《改行表示》 10.《ネタバレ》 主人公ミチは映画の中盤辺りでプランに申し込むのだけど、その理由、経緯、彼女の心の声は一切言葉として説明されない。これは主人公に限らず、主要な登場人物たちも同様で、誰も語らず、叫んだり、大きな声を上げない。皆が日常を過ごし、そこに現れる違和を噛みしめながら、ラストシーンに至る。 この映画は、社会問題を扱った作品だけど、そういう意味で映画的文学性が高い。問題が社会に広く伝わるというよりも個人の心に深く刺さる。倍賞千恵子の佇まい、その声も感動的です。 このような主題は日本だからこそ切実となる。少子高齢化、同調圧力、希望格差、そこから来るある種の諦め。遠ざかるアカルイミライ。この映画がカンヌで評価された背景には、現代版『楢山節考』という捉え方があったからだと言われる。 カンヌ最優秀作の今村昌平『楢山節考』。私は深沢七郞の原作小説が好きなので土着性に寄り過ぎている今村版映画はそれほど評価していないのだが、何れにしろ現代(近未来)の日本が舞台の『PLAN75』と『楢山節考』は決定的に違う。姥捨という社会のルール、その合理に対する個人の行動、ラストが違う。そこにこそ、社会と個人の関係性における、この作品の現代的な意味と価値があると私は思う。 ちなみに『遠野物語』の中で姥捨て山「デンデラ野」は、老人たちが村落共同体から離れて集団生活する場所として紹介されている。今で言う老人ホームみたいなもの、介護人はいないけど、そこを拠点に老人たちが衣食住を共有し、働けるものは働きにも出ながら、家族から離れて集団生活していた。棄老や姥捨は、口減らしのために、老人を山中などに捨てたという習俗として、日本各地に伝説として残っているが、『遠野物語』の「デンデラ野」のようなケースもあったのではないか。江戸時代の町人が書いた日記に「病気になった者や世の中で不要になった人間を捨てるな」との町触れが幕府から全国的に出たという記事がある。村落共同体から離れて、そういう棄てられた人々が集う場所が実際にあったということは想像に難くない。 棄老と共に、江戸時代の農村では、間引きも普通に行われていたという。赤ん坊は初宮参りという通過儀礼を済ませる事によって産褥が終了し、人間社会の一員になるという一般認識があった。「七歳までは神のうち」という言葉があるように、人間には「正式な人間」と死と繋がっているという意味での神仏の領域があり、その区分は地域によって違いがあった。生の領域と死の領域が人間の一生の内にもあり、死の領域は霊的な世界として神仏に繋がる。生の向こう側の死を生きて家を守る。さらに生まれ変わるという輪廻の考え方もあっただろう。それが祖霊信仰であり、日本人の昔からの宗教でもあったといえる。 そう考えると、生と死の境界がはっきり分かれた人生、生を生きる人間という概念は近代以降に確立したものであることが分かる。母性や父性、風景なども同じ。そこに近代文学の起源もある。 今、私達は近代からのヒューマニズムを当たり前のこととして、それを大前提として社会を構築している。それは素晴らしいこと。しかし、昔から当たり前であったわけではない。だからこそ、歴史を知ることで、生を生きる人間を第一とする今の社会の在り方を捨ててはいけないと思える。 【onomichi】さん [映画館(邦画)] 8点(2025-01-14 23:05:06) (良:1票) |
《改行表示》 9.《ネタバレ》 少子高齢化で社会保障制度が破綻した国家が「PLAN75」という窮余の一策によって問題の解決を図る、というシナリオは、斬新とは言わないまでも近未来SFのひとつのアイディアとして「今の時代だからこそ」生きて来る設定と言えないことはないと思います。ただ、(元の短編作品は未観賞ですが)長編作品としての掘り下げ方はもう少し何かあったのではないかと思えてしまいました。 登場人物は老いも若きも日本人も外国人もそれぞれに悩み疲弊し、眼前に迫る課題に対しての何らか答えを見つけようと煩悶する。やや削ぎ落した感のあるエピソードではあるものの、主演の倍賞さんは勿論のこと出演者の好演に支えられ、重過ぎず軽過ぎず観る者に(一人ひとりの今のライフスタイルや年齢に応じて)現実味をもって迫ってくるものを感じました。倍賞さん演じるところの主人公の最期の選択には、単に尊厳死を否定することだけではなく、それでは老いても生きることにおける希望とは何か、ということを考えさせられました。 にも関わらず何か絵空事のようにも感じてしまう。