11.大昔に観た時は松田優作が好きでした。今回は伊丹十三にハマりました。「チュウチュウ出来ないじゃないか」のシーン最高です。「あなたから言ってやってくださいな」「おまえねえ、俺が深入りすると、バット殺人が起こるんだよ」映画が終わった後、このシーンをもう一度巻き戻して笑いました。ハングルラジオのシーン、西日本ならアルアルネタなのですが、関東で起こり得るのでしょうか笑 あと大人になってしまったのか当時32-3?の由紀さおりがカワイイと思いました。 【kocyan】さん [CS・衛星(邦画)] 10点(2011-12-28 11:28:35) (良:3票) |
10.◆この映画全てにわたって、快と不快が両立して撮られている様な印象をうけました。◆おいしそうな料理と食べるときの汚い音、夕暮れの色と煙を出す工場、家族の食卓とうるさいテレビの音・・・とにかく全てのシーンに渡って快と不快が両立されている。だから、見ていて何か気持ち悪い。◆ただ、これが15歳、すなわち中坊の時期なのだなと思います。受験に恋愛にライバルに・・・自分にとって不快なものと心地よいものをいっぺんに背負っている時期。そんな彼らの複雑な心境をうまく映し出しているなという印象を受けました。最近僕は、マナーをわきまえずに友達と好き勝手やっている中坊を見ると嫌悪感を覚えているのですが、この作品を見て、彼らも彼らで大変なんだなと思いました。◆まあ、その考えに行き着くまでに、既に僕は映画を見ているあいだ中、口が開きっぱなしでしたので、これはかなり凄い映画なのだと思います。◆終始僕の口を開かせたこの作品でしたが、全体的に何をテーマにしているのか曖昧ですし、ブラックユーモアという印象をあまり受けなかったことから-2点で、8点を献上させていただきたい。 【もりたろう】さん [DVD(字幕)] 8点(2006-11-04 13:44:40) (良:2票) |
《改行表示》 9.《ネタバレ》 松田優作目当てで子供の頃に見た記憶はあるのだが、当時はなんだかよくわからないという印象しかなかった。この度見直して気がついたんですが、これは「金属バット殺人事件」がモチーフなんですね。先日TVで昔の衝撃NEWSを取り上げるという番組があって、若い出演者達が、「金属バット殺人事件」の事を「そんなに衝撃的?」とコメントしていたのが印象的でした。要するにこれは序章であり、現代は35年前よりも家族は殺伐とし崩壊しているのかもしれません。 私も家庭教師を何人もしました。そして晩飯もよく食べさせてもらいました。大学生の時には気がつきませんでしたが、今思うと親子が会話できていない所が多かったように思います。本作は破壊者が集団の常識をヒックリ返して変質させるパターンの映画に分類されるのでしょうけど、確かに荒削りで雑な所も感じられます。が、ラストで文字通り映像的に破壊して、その後の家族そろっての後片付けするシーンは家族の再生のようにも見えます。家族には平穏が戻ったが、まわりは騒々しいという、将来への不安と共に、現代にも通じる問題提起をしたエポックメーキングな作品ではあると思います。 【東京50km圏道路地図】さん [CS・衛星(邦画)] 7点(2016-03-14 10:09:35) (良:1票) |
8.《ネタバレ》 怪作ですね。伊丹十三と松田優作の距離感のキワドさに笑い、家庭教師吉本と茂之の会話の間に笑い…。ここ笑いどころですよ!というこれみよがしなギャグはほとんどなくて、むしろギャグでもなんでもないシーンでずーっとニヤけさせられるような、不思議なコメディです。家族が向き合うことのない食卓の歪な存在感が象徴するように、本作はとにかく歪んでいます。弟が勉強を頑張るように慣れば兄が怠けだし、子供部屋に行くのにエレベーターを使ったり、その場所では音楽が流れているシーンでも映画上では音楽を流さなかったり、ニヤけた息子が母親に生理のことを質問しだしたり、伊丹十三の玉子焼きチューチュー…気持ち悪い!すべてをぶち壊すラストの7分間長回しは圧巻の一言。