしてくれない? 【墨石亜乱】さん [映画館(邦画)] 6点(2019-08-07 10:11:09) (良:1票) |