4.例えば感動的な映画を観て、例えば学校の卒業式で、例えば近しかった誰かの葬式で、みんなが泣いている中、1人泣いていない人がいる。そういう時にその人を指して、「どうして泣かないの、何て冷たい人」と平気で言える短絡的な人間を、私は全面的に信用しない。私は、あまりにも近しい人が突然亡くなった時、極限の悲しみと絶望の中、涙1つ零さなかった人を知っている。後にも先にも私は、あんなに壮絶な悲哀と絶望を見たことがない。この作品は、よくある泣きの描写を強制的に見せ付けて涙を誘う、観る側を受動一本姿勢に追い込む、あざとい作品ではない。観る側が賢くなり、能動的に行間を読み取るべき作品。行間を読み取れた時、そこには強烈な感動がある。いい作品ですよ。リアルです。非常に。本当は私は、こういう映画をもっと観たいのです。 【ひのと】さん 9点(2004-02-20 23:17:47) (良:2票) |
3.《ネタバレ》 何か大きなものをなくしたとき、泣いている間は楽なもの。想いを涙にすることで、言いようのない喪失感から逃れることができるから。しかし人はそんなにしょっちゅう涙を流してもいられない。悔やんでも戻らないし、せめて立ち止まりたいと願っても押し流されるように「日常」が始まる。息子を近くに感じるために会いたいと願った「彼女」は少年と一緒にやって来た。彼女と少年を乗せて走る車。ジョバンニは、このドライブの終点が何を意味するかを感覚的に悟っていて、もう少し遠くまで、もう少し、もう少しと車を走らせる。やがて夜が明け、国境に至る。息子の死はもう「過去」。決して言葉にはしないけれど、彼らの諦めともとれるような笑顔に、人間の強さや美しさを感じました。非常にリアルで美しい作品です。 【ぽめ】さん 9点(2004-05-19 00:11:59) (良:1票) |
2.肉親(それもかなり身近な)を亡くしたことのある人には、共感できる映画なんじゃないかな、と思う。息子を失っても世界は何も変わらない。日常生活は淡々と過ぎていく。時には笑うこともある。けれども、心の奥底に悲しみの「塊」があって、ふとした瞬間にそれに触れてしまうと、悲しみが湧き出してきてどうにも止まらなくなる。そして、徐々に何の変化も無い世間とのギャップに苦しむようになっていくが、最後に穏やかな再生への道しるべか示される。肉親を亡くした私自身の体験が、驚くほど類型的に描かれていて「この監督は天才だ!」と思いました。 【ノコギリソウ】さん 9点(2004-02-20 21:56:04) (良:1票) |
1.《ネタバレ》 棺桶に杭が打ち込まれるアップの映像を見た瞬間、自分の心に打ち込まれたようだった。死んだ…紛れもない事実の残酷さがこのシーンにはある。何度も後悔する父親。父親は「あの時、いっしょにランニングしていれば」と思い、さらに息子とランニングしている妄想にまで発展させていた。人は極限の哀しみを直視できないと思う。自分の心の中の本当の答えを知るのは怖い。父親の悲しみが私の痛みとして伝わってきた。亡くなってしまったものを心の中で過去を現在として反芻して想う。それを現実逃避と簡単に言ってしまうことなんて絶対に出来ない。ひとつひとつ丁寧に描かれていく。自分の感情が映画の中に溶け込んでゆく。おそらく人それぞれの心に映し出された「息子の部屋」という作品があるに違いない。息子のガールフレンドだった子には新しい彼氏がいるらしかった。私は、はっとした。彼女には「亡くなった息子(彼氏)」は時間的な過去となり、旅の途中の彼女には時間的な未来があった。その時、私は現実を間のあたりにした。そう、自分の心の中の真実、失ったものを目を逸らさず見た。そしてなにか感情が少しだけ変化した。止まった時間が動き出すかのように。ラストの浜辺のシーンで前に一歩進めた瞬間が訪れたのだ。本当に映画って不思議だ。こんな語り方もあるのだ。ひととき旅を共にしたこの家族の心にもなにか変化があることを掴めた。控えめだがなんとなくわかる空気間が絶妙の素晴らしいラストだった。3人三様に歩いてゆく浜辺のシーンにはそれぞれの未来が見えた。哀しみはずっと消えない。でも日常はすぎゆく。音楽が心に染みる静かなラストに、この映画のもつやさしい眼差しを感じた。 【ひいらぎ】さん 9点(2003-11-23 22:10:24) (良:1票) |