6.娯楽性はないが、戦争映画としてよく出来ていると思う。司令部から現場への情報伝達の不明瞭さ、ソマリア人の対米心理、アメリカ兵の恐怖など、よく描かれている。主としてアメリカ兵の立場で作られているのは仕方ないとしても、もしアメリカ人が監督だったら「ソマリア介入は正義の戦争だった」みたいな描き方になっていたのではないか。他の方がおっしゃていたように決してアメリカ政府のプロパガンダ映画では無いと思う。グラディエーターに続いてリドリー・スコットはいい仕事をした。 |
5.冒頭、事実に基づいた映画であるという字幕が出ました。これが実際にアフリカのソマリアで起こった事実なのだという現実感、緊迫感に圧倒されました。劇場で見てDVDでもう一度見ました。戦争映画は数知れずありますが、徹頭徹尾事実に拘り、ドキュメンタリーのように制作する。こういう映画の意義はとても大きいですね。親指が皮一枚になる、手首がもぎれる、胴体から下半分がなくなり内蔵がむき出しになる、そういった凄惨極まるシーンも出てきますが、これが真実だという重み、戦争の怖さが実感を持って迫ります。30万人の国民が虐殺されているのを知りながら、そしてそれを多少の犠牲を伴うにせよ防ぐ力を持ちながら看過することはできないというアメリカの正義感、どんなに惨くても内戦だから他国の干渉は一切受けないというソマリア側の論理、難しいところですね。しかし、目的、理由、意義は何であれ兵士は戦わなければならない。死の危険に身をさらさなければならない。これが現実、人間。考えさせられます。こうした映画を作るプロデューサー、監督は、立派な仕事をしたと思います。 【野ばら】さん 9点(2002-11-11 12:40:32) (良:1票) |
4.見ていてガタガタと震えた。体がそういういう反応をしたということは、戦場の恐ろしさを肌で感じられたということだと思う。勿論、実際の戦場とはどのようなものなのかは行ってみなければ解りようもないと思うが、それでも観ている最中は、とにかく“死”を身近に感じて恐ろしかった。この様な経験は初めてだった。この映画には、戦闘シーンの素晴らしさ以上の何かがある。死の恐怖と生への執着を観ているものに感じさせる何かが。物陰から物陰へと移動する度に、撃たれるのではないかという恐怖。『プライベート・ライアン』や『スターリングラード』でもそういうシーンがあったと思うが、この映画ではそれら2作と違い主観的に見せることに成功しているためと、余計なドラマ描写がほとんどなく(僅かにあった余計なドラマ部分については後で言及)、ただ淡々と生きるか死ぬかという極限状態を、戦争映画でリアルと感じさせるのに最も大切なものを伴った上で見せているために、同じシーンでも感じる恐怖の度合いがまるで違った。自分の思う、戦争映画でリアルと感じさせるものは戦闘シーンではない。炸裂する砲弾や、四肢をもぎ取られた兵士、舞い上がる砂塵、それらを真に見せられたからといっても、決してトラウマにはならないからだ。そういうものをどれだけ忠実に「再現」しようとも、そこに兵士たちの抑圧された記憶を感じさせるものがなければ、到底トラウマになりうる筈がない。この映画にはその大切なものがあった。ただただ、兵士たちの「生きたい」という思いが伝わってきた。あのような状況下で兵士たちの頭にあるのは正義でも理想でもない。もっともっと単純で、生物の本質たるものなのだ。この映画に政治的意図は全くない。アメリカが正義で、ソマリアが悪だと言いたい訳ではないし、その逆でもない。死と隣り合わせになった時、何を感じるかということを通して、考えさせるための映画だと思う。よって、アメリカの軍事介入について細々とその背景を描く必要はない。確かに、リドリー・スコット監督は来日記者会見で「大国が内戦に介入すべきかどうか」をこの映画で投げかける大きな問題の一つとして挙げていたが、作品を観る限りでは政治どうこうではなく、地獄のような戦場に置かれた兵士たちの姿を通してそこに払われた犠牲というものを見せることで、違う意味で問いかけているように感じた。だからこそ、軍事介入に及んだ経緯をストーリーの前振りとして極僅かに冒頭部分に挿入しているだけなのだ。政治的見地から是非を問うことなど全く余計で、そんなものは本当に戦争を感じさせるのにはどうでもいいことだ。ただ、この映画でほとんどそういった描写がなかったのは良いのだが、残念だったのは余分と思えるドラマ描写がほんの少しだけあったこと。この部分を一切カットしてひたすらに戦闘シーンでつづり、「抑圧された記憶」を感じさせ続けてくれたら、これ以上ない戦争映画になったと思うと惜しい。どうもこの部分だけが浮いているというか、急に主観から客観に戻されてしまう。