7.《ネタバレ》 (自分なりの解釈を書きます。)まず気になったのは “空飛ぶバス”のシーン。現実ではありえません。ですからこの場面は、役所の心の中と解します。最初は奥さんと一緒、2度目はひとり。つまり、心の枷となっていた奥さんを消した(殺した)。次に“病院の地震”。天井の配管が揺れています。萩原が病室の配管に椅子を叩きつけていたことが原因。でもこの程度であれほどの揺れが起こるはずもない。また、非常事態なのに監視役の刑事は無表情。ちょっとおかしい。つまりこのシーンも現実ではなく役所の心の中。ここでの萩原は閉じ込められた自我の象徴と解します。自我が開放を求めて暴れている、と。殺された刑事は、規範・倫理の象徴。自我は解き放たれます。でも役所と刑事(=倫理)は自我を捕まえようと追いかける。そして最重要シーン。役所は廃屋で萩原を射殺します。廃屋は空飛ぶバスが向かっていた場所。ゆえに、ここも心の中です。霧に包まれた林の奥。(注:病院から逃げた萩原を追う役所と刑事が乗る車も霧に包まれていました。本作の霧は“心の中”の暗示では。)萩原いわく、「本当の自分に会いたい者はここに来る」。それは本当の自分(=自我)がここにいるという意味。萩原の催眠にかかっている証拠でもある。そして役所は萩原(=自我)を撃ち殺す。今までの役所は死んだという意味。と同時に、死にゆく萩原から“最期の催眠”をかけられているようにも見えました。これが役所の催眠術スキル取得を表しているのではないか。なおこの後、役所が耳を傾けていた不明瞭な蓄音機の声(多分博士の声)は、内なる心の声。“萩原に代わって皆を癒しなさい”と…。そして驚愕のエンディングを迎えるわけです。ここで注意したいのは、これらのシーンの萩原は全て現実ではないということです。では現実の萩原はどうなったか?役所が“小さな殺意を実行する”催眠にかかっていたのであれば、「悪い社会の一因」と罵った萩原も当然殺したはずです。(うじきの回想シーンで、萩原宅に鑑識が入っていたことからも推測できる。)なお、うじきの場合は自殺。他人の心を覗く仕事に対し、自己嫌悪を抱いていてもおかしくない。殺意が自分に向かった例です。手錠は自らの異常を察知した、うじき最後の抵抗の跡。以上です。相当強引な解釈な気もしますが、黒沢氏の作品は考える楽しみがあります。 【目隠シスト】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2006-10-02 18:31:19) (良:5票) |
6.《ネタバレ》 時期的には被っていたかもしれないけど、こりゃ『セブン』に匹敵するような不快感というかおぞましさを観る者に与えてくれる映画ですな。萩原聖人のキャラの異様さは特筆ものですが、とくに劇中何度も繰り返される萩原=間宮の“質問に対して質問で返す”問答が不快感を増幅させてくれます。これは対人関係でやってはいけない相手を不愉快にさせるコミュニケーション上の悪手で、それをここまで計算づくで織り込んだ脚本は秀逸。いろいろとまぶされているメタファーも伏線でもなく、観客に色んな解釈をさせようとするストーリーテリングは、一から十まで説明する凡庸な邦画が目立つ中では光っています。ただ残念なのは間宮がだんだんと単に記憶障害を装っているだけの詐欺師的な人物に見えてくることで、せっかく確立した日本映画史に残るような不気味なキャラ像が薄れてしまった感がありました。ラストの一見何の違和感もないファミレスでの食事風景で閉めるなんかは、凡庸な映画監督にはできない勇気ある撮り方だったと思いました。今まで何本かは黒沢清の監督作を観ていますが、初めてこの人の才気を感じることができました。 【S&S】さん [CS・衛星(邦画)] 8点(2023-12-26 23:38:23) (良:2票) |
《改行表示》 5.《ネタバレ》 サスペンス映画として、とても良く出来ていた作品だと思います。 ですから終盤の難解な展開でも色々自分で解釈したり考えたりするのも悪く無かったです。(最悪なのは展開がつまらない上、訳が分からん映画です) 個人的に好きなのは二回あるファミレスのシーンでしょうか一回目に食事を残し覇気のない役所、二回目は妻の死の後のシーンにも関わらず憑き物が落ちたように心地よく食事している姿は滑稽な程です(これで妻の死は役所の仕業と暗示させる) ラストシーンの投げっぷりはゾッとしますし・・ 二回、三回見てその度に様々な解釈が出来て楽しめたりする映画でした(万人向けかどうかは微妙) 【まりん】さん [DVD(邦画)] 8点(2008-09-15 19:04:17) (良:2票) |
