4.長篠の戦いのシーンは蛇足、しかも金の無駄遣い。黒澤映画としては、もはや全盛期の迫力がない。言われなければ、黒澤監督が撮っているとは思えない(これは、その後の作品にも言える)。黒澤の名を語って別の監督が撮っていても分からないのではないか。えっ、まさか・・・、もしかしてこの当時、黒澤監督は既に死去していて、この作品以降は全て黒澤監督の「影武者」が撮っていたってことなのか?? 【STYX21】さん 6点(2003-12-21 17:56:52) (笑:2票) |
3.この作品を歴史劇として眺めたら、ほとんど滅茶苦茶といってよい。確かに武田信玄をはじめ、歴史上の著名人が続々登場し、長篠・設楽が原の合戦がクライマックスになっているが、影武者の話がフィクションというだけでなく、様々なディテールにわたって歴史的実証性はないがしろにされている。まず長篠の戦場はあのような地形ではまったくない。あんなだだっ広い場所ではないのだ。また武田騎馬軍団などという捏造の産物を疑いもせずに使っている。当時の日本にはヨーロッパの騎兵のごとき兵種は存在しなかった。こういったことについては鈴木慎哉氏の著作を薦めたい。もっとすごいのはラストシーンでの風林火山の旗標の川流れだ。このような武田家の精神的象徴物を投げ捨てて敗走するような兵がいたとはとても考えられない。この件に関しては、かつて松本清張も指摘していたらしいが、筆者はそれを読んだことはない。映画「影武者」に対する最も好意的な扱いは、あくまで戦国ファンタジーとして鑑賞することである。「蜘蛛の巣城」「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」「乱」などいずれも歴史あるいは時代ファンタジーである。風林火山の川流れもその文脈でとらえるべきで、これはすでに瀕死の重傷を負った影の男の目に映った幻覚であろう。それは誰かの単なる旗さしものにすぎなかったのだが、影の男にはそう見えたということなのだろう。それを掴もうと男は川に入って行くが力つきて倒れてしまう。虚像の信玄を演じた男は幻の風林火山に手を触れることも成らず、潰えたのである。ふさわしい最後と言うべきだろう。やや滑稽味も漂わせた悲劇であった。 |
2.6年ほど前にこの映画を初めて見た時は勝新太郎を中村玉緒の旦那だということと、「座頭市」シリーズで有名な時代劇スターということくらいしか知らず、出演作もあまり見たことがない状態だったために主役の俳優が途中で代わったことをあまり意識せずに見れた。しかしその後、勝新の出ている映画を何本か見るうちに、幻に終わったこの映画の勝新主演版を見たくなってしまった。だから今、この映画を見ると、仲代達矢は武田信玄役はよく似合っているように思えるが、影武者役はミスキャストだと感じてしまい、「勝新であればどんな風に演じただろう」とよけいなことを考えてしまうようになってしまった。映画自体は黒澤作品ということもあって、最盛期には及ばないものの面白く見られる。それだけに主役の交代が残念。 【イニシャルK】さん [CS・衛星(邦画)] 6点(2005-02-27 11:33:53) (良:1票) |
1. 黒澤明にとって日本映画は「どですかでん」以来10年ぶりだったが、カンヌ映画祭で見事グランプリを獲得。角川の「天と地と」を思えば、重厚な様式美に満ちた格調のある映像は矢張り黒澤明と思わせるモノがある。だが、惜しむらくはキャスティングが弱い。仲代達矢は熱演だが、彼の力量では3時間持ちこたえるのはチョット無理があった。無名塾期待の新鋭だった隆大介演じる織田信長のショボさは数ある映画版信長の中でも最低ランクと言って差し支えなかろう。デビュー作「天国と地獄」で名演を見せた山崎努とは大違い!あと、仮に勝新太郎が降板せずに主役を演じたとしても、3時間を持たせられたかは…甚だ疑問。そういや、コッポラとルーカスも参加してたよナァ。憧れのヒトだったんだろーな。個人的には黒澤の復活は嬉しかったが、作品の方は手放しに絶賛はできなかった。 【へちょちょ】さん 6点(2003-01-26 03:33:10) (良:1票) |