4.《ネタバレ》 日常からの脱出をもくろむ小市民の悲喜劇。半分近くインチキかもしれぬと疑いつつも、ドライクリーニング話に投資してしまうまでの閉塞感がある。事件を起こした後も、犯罪が露見することをさして恐れていない。今と変われればそれでいいと思っているのに、常に疑いはよそへそれ、彼は床屋に取り残されてしまう。弁護士に俺が殺したと言っても、取り合ってくれない。もう自分の床屋からの脱出はあきらめ、娘のピアニストの夢に賭けるのだが、彼女には才能がなかった。まあ、幻滅のつるべ打ち。日常ってこんなにも手強いものだったのか。ところがひょんな逮捕によって、やっと床屋以外の場所へ旅立てることになる。床屋の椅子のような電気椅子。いままで客が座っていた場所にやっと自分が腰を下ろせた、という皮肉な安堵感、ここらへんがコーエンの味ですか。ベートーベンのピアノソナタの緩徐楽章が、彼が求めてやまなかった慰安の世界を暗示する。 【なんのかんの】さん [映画館(字幕)] 7点(2008-06-29 12:15:05) (良:3票) |
3.《ネタバレ》 「そこにいなかった男」“The Man Who Wasn’t There”という原題がすべてを説明している。毎日実直に仕事をしているけれど、本当は「そこにいなかった男」の話。じゃあ、例の“虹を掴む男”ウォルター・ミティのように白昼夢の中にいるのかというと、夢想家の素質もなさそうだ。現実の生活でも夢想の生活でも「そこにいない」男。こういう男が行動を起こすと、世界は妙な方向に脱線してしまう。儲け話に気持ちが動いて恐喝を試みると、あっさりバレる。どころか、世界はもっとフツーにタガが外れる。この男、とにかく「そこにいない」方がいいわけだ。清楚な(?)娘の凡庸なピアノ演奏に入れ込むあたり、この男の隅におけない馬鹿さ加減をくっきり表して、かなり痛い。(おまえ、近所の女子高生の未来に勝手な夢を描くなよ。どこにもいないおまえの居場所がそこにはある、ってわけないだろうが。でもスカーレット・ヨハンソンが期待をハズしてくるところは、おおそう来たか、って大笑い。案外ああいうもんなんだよな。)ビリー・ボブ・ソーントンが分別ありげな渋い初老の男なので、痛さもひとしお。所詮は「そこにいない男」なんだから、世界に参加しないでいりゃいいのに、分際を守っていられない。これが凡人の本当のみじめさ。みんな「そこにいない」ヒトに過ぎないのに「何かしたい」ってあがく。死刑になるとき、自分の人生の断片が全部つながったと言っているから、ムチャした甲斐はあったということなのか。でも、どこか無理矢理な感じが残るのも事実。ということで、初老の男としては、おもしろ怖く観て、かなり身につまされたなあ。 【哲学者】さん [ビデオ(字幕)] 8点(2005-05-04 18:59:13) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 この映画から得た教訓。「据え膳は食えるときに食っとかないと痛い目見る」。 【永遠】さん 5点(2004-08-19 02:33:37) (笑:1票) |
1.これをほかの人と一緒に見て楽しめた、という人なんて、いるんでしょうかねえ。「アメリカン・ビューティー」とかこれって、どうもそのあたりが解せない。私はいたたまれなかったですよー。そもそも映画って何のために見るんだろうか。何のために作るんだろうか。これを見て、何かプラスになったんだろうか。別に、ためになるものを見たいわけじゃないけど、自分にとってマイナスになるようなものをあえて見たいとは思わない。え? マイナスになったのか?って。よくわからない。よくわからない一品です。最近、コーエン兄弟作品があまり好きでなくなってきている自分を感じます。うまいなあ、とは思うけど、幸せな気分にはほど遠い。うまいなあというのは一度見りゃわかるから、これもたぶん、もう一度見たらさらに低い点になりそう。シニカルな作品が好きな方はどうぞ。私はもう二度と見ないだろうと思う。 【おばちゃん】さん 7点(2004-07-18 09:33:02) (良:1票) |