いつ松田優作が壊れ始めるのか、兄弟が便乗し始めるのかは繰り返し見なおさないとわからない。両親が3人の壊れた行動を無視しているからそういう「テイ」なのかと思ったら「さっきからなにしてるんだお前!」って、そりゃないよ!この家族壊れすぎ!母親は茂之の将来を案じる一方で若いうちに子供を産んでしまったことを後悔しているし、父親は「金属バット殺人が起こるから」という理由で子どもの教育に介入しないし、吉本は金を貰うためだけに茂之に勉強を教えていて、茂之はいじめてくる幼馴染への嫌がらせ目的で勉強している。まさに偽りの家族。家族ゲームに興じているだけだったんですねえ。これを見破って歪な食卓返しをした吉本は流石。…そういえば、レーザーディスクに付属されていた解説文では松田優作の無表情とバスター・キートンの無表情を重ねあわせる一文があったけど、それはいくらなんでも考え過ぎでは? 【カニばさみ】さん [レーザーディスク(邦画)] 10点(2015-06-10 19:56:23) (良:1票) |
《改行表示》 7.《ネタバレ》 シュールで不思議な魅力を持った映画で好きです。 この時代の受験戦争、受験生を抱えた家族がよく描かれていると思います。 横並びの食卓なんか家族間の希薄さ伝わって、家族のようなもの(家族ゲーム)に思えた。 終盤、家庭教師がその食卓で暴れた後、皆揃って料理の残骸を片付けるとこに一瞬、本当の家族に一歩近づいたように見えた。 あと意味ありそうでない?生活音が繰り返されるに、何か引き込まれちゃいました。 そして初めて観た時は、しっかり母親役に見えた由紀さおりさんが、今観ると妙に艶っぽくて結構自分の守備範囲に入る女性に見えて時が経ったんだなぁ~と。 更に、この映画観た時から目玉焼きは半熟が好みになった私であります。 【ぐうたらパパ】さん [DVD(邦画)] 9点(2012-01-22 04:59:57) (笑:1票) |
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6.あえて焦点を絞りきらない作品という気がした。何か滑稽でいながら不気味なものが描かれているんだけど、それがはっきりしない曖昧なままくっきりと(!)提示されてる感じ。くっきりと提示された曖昧さ、ってつまり「夕暮れを完全に把握しました」っていうようなこと。曖昧さは周囲に充満しているんだけど、それを焦点を絞らないまま明晰に描ききった労作。それは思春期の曖昧さでもあり、家族というものの曖昧さでもある。映画は登場人物の人物像を結ばない。いわゆる「人間が描けてる映画」にはしていない。登場人物は人と関わることでのみ描かれ、ぼそぼそとした会話と行動だけが手掛かりだ。その会話を含むリズム感が抜群で、二度目に殴られても鼻血が出ないあたり、先生のガールフレンド美人ですか? と尋ねられてゆっくりハンカチを取り出すあたり、おかしい。これを最初に観た当時は想像することも出来ないことだったが、ラストのヘリコプターの音、サリンを撒いてるオウム真理教を今回はふと思った。カーラジオで事件が起こってないか確かめたり、そういうことにつながってもおかしくないような不穏の気配は、曖昧な夕暮れのようにひしひしと迫っていたのだ。それにしても監督が亡くなっても、もう夭折と言われないだけの時がたってしまっていたのだなあ。その間に松田優作の若死、伊丹十三の自殺、と不幸もあった。戸川純より健全そうだった妹さんの自殺もあった。ちょっとだけ顔見せた清水健太郎の逮捕は何度もあったなあ。 【なんのかんの】さん [CS・衛星(邦画)] 8点(2012-01-14 10:06:55) (良:1票) |
5.《ネタバレ》 それぞれのカットが写真の様で見ていて飽きない。その意図を素直に心地良く考えながら見れ楽しい!それはセリフや各出演者の動きにも溢れでている。話し声が聞こえなかったり、レコードを流しているのにBGMが入らなかったりー。戸川純がトイレットペーパーを持っているのは往年のウォシュレットトイレCMへの裏返しなのだろーかー…とか。今回見て、ラストにどの様な意図があるのか考え、ネットで検索して様々な考えに接しれて楽しかった。黙祷。「キミを吸ってるじゃないか。いつも。」 【reitengo】さん [CS・衛星(邦画)] 9点(2011-12-26 17:00:54) (良:1票) |
