5.この映画は犯罪です。弁護の余地もありません。ドイツで「ヒットラーは立派な人だった。ナチのやったのは正しい戦争だ」なんて言ったら、作った監督は生きていけませんよ。そういうことへ僕らが鈍感かということは、日本があの戦争をまったく総括してない何よりの証拠。この映画はいけません。犯罪です。 【ひろみつ】さん 0点(2003-06-13 22:46:23) (良:3票) |
4.日本人を馬鹿にした映画だと思いました。様々な場面で日本に都合の良い発言だけをチョイスし、国家による戦争の犠牲になった内外の人々については無視でしょう。これを見て大東亜戦争を再評価しろと言われても。連合国軍の判事か誰かが、日本は間違っていないかもしれないとか言うとこがあったけど、アンタ聞いたんかいと思った。 【次郎丸三郎】さん 2点(2003-07-02 16:47:01) (良:2票) |
3.この映画の評価は政治的な思想に左右される面もあるはず。いろんな先入観をもって見てしまう映画でもある。だが、私はこの映画を評価する人もしない人も認めた上でこの点数とします。敗戦国が勝者によって一方的に裁かれる映画として、有名な「ニュルンベルク裁判」という映画があります。若きマクシミリアン・シェルが敗戦国ドイツの弁護士として戦犯の弁護にあたり、法廷で堂々と連合国の正義の欺まんを突く弁舌でアカデミーを取りました。見たのがずいぶん前なので、完全にはストーリーが思い出せないものの、一見ナチスを弁護するかのようなシェルの演技で、なぜユダヤ資本が支配するハリウッドの映画界でオスカーを取れたのか疑問でした。その疑問が「真実のマレーネ・ディートリッヒ」という映画を見て氷解した。ニュルンベルク~ではディートリッヒ扮するある女性(確か戦争未亡人)が「ドイツ一般市民はユダヤ人の虐殺を知っていたかどうか」という問いに、劇中では「もちろん知らなかった」と答えるのですが、撮影中にディートリッヒ本人はその台詞を言うのを当初拒否したというのです。しかし、共演の俳優が「ナチスと闘った君が言うから観客は(それを)信じるのだ」と諭したというのです。ドイツは赦されたわけです。歴史的事実、どのような国家的行為があったか詳細には知りません。だが、罪を受け入れ赦されることを「許された映画」だからこそ、シェルの弁舌が感動を呼び、ディートリッヒはドイツ人を免罪する台詞を述べる必要があったのではないでしょうか。かたや、この映画。きっと、観客が感じるべきものは、どこかできっと共通しているし、切り口や作りようによっては、思想に関係なく大勢の人々に感動を与えたはず。ですが、結果はこの通り。片方は歴史に残る名作であり、もう一作は政治的プロパガンダとの色眼鏡で見られる迷作です。邦画として歴史に名を残したとの評価も聞いたことはありません。戦争の被害と加害、政治的立場を超えて感動を呼ぶ内容であってほしかったが、そうではない。そこは日本国民のひとりとして残念でもあるし、恥ずかしくもあります。 【しまうま】さん 3点(2004-04-01 20:44:16) (良:1票) |
2.うーん。当然かなりの先入観もって見たが、想像以上に色んな意味でよくなかった(笑える場面はあったけど)。一定の政治的主張が丸ごと込められた映画なので、これを純粋に「映画として楽しめる」かどうかという基準で評価するのはなかなか難しいものがあるが…。作っている側も、そういう基準での評価は期待していないかもしれないなー。強いて言えば、第一に、作品プロパーとしては、学芸会である。第二に、製作者の表現行為としては、総合芸術たる映画の特性を生かしていない。第三に、その政治的主張自体に全く賛成出来ない(すみません)。これは単なる政治的プロパガンダの道具に映画を使っているだけでしかない。逆に「笑える映画」としてなら周りに薦められるかな。点数にするのは困難なのだけれど、笑える点を大きく評価して2点。 |
1.これはプロパガンダのために作られたものですから、映画と呼ぶにふさわしいものではありません。「映画っていいたくない作品」です。その意味では0点です。しかし、資金を湯水のように投入して思想を伝えようとすると、どんなフィルムになるか、というサンプルとして見ることに、まったく価値がないとは思いません。私にはそういう勉強になりました。よって、その価値に3点献上。 【おばちゃん】さん 3点(2003-06-22 11:22:12) (良:1票) |