ソマリアの民兵の描写については、全く問題ないだろう。あの描き方で正しかったと思う。「ソマリアの民兵がエイリアンかゾンビにしか見えない」と批判している人がいるが、ではどのように描けば良いというのか。【sayzin】さんの仰る通り、この映画はあくまでもアメリカ兵の視点から描かれているもの。彼等にしてみればソマリア民兵にいつ命を奪われるかわからないわけだから、実際にエイリアンやゾンビのように見えたとしてもなんら不思議ではない。だからそのように描かれていたことは、むしろ戦場を疑似体験させる上で効果的だったと思うし、それを批判するのは的外れなのではないだろうか。戦況が分かり難いことや顔の区別がほとんどつかないことというのも、実際にカオスの中で人間がそういうことを把握できるかを考えると、これも同様に効果的だったと思う。それらの演出一つ一つが、主観で戦場シーンを感じさせた要因でもある。決して“他人事”ではない。少なくとも自分には、この映画は何よりもリアルな悪夢であった。 【T・O】さん 8点(2002-11-05 19:13:00) (良:1票) |
3.ドキュメンタリー風戦争映画としては、「史上最大の作戦」以来の傑作だと思います。飛び交う銃弾、立ち込める煙、押し寄せる群集、細部まで完璧に再現された、巨大なオープンセット、圧倒的なスケールと臨場感で、映画ではこれまで扱われることの少なかった、すさまじい市街戦を、文字通り「体感」できるというだけでも、一度は観る価値があるでしょう。まさに戦場叙事詩とでもいうべき映画だと思います。しかもあの「プライベート・ライアン」でさえ拭い切れなかった、対ナチス戦特有のオプティミズムやヒロイズムなど、当然この作品には微塵もなく、「プラトーン」のように、キャラクターに対する感情移入も難しい。だからこそ最後に残るのは「この戦闘は一体何だったのか?」という疑問だけ。そういう意味で監督の意図は完璧に達成されていると思います。 何も考えずにただその迫力ある映像を楽しむもよし。事件の背景や紛争、国際政治の舞台裏まで思いを馳せるもよし。どういう見方をするにせよ、この衝撃は他では味わえないものでしょう。 日本映画こそ、こういう手法を取り入れるべきではないかと思います。反戦や、政治的なメッセージなどは一切なし。ひたすら戦場をリアルに再現。硫黄島、沖縄、ガダルカナル島、あるいは中国などなど、ネタには困らないでしょう。やはり戦争を「表現した」のが「ガンダム」だけというのはどうも・・・。 【わいえす】さん 10点(2002-10-21 21:26:53) (良:1票) |
2.監督は、ただ単に、その時あの戦いで兵士たちがどう行動していたかを描きたかっただけで、戦意高揚だとかプロパガンダだとかの意図はなかったと思います(ブラッカイマーはそのつもりだったかもしれないけれど)。マークボウデンの原作と読み比べてみても、実際の戦いをとても忠実に再現していて、今まで映画の中でリアルさを追及してきたリドリースコット監督ならではの、反戦映画だと思います。あの悲惨な戦い(アメリカ兵にとっても、もちろんソマリア人にとっても)を見て、まだ戦意高揚できるとしたら、ちょっとおかしいと思います。最後の字幕でアメリカの 者数だけでなく、ソマリア側の 者数もちゃんと出している所は、他の戦争映画にはなかったと思います。アメリカ兵の名前しか出てないのは不公平だという意見がありますが、当時のソマリアは政府も警察も無く、完全に荒廃していて、のんきに戸籍をつけられるような状態ではなかったし、亡くなった人の数(民兵、一般人も含めて)も桁外れで、実際のところ、分からなかったんだと思います。 【反戦映画】さん 10点(2002-08-09 16:10:27) (良:1票) |
1.“戦場映画”という触れ込みだけあって、それはそれは視覚的に良く出来ている作品で、その臨場感たるや、我々観客ともども戦地に放り込まれたような感覚に陥るほど。しかし要はそれだけのこと。ブラック・ホークが撃墜されたあと市民が次々と襲いかかるシーンなどは、「アラモの砦」でのインディアンのそれと酷似していて、アメリカ映画お得意の伝統ともとれるが、それら全編に渡る戦闘シーンは、凄まじさを通り越して滑稽ですらあるのは、そもそもわざわざ敵陣にやってきて絶望的な戦いを強いられる破目になったのも、相手を見くびった事に拠る米軍の傲慢さに他ならないからだ。「俺が死んだら妻や子に、勇敢に戦ったということを伝えてくれ・・・」「自分で言えばいいだろぅ」という戦争映画お定まりのセリフを用意するあたり、本作を見る限り被害者意識だけは十分だが、作戦の失敗の本質がなんら見えてこない。 【ドラえもん】さん 6点(2002-05-19 16:30:15) (良:1票) |