6.《ネタバレ》 内田吐夢監督の晩年の代表作となるサスペンス映画。昔から見たいと思っていた映画だったがやっと見ることができた。三時間長という大作ではあるが、内田監督らしい重厚な演出も相まって、その長さを感じることなく、すぐに引き込まれたし、見終わった後には映画二本分を一気に見たような満足感となんとも言えない余韻が残る見ごたえのある映画だった。台風の中で起こった強盗放火殺人事件の犯人の一人であった男・犬飼多吉(三國連太郎)と娼婦である杉戸八重(左幸子)が出会うところからドラマが始まっているが、この二人が最初に出会うシーンでのおにぎりを食べている八重を見つめる多吉の表情、そしてその八重から手渡されたおにぎりをむさぼるように食べる多吉の姿が本当にリアルで、これだけで人間の本能というものを感じることができるし、これだけで終戦間もない頃という描かれている時代性も見て取れる。そんな多吉が八重と一夜を共にし、強盗で得た大金の一部を苦しい生活を送っているという八重に渡して去るが、これがのちのち本作のテーマである人間の善意とはなにかということにつながっていく構成がうまい。ここから先は八重の人生を追うというのが見ていて意外に感じたのは事実だが、多吉にいつか再会してお礼が言いたいという思いを抱えて生きていく八重の強さや、彼女の多吉への思いがじゅうぶんに伝わってきて、この部分も見ごたえがあった。そしてそんな思いを10年間抱き続けて生きてきた八重の運命はあまりにも悲しい。そして、そんな八重を演じる左幸子の演技のすごさ。とくに、多吉の爪を体にあてているシーンなどは、本当に気持ちが入っているのが見ていて分かるほどで、役を演じるとはどういうことなのかを考えさせられるし、八重が成功した多吉(樽見京一郎)と再会するシーンの緊迫感は内田監督の演出もそうだが、やはり演じる三國連太郎と左幸子の演技力あってのものだと思うし、なかでもこのシーンでは「やっぱり、犬飼さんだ!」と叫ぶ八重が忘れられない。そしてもう一人、本作でシリアスな役柄に初めて挑んだという強盗放火殺人事件を追う刑事を演じた伴淳は撮影中内田監督からいろいろ厳しく言われたようなのだが、見事にそれに応えて枯れた演技を見せていてこちらも素晴らしかった。八重が殺されて以降も面白く、とくに高倉健演じる刑事に樽見が取り調べを受けるシーンは演じる同じ二人が対決する役柄で共演していた同じ内田監督の「森と湖のまつり」を2か月ほど前に見ていたこともあって、なかなか興味深かった。そして、多吉が船の上から身を投げるラストの衝撃・・・。多吉は何を思いながら海に飛び込んだのかと考えると非常に切なく、そこにかかる冨田勲の独特な音楽が最初に書いたようになんとも言えない余韻を残す。まさに傑作・名作とはこういう映画を言うのだと思う。最後にもう一度、本作の杉戸八重を演じる左幸子は本当に素晴らしかった。本作はやっぱり左幸子の映画でもある。 【イニシャルK】さん [DVD(邦画)] 9点(2019-08-18 17:53:42) (良:2票) |
《改行表示》 5.《ネタバレ》 W106方式という撮影技法のためか、映像が荒く製作年よりも古い作品に見える。 この方式の影響か解らないけど、軽快で躍動感があるカメラワークが面白い。 トラックが到着して、そこから警官隊がワラワラ降りてきて、そのまま舟に乗り込んで出港までを勢いよく撮り流す。 東京の下町の人混み。そこで客引きをして働く八重。警官が捕物を始め、逃げるタチンボ達。柱に隠れてやり過ごす八重。飲み屋街に逃げる頃にはカメラは屋根の上。後ろを振り返りながら逃げる八重、ゴミゴミした飲み屋街…ここまでワンカット。 こんななめらかに動きのある映像、当時どうやって撮ったんだろう? イタコの話は訛りが強くてよく解らないけど「(三途の川を渡ってしまえば)我が戻る道は一筋もござらい」のように言っている。八重のマネ「戻る道無いぞ~、帰る道無いぞ~」。イタコを知らない多吉は、その言葉を自分の運命と重ねたんだろう。多吉にとって津軽海峡が三途の川。 共犯の二人は多吉が殺したんだと思う。 帰り際「今度いつ来るの?」と言う八重、戻る道がない多吉。お代の50円とは別に渡した34,000円は、殺した二人への供養の意味もあったと思う。