5.《ネタバレ》 娼婦をお姫様、自分を騎士に見立て、大魔王が変身した風車に突進するなど、狂人としか思えないドン・キホーテ。他にもぼろ布の薄紗や洗面器の金の兜なども出てくる。しかしドン・キホーテは見果てぬ夢を追い、かなわぬ敵にも立ち向かう勇気ある正義の騎士だったのだ。映画を最初見たときは、舞台劇とは思いつつもまさかミュージカルとは思わずびっくりしたことを覚えている。宗教裁判にかけられ捕らえられたセルバンテスの物語の中の、気のふれたキハナ老人の、妄想の中の騎士ドン・キホーテの物語という複雑な構造でとまどうが、改めて見てみるとなかなかおもしろい。ミュージカルのタイトル曲や「ドルシネア」「見果てぬ夢」も良い曲だ。 【ESPERANZA】さん [映画館(字幕)] 8点(2013-04-16 05:06:41) (良:1票) |
4.《ネタバレ》 セルバンテス=キハーナ=キホーテという三重構造が煩雑であるうえに(原作のメタフィクションに倣ったのだろうが)、冗長な感もなくはないが、ミュージカルであることはマイナスにはなっていないと思われる。ピーター・オトゥールの哀愁漂うドン・キホーテも心象を損なわない。特色はキホーテが心に抱(いだ)く貴婦人ドルシネーア・デル・トボーソが、血肉を持った女アルドンサ・ロレンソとして立ち現れることにある。荒んだ生活に疲弊していた彼女は、キホーテの世上とは懸け離れた生き様に触れることで内なる自己に目覚める。永き遍歴の末死出の旅に赴くキホーテと、それを看取る黒衣の彼女はピエタさながらである。何物にも束縛されぬ自由な魂で騎士として生きた郷士が一人の女の人生を変えたことも、彼のたてた風変わりな手柄の一つに加えられよう。 【レイン】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2009-06-15 01:43:50) (良:1票) |
3.歌詞がほとんどタワゴトばかりという恐るべきミュージカルですが(笑)。正直申しますとコレと言ってお気に入りのナンバーが見つからず、やや曲調に変化が乏しいような気もして、なんとなく「歌」がボリューム不足の感じ。ミュージカルシーンよりソフィア・ローレンのセクハラシーンの方が多かったのではないか、と思えるほど(ではないケド)。し、か、し。劇中劇のラスト、地味になったS・ローレンの姿に、なんとなく『ひまわり』を思い出しつつも、そのセリフには、ハッとさせられる。「ドン・キホーテ」から「キハナ」に戻った(正気に戻った)P・オトゥールに話しかけてるんだけど、まるで僕らに話し掛けてるようじゃないですか。「昔はもっとバカでもっとハジけてたのに、すっかり守りに入って、ゴリッパなオトナになっちゃってさ!」と言われているかのよう。うむ。ドン・キホーテみたいな生き方への憧れが、何となくよみがえってくるようだ。そう、「勝ち負けは関係ない、戦い続けること」。少し勇気が沸いて来た。 【鱗歌】さん 7点(2004-08-27 23:57:58) (良:1票) |
2.死ぬ前に最後にどの映画を観たいか訊かれたら、迷わずこの作品の名前をあげるだろう。映画の中で劇を演じるとういう難しい設定にもかかわらず、実に解りやすい演出。映画の中の劇では夢と希望を忘れない人生のすばらしさを演出し、映画そのものは人間の自由は何者にも奪えない尊いものだと謳っている。また、有名な音楽はいつの時代に聴いても古さを感じず、心の琴線に触れる名曲だと思う。 【ソフィーの洗濯物】さん 10点(2004-02-03 03:17:27) (良:1票) |
1.P・オトゥールは舞台出身と聞いていますが、このミュージカル映画では体全体でドンキホーテを演じ、映画の枠を越えて見事に役そのものになりきっています。病床で今一度、騎士道精神をよみがえらせ勇気と誇りをもって立ち上がるドンキホーテ。堂々とした姿の後、マリオネットの糸が切れるように息絶えるシーンは以降の舞台役者たちにも影響を与えたのではないでしょうか。公開当時、高校生だった私はソフィア・ローレンの大ファンで実は彼女目当てで映画館に行ったことは否定できません(同様の方もいらっしゃいましたよね?)。粗末な服を着ているほど女性らしさが際だつ女優さんです。この映画も汚れ役で胸元が大きく開いたブラウスを着ていますが、いやらしさよりも母性的な女性らしさが漂い、まとわりつく男たちはみんな乳幼児のように甘えて見えます。アルドンサ役としてソフィアは舞台女優にひけをとらぬほど見事に歌い演じています。存在そのものにインパクトを感じます。P・オトゥール以上に、この作品以降のアルドンサを演じる女優さんへ影響を与えたと思います(松たか子しかり)。年齢を感じさせないソフィアのバイタリティと美しさ、愛らしさにプラス2点で計8点。 【天地 司】さん 8点(2003-05-16 16:17:22) (良:1票) |