6.《ネタバレ》 映画の中、ブルース、ジョジョ、辞書の三人の主人公たちはまるで過去も未来も持たないかのように、ただそこに存在している。物語がつい今しがた夏休みに突入したばかりの学校から始まるのは象徴的だ。まんまと学校生活から切りはなされた彼らは糸の切れた凧のように、よるべなくも自由な存在として、夏休みというこれまた涯てしなく自由な時間空間に放り出される。親の存在が実像として全く描かれない彼らはその背後にあるべき家庭からもあらかじめ切りとられており、まさに何ものにも属さない冒険者として、世界に立つのだ。特筆すべきは、相米がいつも以上に子どもたちの内面を描こうとしないことだ。とってつけたようなそのあだ名やキャラクターも単なる記号にすぎず、たとえば辞書と呼ばれる少年が辞書と呼ばれるその所以も、それゆえの活躍も、劇中一切描かれたりはしない。さらに登場人物の顔が見分けにくいロングショットの多用に加え後半ではそれぞれが意味もなく衣装を交換するため、その識別はより困難となる。そうして各自の個性からすらも切りはなされた彼らは、空間を自由に動き回る単なる三つの生命体として、けれどまぶしいばかりの輝きを得る。判別すらもできないこの三者がそれでも画面をところ狭しと躍起になって駆けずり回る姿は圧巻だ。橋から真下の河へ飛び降りる、あるいは自転車から走行中のトラックの荷台に飛び乗る、貯木場の水に浮かぶ木材の上を全速力で走り滑り転び落ちる。そんな子どもたちの体を張った危険行為を相米は遠景の長回しで撮る。派手な見せ場を作るアクション映画とは真逆の、ありのままの生きた躍動をカットを割らずまるごと活写するそれらのシーンは実に感動的だ。輝かしい自由と冒険は、やがて夏休みの終わりとともに終焉する。近藤真彦の 歌謡曲を全力で歌い、踊り、ギリギリ子どもでいられた時間と決別した彼らが進むべきは『台風クラブ』の世界だろう。だがある種刹那的なこの映画に、実は彼らの未来は存在しない。たとえば『お引越し』のレンコのようにそこから先へとつづく未来を見据えることはなく、がむしゃらにその夏を、ただ終える。なぜなら夢のように白茶けた画面の中の彼らは、二度と戻ることのできないあの夏、そこにいたはずの、そしてそこに置いてきぼりにしてきてしまった、あの夏かぎりの私たちの姿なのだ。 【BOWWOW】さん [映画館(邦画)] 10点(2009-08-20 17:12:17) (良:2票) |
5.《ネタバレ》 有名な丸太のシーン(「作った感じ」が惜しい)よりももっとさりげなく素晴らしいのは、例えば次のシュールなシーン:川の中で相談する三人が、やがて川の柵を身軽に越えて陸に上がり、落ちていたボールでキャッチボールをしながら相談を続けるなかで、そのボールが川に投げ込まれるとき三人ともまた柵を越えて川へ戻る。信じられないくらいにキツい撮影現場を、乗り切った俳優たちに拍手。 ストーリーの辻褄あわせであしらわれる通常の映画観客が、奥の奥の間に通される感じといおうか、ほんものの何かを作り上げようとする黙々たる動態に加わるのである。 【ひと3】さん [DVD(邦画)] 9点(2014-03-09 10:47:37) (良:1票) |
《改行表示》 4.あら~ 面白くないんですよね~ 恐ろしいほどに面白くないんですよね~ ただ、丸太の場面は凄いと思った。あそこ一発撮りなのかな~? あの場面でNG出したら、きっと撮り直しも大変なことだったでしょうけど、 NG出した本人相当気まずかったことでしょうね。なんせ次から次に誰も彼もが川にボチャン。 いやぁ、見方によっては、ドリフのコントっぽくも見えるシーンではあったが、 あの出演者ほぼ全員強制参加の体を張った丸太渡りのシーンは見応えあったですね。 あの場面に関しては、結果的には、とても素晴らしい出来上がりを見せつけられたように感じます。 出演者の中では河合美智子さんの運動神経の良さに惹きつけられるところが多々ありましたね。永瀬さんも至るところで結構体張ってましたね 良かったです。 ただし、ただしですね、 冒頭でも言ってしまったように、 面白くはなかったんですよね~ 面白さが無かったんですよね~ 【3737】さん [CS・衛星(邦画)] 5点(2013-02-02 21:56:27) (良:1票) |