犯した罪を善行で償おうとしたんだろう。その後も善行を重ね続ける。臆病だから罪を認める勇気もない。 樽見と名を変え、自分なりに罪を償って、余生を過ごしていたところに八重が来る。この時の樽見の落ち着き具合は、見ていて多吉とは別人じゃないかと錯覚させる。忘れたい過去の自分を10年も探していた女。衝動的な殺人。 10年前の自供は、もしものときのために前々から用意していた筋書きだろう。 何とか助かる道を模索する樽見に弓坂が見せる舟の灰。善行で罪を償ったつもりでいた自分を、10年も追ってきた人間がここにもいた。 「戻る道無いぞ~、帰る道無いぞ~」 八重殺しを自供することも、隠し通すこともしない、出来ない。 現世でも地獄でもない三途の川、津軽海峡に身を投げる多吉。臆病な善人らしい最後かもしれない。 【K&K】さん [CS・衛星(邦画)] 9点(2021-05-28 11:13:29) (良:1票) |
《改行表示》 4.《ネタバレ》 重厚な映画。戦中戦後の壮絶な時期と、そこにおける人間の悲哀を、一本の事件を軸にして10年という歳月にまたがって描き出している。 ■前半の事件から、八重に助けられて八重が東京に出ていくまでのシークエンスは、人間の苦境、愛、悲しさ、欲望、そうしたものがうまく映し出される展開。そして後半が、まさに犬飼が捨て去ったはずの「過去」を知る存在として八重が現れ、彼女のそのけなげな気持ちが逆に当人の死を招くという皮肉。ラストの飛び込みは戦慄。 だが、10年後の展開は、特に書生を殺すところなどあまりに乱暴だし、犬飼の幼少期と事件前後の心境はもっときちんと描き出してほしかった。警察の動きはサスペンスとしてもぞんざいだし、人間ドラマならばもうちょい縮めていい部分。 ■他のレビュワーさんも触れているが、やはりこれは「砂の器」と比較したくなる作品。隠しておきたい過去、過去を捨て去っての成功、過去を知る善良な人を殺す運命といった展開は、まさに「砂の器」を彷彿させられる。 しかし、だからこそ、だからこそ10年後の八重殺しをめぐる犬飼の心境と、最初の事件までの犬飼の苦境とをもっと描き出してほしかった。 ■とはいえ十分満足の作品ではあるが 【θ】さん [DVD(字幕)] 9点(2011-02-13 00:13:21) (良:1票) |
《改行表示》 3.《ネタバレ》 日本映画史上のベストテンを選ぶ際、必ず食い込んでくる名作中の名作をやっと鑑賞することができた。 3時間を超える大作のため、なかなか観る機会を得なかったが、噂通り3時間という時間があっという間に過ぎてしまう力と流れのある名作であった。 監督は戦前からの巨匠内田吐夢。 この監督の作品を観るのは自身初。 音楽に富田勲。 本作のラストシーンは相当な余韻を残すものであったのだが、それはこの人の音楽によるところも大きいであろう。 そして主演に三國連太郎。 その名演技にはただ敬服するのみ。 『釣りバカ日誌』での三國連太郎しか知らないと、なかなかこの人の偉大さは分からないかも。 その他、左幸子、伴淳三郎等の脇役陣も一世一代の迫真の演技をみせている。 本作はミステリーとして観てしまうと、納得のいかない部分が多々ある。 そういう意味では完璧な作品とはいえない。 しかしながら、上記俳優陣の迫真の演技が、本作を“日本映画史上の名作中の名作”に押し上げている。 特に、中盤の左幸子が三國を久しぶりに訪問するシーン。 ここが最大の見所。 この一連のシーンはゾクゾクしたし、ワクワクしたし、感動したし、両者の演技に惚れ惚れもした。 しかし後半は、妙に強引な推理展開が目立ち、やや尻すぼみ。 小説は読んでいないが、文字で丁寧に書かれるはずであろう推理小説的な部分が、駆け足で進行されてしまうのだ。 しかししかし・・・ ラストシーンは圧巻だった。 これは凄い。 観ていて口がアングリしてしまい、開いた口がふさがらなかった。 これはこの3時間以上に及ぶ大作を最後まで観た人へのこれ以上ないご褒美だ。 ややや、まさに衝撃です。 本作は先にも述べたように、ミステリーや小説の映画化として観ると味気のないものになり、魅力は半減してしまいます。 