《改行表示》 4.《ネタバレ》 思いっきりネタバレですが、語らせてください。そういう作品なんです(笑) ●「日本においてもヨーロッパにおいても初期の催眠術は魔術であった」ということが何度か言及されていることから、最終的に"伝道師"となった高部(役所)は、限りなく魔術に近い能力を手に入れちゃったんじゃないかな、と思います。最初はあくまで単なる「催眠術師」だったものがいつの間にか「魔術師」になっていく過程は、同時に「サイコスリラー映画」が「オカルトホラー映画」になっていく過程でもあります。タバコの煙程度で他人を"cure"できるようになった高部が、これからも淡々と人々をcureしていくであろうことが暗示されるラストは、この映画以外では見たことがないような余韻を残します。 ●病院の中で刃物を持てる人は限られているでしょうから、高部にcureされた主治医か看護婦が奥さんをやっちゃったんでしょうね。 ●文句なしの秀作です。 【たにゅ】さん [インターネット(字幕)] 8点(2006-06-07 21:53:32) (良:2票) |
《改行表示》 3.黒沢清作品の中でも解りやすい部類で且つサスペンスホラーとして面白い出来だと思う。 同じ題材で並の監督だったら直接的な描写に頼ってしまいそうな所を敢えて見せない演出というか想像力に訴えてくるような演出だったのでジワジワ怖くて面白い。 光と影のコントラストが生む日常に潜む闇。 普通に見えた人間が突然殺人を犯す狂気。 不気味なオブジェクト。 催眠術。 邪教。 ビルの屋上から落ちる人(お約束)。 生肉をぶん投げる役所広司。 また、萩原聖人演じる間宮という男がとにかく不気味だし、存在感が凄い。彼に接触した人間が次第に狂っていく様が怖かった。 【ヴレア】さん [インターネット(邦画)] 8点(2020-03-17 17:48:20) (良:1票) |
《改行表示》 2.《ネタバレ》 「犯罪者の心理なんて誰にも分からん。例え本人であっても。」 この言葉には、その後の私の人付き合いのスタンスを変えられた。 趣味は人間観察とのたまう人間のなんと浅はかなことか。 催眠暗示にかける描写はリアルかどうかは分からない (ラポールの形成の描写など)。 被催眠状態 (半覚醒) の人間の雰囲気はよく描けてると思う。 当時、催眠を扱った映画が他にもあったが、それらとは一線を画す出来。 原作既読。原作者が監督だけあって、いや、監督が原作者なだけあってか、どちらもよく出来てるし、 映像も原作を読んだときに喚起された映像として違和感なかった。 人物の風貌は原作と異なるが、特に差し支えなく、一つのバージョンとして出来上がっている。 ちなみに本監督の他の作品は娯楽的ホラー要素が強く、嗜好に合わなかった。この作品こそが彼の真骨頂だと思っている。 【よこやまゆうき】さん [ビデオ(邦画)] 8点(2017-05-29 02:48:25) (良:1票) |
《改行表示》 1. 時期的に「セヴン」とか「羊たちの沈黙」などのサイコスリラーが出ていた頃ではなかろうか。邦画の水準としてはかなり上質というか、日本映画の良い意味での丹念さもあり、観ていて安心感があった。 安心感とはいっても、決して居心地のいい映画ではない。萩原聖人演じる間宮は、観ていて苛々するほどだし(その意味では成功しているわけだが)、各俳優も大して存在感があるわけでもない。ある意味日本映画というのはこれほど存在感の薄い俳優達によって演じられてきたわけだ。 黒沢清はそういうハンディを意識しつつ、それを逆手にとって映画の画面を構築しているように見える。職人的な監督さんだと思う。少なくともこの時期の、「CURE」のあたりが彼の最も充実した頃なのではなかろうか。 たとえば遠景から間宮が最初に登場する浜辺のショットは俊逸なもので、このあたりで本作がただの思わせぶりなホラーではないということがわかった。つまり職人的な丁重さで作られているなということである。その意味で安心して映画に浸れるという気がした。 しかし上述のアメリカ映画ほどには、残念ながら画面に華がない。ダイナミックさで、どうしても負けるのだ。それは終末部の、病院の廊下の一劃で高部の妻(だと思う)が縛られた異様な姿で映されるシーンなどで、やはり造作のチープさをカバーするためにいささか映す時間が短か過ぎたりとかしている。このような細部を、細かく観ればアラが判然としているあたりが邦画の貧しさとでも言おうか、黒沢清のレベルですらこうなのである。 「CURE」はしかし邦画的水準では高いものだと思う。 【タカちん】さん [CS・衛星(邦画)] 8点(2011-01-10 09:28:15) (良:1票) |