3.まぎれもないアクション映画ですね。抽象的で映像的な架空のアクションではなく、本物のリアルなアクションが、あらゆるシーンで炸裂しているさまを目撃できます。河合美智子の長い手脚とその運動能力の高さは、現在の彼女からはとても信じられません!『翔んだカップル』における鶴見辰吾と甲乙つけがたいほどの素晴らしさがあります。「イジメっ子を救出するため」というより、むしろ「監督にOKをもらうため」だけに、ワケもわからず死物狂いで運動し続ける彼女たちの必死さがビシビシ伝わってくるので、なんとも言葉にならない感動をおぼえます。男の子のように動き回った河合美智子が、最後の主題歌で切ない少女の心境を歌うあたりには、相米独特のロリコン趣味を感じますが、ちょっと惹かれます‥。のちのオーロラ輝子さんからは想像できないような、儚くも、正しい美しさにあふれています。『台風クラブ』の世界観がちょっと苦手だったので避けていた作品ですが、これは痛快でした。 【まいか】さん [DVD(邦画)] 9点(2009-02-03 13:59:52) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 80年代の子供達はこうだったんでしょうか?みんながみんなそうじゃないというのはわかりますが、それにしてもこの作品に出てくるあの三人の少年少女、人間に見えませんでした。彼らの抱く感情、動機に説得力が感じられないので、何をやっていてもついていけませんでした。自主映画のような、やりたいことをやってるというのはわかりますが、それはあまりにも不親切というか、突き放されている気がして、どうも好きになれません。「お引越し」のような、ヨリをしっかり入れて下さると感情が気持ちよく伝わってきますが、ここまでヒキで表情を押さえない長回しはつらいです。脚本、演出、カメラ、どれをとってみても自主映画の精神が強すぎて、ぼくは最後まで観るのも非常に辛かったです。 【ボビー】さん [DVD(邦画)] 5点(2008-06-27 00:26:48) (良:1票) |
1.「長回し」といえば計算に計算を重ねたものというイメージがある。ウェルズの『黒い罠』の完璧なオープニングの長回し然り、溝口の『元禄忠臣蔵』等に見られる画面に入りきらない被写体を次から次へと映し出してゆく長回し然り、あるいは全く動かない画をひたすら映し続けることで緊張感なり余韻というものを作り出すヨーロッパの巨匠たちの長回し然り。しかし相米慎二の長回しはただダラダラと撮っているだけかのような、いったいどこを見ればいいのか困惑するような長回し。もちろん計算はされているだろう。橋の上を走る人物が画面の右下に位置される奇怪な構図に突然左上のビルの隙間から車が登場!なんて計算無しでは撮りえないシーンもある。しかしその後の水辺の追いかけっこは何を意図した動きなのかが全くわからない行動を皆が皆しており、その画は滑稽極まりない。しかし少年少女たちの懸命すぎる動きはせつなさにも似た感慨を呼び起こし極めて愛おしいシーンともなっている。少年少女たちがなぜここまで必死なのかが話が進むにつれてその必然性がなくなってくる。だのに彼らの必死さはどんどんヒートアップしてゆく。子供から大人への成長に対する抵抗というか最後のあがきというかどうにも抵抗しえないヤケクソというか、あと諦めとか悲しみとか希望とかがごちゃまぜの必死さ。その明確に何とは言えないなにかを長いワンシーンに感じることが出来ればこの映画はとてつもなく愛おしい映画になるのである。 【R&A】さん [ビデオ(邦画)] 7点(2006-08-21 15:09:06) (良:1票) |