8.長い作品だったけどそれを感じさせない作品。サリエリは音楽の才能を授かる・神から寵愛を受ける為に純潔を守り、情熱を傾け、心血を注いだ。そうやって禁欲的な生活をしている。苦しさの代償に「音楽の才能」と「社会的地位」を得たと思っているのだ。だが彼の前に、天真爛漫で下品で煩悩だらけ、しかし才能に満ち溢れたモーツァルトが現れる。彼は何にも苦労せずサリエリの欲しい物をいとも簡単に手にし、神の寵愛を受けている。これはサリエリにとって「神の裏切り」であった。正直、サリエリはモーツァルトよりも世渡り、社会常識、物腰の柔らかさ、計算するという事等優れている点が多い。ただ音楽の才能と、その才能を疑わないというある種の才能以外において、である。サリエリはモーツァルトと出会ってしまった事で、”自分の才能を傲慢な程に信じる”という芸術家にとってとても大事なポイントを永遠に失うことになる。サリエリの苦しみをみて、凡人の自分も苦しみを感じた。 一方、モーツァルトも彼にとっては望まない道を進んだ。彼はアホだ。子供のような人で、楽しいことが大好きだ。彼はただ楽しく作曲して暮らしたかったのだと思う。でも社会ではただ楽しくなんて無理な話で、嫁も子もいれば養わなければならない。周りとうまく折り合いをつけ、時には取り入らなければならない。そうしなければ価値のわかる人間へ彼の曲を披露する機会自体が得られないからだ。彼は落ちぶれても自分の才能だけは信じていた。ただ、彼の才能が「正当に評価」されない事にとても苦しんだ。とても苦しんでいたが、やはりこの点が決定的にサリエリと違う。 私が一番ぐっときたのはやはりサリエリが鎮魂歌作曲を手伝う所。モーツァルトを死に至らしめるのにふさわしいレクイエムを彼自身に作らせるという残酷な計画を練る程憎いのに、なぜ自分から手伝うなんて言ったのか?きっと彼はモーツァルト・神の音楽に携わりたかったのだ。彼の音楽に触れ、純粋にサリエリは幸せだったはず。嫁が帰るように言っても、「彼が手伝えと言っている」と帰ろうとしなかった。サリエリは二度と触れることができなくなって、何を思ったんだろうか。 もしモーツァルトをもう少し周りが救うことができれば、もっともっと素晴らしい曲を世に残すことができたのだろうか、と少し考えてしまった。 【まりんこ】さん [DVD(字幕)] 9点(2009-01-13 21:13:47) (良:2票) |
7.サリエリが真に憎んだのはモーツァルトではなく、モーツァルトに天賦の才を与えた神そのものだったんですね。本当にサリエリがモーツァルト自身を憎んでいたのなら、もっと早くにケリをつけられたはず。しかし、彼の音楽家としての本能がそれを許さなかった。そして最終的にはモーツァルトを陥れるために仕組んだはずのレクイエムを、気がつけば彼と共に作り上げようとしている。あの時のサリエリの一体どこに、モーツァルトへの憎悪など見受けられよう? サリエリは音楽家として至福の一夜を過ごしたに違いないのだ。そして迎えたあの結末…。悲しい、悲し過ぎる。神は何と残酷な仕打ちを二人に与えたのだ!? クライマックスに鳴り響くのは、レクイエムニ短調K.626「ラクリモサ」のあまりに哀しい旋律。改めてこの曲が鎮魂歌だということを強く思い知らされました。 【とかげ12号】さん [DVD(字幕)] 8点(2006-01-14 19:01:16) (良:2票) |
6.えーと、主演はトム・ハンクスか…、あれ、出てたっけ?ああ、トム・ハルスね。おっと、書き始めから、ずっこけてます。こけても、七転び八起きということで、はい、立ち上がりました。で、話は主演で止まってますね。ん~、こんなところでこけてると、書く気なくすな。よし、ここで体操でもして気分転換するか。せーの、1,2,1、2…。よーし、書くぞー。よし、音楽に絞って書こう。モーツァルトね、確かにいい作曲家ですね。皆さん、いい音楽だと評されていますね。そこで、音楽愛好家の私としましては、モーツァルトの音楽のどんな点が皆さんはいいと感じていらっしゃるのかが気になります。私が思うモーツァルトのいい点とは、①単純さと複雑さが同居している点、②明晰な楽想と奇抜な発想が混在している点、③常に正しい位置にいて、聞く者に常に正しい忠告をしてくれる点、という3点です。