9.《ネタバレ》 ここ20年くらいの間に映画を観始めた世代にとっては何ということもないのだが、実はオールロケ撮影という撮影方法自体が言語道断だったこの時代、今となっては誰も驚かないこのロードムービーがどれほど衝撃的だったかは想像に難くない。正真正銘のダメ人間たちが自堕落な主張を振り回して彼らにとっての実に一方的な自由を追い回す、というストーリーだが、保守的な「常識人」による銃撃という問答無用の制裁を受けるラストの意味するものは、「キャプテン・アメリカ死すとも自由は死なず!」と叫びたいのか、はたまた安易に猟銃を振り回す常識に対しての痛烈な批判なのか、それとも単にデニス・ホッパーがラリッていたからワケわかんなくなったのか。ちなみに筆者は最後の説を信じる。ヤク中はハッピーだが、ヤク中は一方的だ。この映画、デニス・ホッパーが最初に編集した時には6時間半だか7時間あったと聞いている。そのまんま公開されていたら、最後まで観るのはデニス・ホッパーぐらいのものだったに違いない。でもまあ、何と言っても初のオールロケ作品である。「すごいなあ」の一言ぐらいは、言ってあげてもいいと思う。 【anemone】さん 8点(2003-12-06 22:14:35) (良:3票)(笑:1票) |
8.《ネタバレ》 さァ、いきなりネタバレだ。主役の二人は、ラストで銃殺される。田舎者のおっさんたちから、理不尽に銃殺される。理由は「髪が長いから」「何者か分からんから」。こんなの日本じゃありえないよな。って違うな。日本社会そのものだ。だって日本社会でのベストは、「考えるな」「ルールに従え」だから。なんて考えていたら、「たぶん世界中どこも同じ」と思えてきた。なぜなら、脳は世界中でみんな一緒だから。それに人間の脳は、十万年、全く変わっていないんだってさ。 【激辛カレーライス】さん [DVD(字幕)] 8点(2015-11-05 13:16:14) (良:1票) |
7.《ネタバレ》 タイトルだけは良く知っていたが、これまで縁の無かった作品。つい先日デニス・ホッパー氏が亡くなられ、追悼番組で初めて観賞。自分にはズシーンと響きました。南部のお祭りを見物に行くことを目的としたロードムービーで、その目的自体に大した意味はないけれど、道中で遭遇するエピソードの羅列の中に現代でも色褪せないメッセージが潜んでいる、気がする。「ドラッグ」「自由の意味」「排他的南部気質」が主なテーマのようだった。特にジャック・ニコルソンが語る「自由」に関する講義にはびっくりした。現代の誰かがそのまま口にしても通用する。60年代の邦画と比べるとずいぶん垢抜けて見える作品だけど、見映えよりも台詞内容の普遍性に驚きました。余所者を疎んじる体質とは米国南部の気風というより、土地に縛られている精神の不自由と解釈しました。で、彼らが自由だったかというと、ピーター・フォンダの「失敗だった」という台詞が短く結論付けています。当時でいうところのヒッピーに成りきれず定職も持たない彼らは、自由という気分の中を気ままに泳いでいたが、どこにも辿り着く岸辺は無かった。それは自由ではないらしい。本作は、主人公たちも含めて「自由の国」の不自由を描いたことに意味があったのだろう。当時の日本人の観念とは違う尺度で自由を計っていたように思えて、それなりに衝撃的だったと想像できる。自分も若い頃に観ていたら、ちょびっとだけ人生が変わっていたかも…。 【アンドレ・タカシ】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2010-06-21 00:23:57) (良:1票) |
6.主人公二人が何を求めて突っ走っているのか分からないのがいいような、そうじゃないような感じ。フォンダの「失敗だ」と旅を振り返る言葉もなんだか納得がいく。途中マリファナの映画になったり、訳のわからん映画になってるが、その合間に、「ついてこれなかったら音楽聞いてな」とでもいうように名曲が入っているので退屈はしない。「ザ・ウェイト」が大好きな曲なので、流れたとき泣きそうになった。主人公たちにはあこがれも共感もあんまり感じなかったのだが、これが世代の差なのか。しかし、行き場のない自由というのはやはりみていて切なかったように思う。ラストはなんともあっけないので「終わりかよ」と唖然としたが、60年代の「自由」の行き着く先としてふさわしいような。それにしても、悲惨な死に方をしないニューシネマの主人公っているんだろうか。 【ジェイムズ・ギャッツ】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2009-09-25 16:19:26) (良:1票) |