《改行表示》 4.《ネタバレ》 初見はいつだったか・・・20代独身だったことは間違いないです。 風変わりな映画、そんな感じでした。ただ松田優作と阿木耀子のシーンはまったくいらいないと感じたのは今も変わりません。めっちゃくちゃ演技ヘタな阿木さん、あの頃カッコイイ女の代表みたいな存在だったような気はする。 今この映画を観て思うことは、「あの頃はまだマシだったんだ」ですね。 横一列に並んではいても毎晩夕飯を家族で囲み、半熟目玉焼きが好みだったとは知らなかったとはいえ、毎朝きちんと朝ごはんがあり、「おやつ食べな~い?」なんて、おやつの時間に毎日お母さんが家にいる、息子二人は無防備に昼寝してる・・・平和です、なんの心配もない一家じゃないですか。代わり映えのしない日常に家庭教師という他人が入り込むことでこの一家は多少活性化されたともいえるのかな、適度な刺激ってやっぱり大事です。 当時は人間関係、家族のありかたとか学校教育を危惧して、皮肉ったつもりで制作されたのかもしれないけど、価値観の相違に個人主義に当然の権利なんていうのがやたら自意識過剰な人を増やし、あのころとは比べ物にならないくらい殺伐としてしまったんじゃないかしら? 同級生の、あの程度のイジメなんてかわいいもんですね。 いい意味の人を見透かしたようなゆるいコメディだと思う。 【envy】さん [地上波(邦画)] 7点(2010-09-23 00:00:28) (良:1票) |
《改行表示》 3.この映画を観て、「家族」という関係性において、その在り方に正解も不正解もきっとないのだろうということを思った。 「家族ゲーム」という映画タイトルの中で描き出される一つの家族。次男の高校受験を目前にして、家族皆が盲目的な”理想”を掲げて、混沌としている。 その混沌とした家族風景が、不幸かというと、決してそんなことはない。 食卓に横並びになって、互いに顔を合わせることのない会話をしながら、淡々と食事をする風景は、この家族の姿を如実に表しているのだが、その味気ない風景にさえ、この家族の切れることない繋がりを感じる。 それは、どんなに窮屈で、居心地が悪くても、それでも互いに寄り添って食事を続けるしかない、という家族そのものの「宿命」とも言えるものかもしれない。 たぶんそれは、実際とても幸福なことなのだろう。 この映画は、混乱する家族像を描きながら、それでも見え隠れする繋がりの強さと、繋がりが強いからこそ生じる“滑稽さ”を、抜群のユーモアセンスで表現した作品なのだと思う。 やはり何と言っても、松田優作が素晴らしい。 コミュニケーションが苦手な家族の中に家庭教師として突如現れ、その関係性を好き勝手にかき混ぜる飄々とした姿は、彼ならではの「表現」だった。ラスト、半ば意味不明に“キレる”様も、松田優作という表現者の真骨頂だったのではないかと思う。 おそらく、見れば見る程に、味わいが変わり、深まる映画だと思う。 【鉄腕麗人】さん [DVD(邦画)] 8点(2010-03-13 15:27:28) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 今ではすっかり駄目監督の烙印を押されてしまっている森田芳光監督ではあるが、この作品は間違いなく森田芳光監督の最高の作品である。おそらくこれを超える程の作品を撮ることなど出来ないと思う。それは何故か?昨今の日本映画には役者の魅力の無さと力量の無さ、個性溢れる俳優、特に脇役でそういう人が少ない。昔の邦画にはそれがある。例えば黒澤、小津映画には三井弘次や中村伸郎が溝口映画には小沢栄が成瀬映画には加東大介が市川崑映画には伊藤雄之助が川島雄三、今村昌平映画には小沢昭一がいるようにそういう俳優がいないからである。この作品は狂気の塊のような作品である。