俳優陣の熱演、効果的に挿入され衝撃度を劇的に高める音楽等に焦点を当てつつ、ストーリーの根底に流れる“人間の愚かさと哀しさ”に目を向けてみるといいように思います。 いずれにしても本作は紛れもない名作です。 そして“日本映画史上の名作中の名作”、これも決して大げさなふれこみではありません。 観るチャンスがあれば、絶対に観るべき作品ですね。 【にじばぶ】さん [ビデオ(邦画)] 9点(2007-09-02 22:37:29) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 リアリズムを基調とした、真の太い重厚な人間ドラマに仕上がっていて、まさに脱帽といった感じでしょうか。レリーフ処理でサスペンスを盛り上げるあたりも手抜きがないのですが、何と言っても、八重が東京に出てきたところで映し出される戦後闇市の風俗描写が秀逸です。特に、八重が客引きをしていて捕まりそうになり、店に逃げ帰ってくるシーケンスでのロングカットが印象的。高い位置から空を飛ぶような俯瞰の移動によって、切迫した緊張感が漂い、素晴らしいリアリティを生んでいます。また、三国連太郎演ずる犬飼が握り飯をガツガツと貪り食う生命力に満ちたカットも素晴らしい。物に飢えた人間の凄まじい有様。これらを泥臭いまでに表現した、ズシリと重い映像の数々がこの映画の性格そのものといえるでしょう。戦後日本の物質的な「飢え」。ただ、この映画の「飢餓」とは、こうした物質的な「飢え」ではなく、心の「飢え」のこと。嘘が嘘を呼び、嘘を嘘で塗り固めなければならない男の悲劇。嘘をつくのは相手を信じることができないからでしょう。解ってもらえないという、この心的な「飢え」によって、警察はもちろん、世間も、そして自分を信じてくれる人さえも信じることができなくなる。到底、愛情に気付くはずもなく、滅びの道を突き進むことになります。もしも、この心的な「飢え」が、戦争による物質的な「飢え」によってもたらされたものであると考えれば、この映画は完全に反戦映画としての様相を呈してきます。しかし、ラストで犬飼が真実の全てを闇に葬り去った瞬間、観ているものは思わずそこに立ち往生してしまい、何が真実なのか、事の真相が解らなくなってしまうのではないでしょうか。そして犬飼と同じように登場人物の全てを信じられなくなるような思いに一瞬かられるのではないでしょうか。解ってもらえない、人を信じることができないという、心的な「飢え」は、決して物質的な「飢え」によってのみもたらされるものではなく、そもそも人間の業のような気がします。戦争や物質的な「飢え」を知らない自分にもこうした心的な「飢え」が確かにあるのです。人が人を完全に信じることは難しい。それでも人は人を信じずには生きていけない。衝撃のラストは、この人間の業を一瞬にして語らしめる見事な幕引きだと感じました。傑作です。 【スロウボート】さん 9点(2004-04-06 00:34:09) (良:1票) |
1.中学生の頃に原作を読み、酌婦八重の情の深さに涙した。以来、水上勉の薄幸の娼婦を扱った小説をいくつか読んだが、「飢餓海峡」の杉戸八重が僕にとってのNo.1であることは変わらなかった。<ある意味で僕の女性観に決定的な影響を与えたといっても過言ではないかもしれない> 映画を観たのはちょっと先の話。イメージというのは恐いもので、左幸子もそれなりにがんばっていたが、ちょっと狂信的な感じが立ちすぎて、僕の八重のイメージとは違うし、原作をかなり端折った<東京での八重の暮らしぶりとか>途中の展開にもすんなり入っていけなかった。原作と映画の関係というのは難しい。映画だけ観れば、この作品が名作であることに全く異論はないが、原作に感動し、そのイメージが出来上がってしまうと、原作に忠実な映画というのは、作品の単なる短縮版のような感じがしてしまうのである。<長編小説の場合は特に> 作品として完成されたもの同士を同列に観てしまうとそうなってしまうのかな。正直言って、こればっかりは仕方がないことかもしれない。ただ、映画ということで敢えて言えば、画面から漂う雰囲気がとても切なく、伴淳の名演もあって、期待以上に見応えがあったことは間違いない。 【onomichi】さん 9点(2004-01-25 18:40:18) (良:1票) |