5.《ネタバレ》 案外楽しかった。車に揺られて窓に流れる風景を眺めているのは嫌いじゃないので。広い道路と真っ青な空、障害物のない開けた風景がすがすがしく、バイクは乗らないがその快感の一端ぐらいは感じ取ることが出来た。無限に色彩を変える空を眺めていると、自分がゼロになっていくような爽快感がある。その快感に二人のライダーは求めていた自由を見た気がしたのだろう。 しかしワイアットはどんなに走っても満たされない自分に気づく。「大金があって、しかも自由だ」と無邪気にはしゃぐビリーに、「それでも、ダメなんだ」とつぶやくワイアット。保守的な田舎者連中が正しいとは思っていない。かといって、麻薬に溺れて放浪する自分たちが正しいとも思えない。 人が進化して一段上の社会が訪れるという、あまりにもちゃちなヒッピー思想。理想社会に憧れた連中は虚ろな目つきで砂地に種を蒔き、誰もが平等に暮らす「金星人」は地球人の前に姿をあらわそうとしない。現代社会に失望して輝かしい理想を掲げるが、けっしてそこに行き着くことはない。 二人は外見は怖いが、ある意味では純粋すぎるくらい純粋だ。最後に吹き飛ぶバイクの無残な姿は、現実に押し潰される理想と重なって見えた。 【no one】さん [DVD(字幕)] 8点(2005-11-18 15:42:21) (良:1票) |
4.《ネタバレ》 虚無感いっぱいの映画。「アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ」という台詞はベトナム戦争への皮肉か?娼館の「人の価値は棺を覆って初めて定まる」の文字に対して、棺の中に入らずに、道路脇で火葬したジョージの映像を入れるシーンはうまいね。主人公達が社会に対してムーブメントを起こさず、ただただ体制を拒否し、そして、虫けらのごとく殺される、そんなどうしようもなくあっけない生を描いたことが本作の最大の魅力であると思う。 【はざま職人】さん 8点(2004-07-07 23:46:45) (良:1票) |
3.インディーズの金字塔だね! 【k】さん 8点(2004-02-03 15:29:15) (良:1票) |
2.厳密に言ったら精神的自由などというものはどこにも存在し得ないものだと思う。だって精神というものは僕らを縛るものであり、僕らは精神というものに本来縛られたがっているのだから。でも、そういう精神なんて今の世の中、どこを探したらあるんでしょうね。イージーライダーの主人公達が信じた自由とは、そんな自覚が生み出すある種の諦めや敗北感からの自由だったのではないかな?(だからこそ僕らはあの時代の映画を観て心を震わされるし、時代の感覚として確かにそれは僕らの胸に切羽詰ってくるのです。)彼らが敗北感への反抗に対して敗北を味わった…といえるだろうか。確かに彼ら自身はそうかもしれない。でも僕らは今でもそういう敗北感に対するラディカリズムをある生き難さの感覚として抱えている。イージーライダーという映画はそのことを僕らにそっと教えてくれるのです。 【onomichi】さん 8点(2002-04-12 01:11:43) (良:1票) |
1.ヒッピー、マリファナ、SEX、人種差別といった風俗を描きながら、当時のアメリカを語った原初的で後続の大きな規範ともなった作品で、今尚様々に語り継がれている。主人公たちはかつてのアメリカ的価値観の支軸を失った、言わば糸の切れた凧のような存在である。そこで彼らはもう一度自分の眼でアメリカを再発見する為に放浪の旅に出る。それは所謂、西へ西へとフロンティアを求めて運命を切り開いていった男たちと違って、西から東へと向かうと言うアメリカ内部での先進地に戻ろうとする、求心的な旅なのだ。しかしそのアメリカに自己同一性を求めた彼らの旅も、結局アメリカの歴史そのものに圧殺されるというラストが待ち構えていた。ショット・ガンの一撃でバイクがブッ飛んでいくシーンは、やはり衝撃的で強烈な印象として残っている。当初、音楽をボブ・ディランが担当するという話もあったらしいが、実現していれば随分と肌触りの違った作品になっていただろう。 【ドラえもん】さん 8点(2001-03-16 14:24:39) (良:1票) |