5.《ネタバレ》 冒頭でのミラノ駅、誰もいなくなりガラーンとしたホームに取り残される一家。漠然と不安を覚えるこのシーンからすでに、家族崩壊の予感を感じさせる。しかしこれは、兄弟の愛憎織りなす長いメロドラマの始まりでもありました。暗くてつらかった。強姦と殺害のシーンなんてとてもじゃないけど二度と見る気にならない。直接的に残酷な描写とかではなく精神的につらい。確かにシモーネは愚かで許せないんだけど、彼を庇い続けるロッコが一番罪深いと思える。更正させてやるのが家族愛なんじゃないかな。この異常なまでの寛容さが悲劇の元凶でしょう。しかも「兄は君を必要としているから側にいてやってくれ」って…わけわからん。美しい大聖堂のシーンであんな美しい顔で、こんな残酷な台詞を言うなんて…。「平穏な家族を造るために神様はいけにえを求める」って、結局一番の犠牲者ってナディアではないでしょうか。 【Tweety】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2007-02-20 01:41:43) (良:2票) |
4.《ネタバレ》 3章の「ロッコ」から、それまでのネオリアリズモのタッチと、神話のような世界とが重なってきて交響し、圧倒的。長男は小家庭に籠もり外界には無関心、四男は都市でやっていこうと決心して、その信念に沿って勉強してる。長男の消極的都市生活に対して、積極的都市生活。五男は未来への希望であり、故郷へ帰れる者、さらには故郷を富ませるであろう者として存在する。重要なのはもちろん、次男のシモーネと三男のロッコの対立で、この二人の自分の役割に執着するその過剰さが、神話の雰囲気をかもす。獣性と聖性の対立という二元論で片づけてもいいんだけど、さらにこの二人がどちらも都会に不適応であるところが厚み。クライマックスでロッコがシモーネのことを、「家のいけにえ」と言ってたけど(公開時の字幕では、私のノートを信ずるなら「家族の土台となる者」)、あれは自分も含めてなんだよね。クリーニング屋での女たちにからかわれながらの働き、ジムで見込まれたときの歯まで調べられる扱われよう、酔いどれて酒場で友だちに馬鹿にされる痛ましさ。それは彼ら兄弟が地上に堕ちた神々の気配を漂わせているからこそ増幅される惨めさなんだろう。シモーネが金をたかるシーンでテレビがずっと古典画を映し続けていたのなんか、これは古典悲劇なんだよ、と監督が確認してるみたい。四男はロッコのことを「許してはけないものまで許してしまった」と言ってたけど、その過剰さが彼を神々の高さにまで引き上げ、また社会との不適応を招いている。ナディア陵辱シーンの、この兄弟の惨めさの極みがそのまま神性に通じていくようなあたり、ゾクゾクする。みなで雪掻きに出かけていくシーンは、後で振り返って悲しむために仕込まれた失楽園用情景だな。父が故郷にいるあいだずっと辛抱し、憧れ続けていた北部都市にやっと出てきたという母も悲しい。南部の暮らしのつらさを描いた場面はワンカットもないのだけれど(それならもう『揺れる大地』でミッチリ描いた)、それがずっと映画の通奏低音になっている。 【なんのかんの】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2011-01-27 10:27:10) (良:1票) |
3.《ネタバレ》 凄まじい!その凄まじさときたら半端じゃないぐらいの恐ろしさです。この監督の映画では「ベニスに死す」が世間的には最も有名で評価も高い気がするが、あの映画はそれまでヨーロッパ映画を一度も観たことのない人には薦められないし、まず最初に観ても解らないだろうが、これは最初に観てもよく解る。とにかくこの映画における描写、心理的描写がとにかく凄い。ある家族の物語で一人の女を好きになった二人の兄弟の全く性格の違う部分を見せながら家族がどんどん破滅していく様子が物凄いリアルに描かれている。アラン・ドロン演じる優しき三男ロッコが眼の前で一つ上の兄のシモーネが自分に対する嫉妬からナディアをレイプするシーンの恐ろしさ、シモーネがどんどん崩れていくのに何もしてあげられないロッコ、ナディアに対しても何もしてあげられず、助けることも出来なかったロッコのあの悲痛、悲しみ、苦しみをアラン・ドロンは見事に演じている。また他の兄弟、特に一番上の兄もシモーネとロッコの仲を元のようにしてあげらず苦しむ姿が描かれている。ナディアを殺してしまったシモーネを最も好きでいた長男の苦しみ、またナディアのことを何も解っていないし、それ以上にシモーネの犯したこともロッコの苦しさも何一つとして解っていないバカな母親、全てがこれだけの悲劇を生むというその痛くて重たいドラマの中にあって、私が思ったのは一番悲しい、哀れなのはナディアではないかと思う。ナディアは確かに二人の兄弟を引き裂く一番の原因ではあるが、母親がもっとまともな人間であって二人の兄弟のことを理解していればこんなことにはならなかったと思うとナディアの「死にたくない」と絶叫したのちにシモーネに殺されてしまう運命に人間の悲しさと惨酷さのようなものを感じてならない。この映画は人間の惨酷さ、醜さをある家族の眼を通して、描いた作品で、そのあまりの凄まじさにとにかく痛い。心が痛む。あまりの痛さに繰り返し観ることは出来ないが、人間が崩れていくこととはこういうものなのかと考えさせられる作品です。 【青観】さん [ビデオ(字幕)] 8点(2008-07-06 13:20:58) (良:1票) |
2.父をなくし貧しい暮らしの南部イタリアから長男のいるミラノに母子5人がやってくる。息子達5人の中で話の核となるのは2男のシモーネと3男のロッコ。イタリアの家族、特に南部は結束が固いというがこの家族も母を中心にまとまっている。しかし善良だったというシモーネは堕落し家族に迷惑をかけるようになる。ロッコはそんな兄の尻拭いをしどこまでも寛容でやさしい。一方薄幸な娼婦のナディアが彼の善良さで立ち直りかけたのに、彼女が兄には必要だというので身を引いてしまい彼女を絶望させ最悪の結末になってしまう。思うにこれほどの寛容はやさしさではなく甘えを許して益々当人を堕落させるだけだとじれったい。堅実・真面目で夜学に通い自動車会社に就職できた4男のチーロは常識派で、そんなロッコのことを「聖人だけど俗世界では無力だ。全てを許してしまうが許してはいけないこともある」と言うが、彼の言うラストのこの言葉や「家の基礎を固めるためには犠牲が必要なんだ」(この場合シモーネ)というような言葉が暗いこの話の中で印象的。貧しい兄弟・家族等の生き方や変遷をリアルに見せ、ニーノ・ロータの静かな音楽と共に重い余韻を残す。デビュー間もない美しいA・ドロンが天使のようにやさしく善良な青年でとても魅力的。他レナート・サルバトーリ、アニー・ジラルドなどみな見ごたえがある。 【キリコ】さん 8点(2004-03-07 23:49:10) (良:1票) |
1.ヴィスコンティのネアリアリズムの大傑作でしょう。しかし、この後の「山猫」からはじまるデカダンス映画の要素も先取りしていることも家族の崩壊というテーマから伺えます。バロンディ家は悲しいほど、どん底へと堕ちていく、この厳しくも辛い現状をヴィスコンティは入念に描き切っている、これはほんとにすごいことです。クラウディア・カルディナーレ アランドロンという一流スターが素晴らしい演技をしているとこも好きです。 そして、ヴィスコンティ一流の映像もまだ完成段階ではありませんが、気合が入っています。 【たましろ】さん 10点(2004-02-06 00:24:30) (良:1票) |