人間の狂気、これがあるからこそこの作品はいつ見ても面白く見ることが出来る。松田優作の家庭教師の狂ってる様、そんな狂気の塊のような人間に対してこれまた周りも皆、どこか狂ってる。何を考えてるのかさえ全く解らない連中だらけの家族、成績も悪ければ運動おんちで喧嘩も弱く、いじめられてばかりの息子、これを演じている宮川一郎太の冷めた表情、家庭教師も教えてもらう側もどちらも常に冷めた空気で充満している。そんな冷めた二人に対してこれまた伊丹十三、由紀さおりの二人もこれまた冷めた空気、二人共人間の狂気を感じることが出来る。劇中一切の音楽を使わないこの作品、音楽が無いことで生まれる緊張感、一人、一人が何を考えてるのか読めないこの空気、緊張感、単なる家族の話なのにこの緊張感は凄まじい。横一列に並んで食事する場面、伊丹十三が目玉焼きをチュウチュウしながら食べている。この場面こそ正しく人間なんて何を考えてるのか誰にも解らないと言っているようである。この映画の成功は何よりもこのキャスティングによるものが大きい。松田優作に伊丹十三というこの二人の個性、若くして亡くなってしまった松田優作と自殺により自らの命を絶った伊丹十三、この二人が今も生きていたら、今でも間違いなく活躍している筈である。そう思うと本当にこの二人の死は日本映画界にとって大きな痛手あることは間違いない。松田優作、伊丹十三にとっても監督の森田芳光にとっても歴史に名を残す傑作であろう!勿論、宮川一郎太にとっても由紀さおりにとってもこの映画に出逢えたことは大きいと思います。いずれにせよ、この映画は狂気の塊による才気溢れる傑作である。 【青観】さん [DVD(邦画)] 9点(2008-11-28 22:12:43) (良:1票) |
《改行表示》 1.《ネタバレ》 理屈抜きに面白いので、この時代の日本映画に対して、私の様な負のイメージを持っている人にも、是非観てもらいたい作品である。 気になったのがラストシーン。 本作の舞台は、高度成長期をイメージさせる団地の一室。 その団地の一室での、退屈極まりない昼下がりが本作のラストシーンなのだ。 本作の魅力の一つに“シュールさ”があると思うが、本作のラストシーンは、その“シュールさ”と不気味さ、そして不可解さ、そして疑問、奇抜なカメラワーク等、いろんな要素が複雑に組み合わさって、何とも言えない余韻を残す素晴らしいラストシーンとなっている。 昼下がり、不気味に静まりかえる団地の一室。 由紀さおり演じる母親は、子供たちを呼ぶ。 しかし返事がない。 部屋に子供たちの様子を見にいくと、そこで子供たちは死んだ様に深く眠っている。 いくら起こしても起きないので、仕方なく母親は台所のテーブルに戻る。 しかし、さっきからどうも外がうるさい。 どうやらヘリコプターが何機も団地の上空を飛んでいる模様。 これがとてつもなくうるさい。 不気味にうるさい。 静か過ぎる団地の一室と、その上空をけたたましい騒音をたてて飛ぶヘリコプター。 “喧騒と静けさ” 相反する二つのものが、複雑に絡み合わさり、不思議でいて、それとない不安を醸し出す。 憂鬱なくらいに静かで退屈な団地の昼下がりに、必要以上にうるさいヘリコプターの騒音。 これは一体、何を意味するのか? 結局、私にそれは分からなかったが、とにかくこの“喧騒と静けさ”は、観ている私を“何となく不安”にさせた。 言葉で説明すると何とも抽象的で分かりづらい表現となってしまったが、実際に本作を鑑賞された方の中で、私の言っていることを何となくでも理解してくれる方がいたなら、それで満足である。 ラストシーンの最後の最後、それまで平面的に空間を捉えていたカメラが、突如、上方に動き、団地の一室を上から三次元的に捉える。 そこでエンドロール。 何とも素晴らしい終り方ではないか。 素晴らしいんだけど、この終り方、どこかで観たことがあるような・・・ そうそう、溝口健二だ。 具体的には『残菊物語』のラストシーンであり、また、『雪夫人絵図』のラストシーンである。 【にじばぶ】さん [ビデオ(邦画)] 7点(2007-09-02 22:54:27) (良:1票) |