その理由のひとつには、「PLAN75」が(もし現実化するのであれば)今まさに必要な施策であって、いつだか分からない未来将来の話だとすれば実効性の低い施策にしか思えず(放っておいても近未来には人口ピラミッドは推移するので)、同時に対象年齢の者にとっては、仮令漠然としたものであっても「死」を現実のものとして受け止めてでもいない限り、さして喫緊の課題にはならないだろうと思えてしまうということがあります。 端的に言わせていただくのならば、興味深いけれども今ひとつ我が身のこととは思えず感情移入しにくいということかも知れません。年齢的には十分片足突っ込んでいる私ですが。 真面目に現代の社会問題を捉えた作品であることは間違いないとは思いますが、何か釈然としない思いが残り6点献上に留めたいと思います。 【タコ太(ぺいぺい)】さん [インターネット(邦画)] 6点(2024-04-18 10:12:34) (良:1票) |
《改行表示》 8.◇共感と考えさせることがゴールなのだろう、だから映画の終わりではこの制度に対する評価は語られない。いま50代の私は、対象者と見送る側の両方の気持ちの変化に揺さぶられた ◇すべての制度は、最大の幸せに寄与し最小の悪意に留め、最小の事務手続きが成り立つかを天秤にかける。登場人物の感情にはリアリティがあり共感したものの、制度の実現性がなかなか難しく、そこに懐疑的な気持ちが残ったままだったため、少し消化不良になってしまった ◇この作品や「月」など、磯村勇斗さんは社会課題の作品によく出ていますね 【ハクリキコ】さん [CS・衛星(邦画)] 7点(2023-12-18 07:05:51) (良:1票) |
《改行表示》 7.《ネタバレ》 惜しい作品だったと思います。 以下、気になった点を 1:自死による解決・決着を作品内で提示されるのが大嫌いなので、冒頭のシーンが何を指すものであれ、好みではありません。 2:倍賞千恵子さん、まさかのタイミングで取りやめ。誰かの言動をきっかけにするのではなく、隣人がきっかけなの? 3:不正が暗黙の内に了解されるような描き方はいかがなものかと思います。 3-1:おじさんを運び出す行為 3-2:財布にある金銭を抜き出したことを暗示させる描写 4:PLAN75に申し込むと10万円が支給されるのに、申し込みそのものはいつでもキャンセル可能。生活苦等から申し込んだ人に返金を求めるの? 3:は作品全てを台無しにしているとも思います。 3:、4:についてもう少し真面目に考えてほしかったです。 【hyam】さん [インターネット(邦画)] 6点(2023-06-02 23:32:46) (良:1票) |
《改行表示》 6.《ネタバレ》 邦画のようだが製作国が多く(フランス・フィリピン・カタール)変にグローバルな印象を出している。個人的な感覚としては、この映画の公開年と同じ2022年の世界を扱った「ソイレント・グリーン」(1973年米)の現代版かと思わされる映画だった。 劇中世界はよそよそしいが平穏な普通の日本社会であって、その中に違和感なく自然に尊厳死制度がはまり込んでいる。制度は完全な自由意思によるもののようで、そのことが富裕層など死ぬ事情のない人々が平気で生きていられる保証になっていると思われる。 高齢者へのあからさまな迫害などは意外に見られず、登場する若年者は良心的で、ボウリング場の若い連中までもが友好的だった。これは制度の導入によって高齢層への反感が解消され、世代・年代間の対立のない世界が実現したとの意味かも知れない。 また関連ビジネスで1兆円の経済効果というのは現代らしい発想だった。満足できるサービスを得るには費用がかかるにしても、産廃業者でよければ無料というのはソイレント・グリーン的な雰囲気も出している。ほかに生活保護制度も利用可能のようだったが、それはそれで貧困ビジネスの商売ネタにされるようで、そうならなくて済むのもこの制度の利点ということか。 なお現代日本は外圧には弱いが自分からは何もしない国とのイメージがあったので、この映画のような思い切った政策を自ら発案して実行するなど全く考えられないと思ったが、しかし何かの理由で世界の先頭切ってやらかすこともなくはないという気はしてきている(最近は常識外れのことが普通に起きる)。世間の風潮に素直に従う日本人は人類社会のモデルケースになれるかも知れない。 ところで困ったのは、どういうメッセージをこの映画から受け取ればいいのかわからないことである。都合よく人を死なせる制度に反発するのは人として自然な反応だろうが、それにしても劇中設定がうまく出来すぎていないか。自分がすでに高齢者に近づいて来た状況では、このまま生きているよりさっさと死んだ方がいい、と思わされたというのが正直なところだった。 