③は分かりづらい思うので説明しますと、私の経験談なのですが、怒っているときには「何でそんなことで怒っているの?」とモーツァルトの音楽は自分に問いかけて来てくれるんです。私は、ハッと我に帰り、「そうだ、なんてつまらないことで私は怒っていたんだ、はっはっ、馬鹿らしいや」、と冷静な目というか、とても客観的な目で自分を見直すことができました。ん~、素晴らしいですね、モーツァルトの音楽って。私思うに、モーツァルトの音楽とは、常に正しい忠告をしてくれる神の声(のようなもの)なのではないか、と勝手に解釈しています。以上、私の独断と偏見に基づく非常に勝手なモーツァルト観でした。さて、皆さんはどのように考えていらっしゃいますでしょうか? 【ooo-oooo-o】さん [映画館(字幕)] 5点(2005-01-24 14:46:05) (笑:2票) |
5.天才にはどう足掻いても適わないと知ったサリエリの苦悩が痛ましい。彼自身も才能に溢れた音楽家だっただろうに。 【TAKI】さん [DVD(字幕)] 7点(2010-04-29 17:35:31) (良:1票) |
4.面白いところもあったんだけど・・・・。 是非、通常版を見てみたいと思いました。 ニューシネマパラダイスでもそうだったけど、ディレクターズカット版は一種の改悪に近いものを感じます。 サリエリの苦悩や、複雑な心境の描写は素晴らしいものだったと思います。 しかし、あくまでこのディレクターズカット版を観た感想ですが、格別な面白さというものは感じませんでした。 モーツァルトを絶賛するならまだしも・・・・。 やはり無駄なシーンというものを多く感じましたし、物語の進行がのろますぎです。 どこがカットされたシーンかを大体予想できたぐらいです。 もしこのレビューを観ていて、まだ本作を未鑑賞の方がおりましたら、なんとしても通常版を観ることを勧めます。
【タックスマン4】さん [DVD(字幕)] 7点(2009-04-14 15:07:53) (良:1票) |
3.人は誰しも自分こそ特別だと思っている。特に自分が一番得意とする分野であればなおさら。しかし、世間には自分より勝れた人はいるものである。その人に出会わないからこそ、人は幸せなのかもしれない。「その人」モーツァルトに出会った運命がサリエリの人生。プライド高く、幼児性の抜け切らない妻のコンスタンチェを筆頭とする宮廷人には永久に理解できないであろうモーツァルトの才能を知るゆえにサリエリは最大の理解者であり敵となってしまう…この映画は人に持つ善悪のコンプレックスを実に巧に表現している。そして多くの人にとって残酷な映画であり、「主人公」サリエリを笑い、憎める者のどんなに幸せな事か。なぜならば、その人は本当の天才か、人生の不幸を知らない人であろうから。 【クルイベル】さん [DVD(字幕)] 9点(2005-09-23 12:30:03) (良:1票) |
2.凡人であるということはそんなに悪いことじゃない。凡人にしかできないこともいっぱいある。そのことが認められず、サリエリはモーツァルトを憎むという道を選んでしまった。これは彼の最大の失敗だったと思う。彼はモーツァルトの最大の理解者にして最高の友人になりえたはずなのだ。憎しみは本当にろくな連鎖を生まず、関わるものをみんな不幸にしていくなぁ。 【コダマ】さん 9点(2004-03-10 20:26:20) (良:1票) |
1.サリエリの、ひどく屈折した神への復讐計画。病床に伏すモーツァルトを追いつめていくサリエリ。しかしモーツァルトの口述筆記こそは、サリエリが神の言葉を書き綴ることを許された初めての瞬間。その至福の前では復讐心など霧散してしまう。神に選ばれし天才の前では、凡庸なる者はただ平伏すことしかできない残酷さ。それを理解する才能だけを与えられる残酷さ。憎むべき才能を愛してしまう残酷さ。20分伸びて3時間になった本作は、余りの悲しみに涙が溢れてしまう程の残酷物語に変貌。そして全編を彩る、どんな映画音楽も敵わないモーツァルトの調べ。昔は、ただ面白い映画としか感じなかったもんですが、この映画はあらゆる事が圧倒的でした。評価アップの10点献上。 【sayzin】さん 10点(2002-09-15 17:02:45) (良:1票) |