製作側の真意はわからないが(公式サイトは一応見たが)こんな世界にしてはならないというよりは、逆にこんな世界の現実化を前提にした下地づくりが目的のようでもある。日本政府も国際社会も各種メディア(映画を含む)も何も信用できない世の中と思えば、とても素直に見る気にならない映画だった。点数はどっちつかずの数字にしておく。 [追記] 上記で終わりにするかと思ったが気分的に収まらないのでさらに書いておく。 まず、どんな人にもそれぞれ来歴や思いがあるのは相応の年齢になれば誰にでもわかる当然のことである。少なくとも自分にとってはわざわざ映画で見せてもらうようなことではないが、そこをこの映画であえて強調していたのは、やはりそういうことにまだ意識が向いていない若年層へのアピールということになるか。近い将来、この映画のように尊厳死を選ぶ高齢者がいたときに、やっと死ぬのかさっさと死ね、といった罵詈雑言を背後から浴びせるようなことをせず、みなそれぞれに人生があったのだから敬意をもって送り出しましょう、と言いたいのだとすれば、やはり年代間で理解し合える円満な社会を志向した映画と取れなくはない。大変良心的だ。 結果的に劇中高齢者は同情すべきかわいそうな存在という扱いになっていたが、個人的には高齢になった自分の姿に悲哀など感じてもらいたくはない。憐れまれるより死ねと言われる方がまだましだ(勝手にさっさと死ぬ)。それこそ尊厳の問題だ。 【かっぱ堰】さん [インターネット(邦画)] 5点(2023-04-01 08:49:29) (良:1票) |
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《改行表示》 5.《ネタバレ》 『病気や生活苦で自ら命を絶つ高齢者が後を絶たない今、政府は高齢者の皆様に安らかな最期を迎える機会をご用意しました。支度金も差し上げます。どうぞ自由にご利用ください。これは75歳以上の国民の皆様のみに与えられた特権であり、あくまで個人の自由意志による選択です。』こう説明されたら納得してしまいそう。一見、選択肢が増えることにデメリットはありませんから。疲弊しきった国民がこのような提案を受け入れない保証などありません。私は与太話でもSFでもなく、未来予想図の一つとして十分なリアリティがあったと考えます。だからこそ恐ろしく、とても不快でした。もしPLAN75が制度化されたら最後です。生殖、労働、納税。国民なら国の役にたってしかるべし。そうでないなら退場を。これを世論と呼ぶのか同調圧力と呼ぶのか分かりませんが、『社会正義』の前に個は無力です。その価値観にいずれ染まる。献血感覚で自死を選ぶ社会になっても何ら不思議ではありません。消費税の例を引き合いに出すまでもなく、PLAN75はいずれPLAN40、いやPLAN0になるはずです。 淘汰されるのは弱者。人の世もまた弱肉強食という自然の理に逆らうことはできません。でも私はボケっとしていても生きていける、いろんな形の幸せを選べるこの国が好きでした。その前提条件は国が豊かであること。その礎を築いたのがまさにPLAN75世代なのですから、義理も人情もあったものではありません。しかし『貧すれば鈍す』とも『衣食足りて礼節を知る』とも言います。余裕が無ければ理想を語るなど無理な話。やはり国が豊かであることは何にも代え難い宝であります。人が人らしく生きるために必要な痛みなら引き受ける覚悟はあります。でも痛すぎて死ぬのは勘弁願いたい。この国から宝が失われつつあるのは間違いなく、本作をフィクションとして割り切れぬ現状に寒気がします。 【目隠シスト】さん [インターネット(邦画)] 7点(2023-02-28 19:20:49) (良:1票) |
4.《ネタバレ》 角谷ミチが生き延びたのは、物分かりが良すぎる自分に対する抵抗ではなかったか。 【なたね】さん [インターネット(邦画)] 10点(2023-02-20 06:39:24) (良:1票) |
《改行表示》 3.《ネタバレ》 倍賞千恵子さんが、自らの老いを隠さず自然な演技で引き込まれました。高齢者が長生きし、少子化で子供が増えず医療費が財政を圧迫するような社会を作ったのが政府なら、それならお年寄りには自ら〇を選べる法律を作りましょうと決めるのも政府。 慎ましく暮らして来た人々がただ流されて淘汰されていく姿は、なんだか近い将来現実になりそうで私は観ていて少し苦しくなった。 近未来のお話だと思っていたけれど、「プラン75」以外はリアルタイムのお話なんですね。そこがまたリアル。 例えば子供の医療費のために日本で介護の仕事をする外国人女性。これだって日本人の若者がこの職業には就かないから。労力と賃金があまりに釣り合わない。これも政府の悪政ゆえ。 ミチさんがボウリングでストライクを出した時、周りの若者がハイタッチして来るシーンでは、ミチさんが楽しそうで涙が出て来た。 人は孤独なんだけれど(たとえ家族がいたとしても)、孤独を認識してしまった途端脆くなるし、弱くなる。プラン75を申請し、いよいよその時にカーテンの隙間から同じように〇を迎える人を見てしまい、逃げ出すミチさん。人の最期なんだからもっと気を利かせた設備にするべきだけど、それもやっぱりお役所仕事的で現実味がありました。あれはヒロムのおじさんだったのかな。 まだ頑張れる、生活保護は人様に迷惑がかかる。そんな常識を持った人が苦しむ世の中ではいけない。 若い人に見て欲しい。 【mila】さん [インターネット(邦画)] 6点(2023-02-19 00:17:52) (良:1票) |
《改行表示》 2.藤子・F・不二雄の読切漫画「定年退食」1973年(昭和48年)がこの手のテーマをやり尽くしているので 映画館で観るほどでもないかなぁ、と思っていたのですが、 ボクもあと数年で年金のお世話になるお年頃ですし、実際のところどうなんだろう、 でも漫画よりもリアルだろうと思い、なにかの参考になればと思い鑑賞しました 結論から言いますと、まぁ、邦画独特の詰めは甘さがあるけれど倍賞千恵子はやっぱり上手いなぁ、といったところです 結構、年嵩も増してリアルな演技されると 「千恵子にドカジャン着せちゃダメだろ!」という気持ちになりました で、参考になったか?と言うと、あんまり参考にはならなかったです 感動もないですし、ややどんよりとした気持ちで映画館をあとにしました また、やはり「定年退食」越えはなりませんでした 駄目な映画じゃないですよ 諸手を挙げて「おもしろかった」と言えないというだけです 「邦画ってこんなかんじだよね」といったところです 【ぐりこ】さん [映画館(邦画)] 7点(2022-11-24 21:11:12) (良:1票) |
《改行表示》 1.《ネタバレ》 誤解を恐れずに言えば、ある面で非常に「日本的な」お話だなあ…とも思うのです。現実問題として、こんな「政策」てのが万が一にも実行される可能性が在るのか無いのかを考えると、日本以外の全ての国に関してはまず100%在り得ない!と言ってしまって好いかと思うのですね(フツーにホロコーストだ!と言われ兼ねないレベルなワケで)。そしてそのコト自体は日本についても基本的には同様かとも(やはり)思うのです…が、ソレでも何となく1%くらいは「もしかしたら…」という気がしなくもない…という意味で、やはり「ならではの」という映画かもな…と。少なくとも、こんな題材の映画をあくまでブラック・コメディではなくてココまで真面目で真摯でかつ「静かな」作品として製作し、そして皆が鑑賞できるという社会的(・映画産業的)土壌とゆーのは、やはりごく日本的で独特なモノだとは確実にそー思うトコロでありまして。 とは言え、この特殊な状況下にあるコトを脇に置けば、今作の登場人物たちが陥るシチュエーションの本質的な側面てのはそれでもごく一般的・普遍的なモノかとも(やはり)思うのですよね。ごく極端な例としても、私の実家の近隣でも(おそらくは家庭の環境に依るものとして)自らその人生に幕を引くという決断に至った高齢の方は実際にいらっしゃいましたし、或いは高齢者の孤独死などは(残念ながら)近年それこそごく一般的なコトになってしまったものかとも思います。そーいうある種普遍的な社会的課題をヴィヴィッドに提起しつつ、本作ではそれに対するゼネラルな解決策は疎か、登場人物個々人の問題としてもその解決・答えに辿り着いた…というトコロには(最後まで)至らなかった様にも思えました。その意味では結構「投げっぱなし」な映画だとも思いますし、そーいった結果 or 過程の部分、またはそれらの描き方自体、或いはそもそものこの題材選定の是非、等々、非常に多くの側面について極めて多様な見方・評価の出来る作品ではないかと思うのですよね。評価自体の難しい or 評価が割れる、て映画だな…とゆーのは(コレも確実に)そー思うトコロでありますね。 私自身は、それでも比較的深く共感しまた考えさせられた(身につまされた)=心動かされたコトの一種の心地好さと、そして肝心な(謂わば主人公たる)その「決断」をする高齢の俳優2人(倍賞千恵子・たかお鷹)の演技がまた素晴らしいモノに感じられたコトを鑑みて、ワリと文句無しにこの評価とさせて頂こうかと思います。娯楽映画では決してない作品ですが、興味の有る方は是非。 【Yuki2Invy】さん [映画館(邦画)] 8点(2022-06-23 21:22:46) (良:1票) |